7 幸せの時間(ひととき)を破る者、その名は魔王ジン、……って
時は少々遡る。
ちょうど、おれとアウローラが城に入り、浴室に向かった頃。上空をこの城にむかう二体の竜の姿があった。
一方は、全身紅く、蒼い眼と青い角が特徴的な竜であり、もう一方は、その紅い竜よりも一回り大きく、全身が闇のように黒い巨大な竜であった。
その二匹はまっすぐ城に向かっていく。
城の前の広場に巨体ながら軽々と着地すると、黒く巨大な竜の身体が靄のようなものに覆われ、たちまち縮んでいくと、人の姿に変わった。
黒ずくめの貴族風の男子だ。
その背にはやはり漆黒のマントが羽織られている。
その男は、後ろに紅い竜を従え、城の玄関に近づいた。
そして、その玄関が、男が知っている玄関と、形、装飾、門のレリーフに至るまでが違っていることに気付く。
「これはなんとしたことだ。いつのまに玄関のディテールを変えた。」
怒りの含まれた疑問を投げかけられた紅い竜は、困惑気な顔をして男に答えた。
「わかりませぬ。確かに一週間前はこのような玄関ではなかったはず。」
「しかも、儂が帰ったというにだれも出迎いにでない。」
男の眉間に怒りの皺が刻まれる。
「たしかに。」
それに気づいた紅龍は、あらためて息を吸うと、
「魔王ジン様のご帰還だ。皆の者、出迎えよ。」
山肌が崩れるような大音量で呼び出した。
しかし、だれも出てこないばかりか、返事もない。
「トラルス、おらぬのか!」
ジンが叫ぶ。
しかし、結果は同じであった。
「アクレアース、いくぞ。」
「御意のままに。」
ジンが城に向かって歩き出すと、後ろに控えていた紅龍ことアクレアースも人の姿に変身し、後に続いた。
二体の裸の彫像に挟まれるように設置された変わった形のドア。ジンがその前に立つと、後ろにいたアクレアースが静かにジンの前に出て、そのドアに手をかけた。
異常事態が起きたことは明らかだ。
どんな罠がしかけられているかわからない。
しかし、最強と自負する自分がどのような罠を仕掛けられても、対処できるという自信がアクレアースにはあった。
アクレアースが迷わず、ドアを押す。
ドアが回転するように動く。
それに合わせてアクレアースが入るが、また元の場所に戻ってしまう。
「?」
アクレアースは再度、ドアを押した。
しかし、同じく元の場所に戻ってしまう。
「なんらかの疎外の魔法がかけられているようです。」
アクレアースが険しい表情をする。
「かまわん。打ち壊せ。」
ジンの言葉にアクレアースは頷く。
軽く息を吸うと、超高温の息吹を吐く。
一瞬で玄関は破壊され、その余波で二体の彫像も崩壊する。
目の前に大きな穴が開いた。
その衝撃音は更衣室で気持ちよくマッサージを受けていたおれの耳にも届いた。
「なんだ、何事だ?」
おれは急いでベッドから起き上がる。
「なにかの破壊音のようですが。」
アウローラも起き上がる。
「ティアラ、衣服を。」
ティアラは中央のロッカーの上に置いてあった異国の服を取ってくる。それは異世界にある東の島国で着用されている浴衣とよばれる服だ。
ライトグレーに沙綾形の柄のシンプルな服に角帯と呼ばれるベルトする。
着やすく、肌触りもいい。
おれも何度か着たことがあるが、お気に入りの一着だ。
「ご主人様、すてき♡」
「惚れ直しちゃいます。主さまぁ~」
「お似合いです。マスター」
三人にそう言われて照れるおれは、すこし格好をつけて更衣室から出ていった。
更衣室から出ると、広いエントランスホールの先に二人の男が立っていた。
「「だれだ、おまえは」」
おれと紅い貴族服を着た男が同時に叫ぶと、みごとに声が重なった。
それに困惑した二人の間に変な間があく。
「ここは偉大なる魔王ジン様の城ぞ。そなた、だれの許可を得て、そこにおる。」
紅い貴族服の男が叫んだ。
隣にいる黒い貴族服を着た男が魔王ジンというのだろう。
「いやあ、黙って使って悪い。ただ、ここに美人の湯の源泉があるんで、どうしてもアウローラを温泉に入れてやりたかったんだよ。ゆるしてくれ。」
おれは、右手を挙げて、謝罪の姿勢を取った。
しかし、紅い服の男の怒りは収まらないらしい。
「ふざけるな!」
紅い服の男が急激に膨れ上がり、やがて紅い竜に変身した。
「紅竜か?」
おれの中でまずいというキーワードが浮かんだ。
案の定、紅竜の口が大きく開き、その奥から超高温の息吹が放たれた。
女性陣が後ろにいて避けるわけにはいかない。
「しかたないか。」
なにげに右手を前に出したとき、目の前に人影が立った。
「ゴット・ウォール(神の壁)」
ティアラの前に光の壁が出現する。
それに超高温の息吹が激突し、弾かれ、四方に散る。
散った息吹がホールを突き抜け、柱をなぎ倒す。支えを失ったホールは崩壊を始めた。
「まずい。」
おれはティアラを抱いて、転移する。
ジンとアクレアースも飛び上がり、ホールから脱出した。
おれとティアラは、城の上空に転移し、ティアラが白い翼を出して、今度はおれを落ちないように支えた。
「ありがとう、ティアラ。」
「いえ…」
ティアラが頬を赤くするのをスルーして、おれは足元で城が徐々に崩壊していくのを眺めた。
「アウローラたちは大丈夫でしょうか?」
「心配ないだろ。」
その言葉通り、城からアウローラ、アリスが飛び上がってきた。ただ、プリムラとローザが出てこない。
「大丈夫ですか?ご主人様。」
いつの間に着替えたか、朝顔の模様の入った浴衣姿のアウローラは心配そうな声で聴いてきた。
「ああ、平気だ。アウローラたちは大丈夫か?」
「私たちは大丈夫ですが…、──ああ‼」
私を見てアウローラが叫び声をあげた。
何事かと思うと、アウローラがおれの右手を両手で挟み込む。
「血が…」
見ると、おれの手の甲にかすり傷がついている。先ほどの崩落で建物の破片が当たったようだ。
「なんでもない。アウローラ。大丈夫だから。」
すぐに手を後ろに持っていったが、遅かった。
アウローラの目が怒りで燃えている。
それだけではない。他の二人も怒りで顔色が変わっていた。
「ご主人様の大事な御手に傷をつけるとは……」
「主様を傷つけるなんてありえない。」
「何物にも代えがたいマスターのお体に……」
三人の身体から恐ろしいほどの殺気が立ち上る。
「おい、三人とも大したことないんだから。」
「ティアラ、ご主人様を。」
そう命じてアウローラが対面の空中にいる一人の男と一匹の竜に向かってゆっくり移動を始めた。そのあとにアリスも続く。
ジンとアクレアースも怒りに震えていた。
自分たちの城が崩壊したのだ。
アクレアースの息吹のせいだとしても、その原因を作った目の前の男はゆるせない。
「アクレアース、あの者どもを殺せ。」
無慈悲な命令にアクレアースも異論なく頷いた。
そして、その対象に目を向けた時、自分たちに近づく二人の女が目に入った。
竜のアクレアースが見ても、美人の二人である。
ちょっともったいない気持ちを持ちながら、アクレアースは躊躇なく超高温の息吹を吐くべく、口を開けた。
それに向かってアリスが飛行速度をあげた。
岩をも一瞬で蒸発させる超高温の息吹が二人に向かって放たれた。
アリスの身体がその息吹の中に突っ込む。
「ばかが…」
アクレアースの目が笑った。
しかし、息吹の中から傷一つない姿で飛び出してきたアリスを見て、その笑みが凍った。
「そんな吐息でドヤ顔しないでよ。」
アリスの両手に黒いダガーが握られた。
「紅炎の障壁」
アクレアースの両手から炎の帯が伸びた。それがアクレアースの周りを囲んでいく。
アリスのダガーがそれを切り裂いた。
しかし、火花が散るだけでアクレアースには刃は届かない。
逆に炎の帯はアリスを囲み、焼き尽くそうとした。
「焼け死ね!」
アクレアースの嘲笑とともに炎の帯がアリスを縛り上げ、アリスの全身が燃え上がる。
「うわああぁぁ~」
アリスの悲鳴が炎の中から響く。
アクレアースが満足気な笑いで、アウローラに視線を向けた。
「次はお前だ。」
仲間が無残に死ぬ様を見て、恐怖しているのだろうと思っているアクレアースに向かって、アウローラは嘲笑を浮かべた。
それを気が触れたとアクレアースは解した。
しかし、それが検討違いであることはすぐにわかった。
冷笑を浮かべながらアウローラがゆっくりとアクレアースに近づいてくるからだ。そして、アクレアースを無視するようにその横を通り過ぎようとする。
「貴様!」
「アリス、いつまで遊んでいるつもり。」
アウローラはアクレアースのほうに目を向けることなく、死んでいるはずの仲間に話しかけた。
「えへ、アウローラにはかなわないわね。」
「こんな赤坊やなどさっさと片付けて。」
「了解。」
炎の帯に縛られ、燃え上がっているアリスとアウローラは普通に会話をしている。アクレアースにはなにが起こっているか、理解できなかった。
「じゃあ、赤坊ちゃん、覚悟して。」
炎の中からアリスの顔が浮かびあがった。
「きさま、死んだはずでは。」
「いやだな。私がいつ死んだって言うのよ。」
「我が紅炎の障壁の炎に包まれて無事に済むはずがない。」
アクレアースは、悪夢か何かのトリックと思い、目の前の現実を打ち消そうとした。
「この程度の炎、温泉よりぬるいわ。」
炎が人型になる。その姿は炎を纏ったアリスの姿だ。
「おのれ!」
アクレアースの鋭い爪がアリスを引き裂いた。しかし、引き裂かれたアリスは二人のアリスに増えただけだった。
「おのれ!おのれ!」
アクレアースはめったやたらに炎のアリスを引き裂く。そのたびにアリスの数が増えていった。
いつの間にか十数体のアリスがアクレアースを取り囲んでいる。
「なっ⁉」
「おしまい?」
アリスが邪悪な笑みを浮かべる。
「超高温の息吹!」
最大級の息吹がアクレアースの口から放たれる。
十数体のアリスを薙ぎ払う。
すべてが消し飛んだ。
「ふっ」
安堵と侮蔑の混じり合った笑みがアクレアースに浮かんだ。
「えらい、えらい。」
突然の声にアクレアースの顔が凍り付いた。
声のする方に顔を向けると、上空にアリスが浮かんで、こちらに微笑みを向けている。
わけがわからない。
アクレアースは固まってしまった。
「なにをしている!」
別の方からの叱責にアクレアースはハッとした。
後ろで魔王ジンが両腕を組んだ姿勢で、こちらを睨んでいる。
「も、申し訳ありません。」
出ない冷や汗をかいた感覚に、アクレアースは囚われる。
「おんな!今度こそ焼き尽くしてやる。」
と意気込んで、アリスの方へ頭を振り、口を大きく開けた時、アリスの周りになにかが浮かんでいるのを認識した。
赤い、槍?
それも多数。
「なっ……」
なんだ、それは?という前に、その赤い槍、実は炎の槍だが、が一斉にアクレアースに向かって落ちてきた。
「フレイム・ジャベリン(炎の投槍)」
「紅炎の障壁!」
アクレアースの周りに紅い炎の壁が並ぶ。
そこへフレイム・ジャベリンが次々突き刺さり、その都度、大きな火花を散らして双方が消えていった。しかし、紅炎の障壁が消えたそばからその隙間をすぐに埋めていく。おかげでアクレアースに届くジャベリンは一本もなかった。
「ばかめ、無駄だ。火属性の竜たる我に、炎の魔法など効かぬわ。」
アクレアースが翼を広げた。
それを見てアリスが不敵に笑う。その瞳はいつの間にか虹色だ。
アクレアースを取り巻く炎が紅い色から青白色に変わった。同時にその温度も数千度ほど上昇する。
小さな太陽が出現したかのようだ。
そして。全身の青白い炎が徐々に頭頂部へ、大きく開けた口へと集約していく。
「類なき熱量の陽光」
アクレアースの口から青白く輝く光線が発射され、まっすぐアリスへ向かって走った。
光線がアリスを吹き飛ばし、雲を蹴散らしながらそのまま上空高く、光跡を残して走っていった。
雲が蹴散らされ、上空に晴天が広がる。
「ジン様、お待たせしました。」
優越感たっぷりの笑顔で、魔王ジンの方に顔を向けたアクレアースの耳に、信じられない言葉が聞こえた。
「よそ見しちゃだめよ。」
ハッとして、振り返った瞬間、その右目にアリスの姿と、迫るダガーの切っ先が映った。その刹那、ブラックアウトする。
その後、右目に激痛が走る。
「ブレイン・ブレイク(心脳破壊)」
アリスの詠唱とともにアクレアースの三つある脳髄に衝撃が走り、壁にぶつかった豆腐のように粉々に砕け散った。
アクレアースから全身の機能が失われ、糸の切れた人形のように固まったまま地面に落下していった。
崩壊した城の前の広場に激突すると、竜の体形のまま地面にめり込んだ。
「楽しかった?」
動かないアクレアースに、アリスが邪悪な笑みで問いかける。
当然、返答はない。




