2 ふたりっきりの温泉旅行──なのに、なんで邪魔が…
大陸の南西部。
逆Cの形の山脈バクーウィンの麓に、おれたちの目指す温泉地がある。
温泉地の名前は、エンホーデン。
大陸でも有数の温泉地だ。
ここには七つの源泉があり、その一つ一つの泉質が違う。そのため、それぞれの温泉を楽しむ人々がひっきりなしに訪れる。
ここを所有するザオロス共和国の大きな収入源のひとつとなっている。
そのエンホーデンの街から外れた草原の中に、俺の馬車は転移した。前もって転移場所を定めているから問題なく転移できる。いきなり、街の中に転移するといろいろと面倒なことになるための処置だ。
そこから街道に向かって馬車を走らせる。
おれの馬車はオフロード仕様だからどんな悪路も走れる。しかも、車内は魔法で揺れを制御しているため、乗り心地は満点だ。
おれとアウローラは隣り合って座っている。
アウローラは、珍しく白を基調としたドレス姿。外目にはどこぞの貴族のご令嬢という出で立ちだ。
おれは、黒一色のスーツに、白い蝶ネクタイ。両手には白い手袋をはめて、貴族然とした格好だが、首とか肩とか窮屈で落ち着かない。
そんなおれにアウローラは、馬車に乗ってからずっとおれの肩に頭を乗せて、幸福そうな顔をしている。ただ、いささか肩が痛い。
しかし、アウローラの幸せに緩む顔を見ていると、来てよかったと心底思う。俺の判断は間違ってなかったと、心の中に安堵感が広がる。
馬車は草原から街道に出ると、まっすぐエンホーデンの街に進んだ。エンホーデンは七つの源泉ごとにブロックが分れており、そのうちの七番目のブロックがおれたちの目指す場所だ。
街中は温泉客で活気づいていた。
さすがに大陸有数の温泉地だ。
様々な商店が軒を連ねている。やはりその中で最も多いのは土産物屋、そして食堂、宿屋だ。
店の店員や宿屋の女将が声を張り上げて、客引きをしている。なかには強引にひっぱろうとしている輩もいる。
おれたちの馬車はそんな中をゆっくりと進んでいく。
すでに宿屋は決まっている。
エンホーデンの中でも5本の指に入る宿屋、「鳳凰の止まり木亭」だ。
東西に伸びたエンホーデンの街のもっとも西側に位置する宿屋、「鳳凰の止まり木亭」はさすがに5本の指に入るだけあって、その外観は宮殿を思わせる。門を入って、ロータリー状の中庭の中心には噴水があり、まわりには亜熱帯植物が生い茂っている。正面玄関に馬車を乗り付けると、すぐさまボーイが駆けつけてきた。
「いらっしゃいませ。」
元気な掛け声とともに馬車のドアを開ける。
おれは当然のような顔をして馬車を降りると、続くアウローラの手を取って降りる補助をする。
アウローラの美しい姿を見て、年若いボーイは「ほぉ~」とため息をついた。その姿を見て、後ろに立っていた年長のボーイが空ゼキをする。すぐに自分の職務に気が付いた若いボーイは、馬車の後ろに括り付けられている荷物を降ろしはじめた。
おれは、馬車と荷物をボーイに任せて、宿屋の中に入っていく。
エントランスホールもその辺にある宿屋とまるっきり違う。
コンサートホール並みの広さと二階までの吹き抜け、ピカピカに磨かれた大理石の床にはいくつものテーブルとソファが置かれている。
正面玄関から入って左側に、二人の人間がゆうに横たえるほどの長さのカウンターがある。その後ろに見るからに実直そうな男が二人立っていた。
おれとアウローラは腕を組んだまま、ゆっくりとカウンターに向かった。
「いらっしゃいませ。」
カウンターにいる男の一方が、優し気な笑顔を向けて、頭を軽く下げた。
「予約していたオベリスだ。」
「承っております。オベリスご夫妻ですね。」
ティアラに頼んで、この宿の予約を取ってもらったのだが、そのさい、南方諸島の王族の一員というふれ込みで申し込んだのだ。
おれは、夫妻という言葉にくすぐったさを感じながら、差し出された宿帳に自分の名前を書き込んだ。
それを見届けたカウンターの男性は、すぐさま、後ろの棚から一本の鍵を取り出し、俺の前に差し出した。
「お部屋は六階のスィートルームです。ごゆっくりおくつろぎください。」
うやうやしく頭を下げる男を尻目に、おれはアウローラを連れて、昇降機へ向かう。
この宿屋は六階建ての建物で、この世界ではめずらしい高層の宿屋だ。そのため、上の階に上るための昇降機、いわゆるエレベーターがある。ただ、機械仕掛けではなく、魔力と磁力を組み合わせた仕掛けになっている。(くわしいことは知らないのだが)
おれたちはボーイに案内されて、その昇降機に乗る。
音もなく、振動もなく、まさしくあっという間に六階に到着した。
ボーイが先頭に立ち、部屋へと導く。
昇降機から東側へ歩いて行くと、一番端の金の装飾を施したドアの前にボーイが立ち止まった。
「鍵をお貸し願いますか?」
そう言われて、鍵を貸すと、鍵穴に差し込み、軽く回して、ドアを開けた。すぐさま脇に避けると、俺とアウローラは部屋の中に入っていった。
そこは、この宿屋で一番豪勢な部屋だ。
二十畳はあろうかというリビングに、南向き一面がガラス張り。片側には簡易なバーがあり、宮殿に備えられてそうなソファやテーブル、壁にはどこかの風景を描いた油絵が飾ってある。
まさしくスィートルームだ。
「お気に召しましたでしょうか?」
ボーイがおれたちの荷物を運んできた。
「いや、ありがとう。気に入ったよ。」
そう笑顔で言うおれは、ボーイの手に金貨一枚を渡した。
ボーイは満面の笑みを浮かべながら、部屋を出ていった。
ボーイがいなくなったのを確認するが早いか、アウローラがいきなり飛びついてきた。
「ごしゅじんさまぁぁぁ~」
いままで聞いたこともないような甘い声で俺に迫ってくる。いきなりの行動におれは慌てた。
「アウローラ、ちょっと、まて。時間はあるんだ。ゆっくり楽しもう。」
おれがそうなだめると、
「そうですわね。時間はたっぷりありますものね。これから一晩、ご主人様とふたりっきり。」
アウローラは妖しい笑顔を浮かべて、俺から離れ、窓辺に歩み寄った。そして、窓を全開すると、おもいっきり空気を吸った。
窓からは雪をかぶったバクーウィンの峰々が雄大な姿を見せて広がっていた。それを見るおれは、自然の迫力に心が躍る思いがした。
アウローラもその景色を堪能するように、窓から身を乗り出した。
「ご主人様、見てみて。山があんなに近くに。」
少女のようにはしゃぐアウローラを見て、おれは本当に来てよかったと思った。
おれは、格好つけてアウローラを後ろから抱きしめて、ともに絶景を眺めた。
幸せだ。
ここまでは。
おれたちは、たわいのない話で時間を潰しながら夕食時を待った。
ここでは食事はすべて下のレストランでする。もちろん、軽い食事や飲み物はルームサービスで持ってきてもらうこともできるが、フルコースを味わう食事はレストランで取るのだ。
その準備ができた呼び出しが、ドアの外から聞こえてきた。
すでに夕食用に着替えたおれたちは、ソファから立ち上がると、部屋を出ていった。
来るときと同じように昇降機で一階に降り、エントランスを横切って、レストランに向かう。
さすがに超一流の宿屋のレストランは、超一流だ。
遠くから弦楽合奏の生演奏が聞こえ、すべてのテーブルに真っ白なシーツが被せてあり、その一つ一つに花を生けた花瓶と三本の蝋燭を立てた燭台が置いてあった。
アウローラは赤が基調のイブニングドレスに着替え、優雅な姿でレストランの中に入った。
中にいた客から一様に感嘆のため息が聞こえる。
エスコートするおれも鼻が高い。
おれとアウローラはウェイターに案内されるまま、一番窓際のテーブルに着いた。
すぐにソムリエが駆け寄ると希望のワインを聞いてきた。
ワインなぞとんとわからないおれは、今日の料理に合うワインを選んでくれと頼んだ。
ソムリエはすぐさま希望に沿うワインを選択し、おれが同意するとワインセラーへと飛んでいった。
ほどなく赤のワインを持ってくると、うんちくを傾けながらコルクを抜く。それをおれに差し出し、型通りにその匂いを嗅いで頷いた。
手慣れた手つきでワインをグラスに注ぐと、「どうぞ、ごゆっくり」の言葉を残してその場を去っていった。
おれは、グラスを持ち上げ、正面にいるアウローラに微笑みかけるとグラスに口をつけた。
味の方は、─正直わからない。
アウローラはうれしそうにおれに微笑み返してくると、そこへウェイターが前菜を運んできた。
食事の始まりだ。
アウローラは器用な手つきで前菜を口に運び、その幸せそうな顔に心から来てよかったと思った。
「アウローラ、おいしいかい?」
「はい、とっても」
おれに向ける飾り気のない素直な笑み。
美しい。
今更ながらアウローラの美しさに見とれていたとき、強い衝撃がレストランを揺らした。
同時にレストランの窓ガラスが割れる。
「キャー!」
「なにごとだ‼」
怒声と悲鳴が重なる。
その場は一瞬でパニック状態になった。
「みなさん、落ち着いて。係りの者の指示に従って非難してください。」
支配人と思しき男が、皆を落ち着かせようと叫び、ウェイターたちに客の避難誘導を指示した。
突然の出来事に驚いたおれだが、すぐに冷静になり、支配人に向かって状況を聞いた。
「なにが起こったんだ。」
「どうやら、竜が出現したようです。」
「竜⁉」
それを聞いても状況がいまだに飲み込めない。ともかく、避難しなければと思った時、隣にアウローラがいないことに気付いた。
「そうだ、アウローラ!」
おれはアウローラの安否が心配になり、その姿を探した。
見ると、アウローラが窓辺に立って、怒りの表情を見せている。
「アウローラ、あぶない。早く逃げるんだ。」
「よくもよくも、私たちの温泉旅行を邪魔したわね。」
アウローラの視線の先、そこには漆黒の鱗に覆われた黒竜がいた。




