美音
それから時々愛花さんが十三階のベランダから下を見てるのを見かけるようになった。「飛び降りるのかな」と私は思っていたのだが、別にそんなことはなかった。愛花さんは引っ越していった。美音ちゃんのいないあのマンションの広さと空虚さに耐えられなくなったのだと思う。あるいは単に風の音がうるさかったのかもしれない。引っ越しの直前に愛花さんが「よかったらときどき見に行ってあげて」と美音ちゃんのお墓の場所を教えてくれた。美音ちゃんのお墓は街を見下ろせる高い丘の上にあった。私は時々美音ちゃんに会いにいく。どうでもいいことを考えながら手をあわせる。
ある日、学校帰りに楓ちゃんと陽子ちゃんと喫茶店に入って三人で話してるときに、ふと陽子が言った。
「最近さぁ、頌子ってすっげーみょんに似てきたよね」
「あ、うん。いまだから言っちゃうけど、私、美音ちゃん大好きでなりてーと思ってたから」
「え、ほんまにそうなん? や、みょんから相談されてたんよね。“頌子が私の真似してきてこわい”って。うち、考えすぎやろーって返事したんやけど、うっわ。そっかー。頌子こえー」
うおぅ。そっか。私も美音ちゃんを追い込んじゃった要因のうちの一つだったのか。
だから美音ちゃんは私を“ぬいぐるみ”から解任したのか。
……うわぁ。
愛花さんのこと責められんじゃん、私。
「ところでさー、みょんと一番仲良かったの、実はうちって知ってた?」
“ぬいぐるみ”だった私と楓ちゃんは同時に「それはない」ってツッコんだけど陽子ちゃんはLINEの履歴を私と楓ちゃんに見せる。そこには私と楓ちゃんですら知らなかったことがたんまり書いてあって、私と楓ちゃんの知ってることはほぼほぼすべて陽子ちゃんは知っていた。“ぬいぐるみ”やってたことも知られてた。絶対に私と美音ちゃんだけの秘密だと思っていた盗癖があってどうでもいいものを盗んじゃうことも陽子ちゃんには相談されていた。美音ちゃんは佐藤さんをハブにしたことを後悔していて陽子ちゃんに佐藤さんへのフォローを頼んでいた。
ぎゃふん。
好き好き大好き超愛してて距離が近かった私や楓ちゃんより適切な距離を保ってしっかり自立してる陽子ちゃんの方が実は美音ちゃんにとって話しやすかったってことなんだろうか。かなりショックだった。美音ちゃんのことならなんでもわかってるみたいな謎の自信を粉砕された。人間一人分のことを全部ちゃんとわかってあげることはできないんだなと思った。
私は中学三年生になって受験を経て高校生になって、おしゃれも覚えて一人で服にアイロンあてて料理も少しずつ覚えて美音ちゃん程ではないにしろタフな子供になっていく。時々振り返ることはあるけれど一緒に成長できなかった中学二年の美音ちゃんは次第に幼さをおびて遠ざかっていく。憧れだった美音ちゃんを追い越して私は大人になる。
いま、二十四歳になって小学校の教師になった私にとってはいくつかある大切な思い出のなかのひとつにすぎなくなった。
私は子供たちの中に美音ちゃんを探す。
なんでも自分でやらなければいけないからタフにならざるを得なかった子供はときどきいる。誰にも見つからずにひっそりとさみしさを育てている。そんな子供を見つけてそっと手を差し伸べて屈託のない愛と優しさでくるんで暖めてあげれたらいいなと思いながら、五年三組の教壇に立つ。
美音ちゃんは今日もそこにいる。
つんと澄ました顔をして一人でへっちゃらなふりをしながら私の助けを待っている。
読んでくださってありがとうございました。