みょん
次の日に学校にいったら、ふつうに美音ちゃんが「おはよ」話しかけてきて私は三センチくらい飛び上がった。「お、おは、お、おはよう」どもる自分が最高にださいと思いながら美音ちゃんが振ってきた中間テストのこととか最近できた喫茶店のこととかについて返事をする。うまく答えられない私を見て美音ちゃんは(まあおまえはそんなもんよね)って感じで目を細めて口元に手を当てて上品に私を見下して笑って「じゃ、また」いつものグループの方へ戻ってく。
美音ちゃんのグループの女の子達が「なんで?」って顔してこっちを見てる。私にも正直よくわからない。
ただそれだけで無視とか聞こえるように言ってくる私に当ててない悪口とか足かけたりとかの地味な嫌がらせはピタっと止む。こういった地味ないじめって持ち回り制で女子の間を順番に駆け巡るもので、私の番は終わったってことらしい。そして始める権限も終わる権限も美音ちゃんみたいなキラキラした女の子が独占している。美音ちゃんの取り巻きが「みょん(美音ちゃんのあだ名だ)の今回のやつは短かったね」と言っていた。
放課後になって私はコンビニで金を下ろした。主にお年玉を溜めてたやつ。
普段は入らないスーパーの化粧品コーナーをうろうろして美音ちゃんが使っていた化粧品を覚えている限りで買い漁った。同じ化粧品を使って同じように服の皺を伸ばして同じように顔上げて背筋伸ばしてたら私も美音ちゃんみたいになれるんじゃないかと思った。自力で二万を越える買い物をしたのははじめてのことだった。
家に帰っていろんな化粧品を開けて試してみたんだけど自分でぺたぺた塗り付けて目に線を引いてもやっぱり美音ちゃんみたいにはならない。またやってほしいな。美音ちゃんの指が自分の顔に触れて筆とかペンとかが這いまわってたことを思い出す。なにそれ前戯じゃん。ぶるり。指の感触を思い出して体が震えた。私は美音ちゃんになることをとりあえず諦めて化粧を落として漫画を開いた。美音ちゃんの部屋にあったのと同じ少女漫画を古本屋で買ってきた。それは大人っぽくて乳がでかくて金持ちの愛人とか似合うよねーと悪意なく言われてしまう(それほんとに悪意ないか?)高校生の女の子が同級生の男の子にまっすぐに好意を伝えられてどきっとしてその男の子を好きになっていく話だ。読んでいて「美音ちゃんがこれに自己投影して読んでるんだったらウケるな」と思った。私達の人生にこんな稲光みたいに突然現れてピカッと光ってすべての苛みから助けてくれる人は出てこないよ、美音ちゃん。本を置く。
そのうち帰ってきたお父さんとお母さんと一緒に夕飯食べてたら、スマートフォンがぴろりと音を立てた。食事中にスマホ触るのは禁止されてる私は食べ終わってから画面を見ると美音ちゃんから「いまから近くのファミレスにこない?」というお誘いが来ていて私は「いく」と返信する。ちょっと時間経ってるから大丈夫かなと思ったが「待ってる」美音ちゃんからも返事が来たので私は急いで支度して家を出る。「どこいくの?」お母さんからの背中にかかる声に「友達のとこ!」て答えて、引き止めようとするのを無視して自転車に飛び乗ってダッシュで逃げる。だって日本って夜中でも別に危険じゃないじゃん、お母さん感覚古いよ。美音ちゃんのうちの近くにあるファミレスに入ると美音ちゃんが奥の方の席にぼんやり座ってた。疲れた顔をしてる。「や」、「ん」わずか二文字のやりとりのあとに私は美音ちゃんの向かいに座る。美音ちゃんは鶏の西京焼きの一欠けらと白ご飯と付け合わせのサラダをつつく。
「どうしたの?」
「塾の帰りで暇だっただけ」
時計は八時回ってる。美音ちゃんは教室で話すときの高い声とは比べ物になんない疲れた感じの低い小さな声で自分の両親が離婚していて自分は母方に引き取られてること、それから母親が結構いいとこに勤めてるんだけど激務でなかなか早い時間には帰ってこれないことを話す。私は「へえ」としか言えない。だから美音ちゃんは塾で時間潰させられてファミレスで一人で飯食って寝るときまで親が帰ってこないことも珍しくないらしい。
「風の音がするんだよね、あの家」
ごうごうごう。って風が窓ガラスを叩く音が美音ちゃんはあんまり好きではない。
美音ちゃんがポテトフライを頼んでぱらぱらと塩を振り、私にもつまむように言う。
私は晩御飯食べたあとであんまりお腹空いてなかったけどせっかくなので少しもらう。
「あんたの話もしてよ」
「はて。人様にお聞かせできるようなおもしろい話は」
「しろ」
「はい」
私はわりとよく本を読んでて、ハマり始めたきっかけは乙一さんの「GOTH」からでその話はちょっと変わった男の子とちょっと変わった女の子がいろんな事件にちょっと変わった感じで関わっていくものだという話をする。美音ちゃんが具体的な内容を聴きたがったから「だったら読んでみては?」薦めてみる。
「わたし長い文章読めないタイプだよ」
「そんな人にこそ読んでみてほしい小説ですな」
「じゃあ貸して」
「よしきた」
それから最近読んでおもしろかったのは綿矢りささんの「ひらいて」でちょっと変わった女の子がちょっと変わった男の子に恋をして紆余曲折あってその男の子の恋人を寝取るのです、と言ったら「え? 聞き間違えた? 彼氏を寝取るんじゃなくて彼女寝取るの?」、「そう、それがこの話のキモなのです」美音ちゃんが「なにそれ変なの」ってけたけた笑った。私はこの話をした甲斐があったなと思う。
二時間くらいそうして話して「そろそろ帰らなくては」私がポテトフライ代を置いて席を立とうとしたら「べつにいい」と小銭を突っ返されてお財布事情が芳しくない私はお言葉に甘える。
ファミレスを出るときに美音ちゃんを振り返ったらまたすごく疲れた感じでスマホを見つめてて、なんか後ろめたい。