興奮のわけ
エフ博士は長年の研究の成果として、ついにタイムマシンの開発に成功した。しかし一つだけ、どれだけ研究を重ねても搭載できない機能があった。それは過去へ行く機能だ。このタイムマシンは、未来に行くことはできても、過去に戻って来られないのである。
しかしこれまでずっと一人で孤独に研究を続けて来たエフ博士にとって、それは大した問題ではなかった。過去に戻れないのなら未来で暮らせばいいだけの話である。無事未来へ行くことができたら、自分は初めてタイムトラベルに成功した人類となるわけだし、未来人から大いに歓迎をされるだろうと予想をしていた。
そしていよいよ旅立ちの時。エフ博士はどのくらいの未来に行こうかと考えたが、数十年後などの近い未来に行ってもつまらないし、思い切って二百年後の未来を訪れることに決めた。
タイムマシンに乗り込み、パネルを操作して行先となる時代、二百年後を設定する。あとは起動スイッチを押すだけだ。
一つ息を深く吐き出すと、エフ博士は目の前の赤いボタンを押した。すると突然、激しい振動がマシンを襲う。たちまちエフ博士は不安になったが、もうどうすることもできない。しばらく目をつぶってその揺れに耐えていると、次第にそれは収まっていき、やがてマシンは完全に動きを止めた。
これが成功なのか失敗なのかは、外に出るまでわからない。意を決してエフ博士はタイムマシンのドアを開けた。
タイムトラベルは成功だった。道を行きかう人々は誰も歩いてはおらず、自動で動く小さな腰掛に乗って移動している。その服装もまた独特で、袖が何本もある服を着ていたり、長く伸ばしたベルトを地面に引きずっていたり、理解のできないファッションをしている人ばかりだった。
その一方で、建物はどれも小ぎれいで、デザインも洗練されており、小汚い雑居ビルのようなものは見渡す範囲では確認できなかった。
しかしそれよりもエフ博士の目を奪ったのは、それらを繋ぐように張り巡らされた太い透明なチューブ状の構造物だ。その中では絶えず何か大きな四角い箱が高速で移動していた。
しばらく観察していると、その中の一つが近くの建物のところで止まった。そしてそこから楽しそうに談笑する男女数人が降りて来て、例の腰掛に乗り換えた。
どうやら四角い箱はエフ博士の時代で言う車、チューブは道路としての役割を果たしているようだった。その箱は移動したい時にだけ使うことができるようで、乗っていた人が全て降りるとまた出発した。
まさに私が描いていた未来そのものではないか! エフ博士の興奮は最高潮だった。
そんな風に辺りをきょろきょろ見回しては、頷いたりうなったりしているエフ博士のことを、周囲が不信に思うまでにそう時間はかからなかった。だんだんエフ博士の周囲には人が集まってきて、遂にそのうちの一人が話しかけて来た。
「あの、大丈夫ですか?」
「ああ、これはどうも。何と言ったらいいやら、つまり私は過去からタイムマシンを使って来たものでして……」
エフ博士がそう言った瞬間、周りの人々は一気に色めきたった。
「おい、過去からやって来たってよ!」
「本当に過去からやって来たんだろうな?」
「あの格好を見ればわかるだろうよ。早くテレビ局に連絡しよう!」
このような話し声がそこかしこから聞こえて来た。エフ博士は集まって来た人たちにこの時代のことを聞きたかったが、とてもそんなことはできない状態だった。過去から人が来たというのだから当然と言えば当然か、とエフ博士は考え、ほとぼりが冷めるまでおとなしく待つことにした。
しかし人々の興奮が冷めやらぬうちに、何やら小ぎれいな服装に身を包んだ男がチューブから現れて、エフ博士の方に向かって来た。
「どうもこんにちは。私こういう者です」
そう言いながら男は何か銀色の物をエフ博士の方に差し出してきた。それはちょうど男の手のひらに収まるくらいのサイズで、ボタンがいくつかついていた。
どう反応すればよいものかとエフ博士が逡巡していると、その様子を見た男は端末をしまって、満足げに話を続けた。
「すみません。からかうつもりはなかったのですが。この機械はこの時代の名刺のようなもので、お互いの物をくっつけたらそれで様々な情報が交換できるというわけです。今の態度で、あなたがこの時代の人間ではないとすぐにわかりました」
「はあ、そうなんですね」
なんだか自分がこの時代の人間ではないことを改めて突き付けられたようで、エフ博士はあまり良い気持ちではなかった。しかし男が続けた言葉が、そんな気持ちをエフ博士から一気に振り払った。
「私はとあるテレビ局の者でして、よろしければ今夜の放送にご出演いただけないかと思いあなたのお目にかかったわけです」
「テレビに出演ですって? 構いませんよ」
孤独に研究を続けて来たエフ博士にそんなオファーが来るのは初めてのことだった。落ち着いて返事をしているように装ったものの、内心は喜びが爆発していた。恐らく人類で初めて過去から来た人間として特番でも組まれるのだろうと、エフ博士は期待に胸を膨らませた。同時に、この調子ならこの時代で生きていくのもそう難しくはないだろうとも思えた。
テレビ局までの移動の最中に、エフ博士はこの時代のことについてテレビ局の男に質問攻めした。まずは今自分が載っているチューブについて。このチューブは環境汚染や事故のリスクが極限まで抑えられた革新的な輸送機関であり、地球の裏側まで三時間で行けてしまうスピードも備えている驚きの発明であった。
それからもこの時代の食事や文化、科学技術などについて色々と話を聞き、そのどれについても、エフ博士の時代から大きく進歩していることがわかった。エフ博士は改めて、二百年という時の長さを実感することとなった。
そうこうしているうちに目的地に近づいてきたようで、疑問の噴出が止まらないエフ博士を遮ってテレビ局の男がこう切り出した。
「ああ、もうすぐうちの局に到着ですね。番組について詳しいことをお話しできませんでしたが、インタビュアーからの質問に答えていただければ大丈夫ですので」
「はい、わかりました」
エフ博士が想像した通り、出演する番組は過去のことについて色々質問を受ける内容のようだった。
「それと、くれぐれも嘘は言わないでくださいね。後々面倒なことになりますので」
妙な念の押し方をするな、と感じたが、もともとそんなつもりはさらさらなかったエフ博士は素直にそれに頷いた。
「ええ、大丈夫です」
どうやらあまり時間に余裕が無いようで、その後エフ博士は男の案内でテレビ局内を慌ただしく移動し、メイク室のようなところに通された。そこで男はいきなり、エフ博士の頭の上から何かの機械をかぶせてきた。
「大丈夫です、これでメイクや髪型のセットをするんです」
慌てたエフ博士の様子を見て男が説明する。なら最初からそう言ってくれればいいのに、エフ博士は内心毒づいた。しかし機械が外されて目の前の鏡に映った自分を見ると、そんな気持ちもどこかへ行ってしまった。髪型も肌の質感も、今までにない最高の仕上がりだったのだ。
「よし、いい感じに決まってますよ。それではこちらの方でスタンバイしてください。司会が名前を読んだら、歩いて登場していただいて、あの赤い椅子に座ってください。それじゃあ、お願いしますね」
そうまくしたてると、男はどこか別の場所に移動してしまった。他にもやらなければならないことがあるのだろう。気にせずエフ博士が男に言われた場所で立っていると、すぐに番組は始まったようだった。
「さあ、皆さんお待ちかね。今回も遂にやってまいりました。当選番号発表の時間です。それでは早速お呼びしましょう、エフ博士です!」
当選番号発表という言葉を聞いてエフ博士は番組を間違えてしまったのかと思ったが、司会は間違いなく自分の名前を呼んでいた。一瞬躊躇したが、この時代の定番のギャグか何かだろう、と判断したエフ博士は男に言われた通り、出演者に軽く会釈をしながら歩いて行き、赤い椅子に腰を掛けた。そしてエフ博士をカメラが捉えるやいなや、司会が切り出した。
「ようこそ私たちの時代に来てくださいました。それではお聞きしましょう! あなたは西暦何年からやってきましたか?」
「はい、私は西暦2155年からやってきました」
「皆さんお聞きになりましたか? 2155年、2155年です。第47回タイムトラベルくじの当たりは2155でした。2154と2156の方は前後賞です。おめでとうございます! 次回の抽選結果の発表は、私たちにはいつになるかわかりませんが、過去から人が来るまでドキドキしながら待ちましょう! それではまた!」