ユハの回想(6)
――この時の私は、下手したら、“盗み返し”の時よりも緊張していたかもしれない。
与えられた家からこっそりと抜け出して、ホットペップ邸の中へと忍び込んでいた。
体は、家を出る前から透けていた。これからやばいことをやるぞ! と決めた辺りから心臓が高鳴って仕方なかった。
邸内を見たのは、初めてここに連れてこられた日と、この異変についての実験中に何度か。だから、内部の構造もほとんどわからないし、さらに頭を悩ませたのが、異様な数の見張りだった。「居すぎでしょー」って、何度も心の中で呟いてたのを覚えてる。
音を立てないように、慎重に歩いた。ホットペップの兵はやたらと勤勉で、お互いにだべったりしない。邸内に点々と灯るランプの灯りだけを頼りに、薄暗い回廊を進む。
あまりに無計画で笑われるかもしれないけど、私はなんとなくホットペップの部屋を目指していた。秘密があるとしたらそこかなって。で、何も見つからなければそれはそれで引き返せばいいと考えていた。
緊張しっぱなしで、しかも音を立てないように気を遣いながら、どこにあるかわからない部屋を探すっていうのは、もうめちゃくちゃ疲れる。間取りをなかなか記憶できない。今でも覚えているのは、階段が東西に一つずつあったことと、三階建てだったことぐらいだ。
最上階、つまり三階の廊下の突き当りにドアを見つけた。このやけに細い廊下になんだか見覚えがあったし、ここには見張りもいない。ラッキーと思って静かにドアに耳を当てて中の様子を探ろうとした。
「……以前に比べて、体の調子が悪いんだ」
男の声がする。
「部屋に籠り切りだからじゃないのか? それが“その力”と関係があると?」
ホットペップの話し声も聞こえた。どうやら二人で話しているみたいだ。それよりも、“その力”って?私はさらにドアに耳をくっつけた。
「絶対ある! 考えてみろ、無から食べ物が手に入るわけがない、必ず代償があるはずだ! もう勘弁してくれ! 解放してくれ!」
ガチャガチャと金具が床に打ち付ける音がする。もしかして拘束されてる……?
「悪いがそれはできん。俺たちは食糧がいるんだ」
「アーダも同じ力を持ってる。同僚で第三十一炉で働いている。あいつを使え! 俺はもう無理だ!」
「有益な情報だな。実際、『食糧生産』の能力者は多数いるはずだ。でなければこの状況は考えられん」
「なあ、ならもう俺はいいだろ」
「不調とやらが落ち着くまでは休め」
「違う! 解放してくれって言ってるんだ!」
「叫ぶな、兵を呼ぶぞ」
……やばいことを聞いてしまった。やっぱり、農耕や狩りじゃなくて“変な力”で食糧を賄っているんだ。そしてその力を持っている人はたくさんいる。だから物々交換の食糧が尽きない。でもその力には代償があって、使った人の体力が衰える……?
しかもホットペップはその能力者の一人をこんな風に監禁して無理矢理食糧を作らせている。どうしよう、頭がクラクラしてきた。
とにかく、絶対にバレちゃいけないと思って、急いでその場を離れた。来た道をこっそり戻って、自分の寮に帰る。ベッドに倒れ込んで、混乱した頭をなんとか整理しようとした。
ホットペップにはお世話になってる。決して悪人じゃないことはわかってる。私を利用してることも知ってる。でもあんなことしていいの?
ホットペップの目的は? 住む場所も鉄も組織も手に入れて、食糧の生産元まで手に入れようとしている。このバニトスで地盤を固めたいのかな。
じゃあ、私は? 落ち着いて整理しよう。
リーンドールの奴らは? 許せない。復讐してやりたい。でも今そんなこと考えてもしょうがない。
前の生活に戻りたい? 戻りたいような……、微妙な気持ちだ。ここに来てもう一年になるから、すでに今の生活に慣れてしまっている。負のマナは嫌いだけど。それに、仮に戻れたとしても父さんも母さんももういない。
バニトスで生活することを前提に考えてみよう。今の生活がいつまで続くか見当もつかないけど、鉄器が盗まれて、それを私が盗み返して、また盗まれて……この不毛さにはうんざりする。ギャングどもだって馬鹿じゃないはずだし、カンパニーの誰かがやってるんだっていい加減バレるんじゃないか。むしろ約一年バレてないことが奇跡的だ。バレたら同族同士殺し合うの? そんなことあってはいけない。殺すのも殺されるのも絶対嫌だ。
「まったく、そもそもホットペップは欲しがりすぎないでほしいし、ギャングも強盗なんかしないで真面目にカンパニーで働けばいいんだ」
ついにはそうやって他人の生き方にケチを付け始めた。だってしょうがないじゃん。
生きることは大事だけど、重要なのはどう生きるかなんだ。例えば、いい奴は報われるべきだし、悪い奴は痛い目を見るべきなんだ。
そのために、今私にできることって?
私の足りない頭では到底答えの出ない考えをあれこれと巡らせて、ついには何もかも嫌になった。で、また逃げたわけ。
でも、母さんの時とは違って、後悔はなかった。




