酒場・再び
数日後、ナツキとアイシャは再び闇市へと足を踏み入れていた。ナツキが全力で振っても折れない魔剣を探すのである。
魔剣が闇市で流通しているという噂について、リリムは「特区案件」、すなわち貴族が絡んでいる可能性が高いと言っていた。貴族などこの世界に来てから一人も出会ったことがないんじゃないかと思いかけるが、一人いたことを思い出す。スーニャを攫っていった聖騎士エルヴィート、彼はどう考えても貴族だ。
「エルヴィートみたいな奴ばっかじゃないといいんだけど……」
「ふぇ?」
「貴族さ。いい人もきっといるんだろうけど、闇市にいるような連中じゃ望み薄かな……っていうか、ボクたちなんかの話を聞いてくれるのかって不安もあるよね」
「確かにです……」
その点一応話は聞いてくれるエルヴィートはまだマシだった。闇市に来ているような貴族なら、「平民の分際で無礼な!」とかいきなりキレて殺しにかかって来そうだ。
そんな特に根拠はない偏見をぐるぐる脳内で回しながら歩いているうちに、中流区辺りに差し掛かる。見覚えのあるどぎついピンク色の看板が目に入った。
「じゃあまずはマスターさんに聞いてみるです」
名案なのです、とアイシャが看板の下の横穴を指差した。あの裸ネクタイスキンヘッドマッチョオネエに自分から再び会いに行こうとするとは、アイシャもなかなか怖いもの知らずである。
まあ、根っからの悪人というわけではなかったし、むしろマスターの人柄より情報屋としてのシステムの方に問題があるわけだが……
「聞いてみるってアイシャ、ついこの間お腹破裂しかけたの忘れたの?」
「あの時より気の力の制御は上手くなってるです。きっと十杯くらいいけるです」
「そんなことで命賭けて新記録目指さないで!」
冗談なのです、とアイシャは笑ったが、必要に迫られれば普通にやってのけてしまいそうである。
別に今回の調査は依頼でも急ぎの用事でも何でもないのだ。もし前回と同じようにアホみたいな量を吹っかけられたら、アイシャを抱えてさっさとおいとまさせていただこう。
そんな心の準備をしていただけに、
「それなら2000リューズねぇん、二杯でいいわよぅ」
話を切り出すなりマスターから提示された情報料の安さに、拍子抜けしてしまった。
「え、二杯? 二人合わせて?」
「そうよぅ、はい、お待たせぇん」
コト、とカウンターに置かれたのは、なんとごく普通のサイズのコップだった。前回挑まされた巨大ジョッキと比べて五分の一くらいしか容積がない、極めて普通の見た目のリンゴジュースである。
「ちょっと待ってマスター、もしかしてボクらだから特別扱いしてる? 他のお客さんに目付けられちゃうからそういうのはちょっと……」
特にこういう場において、公正さを欠いた取引は後々の禍根となりかねない。そう咎めると、マスターは呆れたように笑った。
「違うわよぅ。ウチのコップの大きさはねぇん、情報を売ってアタシやお客さんが負うことになる危険の写し鏡なのよぅ」
つまり損得勘定とは別に情報の危険度をコップの大きさで提示し、それを買おうとする者の覚悟を問うているらしい。前回ナツキとアイシャが挑んだ巨大ジョッキが最大で、普通はあれが出てきた時点で諦めるそうだ。本来はジュースではなく酒なわけで、それはそうである。
「つまり……魔剣の話はそんなに危ない情報じゃないのです?」
「世間話レベルよぅ。今じゃ闇市ならどこの武具屋に行っても数本は置いてあるはずだもの、魔剣やら魔弓やら」
本当に世間話レベルの情報のようで、まだジュースを飲みきっていないうちからマスターは喋りだした。曰く、どこの武具屋でも「コレクター向けの品」を見せろと要求することで魔武具の品揃えを確認できるらしい。裏には違法なブローカー集団がいて、大元の出処を隠しながらあちこちにばらまいているのだそうだ。
「コレクターさん向け……リリムさんも言ってたですけど、武具なのに戦いに使わないのです?」
「確かに、実戦向けじゃないものが多いとは聞いたけど……」
まさか販売側がコレクター向けの品として売り出しているとは。
「全部が全部、戦闘に使えない武具ってわけじゃないよね?」
「どうかしらん。振ると光るけど何も切れない刀でしょぅ、障害物を避けるけど敵も避けて返ってくるブーメランでしょぅ、あとアタシが聞いたのは……防御に使う分には普通なのに攻撃に使うと砂になって崩れちゃう盾、なんかもあったかしらねぇん。戦いに役立ちそうな効果は聞いた事ないわよぅ」
「えぇ……」
聞くだけでガラクタと分かるような代物ばかりだ。普通の剣や盾を使った方がまだマシである。
「それじゃ、コレクターさんしか買ってくれないのです」
「それがねぇん、お手軽に天使様の力を実感できるからってぇ、《塔》の信者共に結構売れてるらしいのよぅ」
「あー……御神体みたいな感じなのね。信仰を集められるから《塔》も取り締まりに動いてないとか?」
「かもしれないわねん」
これではナツキの目当てである頑丈な剣も、頑丈だが重さは1トンとか、頑丈だが紙すら切れないとか、そういうオチになる可能性が高い。
「マスター、ボク、まともに剣として使える魔剣を探してるんだけど……」
「聖騎士が持ってるやつと同じってことかしらん? そんな情報、アタシは知らないわよぅ」
マスターは呆れたように手をヒラヒラ振った。売れないではなく知らないと言うからには、一般市民に手の届く範囲には本当にガラクタ魔武具しか存在しないのだろう。
……しかし、そんなことがあるだろうか。
「いや、やっぱりおかしいよ」
「ナツキさん?」
「魔剣は自然発生しない。必ず鍛冶師の他に、武具に魔法回路を組み込んだ刻印士がいるはずなんだ」
例外として、ラグナのダンジョンでたまに発見された悪魔の剣は自然発生した魔剣だと言えなくもない。しかしあれも、魔王が召喚した魔獣やら悪魔やらの魔力の影響でマナや気が淀み固まり生成されるものだ。超自然の力の行使なくして生まれるものではない。
「刻印士、なのです?」
「この世界ならたぶん……ギフティアだろうね」
「じゃあ、魔剣は《塔》がわざと闇市に流してるです?」
「うん、そう考えるのが自然なんだけど……」
この世界の常識に基づいて考えていくと、アイシャが予想した通りになる。聖騎士向けに魔剣を作る際の失敗作を、御神体のような物として市井に流して信仰を集めているのだと考えるのが妥当だろうか。
しかし――
「なら何で、わざわざ闇市なんかで流通させる必要があるのかな? 《塔》主導なら表で大っぴらに売り出せばいいはず……隠れてこそこそやるメリットなんてある?」
「えっと…………うーん……」
アイシャと二人で唸り出す。とその時、
――ゴトッ、ゴトッ。
「ん?」
何やら重みのある音がして顔を上げると、見覚えのある巨大なジョッキになみなみと注がれた二杯のリンゴジュースが、目の前に置かれていた。
「ま、マスター……?」
「武器になる魔剣の情報はないけどねぇん……」
グラス越しにこちらを見下ろしてくるマスターの目がキラリと光る。
「闇市に流通してる魔武具の出処の情報なら、追加4000リューズで売ってあげるわよぅ?」
☆ ☆ ☆
「けふっ……ちょっと物足りないのです」
「ボクの分まで飲んでおいてそんなことある!?」
酒場《SAKE♡LOVE~酒池筋肉林~》を出た二人は、上流に向けて歩き出していた。
マスターの売り込みにナツキが答える前に二つ返事で「やるです」と宣言したアイシャは、ナツキが口をつける暇もなくあっという間にジョッキを四杯空にしてしまった。当然前回と同じようにお腹はパンパンに膨れ上がってしまっているが、アイシャはそれを軽く擦りながら「張り合いがないのです」などとのたまっている。
確かに前回より一杯分少ないとはいえ、それでも充分常人離れした量を胃袋に収めているわけだが……
「アイシャそれ、苦しくないの……?」
「横隔膜を強化してるです」
「んんん……くれぐれも、おなかが破けないようにね?」
「大丈夫なのです、もうコツは掴んだです。おなかの中をまん丸に近づけると制御しやすいのですよ」
「そ、そっか……」
ポンポンと自分のおなかを叩きながら、アイシャは得意げに笑った。どうやらナツキも知らないテクニックをいつの間にか身につけてしまったようである。
試しにおなかに触れてみると、安定したアイシャの気の流れが過不足なく精密に腹腔全体を強化していた。これが簡単にできるなら確かに十杯くらい飲み干してしまうのではないか、と思うくらいの技術だ。
「あの、ナツキさん。ナツキさんの言葉もちゃんと覚えてるです。本当に大丈夫だって自信があるからやってるですよ? 安心してほしいのです」
「うん……まあ確かに、これはもう賭けというより特技の域かな……」
前回はまだ、初めて一人で自転車に乗れた幼稚園児みたいに危なげだった練気術が、いつの間にかトライアスロン選手か何かのように上達している。今のアイシャに命を粗末にするなと言うのは、トライアスロン選手に「自転車は転んで死ぬかもしれないからやめておけ」と忠告するようなものだ。
程々にね、と言うに留めておくと、アイシャは嬉しそうに笑い、
「じゃあ、次に来たときはもっと高くて危ない情報を買うです!」
「本末転倒じゃん! アイシャは一体何を目指してるのさ!?」
「それは……あ、消化が始まったです」
言葉通り、アイシャがさすっていたおなかはみるみる元の細さに戻っていく。やはり魔力反応もない完全に謎な現象だが、謎現象などこの世界に転生してから散々見てきた。これについてはもう、考えても仕方がないのだと諦めつつある。もともとラクリマは水晶から生まれて光に溶けて消える生き物なのだから。
「はぁ……まあでも、アイシャがいて助かったよ。ボクだけじゃこんなにいろいろ話は聞けなかった」
「えへへ、ナツキさんの役に立てて嬉しいのです」
はにかむアイシャを見ながら、ナツキは先程酒場のマスターから聞いた話を反芻していく。
まずリリムが言っていた通り、この件には貴族が関わっている。そしてどうやら、《塔》は関わっていないというのだ。
しかしナツキの指摘したとおり、魔剣その他の魔武具の生成にはマナなり気なりを使った刻印魔法が必要である。そしてこの世界で魔法を使えるのはギフティアのみなのであるから、まとめると、
「《塔》に捕まっていないギフティアが、魔武具を作っている……」
ということになる。
にー子と同じように、ギフティアだと分かっていながら《塔》に提出されていないラクリマが存在するのだ。そしてその生産に貴族が関わっているということは、そのギフティアは貴族に囚われ、奴隷として働かされているということだ。
しかしギフティアをそうと知りながら所有することは大罪であり、《塔》に気づかれれば一巻の終わりである。その異能を行使させている以上、相当厳重に隠されているだろうとマスターは言った。
『異能を使わせているかどうかで罪の重さが変わるの?』
『そうじゃないわよぅ。ギフティアが異能を使うとねぇん、必ずカラフルで綺麗な光が舞い散るのよぅ。壁も天井も突き抜けて飛んでくからねん、ギフティアを隠すなら地下深くがいいわよぅ』
カラフルで綺麗な光、と言うのは活性化したマナのことだろう。ナツキやアイシャもにー子が回復魔法を使うところを見ていたので知っている。
しかし必ずというわけではないだろう。スーニャは魔力反応もマナの放出もなしに透明になったりエルヴィートを地面に叩きつけたりしていた。それを指摘すると、マスターはギョッとした表情を見せた。
『スーニャ……ってあの天使の剣よねん? あれは例外も例外、触れちゃダメなやつよぅ! ……ところでアナタ達、天使の剣に会ったことあるのねぇん……?』
いくら払えば情報を売ってくれるかしら、と真剣な顔を寄せてきたが、恩のある相手だから売れないとキッパリ断っておいた。もう対価は(アイシャが)支払ったし、ナツキは情報屋ではないのである。
「それで、これからどうするです?」
「とりあえずマスターが教えてくれた容疑者について調べようと思ってる。下級貴族の……チューデント家、だね」
マスターに貰ったメモを読み返す。
チューデント家というのは貴族では珍しく鍛冶を生業としている家系なのだと言う。その腕は上級貴族ですら認めて買い付けにくる程で、フィルツホルン産の武具と言えば名工チューデントの品、とまで評されるのだとか。
しかし最近別の大陸から輸入されてきた武具の質が高く、売上げが少し落ちてしまっており、それを補うために魔武具密売に手を出したのではないか、というのが《東屋》――貴族特区の情報が集まる情報屋の出した見解だそうだ。
「そんなにすごい人なのに、どうして下級貴族なのです?」
「ん……階級が厳格に家系で定められてる、とかかな。ま、とにかく《東屋》に行ってみようよ。アイシャのおかげで場所も合言葉も教えてもらえたしさ」
リリムや《同盟》幹部たちも口にしていた《東屋》は、闇市の上流側の果てに本拠を構えている組織だという。それは情報屋であると同時に貴族と平民との間の闇取引仲介所でもあり、さらに貴族特区と平民区とを結ぶ隠し通路の管理者でもあるらしい。
「《東屋》……行ってどうするです? マスターのお話が本当なら、ナツキさんの欲しい魔剣はどこにもないのです」
アイシャの言う通り、これ以上調べても手の届く範囲にまともな魔剣は見つからないだろう。しかし、ならばこう考えれば良いのではないか。
――無いなら作ればいい、と。
「貴族特区に忍び込んで、その刻印士のギフティアにオーダーメイドでボクの剣を打ってもらおうかなって。ボクは刻印の技術は持ってないけど、指示出しできる程度に知識はあるから……」
「むむむ無茶苦茶なのです! ナツキさん、何言ってるです!? そもそもナツキさんは平民なのです、貴族特区に入れるわけが……」
「違うよアイシャ。入るんじゃない、忍び込むんだ」
「余計だめなのですー!」
アイシャに胴を後ろから抱え込まれ、上流側へ歩いていこうとするのを阻止される。
気持ちは分かるが、何だかんだ危険な目に遭い続けている今、まともに使える武器はなるべく早く手に入れておきたいのだ。手に入れられずとも、ナツキにとっても脅威となり得る魔剣を作っている者のことは知っておきたい。実際に忍び込めるかどうか、それがどの程度安全かを《東屋》で見極めるくらいはしてもいいだろう。そう主張すると、アイシャは渋々了承してくれた。
「ほんとに、危険だったらすぐ帰るですよ?」
「分かってる分かってる……って、ん?」
ふと、進行方向からふわりと覚えのある爽やかな柑橘系の香りが漂ってきた。
やがてフーデッドローブで顔を隠した、覚えのある背丈の少女がやってくる。向こうはこちらの正体に気づいていないのか、そのまますれ違おうと進路を横にずらした。
「……リモネちゃん?」
「およ?」
ぴたり、少女が足を止めて振り向いた。
「その攫いたくなるような声はっ! ナツキさんですね? ふむう、このあたしの完璧な変装を見破るとは、なかなかやりますね」
驚いたように少しフードを上げて顔をチラリと見せたのは、若干14歳にして全ドールの管理者であるリモネちゃんである。
「突っ込みたいことはいろいろとあるけど……こんなところで何やってるの?」
リモネちゃんと同じようにフードを少し上げて顔を見せつつ、聞く。軍の人間がこんな場所にいるということは、何かあったのだろうか。
「それはこちらの台詞と言いたいところですが、まーいいです。あたしゃちょいと軍のおしごとでですね……ところでナツキさんって身長いくつです?」
「へっ、身長?」
流れるように場違いなことを聞かれ、目を瞬かせる。
「ふふふ……いやはや、丁度いいところで出会っちゃいましたね、ナツキさん――」
まだ答えてもいないのに、リモネちゃんはニヤリと笑みを浮かべ、ナツキの両肩にポンと手を置いた。
「――軍からの指名依頼、やっちゃいます?」
ダイン曰く、軍や《塔》からの指名は命令と等しい。
リモネちゃんに目をつけられてしまったのが運の尽き、話しかけないでおけばよかったと思ってももう後の祭りだった。
そう、本当に――ここが分水嶺だった。
この時リモネちゃんに話しかけていなければ、頷いていなければ。軍令が何だと突っぱねてちらっと《東屋》を覗いて諦めて帰っていれば、もっと違った未来に辿り着けたのかもしれない。
あんな事件は起こらずに、変わらぬ日常が続いていったのかもしれない。




