超人ババ抜き Ⅱ
「なつき、なくなった! ぎぅーして!」
「さすがにー子! 愛してる!!」
「んにぅー」
通算十回目のハグだというのに、にー子は本当に嬉しそうだ。尻尾がぶんぶん振り回されていて、まるで猫ではなく犬のようである。
そして対するアイシャはと言えば、
「じゅ……十連敗、なのです……どうして……」
ずーん、と効果音が聞こえ青い縦線が見えそうな程度には落ち込んでいた。耳もしっぽも悲しげに伏せられている。
それはそうだろう。アイシャの指が手札の上を動く度に表情をくるくる変えて一喜一憂するにー子相手に、ドールとして培ったのだろうポーカーフェイスを一片たりとも崩さぬまま、完敗し続けているのだから。
「……ナツキさん、もしかしてニーコちゃんは天才なのです……?」
「やっと分かったみたいだね」
「うぅ……っ」
もはや困惑を通り越して泣きそうになっていた。かわいそうになってきたので、そろそろ種明かしをすることにする。
「と、言いたいところだけど、にー子はボクの言う通り動いてるだけだよ。ね、にー子」
「にぁ!」
「ふぇえっ!? だってナツキさん、何も喋ってな……あっ!?」
「変なことを言うね。ボクのいた世界では、敵地での作戦行動中に仲間と会話するときに声を出したりしないよ?」
そう、ナツキは最初から、《念話》術でにー子に指令を送っていたのである。
「ず、ずるなのです!」
「カードを引くのはにー子、としかボクは言ってないよ。それに、アイシャも使っていいんだよ?」
「ふぇ? 何を……」
「練気術」
その一言で、アイシャは修行がすでに始まっているのだとようやく悟ったようだった。ハッとなり、真剣に何かを考え始める。
「さて、お昼ご飯に呼ばれるまで……あと五回くらいはできるかな?」
「……それまでに勝って見せるです!」
「にーこ、まけないもん!」
メラメラと闘志を燃やすアイシャとにー子にカードを配り終え、ナツキはにー子の後ろに控える。自分で持ちたいと言うにー子に手札は渡してしまったが、小さな手でなかなかどうして器用に20枚を支えていた。
今回の先攻はにー子、ジョーカーはアイシャ持ちだ。最初の捨て札を処理し終えたところで、ナツキは最初の指令を下す。
「(左から五枚の中から好きなやつ)」
アイシャが何も対策を講じていなければ、その中にジョーカーは無い。アイシャの意識が左から六枚目に向いていることは《気配》術で丸わかりだ。
にー子が耳をぴこっと曲げて返事をし、左から四枚目を抜き取る。△の8。にー子が笑顔を咲かせて□の8と合わせて捨てた。
二人勝負なので、ジョーカーを持っている側が迷うことは何も無い。アイシャは適当に一枚を抜き取った。△の5。にー子はどうやら緑の△が好きなようで、少ししゅんと耳が垂れた。自分の毛色なのと、三角が猫耳の形に似ているからだろうか。
「(左から三枚の中から好きなやつ)」
アイシャは手札を組み替えていない。にー子が抜いたぶんとアイシャが捨てた分が除かれて、アイシャの意識は左から四枚目に注がれたままだ。
そして恐らく、これを続けていくと……
「にぁ?」
「おっ」
アイシャの意識外にあるカードを引いたはずなのに、にー子の手の中にはジョーカーが握られていた。
つまりアイシャが意識を注いでいたのはジョーカーではなかったのだ。意識的に、別のカードへ意識を向けていた。
そう、《気配》術で読み取れるのは心ではなく、意識の方向とその性質だけだ。これくらい落ち着いた状況であれば、意識の方向を恣意的に変えるのは難しいことではない。戦闘中でも恣意的に意識の方向を操れるようになれば、練気術を使う敵との戦いで優位に立てる。
「なつき、しろいの……」
「やっと引いてもらえたです……!」
手札に最初から存在することはあっても、アイシャから引いたことの無いカード。それを見て目を瞬かせるにー子に、アイシャは努力が報われたと言うように笑顔を見せた。
しかしまだ勝負は終わっていない。にー子に手札をシャッフルするよう指示し、そのままにー子に自由に進めさせる。
アイシャの手札が残り一枚となり、アイシャの手番。そしてにー子は表情が変わるのを抑えられない。やっと勝てそうだと頬が緩んでいるアイシャを横目に、にー子に次の指令を出す。
「なうー……」
「……っ!?」
アイシャが引いたのはジョーカーだ。アイシャが驚愕に目を見開く一方、にー子はピンチを切り抜けたと言うのに耳を垂らして悲しそうな様子。それはそうだ、なぜならにー子はもう一方のカード、✕の1を引いて欲しかったのだから。
「(残念、頭なでなでオプションはなしだね……)」
「なぁぅー」
そう、にー子は完全にはルールを把握していないのだ。手札が無くなったら勝ちということは理解していても、残り三枚で誰がどれを引いたら勝つかの論理はまだ分からない。そんなことより目先のなでなでなのである。
「(だけど、次に数字が1のカードを引いたらぎゅーの時間を倍にしてあげよう)」
「にっ!」
垂れていた猫耳がぴこんと立った。
「(そのためには……まずはちょん、って左のカードをつまんでみて)」
「にぅ?」
にー子が言われた通りにカードをつまむが、アイシャはポーカーフェイスを全く崩さない。この状況下でもこれとは、数年感染ドールとして生きてきただけのことはある。全く喜ばしいことではないが。
しかし、
「(にー子、そのままそれ引いて)」
「にぁ! ……いちだ! なつき、ぎぅー!」
「ふぇえ……なんでなのですかぁぁあ……」
にー子は11回目のハグをねだり、アイシャは耳としっぽを垂れさせてがくりと項垂れた。
「うん……気の流れの制御はできてたし、惜しかったけど……」
「けど……?」
「アイシャ、表情には全く出ないけど、耳としっぽは正直だよね」
「ふぇぇぇえっ……」
にー子の指がジョーカーに触れる度にぴこぴこ動いていた耳ごと頭を抱え、アイシャはその場でダンゴムシのように丸くなってしまった。プルプル震える体の上を、くねくねと曲がったしっぽがゆらゆら泳いでいる。現実の猫では見たことない仕草だが、これは一体どういう感情の発露なのだろうか――と、
「もう一回です! 次は勝つです!」
涙目になりつつもガバッと顔を上げる。その姿に、かつてラグナでペフィロにボードゲームで連戦連敗しながらも「もう一回だ、次は勝つ」と挑戦し続けたイヴァンの姿が重なって見えた。
イヴァンは結局ペフィロに勝つことはなかったが、再戦を繰り返すうち、ペフィロ以外は誰も勝てないほどの腕前にまで成長していたのだ。負けず嫌いな人間は戦いの中でこそ己を磨き高めていけるのだろう。
そして予想外に負けず嫌いだったアイシャが、ナツキに教わらずとも身体強化を会得してしまったその才能を十全に発揮した結果――
「勝った……勝ったですー! やっと……!」
「にぁーっ」
15戦目にして、ついにアイシャはナツキとにー子を敗って見せた。
「すごいよアイシャ、今日は勝たせるつもりなかったのに」
「うぅ、鬼師匠なのです……でもわたし、頑張ったです……!」
感極まってしまったか、アイシャは晴れ晴れとした笑顔に涙を浮かべていた。
「最後、一体どうやってにー子の守りを抜いたの?」
「ニーコちゃんと交渉したです。わたしが白いカードに触ったら、耳をぴこぴこさせてって……ね、ニーコちゃん」
「にぁ!」
「えええ!?」
さらっと答えられたそれは、つまり――
「(アイシャ、まさか《念話》術まで使えるようになったの!?)」
「(がんばってみたら、できちゃったです)」
即座に《念話》術で返答しながら、えへへ、と笑うアイシャはどこか得意げだ。
「できちゃったかー。ほんとすごいね、アイシャは」
ナツキよりよっぽど熟達が速い。ついこの間まで根源の窓も見つけられていなかったとは思えない、本当にとんでもない才能を持っている。
しかしそれはそうと、気になることはある。
「にー子に話しかけられたとしても……ボクの今週のおやつ全部献上を差し置いてにー子の興味を惹くなんて、一体どんな報酬を提示したの?」
「ナツキさん、そんな取引してたです!?」
《気配》術はアイシャも使えているだろうと踏んで、にー子の興味を引き上げて意識の方向をあれこれ操作するために、こちらはかなりの犠牲を強いられているのだ。今日の分のおやつはすでににー子のものになっているし、後でにー子と一緒に窓際で日向ぼっこをしなければならない。うむ、にー子の笑顔が見られるなら何も問題はない。
しかし一週間分のおやつというとんでもない報酬を捨て、にー子は最後の最後にアイシャに寝返ったのだ。一体何を――
「わたしが差し出したのは、一日ナツキさん独占権なのです」
「……何て?」
「明日一日、わたしはナツキさんに話しかけられないのです。一日ずーっと、ニーコちゃんがナツキさんのそばにいるです」
「にぁ! にーこ、ひとりじめ!」
「アイシャ、そんな取引してたの!? ボクの意思は!?」
いや、にー子と一日べったりすることには何の躊躇いもないのだけれど。
とその時、ちょうど時計の針が正午を指し、階下からラズの呼び声が届いた。
「アンタたち、飯だよ! 降りてきな!」
「にぁ! ごはん!」
明日のことより目先の飯、なにー子がたったかたーと部屋を飛び出していき、ナツキとアイシャは取り残される。ボクたちも行こうか、と歩き出そうとして、
「ナツキさん……」
ちょい、とワンピースの裾を遠慮がちに摘まれた。
「アイシャ?」
「えっと……明日、ニーコちゃんにナツキさんをひとりじめされるのは……わたしもその、ちょっと寂しいのです。わたしがした取引なので、納得はしてるです、けど……」
「う、うん」
もじもじとそう語り出すアイシャは、何かに照れているようだった。珍しいな、と思いつつ先を促すと、
「ナツキさん、わたしのお願いを何でも聞いてくれるって……言ったです。だから、その、あぅ……」
「うん、忘れてないよ。何して欲しい?」
アイシャはこれだけ頑張ったのだ。宣言通り、何でも一つお願いを聞いてあげようじゃないか。
ナツキが笑いかけると、アイシャは顔を真っ赤にして、何度か深呼吸をしてから、叫んだ。
「わ、わたしも……ナツキさんに、ぎゅーってしてほしいのですっ! ニーコちゃんばっかりずるいのです!」
そうきたか。
どうやら、今日はにー子を優遇しすぎてアイシャのジェラシーを呼び覚ましてしまったようである。もしかして、親バカだのなんのと言われていたのもその発露だったりするのだろうか。
もちろん躊躇う理由はない。実は精神年齢14歳だということで子供扱いは控えていたわけだが、アイシャから甘えてくるのならいくらでも甘やかしてやるとも。
「はい、ぎゅー」
「はわぅ……」
細い体を抱きすくめる。慣れない「お願い」をしたせいかカチコチに固まっていたが、背中を撫でてあげているとすぐにほぐれていった。
子供にハグだの握手だのを求められるのはラグナで散々経験済みだが、こうして勇者という肩書きがなくとも慕ってくれる子がいるのは、素直に嬉しいものだ。
そして特に――ずっと欲や自我を抑圧されてきたアイシャがここまで心を開き、自分のことも構ってくれと主張するようになったということが、何より喜ばしい。
「これくらい、いつでもしてあげるけど……子供扱いされるの、嫌なんだと思ってたよ」
「ふぇ?」
「ほらこの間、にー子とスーニャを撫でてあげた後にアイシャもおいでーってしたら、慌てて話逸らしたじゃん」
「あれはその……スーちゃんの前だとなんだかちょっと恥ずかしくて……というか、これって子供扱いなのです?」
アイシャは何やら不思議なことを聞いてきた。今のアイシャは親に甘えてくる子供そのものではないか。
「親子の愛情表現の代表例だよね? 抱きしめたり頭撫でたり」
「お、親子……でっ、でも、ナツキさんは8歳なのです」
「心は20歳だよ! まあうん、親って年齢でもないけど……年の離れた兄妹も、似たようなもんだったよ」
「だった……?」
秋葉もよくハグをせがんできたな、と日本での日々を思い返す。もっとも秋葉の場合はことある度に向こうから抱きついてきたのだが。
「でも、ナツキさんはわたしと同じくらいの大きさなのです。ちっちゃいのです」
「体が小さくて物理的な抱擁力がないのは目をつぶってほしいかな……」
アイシャの言う通り、絵面的には抱擁とは程遠い、幼女が幼女にしがみついているだけの光景なのだが、これについてはどうしようもない。もし元の体に戻れたなら、アイシャとにー子をまとめて抱き上げることもできただろうに。
そんなことを考えていると、アイシャは何かを諦めたように小さく息を吐いた。
「アイシャ?」
「なんでもないのです」
ふふっと微笑んで、
「ナツキさんにとってはそうでも……わたしにとっては、ナツキさんのぎゅーは特別なのです。もう星に還ろうかな、なんて思うくらい嫌なことも辛いことも……全部吹き飛んじゃうくらい」
「えっ、アイシャ、何か嫌なことあった?」
「今は何も無いのです。ナツキさんが助け出してくれたですから」
知らない間にまた何かアイシャが酷い目に遭ったのかと肝を冷やしたが、どうやらレンタドール社にいた頃の話のようだ。ホッと胸を撫で下ろす。
「子供扱いでもいいのです。だからたまに、こうやってぎゅーってしてくださいです」
「うん、じゃあとりあえず毎晩寝る前に……」
「たまに! たまにでいいのですっ!」
「そう? 妹は毎朝毎晩ハグどころかおはようとおやすみのチューまで要求してきたんだけど」
「ちゅー……? って、い、妹さんがいるです!?」
「あんたたち、冷めちまうよ!」
話が混沌としていきかけたところで階下からラズの呼び声が届き、ハグの頻度については有耶無耶のまま流れたのであった。