一輪の太陽
酒場の店主が渡してくれたメモには、簡易的な地図で特定の地点が示されていた。場所を指し示す矢印の根元には、「古本屋」とだけ書かれている。
そして地図の下には「合言葉」が書かれていた。
「『天使に会いに来た』、ねぇ……アイシャ、どう思う?」
「合言葉はよく分からないのです。でも闇市の古本屋ですから……もしかすると禁書があるかもなのです」
「禁書?」
「《塔》が読んだり売ったりするのを禁止した本や資料のことなのです」
「ふむ……」
ラグナでも、禁呪に指定された魔法が掲載された魔導書は発禁になった。危険すぎるというのが表向きの理由だが、教会の威光を脅かすような魔法が禁呪にされているのでは、というような疑いもかけられていた。
《塔》が禁書にするとすれば、これまでの経験からすると恐らくラクリマに人権を与えようとする思想本とか、その辺りだろう。しかしそれでは、ナツキにバレると闇市が壊滅するようなブツにはならない。
「合言葉も合わせて考えると……天使に会いに行けるような聖片を作る方法が書かれた禁書、とかかな」
「天使……《塔》の一番偉い人のことなのです?」
「あーそっか、それも天使なんだっけ。いや、ボクが言ってるのはボクが出会った天使のことなんだけど」
「えーと……ニーコちゃんは確かに天使なのです」
「いや違くて、いやにー子も天使だけど、ボクを転生させてくれた本物の天使がいたんだって」
やたらとあちこちに天使が出てくるせいでややこしい。そういえばスーニャも天使の剣なんて呼ばれていたし、《同盟》で勝手に付けられた二つ名もナントカの天使だった。
ナツキを転生させた天使についてはアイシャはいまいち信じてくれていないようだったが、あの天使に関わる何かだとすれば、ナツキだけが関わりを持たないように誘導されているのも頷け……はしないが、何かしらの関連性が見つかりそうな気はする。
「もし本当に会えるなら……今回の転生の理由、ちゃんと聞いとかないとな」
何せ、何か重大な使命(恐らく誰かを助けること)を課されたというただそれだけしか記憶がないのだ。今は完全にそれを無視して第三の人生を始めてしまっているので、もし天使がナツキの記憶喪失を把握していないなら、今頃怒っているかもしれない。
しかし天使が関わっていると仮定したとしても、何故闇市だけが滅びることになるのかがさっぱり分からないという問題が残る。
「……うーん。とにかく行ってみようか、この古本屋」
「はいです」
このまま考えても埒が明かない、と腰を上げ、岩陰から出てメインストリートへ戻る。既にかなり上流に向けて歩いてきたが、古本屋はもっと上流側のようだった。地上でいうと今はどの辺りなのだろうか。
歩きながら周囲を見回すと、もう下流の端のような粗末な露店はほとんどなくなっていて、大きなテントやプレハブ小屋のような店舗が多い。売られているものにも布がかけられていたり、そうでなくとも何なのかよく分からない形状をしていたりと、怪しさ満点である。店番も基本は二人以上で、戦闘経験が豊富だとひと目でわかる風体の者達ばかりだ。
「物騒になってきたね」
「……ちょっと怖いのです」
「大丈夫、ボクたちに近づいて来ようとしてる奴ら、全員殺気投げて追い払ってるから」
「そんなことしてたです!?」
驚くアイシャに、もう五人くらいはね、と笑う。《気迫》術はこの世界ではかなり便利に使えているし、アイシャにも早く使いこなせるようになってもらいたいところだ。
歩きながら何か練気術の話でもしようか、と口を開きかけ、ふと視界に興味深いものが映った。
「あれ……武器屋だ」
「武器屋です?」
「ほら、あの露店」
この付近では珍しい、シートを一枚敷いただけの露店に、数本の剣が並べられていた。そして――店番が子供一人というのが、さらに珍しい。
「あの子……大丈夫なのです?」
こんな所で子供一人で高価な武器など売っていたら、人攫いやら強盗やらの格好の餌だ。そう思って周囲の意識の流れを探ってみると、やはり多くの人々の意識がその子供に向いていた。しかしそれは悪意ではなく、もっと正の感情に思えた。
子供はナツキとアイシャに見られていることに気づいたか、立ち上がってなんと元気に手を振ってきた。
「こんにちはー! ねえそこの人、もっと近くで見てって!」
場にそぐわぬ高く明るい声が響いたかと思うと、子供に向いていた周囲の人々の意識が一瞬でナツキに集まった。その感情は――警戒と、期待か。
「まさか……周りの人達みんな、保護者?」
「ニーコちゃんと《陽だまり亭》のお客さん達みたいなのです」
「なんか既視感あると思ったらそれか……」
客引きを受けてここまで注目されてしまったからには、素通りしにくい。そういう作戦なのかと思いつつも、アイシャと顔を見合わせ子供の下へ向かった。
フードで影になってよく見えないが、顔立ちは恐らく女の子だ。ナツキやアイシャより少し小さい、スーニャくらいのサイズである。
「えへへ、やった! 見に来てくれた!」
そう無邪気にはにかむ姿は、完全に裏表のない子供のそれだ。これで演技だとしたら相当な手練である。散々幼女ロールをやってきて涙目上目遣いまで使いこなせるようになったナツキでも、そんな満面の笑みでぴょんぴょこ飛び跳ねて「えへへ」なんて言うのは無理がある。
太陽のような笑顔を惜しみなく振りまくその姿はまさに、この暗く鬱々とした闇市を照らす、一輪の花だ。
「どう、どう? この剣ぜーんぶ、がんばって作ったんだよ!」
「え、これ、キミが作ったの?」
「ふふん、そーだよ、ぜーんぶハロの剣!」
「はろ?」
「ハロはね、わたしの名前! ……あっ」
ハロと名乗った少女は突然口元を押さえると、
「あのね、ここではお名前は秘密なんだって。だから、しーっ、だよ? ハロがここにいることは、ハロとあなたたちだけのひみつ! ね? おねがい!」
そう全く何も分かっていなさそうな大声で慌ててお願いされた。わかったよ、と答えつつ周囲をチラリと見ると、暫定保護者の皆様方が「またやっちまった……」という顔で頭を抱えていた。なかなか苦労していそうである。
「どう? 剣、いらない? 一本30万リューズぴったりだよ!」
「わ、結構高いな……」
ラグナでの相場に直して考えると、そこそこの名工を抱える有名鍛冶ギルドの量産品、くらいの価格帯だ。一級品ではないが駆け出し冒険者が手を出せるような品でもない、といった感覚。
それほどの価値があるのかと品物を見下ろしてみるが、そこまで装飾に凝っているわけでもない、普通の両手剣が二つと曲刀が一つだ。この歳の少女が打ったのだとすれば充分すぎる出来ではあるが、そこまでの値が付くものだとは思えなかった。
闇市だから高いのか、あるいは希少な金属が使われていたりするのか。それは分からないが、いずれにせよそこまでの大金は持ってきていないし、ナツキが愛用しているのは片手直剣だ。
「ごめん、剣を買えるほどのお金は持ってきてないや。でもこのお店のことは覚えとくね」
「ほんと? ありがとう!」
にぱっ、とフード越しでも分かる満面の笑顔が咲く。
にー子の笑顔に通じるものがある。きっと周りの保護者連中はこの笑顔にノックアウトされたのだろう。
「バイバイ、またね!」
ぶんぶん手を振るハロに見送られつつ、ナツキとアイシャはさらに上流へと向かった。
「ナツキさん、あの剣……盗品じゃないのです?」
先程の武器屋が見えなくなったあたりで、アイシャがこっそり話しかけてくる。
「ボクもちょっとそう思ったけど……あの子が嘘をついてるようにも思えなかったんだよね」
しかし闇市で物を売っているのは、表では売れない理由があるからだ。あの子――ハロにも何かしらの事情があって、地下に下りて来ているのは間違いない。……あの太陽のような笑顔の裏に、何があるというのか。
「ま、ボクたちが首突っ込むようなことじゃないけど……この依頼が終わったらまた来てみようかな」
「首突っ込む気まんまんなのです」
「いや、あの子の事情に関わるつもりはなくて、普通に剣が欲しいんだよね。地上の武器屋も回って比べてみたい」
アイシャはきょとんとして、ナツキの腰を見た。ローブの下にはヘーゼルから借りた量産品の剣を提げている。それではダメなのか、と言いたいのだろう。
「レンタルだとあんまりボクの剣って感じしなくて……。剣士としてはやっぱり、自分の愛剣が欲しいじゃん?」
「……なのです?」
よく分からない、と首を傾げる。
「アイシャも自分のアイオーンに愛着……はないか。寿命吸われてるだけだもんね……」
「それもあるですけど……アイオーンはレンタルなのです。同じ形の剣が何本もあるですよ」
「あ、そうなんだ?」
「ギフティアは専用のアイオーンを作ってもらえるって聞いたですけど……わたしたちドロップスは消耗品なのです、そんなにお金や材料をかけられませんです」
「アイシャ……」
消耗品なんて言わないで欲しい、という気持ちが伝わったか、わかってるです、と微笑みが返ってきた。重い話にするつもりはなかったのだが。
「剣が欲しい理由だけどさ、もう一つ実用的な話として、この剣だと多分折れちゃうんだよ」
「ふぇ?」
「ボクが全力で、つまり身体強化マシマシで振りまくると、この剣だと負荷に耐えられない」
「ふぇえ……」
別に話を変えるために口からでまかせを言っているわけではない。ラグナでもそれで何本も訓練用の剣をダメにしてしまって、帝国騎士団の備品管理課に怒られたものである。
練気術を十全に活かした剣術、すなわち練気剣術を基本戦闘スタイルとしていたナツキにとって、剣は丈夫であることが最低条件であった。さらに言えば、アイオーンのように剣に気の力を纏って切れ味を上げられる気巧回路付きならなお嬉しい。
「……アイオーン、ボクも手に入れられないかな?」
「いきなり何を言い出すですか!?」
「いや、最初にアイシャに会ったときに一度借りたじゃん? 強度も性能も理想的だったから……」
あの八足白虎とかいうでかい神獣との戦いが、この世界で最初の戦闘にして、最も自分の本来のスタイルに一致した戦闘だった。アイオーンを握ったのは一分にも満たない間だったが、振った感じは相当頑丈だったし、何より気を通せる。
金を出せば一般人も変えたりしないだろうか、研究用途とかで売ってないかな、と考えたわけだが、アイシャは難しい顔をした。
「わたしのアイオーンをどこかに置いてきて、戦ってる途中に失くしたって言えば、お金を払って再発行はできるのです。でも……」
「でも?」
「アイオーンは首輪と同じなのです。《塔》には場所が分かるですから……使用者登録の外れたアイオーンがずっと使われ続けていたら、おかしいと思われるです」
「むう……使用者登録ってのは?」
「ドールの首輪を登録するです」
アイシャはローブに隠れた首輪をトントンと叩いた。
「うーん、それじゃ無理か……やっぱり丈夫な剣を一本見つけたいな」
「……あ、じゃあ、わたしの近くでわたしのアイオーンを使えばいいのです? いつもどおりなのです」
「そしたらアイシャが無防備になっちゃうよ。もうアイシャも自分で門再接続できると思うし、それはアイシャの武器にしないと」
「それは……あれ?」
何かに気づいたアイシャが急に立ち止まり、きょろきょろと周囲を見回した。
「どしたの?」
「通り過ぎちゃったです、古本屋さん……」
「えっ」
アイシャに持たせていた紙切れの地図を覗き込む。剣の話をしながらも、一応それらしい店がないかちゃんと周囲は見ていたはずなのだが。
「えっと、大きな六角形のテント……があれで、二つ並んだ横穴……があれだよね」
「なのです」
地図に書かれた目印の位置を確認し、
「ってことは、古本屋の場所は……」
アイシャと共に地図に示された位置に視線を向ける。
そしてそこには――
「……トイレ?」
男女で入り口の分かれた、見るからに公衆トイレな木造の小屋があったのだった。