酒場 Ⅰ
「姉御に教えられる情報はねえっす」
「お前もかい!」
地下層の端にいた《同盟》組員の男は、ラムダと同じく情報を開示しようとしなかった。
「ボク、アレフさんやベートさんと並ぶ名誉幹部らしいよ?」
「そのベートの兄貴からお達しが出たんすよ、ナツキの姉御には一切関わらせるなって……」
立場を振りかざしてみるも、通用しない。
「俺下っ端も下っ端の新入りなんで、詳しいことは何も聞かされてないんすけど……兄貴は、姉御が介入したら姉御が不幸になるだけだって言ってたっす」
「っ……」
ラムダと同じだ。関われば不幸になるから手を引け、と。
「ここでこの格好で待ってれば姉御が話しかけてくるから、手を引くように伝えろって言われたっす」
「だからいつもの格好のままだったんだね……」
目立つ服装とはいえ、アイシャが気づかなければナツキ達はそのまま上流側へ進んでいたわけだが、そうなっていたら彼はどうしたのだろうか。
「ナツキさん、どうするです……?」
「うーん……逆に気になるよね、関わったら不幸になるとか、知らない方がいいこともあるとか言われると」
「それは……分かるですけど」
「それに、知らなければ幸せって考え方、あんまり好きじゃないんだよね」
詳しく知ることで一時的に不幸になるのだとしても、それを知らなかったことでいずれ別のもっと大きな不幸が訪れるかもしれない。なら、既に何か問題があると知ってしまった以上、それを知らなかったことにするのはただ目を逸らしているだけだ。それを後になって悔いても遅いのだ。
「ねえ、アイシャ。ラクリマの問題に目をつぶって《陽だまり亭》の看板娘として過ごせば、ボクは何事もなくスローライフを満喫できたはずなんだよ。それは一つの幸せの形だけど……その裏でアイシャやにー子が酷い目に遭ってたなんて後から知ったら、ボクはすごく後悔すると思うんだ」
「う……でも、本当に知らない方がよくて、知った方が後で後悔することかもしれませんですよ?」
「その可能性もあるけど……それは蓋を開けてみないと分からないよ。後で選択を後悔するよりは今後悔しといたほうが、ダメージは少ないよ」
あれこれ言ってはいるが、正直なところ半分以上は怖いもの見たさであり、それに理由付けをしているに過ぎない。それは自覚していたが、気になるものは気になるのだ。
「俺もそう思うっす」
ナツキとアイシャの話を聞いていた新人組員が、ずいっと割り込んできた。
「手を引くように伝えろって言われたっすけど、それはもう伝えたっす。だからあとは、ナツキの姉御を応援するっす!」
「う、うん……ありがとう」
大丈夫だろうか、この新人組員。機密情報とか持たせてはいけないタイプだが……今は好都合だ。
「と言っても特に情報はないんすけど……」
「情報を知ってそうな人に心当たりはない? ……できれば、組員以外で」
同じように情報を出し渋らない者がいい。そう問うと、新人組員は暫し考え、
「そういえば、闇市の情報は《酒場》に集まるって聞いたっす」
「《酒場》? アイシャ、知ってる?」
アイシャは首を横に振った。何かの隠語だろうか。
「めちゃくちゃ変わった見た目の酒場らしいっす。店主が情報屋もやってるって噂で、俺は場所は知らないっすけど闇市のどこかにあって、見ればすぐ分かるらしいっす。あと兄貴達が話してたのは……あ、タヌキだかヒトデだかで情報を買うらしいっす」
「……タヌキ? ヒトデ?」
それも何かの隠語だろうか。
ナツキが訝しむと、新人組員は「俺にもよく分からないっす」と首を傾げた。肝心な情報が抜け落ちているとはまた面倒な。
「タヌキもヒトデも持ってないけど……とりあえずその変わった見た目の酒場を探してみようか、アイシャ」
「調査を続けるのは決定なのですかー……」
がっくし、アイシャが肩を落とす。
「大丈夫だよ、命の危険があるならラムダもベートさんもそう言うだろうし……それに、アイシャだって気になるでしょ?」
「うぅ、確かに気にはなるですが……嫌な予感がするです……」
そんな事を言ってしり込みするアイシャだったが、新人組員と別れて酒場を探し出す段に至る頃には、
「ナツキさん、あれはどうなのです?」
「確かに酒場っぽいけど……そんなに変わった見た目ではないね」
「うー……ならもっと上流に……あ、あの横穴の先に少し広い場所があったはずなのです、そこも見てみるです!」
ナツキよりも張り切って酒場を探し出そうとするアイシャの姿があったのだった。
うむ、怖いもの見たさというのは人を狂わせるものであるなあ、と自分のことを棚に上げながら、ナツキはアイシャの後を追った。
☆ ☆ ☆
「あれなのです」
「あれだね」
《酒場》が、見つかった。
地下メインストリートに沿って歩くこと数十分、それは岩陰から突如視界に現れた。
《SAKE♡LOVE ~酒池筋肉林~》という艶やかな装飾文字を浮き彫りにされた大きな看板が、煌びやかなピンク色のランタンに照らされて、その存在を主張していた。
――その威容、まさに夜のお店。
その看板が掛かっているのは建物ではなく、洞窟の壁だ。看板の下には横穴があり、ピンク色のランタンが奥まで続いているのが見える。
「あの先……ってことだよね。どうするアイシャ、入る?」
「い……行くです」
なかなか肝が据わっている。もはやナツキよりも調査に積極的であった。
「……変なにおいがするです」
横穴の奥に進むにつれ、アルコールの匂いが強くなっていく。酒場であることは確かなようだ。
やがて細い横穴が途切れ、目の前に現れたのは――地獄だった。
「うっ……なんだこれ」
艶かしいピンク色のランタンに照らされたその空間には、よくあるバーカウンターとテーブルが並べられている。しかしそこにいる客は皆突っ伏して酔いつぶれているか、嘔吐しているか、地面にひっくり返ってピクリとも動かないか――およそ健全な酒場とは言えない、沈黙と異音と異臭混じりの過剰なアルコール臭が渦を巻く、まさに地獄絵図。
そしてその中でただ一人、カウンターの向こうで平然とグラスを磨いている、上裸スキンヘッドの屈強な男――いや、完全に上裸ではない。何故か首に直接真っ赤なネクタイを締めている。あれが店主か。
「……あんらぁ、おチビちゃんたち? ここは大人のお店よぅ?」
店主がこちらに気づき、流し目を向けて野太い声で話しかけてきた。思わず一歩後ずさる。
――マッチョスキンヘッドで裸ネクタイのオネエ……変態だ!
よし逃げよう、今すぐ逃げよう、やっぱり闇の界隈に首を突っ込むべきじゃなかった、とアイシャの手を取って走り出そうとしたが、
「あの……わたしたち、情報を買いに来たです」
「ちょっ!?」
変態をものともせず、アイシャが果敢にド直球ストレートを投げ出してしまった。
「あんらぁ……またそっちのお客さんなのねぇ。ホント、純粋にアタシのお酒とお料理を楽しんでくれるお客さんが少ないのよぅ。どうしてかしらん?」
「へ、へえ……」
「普通のお客さんはみーんな、アタシを見るなり帰っちゃうのよぅ。失礼しちゃうわぁ」
色々と理由は思い浮かんだが、口には出せなかった。
「それはかわいそうなのです……」
「あんらぁ、優しい子。うふっ、抱きしめちゃいたいわぁ」
しかしアイシャは平然と心配までしている。何故だ。六年間スラムで生きてきたからか。
「……それで、アタシの裏の顔に会いに来たのに、アナタ達二人だけなのぅ? ずいぶんちっちゃいけど、お酒飲めるのかしらん?」
「え、いや、ボク達は情報を買いに……」
「聞いたわよぅ。……あんらぁ、もしかしてウチの決まり、知らないのかしらん?」
ずい、と濃い顔が近づいてくる。
「えっ、と、タヌキかヒトデが必要、みたいなことは知ってるけど」
「あんらぁ、知ってるじゃないのぅ。そうよぅ、そこでくたばってるのは全員タヌキのなり損ないよぅ!」
「え……」
店主が指差したのは、店内のあちこちで酔いつぶれて気を失っている者達だ。
「ウチの情報はお金で買えるわよぅ。でもそれはアタシのお酒を楽しむためのお金……アタシはそのお礼に、飲んでくれた分だけお話をしてあげるのよぅ」
「っ……」
つまり「タヌキ」とは、情報を聞き出すのに必要なだけの酒を飲み干すことが出来る大酒飲みを表す隠語だ。
それは分かったが、
「じゃあヒトデは……?」
「ほんっと、迷惑よぅ。昨日も《同盟》の子達が大勢で来ちゃってもう、バーテンダーはアタシ一人なのよぅ? 今度から団体様お断りにしようかしらん」
「……? ……あ、『人手』!?」
隠語でも何でもなかった。ただの物量作戦だ。
……というか天使様の異世界語翻訳システム、そんな言葉遊びみたいな翻訳までしっかりできるなら、もう少し融通を利かせて欲しい。
「そんなにお酒飲んだ後に情報もらって、皆ちゃんと覚えて帰れるの……?」
「あんらぁ、お酒飲んだくらいで酔っちゃうのが悪いのよぅ、アタシのせいじゃないわぁ。うふっ、何度も飲みに来てくれてアタシは嬉しいわよぅ」
「そ、そう……」
このオネエ、なかなかに悪どい商売をしているようである。そして《同盟》は、人数にモノを言わせて酔い潰れることなく情報を買っていったというわけだ。
「それで、何の情報が欲しいのかしらん? 当然、ものによって値段も変わるわよぅ?」
「……最近闇市で高額に取引されてる物品の正体」
聞くだけ聞いてみようと、声を潜めて問いかけてみる。すると店主はうんうんと頷き、
「売れないわぁ」
即答だった。
その言葉に、静かだった店内がざわめく。酔いつぶれても意識はあったらしい、あるいは酔いつぶれたフリをしていた数名が、店主に驚愕の視線を向けていた。
「あんらぁ、アタシにだって売れない情報はあるのよぅ? 例えば……ものすごいお金を積まれて口止めされてる情報、とかかしらん」
口止め。この事件の黒幕によるものか、あるいは《同盟》によるものか。
「その情報にたどり着くための手がかりになりそうな情報、ならどう?」
「それなら……そうねぇ、ある場所を教えることくらいはできるわぁ。7000リューズでいいわよぅ」
言い渡された価格に、他の客からこちらに向いていた意識が逸れた。
「それってどれくらいの量なの……?」
「ウチのお酒は一杯1000リューズよぅ」
やたら高いのはともかく、つまり酒を七杯飲み干せということである。そもそも酒という時点で幼女の身には厳しいのに、それを七杯など無謀の極みだ。周囲の客の興味が失せるのも当然である。
「でも……そうねぇ、そっちのかわいこちゃんはアタシの悲しみを理解してくれたわぁ。お酒じゃなくてジュースでもいいわよぅ。値段は変えないわぁ」
「ふぇっ……いいのです?」
「特別よぅ。そっちのアナタもジュースでいいわよぅ」
……そんな美味い話があるだろうか。二人合わせてジュースたった七杯で、売れないとまで言った情報に繋がる手がかりを売るなど――
「リンゴジュースでいいかしらん」
「はいです!」
「ちょっ……」
ナツキの躊躇をよそに、アイシャはやる気満々だった。慌てて止めようとし、まあ大した情報じゃなくとも失うのは7000リューズだけである、報酬の100万に比べたら微々たるもの、と考え直す。ちょうど喉も乾いていたところだ。
前払いで7000リューズを支払い、二人でカウンターに座って待つこと数十秒、
「はい、お待たせぇん」
ドン、ドンッと二人の前に置かれたのは、一つ一リットルは入っていそうな巨大なジョッキだった。
「でかっ……え、これで一杯!?」
「どこの回し者か知らないけどねぇん……」
急に低くなった声に、思わず店主の顔を見上げる。
「健気なガキよこしたくらいでアタシの情報を買い叩けると思われちゃ……困るのよねぇん……」
冷たい瞳が二つ、強面のスキンヘッドからこちらを見下ろしていた。