闇市
「自分らに売れる情報はあらへん」
ナツキの決意は、早々に崩れかけることになった。
「え、ラムダ? えっと……何もわからなかったってこと?」
「ちゃう、全部分かったで。けどナツキ、自分には教えられへんのや」
一晩寝て回復したアイシャと共に、ラムダに指定されたスラム街外れの宿屋(客どころか店員すらいない)にやってきたナツキは、ロビーで待っていたラムダに冷たくあしらわれていた。
「な、何で? もしかして誰かに脅されてたり……」
「そうやない。この件……危険すぎるんや。下手すりゃ闇市もスラムもまるごと木っ端微塵なるで。あとは《同盟》とワイがなんとかしといたる。せやからナツキ、アイシャ……自分らは手ぇ引くんや」
それだけ一気にまくし立てたラムダは、最後に小さく「頼む」と付け加えた。
ナツキ達の身を案じてくれている、それは良く分かった。……しかしラムダは、アイシャはともかくナツキの強さを知っているはずだ。
「ラムダ、ボクたちを心配してくれるのは嬉しいけど……ボクが結構強いの、知ってるよね? ボクで危険なら、ラムダはもっと危険なんじゃ……」
「ちゃうんや。自分の強さはよう分かっとる……やからこそ、関わらせられへんのや。首突っ込めば必ず不幸なる、これはそういう案件や」
ナツキが戦えることが足枷となっていて、見ないふりをするのが最も幸せな違法物品取引――いや、何だそれは。強者を求めて彷徨う呪いのアイテムか何かなのか。
「よく分からないけど……詳細は言えないんだね?」
「せや……とにかく、《同盟》とワイでなんとかして、ブツも処分して、ギルドにもリモネ経由で報告しといたる。ほんで自分はただ報酬を受けとりゃええ」
「え!? さすがにそんなことできるわけ……」
「これ以上話すことはあらへん、闇市の入り方も教えへんで。……ほなまた、解決したら《陽だまり亭》に顔出すわ」
一方的に告げて、ラムダは逃げるように宿屋を出ていった。
「ラムダ!?」
慌てて追いかけるも、外には既に誰の姿もなかった。《気配》術の範囲を広げて隣の建物の影を遠ざかっていくのを発見、追いかけようとし――後ろからワンピースの裾を掴まれた。
「ナツキさんっ、待ってくださいです!」
「っ、アイシャ?」
「ナツキさんは闇市の入り方を知らないですから、ラムダさんを追いかけるしかない……それはラムダさんも分かってるです」
「そうだよ、だから早く……」
「でも……今ナツキさんが追いかけようとした方向に、闇市の入口はないのです。ここ以外にもいくつも入口はあるですが……ここは一番端っこで、あっちは逆方向なのです」
「え……?」
アイシャの指摘をまとめると、つまり――ラムダは闇市へ向かうふりをして、ナツキたちを別の場所に誘導しようとしている、ということになる。
「何で……ボクに伝えたいことでも……来て欲しい場所? 違う、それなら普通に言うはず……ってことは……」
「時間稼ぎ、だと思うです。わたし達を闇市に近づけないための……」
そこまでしてナツキとアイシャを近づけたくない何かがある、ということか。
一体何が、と考え始めかけ、ふと今の会話の違和感に気づいた。
「ん? アイシャ、何で闇市の入口なんて知ってるの?」
「わたしと契約するお客さんは、下流区の人が多かったですから」
「あ……そっか」
ナツキと出会うまでの六年間、アイシャはここで多くのオペレーターの手を渡ってきたのだ。その過程で身についた知識なのだろう。
「いろんなところにいくつも入口があるって言ったけど、もしかして闇市って……」
「地底層より下の、地下層の市場のことなのです」
「やっぱり、地下……か」
語感から何となく予想してはいたイメージが肯定され、思わず足下を見下ろす。
ラズから教えてもらったフィルツホルンの構造は上四層、下四層に基盤層と地底層を加えた十階層だ。そこに含まれない隠された十一層目がこの下に広がっている――文字通りのアングラ市場というわけだ。
「どうするです、ナツキさん?」
「ん……ラムダの忠告を受け入れるかどうか、か」
少し考え、ナツキは首を横に振った。判断するには情報が足りない。その情報を手に入れてはならないと忠告されているわけだが――それでもこれは調査依頼だ。ラムダ一人の話のみに耳を傾けるわけにないかない。
「まだ《同盟》の話を聞いてない。ベートさん達とも会う約束をしてるんだから、まずはそっちを済ませなきゃ。アイシャ、案内してくれる?」
「はいです!」
アイシャは嬉しそうに頷き、無人の宿屋の奥へと歩き出した。地下へと続く階段を下り、光のほとんどない薄暗い廊下を進み――やがてたどり着いたのは、ナンバーロックらしき装置のついた大きな両開きの扉だ。
「まずはこっちです」
しかしアイシャはそれを無視し、隣の普通のドアを開けた。その先にあったのは部屋――ではなく、
「え、これ……クローゼット?」
「このローブを被るです」
粗末なハンガーに掛かったボロボロのフーデッドローブがたくさん、ドアのすぐ向こうに並んでいた。サイズはまちまちで、ナツキやアイシャが着れそうなサイズもたくさんある。
「そっか、スラムの子供達も物を売りに行くって言ってたもんね……」
アイシャがそのうち一つを取って渡してくれた。
「闇市ではなるべく、誰が誰だか分からないようにするです。仮面だったりローブだったりするですが……」
「匿名性の確保、だね。でも体格や声で分かっちゃいそうだけど……」
「子供もたくさんいるです、大丈夫なのです」
裏社会に子供がたくさんいること自体は全然大丈夫ではないが、それならある程度は一般人Aになりきれるだろうか。
金髪をローブの中に隠しながらアイシャを見ると、丁度猫耳がフードの中に隠れるところだった。少しぶかぶかなおかけで、中に猫耳が付いているようには見えない。首輪もほとんど隠れていて、そうだと思って注視されなければラクリマだとは気づかれないだろう。
「これならアイシャも人間の子供にしか見えないね」
これなら普通に話していても周囲から変な目で見られることは無いだろう、と笑いかけるが、アイシャは少し不安そうに瞳を揺らした。
「大丈夫、もしバレて何か言われてもボクが守るから。安心して、アイシャ」
「……はい、です。大丈夫です、代わりにナツキさんはわたしがちゃんと案内するです」
ぐっ、と拳を握りしめて意気込みを語ってくれた。正直、文字通りアングラな場所に乗り込むのに先達がいるのは心強い。
「よろしくね。それでこれ、番号は?」
「あっ、そっちじゃないのです! 触っちゃだめなのですっ」
いざゆかん、と大扉のナンバーロックに手を伸ばしかけ、アイシャに慌てて制止された。
他にどこに道が、と振り返ると、
「ん、しょっ……こっちなのです」
脇のクローゼットだと思っていたドアの先にアイシャが手を突っ込み、クローゼットごとゴロゴロと横にずらしていた。
……隠し扉である。
「えぇ……? じゃあこっちは一体何なのさ」
「その大きな扉は偽物なのです。その聖片のボタンを押すと、ビリビリが来るですよ」
「闇市、序盤からそんなトラップ置いてあるの!?」
なるほど、《子猫の陽だまり亭》と同じく一見さんお断りの紹介制、というわけである。
これは本当にアイシャがいてくれてよかったなと、心の底から思ったのだった。
クローゼットの裏は細長い洞窟に繋がっており、ランタンのような橙色の明かりで薄ぼんやりと照らされていた。その洞窟をひたすら歩き、やがて出口を抜ければ――
「……わぁ、すごい」
「地下層のメインストリートなのです」
暗い橙色で照らされた、地上のメインストリートと同じくらいの幅のある広大な地下洞窟が、遥か彼方まで真っ直ぐに伸びていた。恐らくは川の流れに沿って、地上の街並みと同じように。
反対側を見ると、すぐそこで洞窟が途切れているのが分かった。アイシャが先程言っていた通り、ここは闇市の端っこなのだ。
メインストリートの両脇には大量の屋台や露店のようなものが並び、ナツキたちと同じようにフーデッドローブを身に纏った人々が元気に売り子をしていた。当然メインストリートほど人がいるわけではないが、道の中央を歩く人々は想像していたよりずっと多く、そして賑やかだった。歩くのに邪魔というほどではないが、ちゃんと前を見て歩かなければ何度も人とぶつかってしまいそうな混み具合。《陽だまり亭》の近所の商店街くらいの活気だ。
「これほんとに闇市……? ずいぶん賑やかだね」
「この辺りは違法なものも少ないはずなのです」
アイシャの言う通り、露店に並ぶ商品のほとんどは手作りのアクセサリーや置物などであり、よく見ると売り子は子供や女性が多い。ラムダの話と合わせて考えると、父親が力仕事をしている間にその家族が小銭を稼ぎに来ているのだろう。それが「この辺り」――スラム街から入れる最も下流側のエリアというわけだ。
「ってことは、上流に行くほどヤバい店も人も増えてくるってことだね」
「はいです……あれ? ナツキさん、あそこ見てくださいです」
アイシャが指差したのは、下流側の行き止まり、屋台や露店がなく広場のようになっている一角だった。
「あそこの壁のとこにいるの……《同盟》の人なのです」
「え、なんで分かっ……あー、うん、ボクも分かった」
こんな遠くから判別できるものなのか、という疑問は、視界に黒ニットサングラスジャンパーのセットが入ったことですぐに解消された。確かに匿名性は高いが、所属が丸わかりなのはいいのだろうか。
「他の人たちみんな避けてるです……」
「そりゃそうだろうね……」
闇市がこんなに広いとは思っていなかったせいで待ち合わせ場所を詳しく決めていなかったが、ベートの居場所もあの組員に聞けば分かるだろう。アイシャが見つけてくれて助かった、とナツキは組員目掛けて歩き出した。