妙齢の美女ナツキ Ⅰ
依頼内容をラムダに伝えて心当たりがないか聞いてみたが、彼も昨日までは「外に出ていた」らしく(リモネちゃんの手伝いという意味だろう)、収穫はなかった。
一応少年三人組にも最近異変があったりしないかと聞いてみたが、近所の仲良し夫婦が珍しく喧嘩をしたので何日でよりを戻すか賭けが始まっているだの、不良グループがエロ本を囲んでいたが頼んでも見せてくれなくてずるいだの、実に平和な異変が次々と出てきた。
やはり闇取引は闇取引、スラムとはいえ表に分かりやすく影響が出ることはないのだろう。
少年三人組を退散させると、ラムダは少し真面目な顔になり、
「ほんなら、ワイもちょいと調べといたるわ」
「ほんと? 休みって言ってたのにいいの?」
「恩返し。ワイの番やったろ」
恩は互いに返し続けるもの。彼の信条は《同盟》を追放されても変わっていなかったらしい。アイシャは首を傾げていたが、ナツキは当然覚えている。自然と笑みが零れた。
「ありがと、ラムダ。……でもたこやき、じゃなくてオクタボも奢ってもらっちゃったし、ボクが受けた依頼なのにタダ働きさせるのはさすがに悪いよ」
「ええんや、ワイも気になるし……あ、ほんならこうしよか。ワイが集めた情報が有用や思たら、ナツキ、自分がお気持ち価格で買い取るんや」
「情報屋になるってことね。もちろんいいけど……お気持ち価格って、ボクが値段決めるの?」
「せや、情報先出しの後払いでええで」
情報屋にあるまじき気前の良さである。
しかしそうまで言われてしまっては断りにくい。ここは彼の好意に甘えるとしよう。
「おっけー、分かった。お気持ちに上限は作らないでおくよ」
「お、言うたな? 情報網には自信あるで、お気持ち払いすぎて魂まで抜けんよう気ぃつけや」
稼げるなら稼ぎたいのか、ラムダは俄然やる気を出したように見えた。
さっそくいそいそと屋台を畳み始めたので、明日の昼にスラム街の外れにある宿屋――闇市の入口があるらしい――で落ち合うことを約束し、ナツキとアイシャはその場をあとにした。
《同盟》本部へと向かう途中、ラムダ達といる間はずっと無口だったアイシャが口を開いた。
「ナツキさん、えっと……ラムダさんって何者なのです……?」
「元は《同盟》の下っ端で、昨日まではリモネちゃんのお手伝いさんで、さっきまではオクタボ屋の兄ちゃん、今は情報屋……かな」
自分で言っていてそのカオスさに苦笑してしまう。どこぞのスパイもかくやの多面顔持ちである。
しかしアイシャはそういうことではない、と首を振った。
「何か……もっと他に、隠してる気がするです」
「まあ謎だよね。リモネちゃんの下で働いてるのが一番謎」
ラムダは何かを隠している、それくらいは分かっている。ただでさえリモネちゃんのポジションが謎すぎるのに、いきなりその部下になった時点でまず何かがある。
「でも別にいいじゃん。ラムダはボクとアイシャの友達、それが全てだよ」
「ふぇっ?」
「秘め事隠し事大いに結構、困った時に相談してくれればいいんだよ。ボクだってラムダに隠してること、いっぱいあるんだから」
そう、ラムダはナツキの前世のことも、練気術のことも知らない。この世界の生身の人間では考えられない力を持っているワケあり幼女だと分かっているだろうに、それを追及しないでくれている。
「ラムダはいい奴だし、アイシャにも優しいじゃん。それにボク、悪意を向けられたら気づけるから。心配しなくていいよ」
「なのですか……分かったです」
アイシャには《気配》術のことは教えてある。最近は外にいるときは常に薄く張っているが、ラムダからの悪意など一片たりとも感じられなかった。
そして現在、スラムの大通りを歩いているナツキとアイシャには多数の意識が向けられている。何度か問題を解決しに来ている影響か、正負のない興味や好奇心だけでなく歓迎や感謝といった正の感情が増えている。しかし組の抗争に介入したりしているせいで、特定の集団に属する人々からの負の感情も増えているようだ。
少し《気配》術を強めにしてスラム街での自分の印象を確認していると、その中にふと、今まで向けられたことのないタイプの意識が混ざっていることに気がついた。
畏怖のような、後ろめたさのような、好意のような、どうにも判別しにくい感情の束。それが向けられている方向に顔を向けると、
「あ……姉御! ナツキの姉御!? おっお疲れ様です、何でいるんですかい!?」
こちらに頭を下げながら慌てる、黒ニットサングラス黒ジャンパーの男――《同盟》の組員が立っていた。
☆ ☆ ☆
「よ……よかった、組を潰しに来たのかと……この間みてえに……」
「前来た時も潰しに来たんじゃないってば!」
ヴィスコに相談があって来たのだと伝えると、組員はあからさまにホッとして表情を緩めた。しかしまだこちらの機嫌を伺っているような、おどおどした意識が感じ取れる。
「ところで姉御って何さ。なんで敬語? ボク組員じゃないよ」
「へ? 何言ってんですかい。姉御はアレフの兄貴やベートの兄貴と並ぶ、俺ら《終焉の闇騎士同盟》の最高幹部じゃねえですか!」
「は!?」
「そうだったです!? ナツキさんはやっぱりすごいです……」
「待ってアイシャ、信じないで!」
初耳すぎる情報に困惑する。一体何がどうしてそうなったのだ。
「え……でも親父がそう言って……」
「ヴィスコおじいちゃん何言ってくれちゃってるの!? ボケた!?」
ナツキが叫ぶと組員はハッと何かに気づいたかのように目を見開き、わなわなと口を震わせた。
「じゃ、じゃあ……表社会に長いこと潜入してて、とあるやべえ計画を遂行中で、親父の正真正銘の孫で、二つ名は『血翼の天使』で、子供に変装してるけど実は成人済みの妙齢の美女で、真の姿はセクシーすぎて《塔》が傾くほどで、最近子供に変装してるせいで男と遊べなくて欲求不満のあまりオペレーターになってドールを抱いてるってのはどこまで本当で」
「一片たりとも合ってないよっ!」
子供の姿だが実は成人済み、の部分以外完全に嘘である。というかさすがに疑えよ。妙齢の美女がどう子供に変装するんだ。そして変な目でアイシャを見るのを今すぐやめろ。
「へ、変装はそういう聖片なんじゃ……幻とか……」
「実体だよ! ほら、触ってみれば!?」
「は!? そんな、俺みてえな下っ端に触れだなんて……やっぱり欲求不満なんじゃ」
「そういう意味じゃなーい! ボクは8歳の幼女だよ!」
「え……、えぇ……?」
組員は情報の整理が追いつかなくなったのか、突然宇宙の話をされた猫のような表情で固まってしまった。
下っ端らしい男ですらこの様子だと、今のトンデモ設定が組全体の共通認識になってしまっている可能性が高い。
「行くよアイシャ、依頼の相談より先にヴィスコおじいちゃんを一発殴ろう」
「ふぇ、あの、ナツキさん、よっきゅーふまんってどういう意味で」
「アイシャはそんなこと知らなくていいの!」
「よ、余計気になるですー!」
アイシャと共に全力疾走で本部ビルまで駆け抜け、扉を蹴破るように開け、中に突入する。と、ホール内の意識が全てこちらに集中し、先程の組員と同じようなよく分からない感情があちらこちらから溢れ出した。
「な……ナツキの姉御!?」
そして一瞬の後、ソファで寛いでいた組員たちが慌ててお菓子やら雑誌やらを隠し、ピシリと直立し頭を下げた。
「おおおお疲れ様です、姉御!」
「例の計画とやらは順調なんですかい!?」
「あれが『血翼の天使』……」
「写真通り、すげえ変装ですね! 子供にしか見えねえ!」
「おい馬鹿、姉御は俺らみてえに遊べもせずに大変な思いで……」
ああ、やはりこいつらもダメだ。何が血翼の天使だ。そして例の新聞のせいで、前回いなかった組員たちにも外見が広まってしまっているようである。
これでは人違いで通すことも難しい。そして彼らが全くナツキの話を理解してくれないだろうことは、前回訪問した時の経験から分かっていた。分かってしまっていた。
「あー……うん……ヴィスコおじいちゃん、いる?」
さっさと諦めて所在確認だけすることにする。目の前に立っていた組員に問うと、組員は今日この瞬間その場に立っていた喜びを噛み締めるような顔で頷いた。
「へ、へい! 今日はずっと最上階に……案内しやす!」
「あーいいよ、場所は知ってるから。ほら行こう、アイシャ」
「は、はいです」
「そんな!」
ナツキの正体を傾国の美女だと思っている彼は、すげなく振られたショックで崩れ落ちてしまった。勝手に崩れ落ちておけ。
「あの、ナツキさん……皆さんがわたしを見る目が……なんだか、そわそわするです」
「知らない方がいいこともあるよ、アイシャ」
彼らは完全にアイシャをナツキのラブドールだと思っている。そんな馬鹿共の視線にアイシャを晒す訳にはいかない。アイシャの手を引いてなるべく急いでホールを抜け、階段を駆け上った。




