ネコミミ幼女と人攫い IV
「ったく、ついさっきまでめそめそ泣いてやがったのは何だったんだよ」
ゆっさゆっさと揺れが再開し、呆れ声が袋の外から聞こえてくる。
どうやら大男は、二人の入った袋を直に担いで歩いているらしい。中身は子供とはいえ、なんとも力持ちなことだ。
当然、悲しい気分が完全に解消されたわけではない。しかし、どうしようもないことで悩んでいても仕方がない。ナツキは切り替えの早いタイプだった。
「寝て起きたら悩むのが馬鹿らしくなったんだよ。こうなったら新たなる異世界生活をとことんエンジョイしてやる。な、にー子?」
「にー?」
そう返すと、ハァー、と深いため息が聞こえてきた。
「変な名前つけやがって……つーか、別の世界から来た云々はマジで言ってんだな」
「おう。ま、別に信じなくていいさ。あんたにゃ関係のない話だ」
「……まあ、な」
何か思うところでもあるのか、大男の歯切れは悪い。
「そういやあんた、名前は? 俺はナツキだ」
聞きそびれていたなと話を振ってみると、大男はやはり歯切れ悪く答えた。
「……ダインだ」
「ダインか。よろしくな」
ダインと名乗った大男は、それには答えず、一つ溜息をついた。
「……あのな、俺はてめぇらを売るつもりなんだが」
「ああ、知ってる」
「小せぇ袋に詰め込んで、雑に運んでるんだが」
「そうだな」
「……俺ァ、てめぇらにとっちゃ敵だろうがよ。マザーはともかくナツキ、てめぇは何平然としてやがる」
どうやら、獲物に親しげに話しかけられるのが気持ち悪いようだった。まあ、それはそうか。
「うーん、俺にとっちゃどっちかというと命の恩人だしな。売られたら売られたで、待遇によっちゃそのまま暮らすし、不満がありゃ逃げるだけだし……むしろ安全に外まで運んでくれて大助かりって感じだ」
「逃げるだけっておめぇ……逃げられると思ってんのか?」
「何なら今ここで袋破って逃げるが?」
そう言うと、ダインはフンと鼻を鳴らした。
「わざわざ丈夫なやつを買ったんだからな、そう簡単に破られてたまるかってんだ」
「ははあ、そりゃ大層な自信で」
指先に気を集めて突き、ダインからは見えないであろう位置にそっと穴を空けてみる。……何の防御魔法も施されていない。簡単なものだ。
できた穴から外を覗くと、まだ遺跡の中だった。
「まあ、破ったら運んでもらえなくなるからな、やめといてやるよ。せいぜいキリキリ運んでくれ」
「けっ、負け惜しみまでムカつく野郎だ」
それからしばらく、会話はなかった。
にー子が静かになったと思ったら、いつの間にかすやすやと寝息を立てていた。さっき暴れたことで疲れてしまったのかもしれない。
次第に、穴から見える景色が変わっていく。ずっとコンクリートだったのが、土や岩肌の占める割合が多くなってきた。出口が近いのかもしれない。
「なあダイン、何で人攫いなんかやってんだ?」
暇なので、世間話を振ってみる。
「人攫いじゃねェ、シーカーだ。シーカーは人は攫わねェ」
「は? いや、現に今人攫ってんじゃんかよ」
「何言ってんだ、ラクリマは人じゃねェよ」
そう言い切るダインは、常識を述べるような口調だった。
「いや、人じゃないって……」
「おめぇは意味わかんねぇほどの例外中の例外だ。ラクリマってのは本来、意思や感情なんてもんは持たねえんだよ。ただの人形だ」
ナツキはにー子に連れて行かれた大部屋を思い出す。
お互いに干渉せず、生死に頓着せず、ただ鳴きながら動き回るだけの子供たち。あれがラクリマの本来の姿、なのだろうか。
「『煌水晶』から生まれ落ちて、死んだら光に溶けるみてぇに消えちまう。生き物ですらねぇ、星の営みの一部、ただの現象だってのが《塔》の言い分だな」
恐らく『煌水晶』は夕日色の巨大水晶のことだろう。力尽きたウサ耳の少女が光のリボンになって消えていくのは、ナツキも目の当たりにしたことだ。
「……俺はともかく、にー子は? 意思も感情もあるだろ、どう見ても」
「そいつはマザーだからな、もともと生存本能がある珍しい個体だ。んでもって泣いたり怒ったりすんのは……ナツキ、おめぇのせいだ」
「は? 俺のせい?」
「そいつだって元は何も考えちゃいなかったはずだ。そいつはおめぇと触れ合ったせいで、おめぇに『感染』されたんだ」
意思や感情を持つ存在を認識し、干渉されることで、意思や感情が生まれる存在。そういうことらしい。そしてわざわざ「感染」なんて負のイメージの強い表現をするということは、それは望まれていないということだ。
「マザーは知能がもともと高ぇから、『本部』の連中に高く売れる。だがこうなっちゃもうダメだ。感染済みの個体は『調整』が利かねェからな……『ギフティア』だったら逆に売れたんだがな……」
知らない単語が次々と増えていく。
この世界の常識は早めに知っておくに越したことはないと、質問を投げようとして――ふと、袋の穴から差し込む光が明るくなっていることに気づいた。
「お、外か?」
「あァ、そろそろ地上だ」
遺跡は地下にあったらしい。
袋の穴から見える洞窟の壁が、どんどん明るくなっていく。
「……ん? おめぇ、何で分かった?」
おっと。
「何でって、そりゃ穴からちょっと見えるからな。明るくなってきたぞ」
「穴ァ!?」
さも最初から穴は開いていた風を装って答えてやると、ダインはぎょっとして袋を外側からチェックし始めた。
くすぐったい。
「てめっ、どこ触ってんだいやらしい。俺は今女の子なんだぞ配慮しろ」
「うるせえ! ……って、これか。クソッ、どっかに引っ掛けたか? 《塔》の連中、何が強度は折り紙付きだ、全然ダメじゃねェか」
「もうちょっと広げていいか? 外がよく見えない」
指を突っ込んで穴を広げようとすると、「やめろ馬鹿野郎!」と怒鳴られて指を弾かれた。
だって見たいじゃないか。異世界の景色。
「じゃあそろそろ出してくれよ。別に逃げないから」
「そう言われてマジで外に出す馬鹿がいるか……ハァ」
そう言いつつ、しかしダインは袋を地面に置いた。シュルシュルと袋の口が解かれていき、こちらを覗き込むダインの顔が見えた。
「お? 馬鹿なのか?」
「逃げないんだろ」
「……いいのか? やばそうなところに売られそうになったら一目散に逃げるぞ」
「俺ァ善良市民だからな、法律は守るさ」
「善良? 法律だあ?」
「シーカーは本業じゃねェし、そもそもシーカー自体暗い職業でもねェぞ」
人攫いが立派な職業で人身売買が合法な時点で、ろくな法律ではなさそうだが……いや、そもそもラクリマは人ではないらしい。つまり、ペットくらいの権利は期待できるのだろうか。
「俺らシーカーがラクリマを売れんのは、軍と《塔》と、《塔》が認めた指定企業だけだ。アンダーストリート……闇市じゃ奴隷として売られてるなんて話も聞くが、手ェ出す気はねェな」
ダインの発言に何度も現れる《塔》という単語。どうやら、統治機構か何かのようだ。
しかし、それにしても……
「なんだ、奴隷にされるんじゃないのか? 内臓抜かれるとかでもなく?」
「なっ、内臓って……おめぇ、何怖ぇこと言ってやがる、正気か!?」
「え、移植とか……ああいや、違うならいいんだが……」
何だ? じゃあ自分は――ラクリマは何のために攫われて、売られている?
「おら、さっさと行くぞ」
そう言ってダインは、ナツキに覆い被さる形で寝こけているにー子を肩に担ぎ上げ、のしのし歩き始めた。
ナツキが立ち上がって体を払う間に、10メートルくらいは前に進んでしまっている。大男め。
「おい待て、この体歩幅小さいんだよ!」
「うるせえ、おめぇが逃げねえから外に出せって言ったんだろうが。走ってついて来やがれ!」
「くそっ、それはその通りだが理不尽だっ!」
足に気を集め、緩やかな上り坂を駆け上がる。
洞窟の出口はすぐそこだった。