Lhagna/τ - 失われた千年 Ⅲ
言おうとしていたことを全てペフィロに言われてしまったらしいイヴァンは、肩を落として城へと帰って行った。
結界が解かれたことで、外の喧騒が遠く聞こえてくる。塔内からも何やらちょくちょく悲壮な叫び声が聞こえてくるのは、マナ不足で実験がやり直しになった人々の嘆きだろう。
「これ置いていっちゃいましたけど、よかったんでしょうか? 国宝なのに……」
立ち机の上に放置された《黄昏の封光晶》を見ながら呟く。これでは何のために結界を張ったのか全く分からない。
「ぼくたちの異世界パワーでも解析して欲しいのだろうさ。王にしか入れない国宝庫には当然彼しか研究員が居ないのだからね、いくら何でも荷が勝ちすぎているというもの……ふむ、確かにあったぞ、さっきのやつ」
立ち机の上に座ったペフィロが《黄昏の封光晶》を拾い上げ、片目でじっと見つめながらそんなことを言った。
「さっきのやつ、ですか?」
「『神代を導く片翼、帳の内に封ず』。……驚いた、高度なレーザー彫刻じゃあないか。表面に彫られているんじゃないぞ、表面のすぐ内側が削られているんだ」
なんとペフィロは、ラグナの最新技術でようやく見ることができたという小さな彫刻を肉眼で見ているらしい。レーザー彫刻、が何のことかトスカナには分からなかったが、エクセルは身を乗り出して興味を示した。
「ペフィ、君の目には顕微鏡でも入っているのかい?」
「うむ、ぼくのからだを形作るナノマシンを見てみたいと零したら、セイラが似たような機能を左目に付けてくれたのだよ」
ペフィロは前世の出来事を懐かしみつつも、何やら複雑そうな表情になり、
「……一度確認して以降、二度と見ていないがね。あのときぼくは初めて、知らないほうがいいこともあるのだと知ったぞ」
よく分からないが、どうやら期待を裏切るような結果になったようだった。
「ペフィロよ、一人で納得しとらんで説明せい。先の話はどういう意味なんじゃ」
「む? 神代、すなわち神々のいた、あるいは神のようなことができる文明のあった時代だと考えれば、それは《失われた千年》そのものじゃあないか」
ゴルグにせっつかれ、ペフィロはイヴァンのサプライズ欲を叩きのめした一撃について語りだした。
「ぼくたちをそこへ導く翼だと、この遺物はわざわざ自己紹介してくれているわけだよ」
「フン、儂とてその程度は分かっとるわい。『片翼』と言うからにはもう一つあるんじゃろうともな。じゃが、教会に知られてはならぬ、教会が何かを隠しておると何故言える?」
「そもそも、『翼』がこの遺物とも限らないんじゃないかい? それを封じた場所……『帳の内』を探せ、ってメッセージのような気もするよ」
頭の回転の早い彼らの話には、トスカナはついていくだけで精一杯である。ナツキも彼らほどではないが博識で、もっと勉強して早く大人にならなければと何度思ったことか。
そしてそれはトスカナの膝の上にすっぽり収まっているリシュリーも同様のようで、不安そうにこちらを見上げてきた。
「ユーフォリエ様……わたくし、これではりっぱな王になれる気がしませんわ。もっとおべんきょうしませんと……」
6歳にしては随分重い悩みを抱え込んでしまったようだ。急がなくて大丈夫ですよ、あの人達が天才お化けなんです、と囁きながら抱きしめてあげるも、少ししゅんとしてしまった。
すると、リシュリーとトスカナの会話が聞こえたのか、ペフィロはゴルグとエクセルに返そうとしていた答えを飲み込んでこちらを向いた。
「トスカナに殿下、『帳の内に封ず』とは一体何だろうね? ……そも、きみたちの世界で帳と言ったら何だい? 天使の翻訳機はたまにポンコツだからね、確認しておこうじゃないか」
転生する時に天使から授けられた言語翻訳の力は便利だが、それぞれの世界に存在しない概念は完全に翻訳することができず、近いものが割り当てられて聞こえてしまう。特に一般的でない名詞は要注意なのだ。
ペフィロに話を振られたリシュリーは少し考え、答えた。
「とばり……上から下にひっぱって閉めるカーテンのことですわ。ヴィスタリアにはあまりなくて、連邦のおうちのカーテンによく使われている……とならいましたわ。わたくし、見たことはないのですけれど」
トスカナも似たような認識だ。連邦というのはトスカナが去年留学していた赤道上の島国を含む国家群、サンラーマグダ列島連邦のことである。確かにあの国のカーテンは引き下ろすタイプだったな、と思い返しながら頷く。
「ふむ、認識は一致していると見える。でもその定義では、『帳の内』がどの帳の内側を指しているのかはわからないぞ。どう考えるかね?」
「うーん……何かを例えている、とかでしょうか? 暗喩とか、慣用表現とか……」
トスカナが答えると、リシュリーは少し考え、ぽんと手を打った。
「それなら、とばりがおちる、って言葉がありますわ。何も分からなくなること……くらくなること……あっ、くらいところにかくしたってことですの? って……そんなところ、もっとたくさんあるじゃありませんの……」
答えに近づいたと思ったら遠ざかった、とリシュリーはしゅんと肩を落としてしまうが、ペフィロはニヤリと笑った。
「この文は何かの隠し場所を示しているわけじゃあないぞ、殿下。むしろ、『片翼』たるこの遺物がどう保存されるべきかを示しているのだよ」
「どう、ほぞんされるべきか……」
そこでようやく、トスカナは答えにたどり着いた。
「……あっ、なるほど! 暗い場所、つまり太陽の光が当たらないように、カーテンの内側にしまっておきなさい、っていうことですね!」
「そ、そんな、お肉は氷室にしまうもの、みたいな話ですの!?」
トスカナのヒントをそのままの意味で受け取ってしまったらしいリシュリーがあんぐりと口を開けた。
「はは、殿下、カナが言ったのは直訳だよ。神様になった気持ちで意訳してごらん」
「フン、何が神じゃ、いかれた神学者の間違いじゃろうて」
同じく答えにたどり着いたらしいエクセルが助け舟を出し、ゴルグが毒づく。リシュリーは目をぱちくりとさせると、胸に両手を添えて考え出した。
「エコーディア様の気持ち……おひさまの光はエコーディア様そのものですわ。なのにカーテンの向こうにしまわれてしまったら……とってもかなしいですわ。まるで信じてもらえていないみたい……あっ!?」
リシュリーがハッと顔を上げると、ペフィロは「その通り」と拍手を返した。
「つまり『帳の内に封ず』とは、大空と陽光を司る神エコーディアの目に触れないように封印した、ということさ。――換言すれば、教会に存在を知られてはならない、という注意書きなのだよ」
蓋を開けてみれば大したことはない、神話によくある持って回った言い回しだ。シルヴァールでも、「雨が上がった」と言わずに「太陽神の憂いが晴れた」と言うと奥ゆかしい、なんて慣習がたくさんあったことを思い出す。
それを踏まえて『神代を導く片翼、帳の内に封ず』を全訳すれば、こうだ。
――この遺物は《失われた千年》の秘密を知るための鍵の片割れであるが、教会の手に渡ってはならない。
「すごい、すごいですわ! やっぱり勇者のみなさまはほんとうにすごいですわ!」
「なに、殿下も大したものじゃあないか。知識に富み、思慮深く、論理的な思考もできる……まさに王の器だとも」
「うん、これで6歳だなんて信じられないよ」
「あの若造の娘とは思えんのう。彼奴がお主くらいの頃なぞ、毎日城を抜け出して下町の子らと遊び呆けておる姿しか見とらんと言うに」
「そっ、そんなっ!? わたくしはまだまだ……」
リシュリーの不安を聞いてのこの流れだと勇者達が皆把握しているせいで、褒めっぷりがいささか過剰である。しかしそんなことは知らず、勇者を褒めたら逆にあれやこれやと褒め返されてしまったリシュリーは大慌てだ。
「ね、大丈夫でしょう? 殿下はちゃんと頑張ってますし……それに、前にせんぱいも言ってたんですよ、『イヴはともかく、リシュリーが王様になるならしばらくヴィスタリアは安泰だな』って」
「ナツキ様が……!?」
瞳を潤ませたリシュリー王女は迷いを振り切るように首を振り、笑顔でグッと拳を握りしめる。
その様子に勇者一行は顔を見合わせ、一件落着、と小さく頷き合った。
……ちなみにトスカナが伝えたナツキの発言はイヴァン王の即位式での一幕であり、完全に場違い極まる一言だったのだが、それは言わぬが花である。