Lhagna/τ - 失われた千年 Ⅱ
「つまりね、今はまだ大丈夫だけど、このまま僕らがナツキの死因を探り続けると、さっきイヴが言ったような事態になる可能性が高いんだ」
「讃穹教会の圧力によって、じゃな」
涙目でぷんすこ怒りだしてしまったリシュリー王女を宥めつつ、エクセルとゴルグがイヴァンの真意を語り出した。
「教会……ですの? どうして……」
讃穹教会というのは、このラグナにおけるいわゆる「教会」の正式名称である。大空と陽光を司る天空神エコーディアを唯一神として祀っていて、どこの街の教会にも大きな翼を広げた男神の彫像が飾られている。スティネコードという名の大司祭が教皇を務めており、人徳に溢れる物腰柔らかな人物として市井からの評判も篤い。
勇者たちも、魔王軍との戦いの様々な場面で教会にお世話になってきていた。何せ回復ポーションの類は全て、教会の泉から湧き出る聖水から作られているのだ。
ちなみに余談だが、ナツキが讃穹教会のことを知った時の第一声は「めっちゃ感謝してそうだな」である。あれがどういう意味だったのか聞きそびれたままだな、と小さな後悔を感じつつも、トスカナは説明を引き継いだ。
「教会が崇めているのはエコーディア様ただ一人なんです。わたし達は本当はハーネさんっていう天使様に転生させてもらったんですけど……『天使』なんてこの世界ではおとぎ話にすら出てこないんでしょう?」
この世界でトスカナ達勇者は、魔王の襲来を憂いたエコーディアによって異世界から召喚されたことになっている。もう少し具体的には、エコーディア神から「啓示」を受けた教皇スティネコードが儀式を執り行い、異世界へと繋がる扉を開け、勇者の魂を受け入れたのだとか。
実際のところ転生の過程でエコーディア神になど会っていない。天使ハーネにいきなり暗闇へと落とされて、気がついたら祭壇らしき場所に座り込んでいたのだ。しかし本当のことを主張して波風を立てるほど馬鹿ではない。どこでも宗教問題はデリケートなものだ。
「もうわたし達は、教会や王家と同じくらいの発言力を手に入れてしまったんです。そんなわたし達が教会のお話とは違うことを言って回るのは、教会の人達にとっては嫌なことなんです。……っていう話でしたよね?」
目覚めてから研究塔に向かうまでの間、トスカナ達は病室で今後のことを話し合っていた。そこで話題に上がったのが「教会がどう反応するか」である。建前上は王家とは独立した組織ということになっているが、マナの源泉を握っていることで、事実上教会は王家よりも強い発言力を持っている。不興を買うのは避けねばならない。
トスカナが振り向いて話の流れを確認すると、ペフィロが頷きを返した。
「うむ。しかもナツキを殺したのがその天使――きみたちの神話に照らせばエコーディア様かもしれないなんて言ったら、どうなるかは推して知るべしというものだ。あの温厚そうなスティネコード殿ですら殴りかかってくるかもしれないぞ」
「あ、あたりまえですわ! エコーディア様はじひぶかい神様でしてよ!」
そら見たまえ、とペフィロが肩を竦め、リシュリーはあっと口元を抑えた。
特に規定があるわけではないが、ヴィスタリア帝国において讃穹教は事実上の国教である。ゴルグのように無宗教を貫いている者もいるが、王家の者は当然教徒だ。
「王女殿下、ぼくたちとて天使――便宜上天使で統一するがね、天使を悪く言うつもりはないのだよ。ぼくたちは世界を救うために召喚された勇者で、この世界の問題は解決したのだから、ナツキは次に救うべき世界に再び『転生』させられたのだとすれば、道理は通るだろう?」
「まあ、じゃあ何で僕らはそのままなんだって疑問はやっぱりあるし、強制にしても一言断って欲しかったけどね」
エクセルが納得しきれていない表情で補足を入れた。トスカナも同意見である。自分も一緒に死んでついて行けたなら、と何度思ったことか。
しかし今の論点はそこではない。トスカナはリシュリーに目線を合わせ、話をまとめる。
「何にしても、せんぱいが『死んじゃった』って事実に天使とか神様とかが関わってるなんて噂が広まったら、教会は困るんです」
「……そうですわね。わたくしもちょっと、おむねがちくっとしますもの」
死んだ者が異世界転生しようがしまいが、それを為したのがエコーディアだろうが天使だろうが、知人に先立たれた側にとっては同じである。次の世界へ連れて行かれたのだと言われて納得できる者ばかりではない。……それが教会の信用を貶めるほどの人数いることが容易に推測できるほど、ナツキは人々に好かれていた。
「そしてもう一つ……というかこちらが本命なのだがね、ぼくらが目指すのは天使との対話、あわよくばナツキの奪還、あるいは同じ世界への転生なのだよ。換言すれば神への干渉、死者の蘇生・転生だ」
指を一本立てて見せながら、ペフィロがもう一つの致命的な理由を語る。
「神を祀る教会が、ぼくたちヒトが神の力に手を伸ばそうとするのを黙って見逃す道理はないのだよ。何せ、神の領域に近い魔法を禁呪として封印しているのは教会なのだからね」
魔法の禁呪指定をしているのは教会。ペフィロが語ったその事実は広く知られていることではあるが、そういう宗教上の観点から見ると一つ納得のいくことがある。トスカナが猫のニーコの寿命を伸ばすべく学院の教員達に話を聞きに行ったとき、追い払われるように頭ごなしに不可能だと拒絶されたのは、教会に目をつけられることを恐れてのことなのではないか。
「じゃがこやつらの召喚、転生のことを一番良く知っておるのもまた、讃穹教会じゃ。調査中の接触は避けられんじゃろう。ならば――」
「なればこそ、先手を打つ」
全員の視線が、ゴルグの発言に割り込んできたイヴァンに向いた。
「そなたらの仮説は、教会に知られてはならぬ。なれど検証のためには教会の秘密に踏み込まねばならぬ。ならば――教会の秘密を探る大義名分があれば良い」
「はは、簡単に言ってくれるね。そんな大義名分、あるのかい?」
「俺様はそれを授けに来たのだ。教会どころか、この世界の秘密に踏み込む大義名分を、な」
そうもったいぶりながら、イヴァンは懐から小さな宝石を取り出し、部屋の中央の立ち机に置いた。
よく見るとそれは、一般的な宝石としては装飾性に欠けていた。側面が正方形、上面と底面が正三角形の、ただの透明な三角柱に見える。しかしそれは部屋の魔石灯の光を複雑に散らし、これまでどんな宝石でも見たことの無いような色彩を振りまいていた。
「プリズム……かい? でもただのガラスや水晶じゃないね。何とも美しい」
「わぁ、綺麗ですね」
エクセルが覗き込んで感嘆し、トスカナも目を輝かせる。と、
「お父様っ、見えませんわ!」
机よりも身長の低いリシュリーがぴょんぴょん跳び、イヴァンが苦笑しながら抱き上げた。途端、リシュリーもトスカナと同じように目を輝かせて三角柱を見つめだす。
「ふむ。……エクセルノース、ぼくの言いたいことは分かるね?」
「これは困った、ちゃんと言ってくれないと分からないな」
「……。……抱っこしたまえ」
「仰せのままに」
「わっ、こら! 誰がお姫様抱っこにしろなどと言ったんだい!」
リシュリーと同程度の背丈のペフィロがギャーギャー騒ぎながら抱き上げられ、
「……えっと、ゴルグさん……ごめんなさい、ちょっとわたしの力では……」
「頼んどらんわい!」
身長で言えばリシュリーよりも小さい(のにトスカナより重い)ゴルグはどこかから高い椅子を転がして来て、その上に腰を下ろした。
そう言えばここはゴルグの研究室である。ということはこの立ち机はきっと、ナツキの作業場だったのだろう。
「それでイヴァン、その結晶体が何なんだい。早く話したまえよ」
「……そなたら、俺様は珍しく真面目な話をしているのだぞ」
お姫様抱っこ状態で話を促すペフィロにイヴァンが溜息をつくが、イヴァンもリシュリーを抱きかかえているので見た目的にはどっちもどっちである。
イヴァンは頭を振って表情を引き締めると、三角柱を見つめながら語り出した。
「そなたらは転生者だが、一応神学は学ばされたはずだ。ならば《失われた千年》についても聞いたことはあろう」
「えっと……まだ神様がたくさん地上にいて、人間と仲良く暮らしていた時代のこと……ですよね」
「うむ、随分ざっくりだが、その通りだ」
《失われた千年》――神話の類だ。魔王城に向けて旅立つ前に基礎知識の座学を受けた際、教会の牧師が長々と語ってくれたのを、トスカナはぼんやりと覚えている。
シルヴァールの神々の加護の下で育ったトスカナにとって、異世界の神話はいまいち取っ付き辛かったのだが、ナツキとエクセル、ペフィロに至ってはなんと信じてすらいなかった。聞けば、彼らの世界の神様は空想上の存在だったのだという。森の泉に聖水を汲みに行くたびに泉の女神の声を聞いていたトスカナにとっては、信じられないような世界だ。
だというのに、
「ふむ、確か――かつて人類は神々と共に文明を築いていた。けれどあるとき愚かな人間が神の力を巡って争いを始め、神々の怒りに触れた。神々は人類を見放し天へと帰ってしまい、神の力を前提に栄えていた文明は廃れてしまった。千年もの積み重ねも一つの争いで失われてしまうのだ――とか、そんな教訓話だったと記憶しているよ」
まるで信じていなかったはずのペフィロからすらすらと神話のあらすじが出てきて、トスカナは思わず目を瞠った。
「ペフィロちゃん、覚えてたんですか? 神様なんていない、っていつも言ってるのに……」
「む? ああ、神話を信じているわけじゃあないとも。ぼくには随分と身に染みる訓戒だったから、記憶に残っているんだ。……なんだいエクセルノース、人の頭を気安く撫でないでくれたまえ」
ペフィロの故郷は戦争で滅んだのだということは、勇者パーティの面々は何となく聞かされている。少し無神経な問いだったかとトスカナが自省していると、イヴァンの腕の中でリシュリーが目を輝かせた。
「でも、じひぶかき天空神エコーディア様だけは、わたくしたちをみすてずにいてくださったのですわ。今でもまい年、星にマナをみたしてくださっていますもの」
「……うん、そのオチで僕も思い出したよ。牧師さんの説教の持ちネタだと思って聞いてたんだ、懐かしいね」
「フン、エコーディア信仰を補強するためのくだらん作り話じゃろうて」
「まあ、ゴルグ先生ったらひどいですわ!」
ゴルグのぶっきらぼうな言葉に、リシュリーはぷくーと可愛く頬を膨らませた。
リシュリーは信仰や心の拠り所というよりは、おとぎ話を信じるような感覚で天空神エコーディアを見ている。ゴルグもそれを分かって言っているのだろうが、それにしても大人気ない頑固おじいちゃんである。
「儂は神など信じぬぞ。気もマナも魂も根源も、いずれ儂が人の手に落としてやるわい」
ゴルグやペフィロは「神」という言葉を「人智の及ばない存在」という意味で使っている。勇者たちが天使という上位の存在に転生させられたのは動かぬ事実だが、その上位存在は決して手の届かぬ存在ではなく、技術の未熟さゆえ未だ理解できていないだけだ、というスタンスなのだ。
ナツキやエクセルはそもそも確固たるスタンスがあるわけではなく、「信じてなかったけど、天使に会っちゃったし、まあいるなら夢があっていいよね」程度のふんわり感である。しかしいずれにせよ、彼らは皆、天空神エコーディアやそれにまつわる神話は作り話だと思っていた。
機嫌を損ねてしまったリシュリーの頭を撫でながら、イヴァンは顎で机の上の三角柱を指し、ゴルグに挑戦的な目を向けた。
「ゴルグよ、ならばこれはその決着を付ける絶好の機会となろう」
「何? どういう意味じゃ」
「これは《黄昏の封光晶》……ヴィスタリア王に代々継承されし国宝である。と同時に、記録にあるいかなる技術をもってしても作り得ぬ未知の結晶――《失われた千年》の遺物でもある」
その言葉に、イヴァン以外の全員が三角柱――《黄昏の封光晶》を見つめた。特にゴルグは、伸びようとする手を必死の自制心で抑え込んでいるような形相になっていた。国宝だと言われていなければ、もう手に取っていただろう。
「よいか、《失われた千年》は教義でも訓戒でも牧師の持ちネタでもない。現実の歴史である」
「……歴史、かい?」
エクセルが眉を寄せる。それではまるで、神々と人間が共に過ごした時代が実際にあったかのような言い方ではないかと。
「より正確に言うならば――聖暦紀元年の直前千年間、一切の歴史的資料の存在しない空白の時代をそう呼んでいる」
少ない、ではなく、一切存在しない、と彼は言った。その差はあまりに大きく、そして非現実的だ。トスカナですら胡散臭さを感じ疑いの目を向けたが、イヴァンは真剣な表情を崩さなかった。
「誇張ではないぞ。例外はこの《黄昏の封光晶》のみであるし、これも公には存在しないことになっているのだ」
決して口外するでないぞ、とイヴァンは声を潜める。
「しかも魔法科学の起源、ヴィスタリア帝国の起源、讃穹教会の起源……現在まで連綿と続くありとあらゆる文化や技術の源流が、この空白の千年間に埋もれてしまっているのだ。この期間、あるいは怪奇現象を歴史学者は《失われた千年》と名付け――神学者はそれを、神々の怒りだと解釈した」
突然話が壮大になり、部屋がシンと静まる。それは自分達が聞いてもいい話だったのか、と誰もが内心冷汗をかき、生唾を飲み込んだ。リシュリーに至っては、何を想像してしまったのか既に涙目である。
イヴァンの次の一声を聞きたいような聞きたくないような、緊張の糸がピンと張ったような空気が場を支配し、
「……と、ここまでは学院九年次あたりの歴史学でも学ぶ内容であるが」
すぐに解けた。
「……今の雰囲気何だったんですか!?」
「ハハハッ、今度は驚かせられたようだな! 実に愉快である!」
「お……お父様、ひどいですわ! わたくしまだ三年次ですのよ!」
泣きそうになっていたリシュリーにポカポカと胸を叩かれながら、イヴァンは楽しそうに笑った。
学院九年次とは、ちょうど今トスカナが所属している就学レベルだ。しかし八年次あたりから就学コースの分岐が始まり、トスカナは現代魔法学寄りの選択をしているため歴史学には触れていなかった。他の勇者たちも歴史学を取ったという話は聞いたことがない。恐らくイヴァンはそれを知っていて、わざと雰囲気を重くしてからかったのだ。
「全く……さっき僕らに種明かしされた仕返しかい? イヴの負けず嫌いは王様になっても変わらないね」
「エクセルノース、そう褒めても何も出ぬぞ!」
上機嫌なイヴァンに、処置なし、とエクセルが肩を竦める。
そう、このイヴァンという男、サプライズ大好きの負けず嫌いであり、それを美点だと思っているのである。国王に即位して少しは落ち着いたかと思った矢先のこの有様に、トスカナは呆れて溜息をついた。
「ふむ、しかしそれだけではないだろう? わざわざ結界を張ってまで門外不出口外厳禁の『《失われた千年》の遺物』まで持ってきたんだ。そろそろ本題に入りたまえよ」
「ペフィロ嬢……意外かもしれぬが、俺様は真面目な話は苦手なのだ」
「周知の事実じゃ。前置きが長いぞ、若造」
ペフィロとゴルグに催促され、イヴァンは疲れたように真面目な顔に戻った。
しばらく何かを逡巡しているようだったが、やがてゴクリと唾を飲み込むと、
「――『神代を導く片翼 帳の内に封ず』」
その短い一文を、厳かに告げた。
「えと……いきなり何ですか?」
「この《黄昏の封光晶》の表面に、極微の古代文字でそう彫り込まれている……ということが、最新の解像技術により判明したのだ」
「……ほう」
ゴルグが感嘆の声を上げた。
最新技術を使わなければ読み取れないほど小さな文字が、古代から受け継がれ秘匿されてきた遺物に彫り込まれている――失われた高度な文明が実在したことの証左ということだろう。
「それもつい先々月のことだ。エクセルノース、そなたが故郷より持ち込んだ光収束魔法の解析と応用によるものであるぞ」
「僕の魔法? へえ、じゃあ顕微鏡みたいなものかな……おっと、それはまた今度聞こう。それで? 興味深い話だけど、その技術で誰かがいたずらでこっそり書き込んだということはないのかい?」
技術の話に目がないエクセルが身を乗り出しかけつつも、それっぽく捏造された偽の遺物ではないのかと疑いをかけた。しかしイヴァンは首を横に振る。
「読み取ることができただけだ。このように細かな彫刻をする技術は少なくとも我が国には存在せぬし、そもそも国宝の間は王でなければ立ち入れぬ」
「つまり正真正銘、謎の古代文明の遺物というわけじゃの。して、それが何じゃ。前置きが長いと言っておろうに」
ゴルグが再度催促し、イヴァンが口を開きかけ――
「つまり《黄昏の封光晶》は《失われた千年》の秘密を紐解く鍵、というわけだ。だがそれは教会に知られちゃあいけないときた。ふむ、すなわち教会は何かを隠している。そしてきみがぼくたちに教会や世界の秘密に迫る大義名分として命じるのは――《失われた千年》の調査。具体的に言えば、表向きは帝国の為に歴史を調べるフリをしながら、裏では教会の真意を探りつつもう一つの《黄昏の封光晶》を見つけ出し、解析することだ。違うかね?」
エクセルの腕に抱かれたペフィロが、そう一気に述べた。
イヴァンは何かを言いかけた口をパクパクと開閉してから、額に指を当てて疲れたように顔を伏せた。
「……そなた、前世は神か妖魔であっただろう」
「なあに、ぼくはただのぽんこつロボットだよ。ふふん」
そう、我らが勇者パーティの小さな参謀も、イヴァンに比肩する程度には負けず嫌いなのだった。