アイシースリーピー Ⅶ
「おいし……!」
グラタンを頬張り目を輝かせるスーニャに、遠巻きに眺めていたあらゆる人々は大きく安堵の息を吐いた。
「そうかい。……お眼鏡に適ったようで良かったよ」
一番安堵していたのはラズだろう。何せ、たった今聖騎士を指先ひとつで組み伏せ撃退した少女の来訪目的が「《子猫の陽だまり亭》でご飯を食べる」だったのだから。スーニャを満足させられなければ店を灰にされるとでも思ったに違いない。
しかし実際には、彼女は単にナツキとアイシャと一緒にご飯が食べたかっただけである。
なんでも、エルヴィートに連れ去られた先で目を覚ましたスーニャは大いに怒り、エルヴィートに散々説教をした挙句、ナツキの家を探して料理を買ってくることを要求したらしい。エルヴィートが店を訪れた元々の理由は、なんと幼女のパシリだったのである。貴様だのラクリマでありながらだの言っていたくせに、どうやら立場はスーニャの方が上のようだ。
エルヴィートが帰ってくるのを待っていたスーニャだったが、一人で食べてはいつもと同じではないかと気づき、エルヴィートを追って来たのだと言う。そこでナツキに「いじわる」をするエルヴィートを見つけたというわけである。
「それにしてもさっきは助かったよ、スーニャ。ありがとね」
「ん、へいき……」
「で……でも、聖騎士様にあんなことして、大丈夫なのです……? あとできっとスーニャちゃんが怒られてしまうのです」
「だいじょぶ。たたかったら、スーのがつよい……」
「そういう問題かなぁ……」
今スーニャは、ナツキとアイシャと一緒に同じテーブルを囲み、ラズの作った料理を食べていた。物騒なことを言いながらも、その顔はグラタンのマカロニを頬張って幸せそうに綻んでいる。
「なぁーぅー」
「あっ、ニーコちゃんダメだって! その人は普通のお客さんじゃ……」
遠巻きの人混みから抜け出してきたにー子が、自分も混ぜろと不満げな顔でとてとて近寄ってきた。
「スーニャ、にー子も一緒でいいかな?」
「いい……けど、でも……スー、こわがられて……」
「大丈夫、にー子は怖いって思った相手には近づかないよ」
先程避けられたことを気にしているのか、スーニャはにー子に対する接し方を決めあぐねているようだった。
しかしにー子はそんなことは気にもとめず、スーニャの目の前まで近寄ってじっと顔を見つめる。
「こにちゃ! あのね、にーこ、にーこっていうの! あなたのおなまえは?」
「ん……スーは、スーニャ……スーニャ=クー=グラシェ……」
「すーにゃ!」
いつも通りの自己紹介を終え、もふっ、とスーニャに抱きついた。周囲の常連客達の血の気が引いていくのが分かるようだが、心配はいらないだろう。何せ、
「ふ……ふぉおぅ…………っ」
あの無表情のスーニャが目を輝かせ、頬を上気させて、体を震わせながら全身で感激を表現しているのだから。
「うん、にー子の癒しパワーは相手が誰でも等しく届く。さすがにー子、偉い」
「ニーコちゃんとぎゅーってするの、もふもふしてあったかくて、ほんわりするのです」
ナツキとアイシャもほんわかモードに入り、和やかな光景を楽しむ。
――しかしそれは長くは続かなかった。
「へくちっ! ……なぅー?」
小さくくしゃみをしたにー子が、不思議そうに首をひねりながら抱擁を解いたのだ。
「にぁ……すーにゃ、ひんやりしてる」
「っ……!」
にー子の一言に、スーニャは悲しそうに表情を歪めた。
そうだった。彼女の忌印は氷の角だけではない。皮膚が氷のように冷たいのだ。にー子は今、薄布を被せただけの雪だるまに抱きついたに等しい。
「えっと……スーのからだ、つめたいから……さわらないほうが、いい」
「なぅー……」
にー子は残念そうに一声鳴いて、どこかへと駆け出していってしまった。
「あっ、ニーコちゃん!」
アイシャが引き留めようとするも失敗し、スーニャはしゅんと肩を落としてしまう。
「ごめんスーニャ。にー子、悪気があるわけじゃないんだけど……」
「ん……わかってる。いつものこと……みんなスーにはちかづかない、さわってくれない……」
「スーニャちゃん……」
「……でも、それでいい」
眉を少し下げたまま、スーニャは微笑んでみせた。……つい最近、何度も見た悲しい笑顔だ。
「スーは……きけんなへいきだから。人間さんとちかづくの、あぶないから……それでいい」
「っ、そんなこと……兵器だなんて……」
「んーん。ラクリマはみんな、へいき……スーはいちばんあぶない、こわいへいき。だから――」
「すーにゃ!」
かつてのアイシャのように自分を兵器だと断じるスーニャの言葉は、背後からの明るい呼び声に遮られた。
スーニャが振り返り、ナツキとアイシャがテーブル越しに覗き込めば、そこには……毛糸玉のお化けが立っていた。
「えっと……にー子?」
「にぁ!」
巨大な毛糸玉の中から元気な返事が返ってくる。
よく見ればそれは毛糸玉ではなく、毛糸で編まれたたくさんの衣服だ。ちょうどにー子が着ているセーターと同じようなものばかり。
セーターのお化けがその場でぶるぶると震え出すと、纏っていた服がバラバラと剥がれ落ち始めた。やがて中心からにー子が現れたかと思うと、落ちた長袖セーターを一枚スーニャに押し付け、
「すーにゃ、はい!」
「ん……くれる、の?」
「にぁ! これも、これもー」
「わ……」
無邪気に笑いながら、他のセーターも次々と拾い上げ、スーニャの体に巻き付け始めた。ちゃんと着せるという発想はなさそうである。
「ニーコちゃん……それを取りに行ってたのです?」
「なるほどね、雪が冷たいなら手袋をすればいい、か」
やがてスーニャがもこもこの羊と化すと、にー子は満足気に頷き、改めてスーニャに飛びついた。
「にぅー。これで、へーき」
直に触れることができなくとも、気持ちは伝えられる――それをにー子は行動で示した。そして裏表のない純真なにー子だからこそ、その想いは確かに届いた。
「……っ」
「なぅ? すーにゃ……?」
「なんでも、ない……ねむいだけ……」
スーニャはくしくしと目を擦って、にー子をその胸に抱き締め返した。
食事を終えると、スーニャはあっさり帰って行った。昨日のようにあれこれ理由をつけて粘るのかと思っていたので拍子抜けしてしまったが、
「《塔》のごはんよりおいしかった。またくる」
と別れ際に言い残していったので、再会する気満々のようだった。
そして「おいしかった」という評価がお世辞や社交辞令ではないことはスーニャのほくほくした表情から明らかであり、
「ひゅぅ、ラズさんの料理が《塔》に認められたぜ!」
「ふん、当然さね。アタシの料理は世界一だよ」
「いよっ、さすがラズさん、俺らのお袋の味!」
「……いや待てよ、また来るってことは……《塔》の役人共も一緒に来るんじゃ……」
「うっ……ラズさん、俺らテーブルマナーとか勉強した方が……」
「やめな気持ち悪い! それから何がお袋の味だい、アタシゃ猿を産んだ覚えはないよ!」
ラズや常連客達は満更でもないような顔で戦々恐々と盛り上がっていた。
常連客たちに話を聞く限り、聖騎士相手に大暴れしたスーニャがナツキ、にー子、アイシャの看板娘トリオと仲良くしているのを見て、彼らにとって世界の最終兵器天使の剣ことスーニャのイメージが「ナツキちゃんみたいなもの」になったようだった。
スーニャの本質がただの幼女でも背後には《塔》が控えているわけで、さすがに不用心すぎると思わなくもないが――まあ、また来るとは言ってもそんなすぐには来ないだろう。ラズはちゃんと理解しているはずだし、常連客達も時間が経てば冷静になるはずだ。
……そう、まさかそれからスーニャが週一でランダムな時間に一人でやって来るようになるなどとは、誰も予想していなかったのである。
第五話終了、年末年始の連続投稿も終了です。