アイシースリーピー Ⅵ
スーニャともエルヴィートとも、もうしばらくは出会うこともないだろう。今回は偶然任務帰りに遭遇しただけで、スーニャは天使の剣などと呼ばれるこの世界の最終兵器らしいし、エルヴィートはどう見ても隔壁の向こうに住んでいるであろう貴族だ。本来ナツキと交わるところにはいないはずの存在が、すごい偶然で出会ってしまっただけで、そんなことはそうそう起きないはずなのである。
……そう、思っていた。
「おい貴様、《子猫の陽だまり亭》とやらは、ここか」
スーニャと別れたまさに次の日――昼時の混雑した店内に、勢いよく開くドアと共に傲岸不遜な声が響き渡る、その時までは。
「ひっ……せ、聖騎士様!?」
「いかにも、《塔》序列第二位、聖騎士エルヴィートである。控えよ」
重く響く声に店内は一気に静まり返り、一瞬の後、椅子を転がり落ちるように店内のほぼ全員が床にひれ伏した。
自分も平伏しておくべきかと一瞬考えるが、他の面々とは違いナツキは店員である。客が来たのだから店員が取るべき行動は一つだ。
「えーっと……いらっしゃいませ?」
「ちょっ、ナツキちゃん、頭が高いっ」
「良い」
ナツキの近くで平伏していたキールが慌てるが、エルヴィートはそれを制し、ずいとナツキに顔を近づけてきた。
「あれほど死に瀕してなお平然と我が前に立てるとは、げに面白き娘よ。いやはや、街談巷説も捨て置けぬか」
よく分からないが、多分褒められている。「俺様が怖くないだと? へぇ、面白い女」の類だ、きっと。
「……ありがとう?」
少し頬を引きつらせながらも感謝の言葉を返すと、エルヴィートはつまらなさそうに鼻を鳴らし、
「フン……店主を呼べ。此様な場所に長居するつもりは……む?」
壁際に立っているアイシャと、アイシャが必死に抑えているにー子に目を向けた。
「……平民の店に、奴隷だと?」
「奴隷じゃない。ボクの友達だよ」
ムッとして訂正を入れると、「またそれか」と小さく呆れ声が聞こえた。
「そのドールについては調査済みである。貴様の契約ドールであろう。しかれど、ラクリマがもう一体居るとは――」
「ウチの従業員だよ、聖騎士様」
割り込んできたのは、いつの間にか厨房から出てきていたラズだった。
エルヴィートがキッと鋭い視線をラズに向けるが、ラズは全く動じず立っている。さすがラズ、我が家のボスである。
「店主だな」
「ああ、ラズ=ユグドだよ。《子猫の陽だまり亭》にようこそ……と言いたいところだけどね、生憎聖騎士様にお出しできるような上等な料理も部屋もウチにはないよ」
「あの未登録の星涙が従業員だとはどういうことか、詳細に説明せよ」
ラズは話を逸らそうとしたようだったが、エルヴィートは全く乗らずに話を続ける。
「……ウチの旦那がシーカーでね、この間そいつを発掘してきたんだよ。運ぶ途中で感染しちまっていい値で売れないってんで、なら店の仕事を叩き込んでタダ働きの従業員にしようって魂胆さ。お貴族様には滑稽に見えるんだろうけどね、貧乏人の知恵だよ」
にー子に関しては一応そういう設定になっている。
ダインによれば法的にはグレーゾーンギリギリのところらしい。苦い顔でラズが答えると、エルヴィートは首をひねった。
「接客用に調整された星涙は安価で貸与されているはずだ。何故それを使わぬ」
「そりゃ上流区の話さね。ウチは庶民の店だ、気取ったお店みたいに堅っ苦しい接客なんかされたら客が逃げちまうよ」
「……深刻な文化の相違があることは理解した」
どうやら思っていたほど話の分からない男ではなさそうだ。そう少し安堵したナツキだったが、
「しかし貴様らには前科がある」
エルヴィートはそう続けた。
身に覚えのないナツキは首を捻ったが、ラズはさっと顔色を変えた。
「未調整ラクリマはギフティアである可能性がある。故にシーカーには発掘せし個体を全て軍に差し出す事が義務付けられている。尤も形骸化した義務であり、通常ならば非常時でもないのにわざわざ取り立てはしない。仮に其れがギフティアだとしても、そうと判明した時に提出しに来れば良かろう。――だが」
キッとラズを睨み、
「貴様らは一度、ギフティアの個体を隠匿し、《塔》の提出命令に明確な拒否を示したと記録されている」
その言葉に、平伏している常連客たちの意識が大きく揺れた。当たり前だ、ふざけるな、とでも言うように。
ナツキが知らない過去に、本当にあった出来事なのだろう。
「……あの子はちゃんとアンタらに渡したじゃないか」
「当然である。今貴様らの首が繋がっていることこそその証。なればこそ、その星涙を供すことに異存などあるまい」
「っ――」
アイシャとにー子の方へとエルヴィートが歩を進める。
「待ってよ」
当然、ナツキは間に割り込む。異存大ありだ。
「……貴様、度が過ぎれば幼子とて即刻切り捨てるぞ」
「家族を連れていくなんて言われて、黙ってられるわけないでしょ! スーニャちゃんはともかく、にー子の家はここなんだから!」
本気でにー子を取るなら、昨日のように瞬間移動で奪ってさっさと消えればいい。先程の言動からも、この男の主目的はにー子ではないはずだ。しかしどうすればにー子から意識を外せるか。にー子が連れていかれるくらいなら、いっそ自分が連行されるように――
「ナツキちゃん、ダメだ、聖騎士様に逆らっちゃ――」
「キールさんは黙ってて!」
思考を巡らせながら、エルヴィートを睨む。
「なつきー……」
にー子の不安そうな呼び声が後ろから聞こえてくる。ナツキの台詞を聞いて自分が狙われているのだと気づいたのだろう。
――たとえ戦力的に敵わなくたって、はいどうぞと渡せるものか。徹底的に抗ってやる。
幸いまだ剣は抜かれていない。昨日の抜刀速度はとてつもなかったが、視力に気の力を回せばどうにか見定められるか。その隙を突いて逃げ出すことは可能か。
「……物分りの悪い愚かな娘よ、ならば正式に言い換えてやろう」
エルヴィートはひとつため息をつくと、冷たい目をナツキに向け、
「《塔》序列二位、聖騎士エルヴィートの名において、特級執行権限を以て命ず。その星涙を直ちに提出せよッ! さもなくば、貴様を処けぼへぁっ!?」
「!?」
放たれようとしていたクリティカルな台詞が、間抜けな叫び声と共に途切れた。
見れば、エルヴィートの顔が横殴りにされたかのように横を向いており、頬が切れて血が出ていた。
「な……これ、は……まさか」
「いじわる、だめって……いったのに……」
驚愕に目を剥くエルヴィートの後ろから出てきたのは、大きなうさぎのぬいぐるみと、水色の寝ぼけ眼。
「スーニャ!」
「ん……」
昨日別れたばかりのひんやり眠たげ最終兵器幼女ことスーニャ=クー=グラシェが、少し不機嫌そうに頬を膨らませて、すぐそこに立っていた。
「天使の剣! 貴様、何故ここに――ぐぉぁっ!?」
「ふぁあ……えるびーと、おそいから……スーもきた」
くしくしと目を擦りながら、ぬいぐるみを持っている方の手の指先をちょいと動かしただけで、エルヴィートが大きな音を立てて地面に突っ伏した。
「なつき、あいしゃ、えっと……こんにちは。……あってる? おひるの、あいさつー……」
「え、あ、うん、こんにちは……」「こんにちは……なのです?」
挨拶は大事だ。古事記にもそう書いてある。
「ぐぉおっ、貴様、平民の前であるぞ! 我が地に伏せるなど、言語、道断ッ、早く解除――ぉごぉっ!?」
「んー……うるさくて、ごめんねー……ふぁぅ」
エルヴィートは地面でもがいているが、何かに押しつぶされるようにピッタリと床に貼り付いたまま、体を持ち上げることができていない。
それを不機嫌そうにスーニャが見下ろしているのを、ナツキとアイシャ、ラズ、にー子とその他大勢が、ぽかんと口を開けて見ていた。
「なつき、そのこ……ともだち?」
スーニャがにー子を指差し、首を傾げた。
にー子は何かをされると思ったのか、さっとアイシャの後ろに隠れ、それを見たスーニャが少し眉を下げる。
「え、あ、うん。にー子は友達……っていうか、家族みたいなものかな」
「ん……かぞくって、なに?」
スーニャはこてん、と首を傾げた。
難しい問いだ。血縁関係なんて言っても親のいないラクリマには概念が伝わらないだろうし、そもそもにー子と血縁関係があるわけでもない。
「一緒に暮らしてる人……とは限らないか。それでも、いつもそばにいるのが当たり前で、そのままの自分を受け入れてくれて。離れ離れになったら寂しくて、悲しくて、声が聞きたくなって……そんな大切な人達のこと、かな」
答えながら思い出すのは、死んでしまった両親のこと。置き去りにしてしまった秋葉のこと。もう二度と会えない勇者パーティの面々のこと……
家族の形は様々だ。どれが正しいとか普通だとか、簡単に決められるものではないだろう。しかしナツキにとって、家族とはそういう温かいものだった。
「ん……わかった」
ナツキの答えを聞いたスーニャはひとつ頷くと、エルヴィートに向き直り、指を小さく振った。それだけで謎の圧力が消えたのか、エルヴィートは荒い息のまま立ち上がる。
「ハァ、ハァッ……貴様! 星涙でありながら人間に手を上げるとは、基本原則を一から叩き込んで――」
「あやまって」
「――っ、何?」
「ごめんなさい、して。なつきにいじわる、しないで。……あのこはなつきのたいせつだから……とっちゃうの、だめ」
「なっ……」
スーニャの長めの台詞を聞いたエルヴィートは驚愕の表情を露わにナツキを凝視し、
「貴様……天使の剣に何をした!?」
「え!? ボクは何も……」
「ならば何故、貴様なぞに心を――」
「えるびーと、ちがう。ごめんなさい、するの」
「ぐぉっ……や、め――我は貴族、聖騎士であるッ、平民に頭を下げる事など、あってはならぬ……!」
ギギギと音がしそうな様子で、少しずつエルヴィートの首が前に倒れていく。スーニャが謎の力で頭を下げさせようとしているのだ。
「す、スーニャ、もうその辺で……」
気分は空くものの、貴族と平民という立場上それはさすがにまずいのではないかとスーニャを制止しようとしたところで、
フッと何の前触れもなく、エルヴィートの姿が消えた。
「え……?」
昨日と同じだ。予備動作も魔力反応も残さず、ただ忽然と消えた。
「むー……えるびーと、にげた」
スーニャは特に驚くこともなく、ぷくーっと頬を膨らませて窓の外を見やった。しかしその視線の先を追ってもエルヴィートはいない。
やがてスーニャは一つ溜息をつき、もう一つ大きなあくびをしてくしくしと目を擦ったあと、
「それじゃ……なつき、あいしゃ……きのうのつづき、しよー……?」
邪魔者はいなくなった、とでも言うように、晴れやかで期待に満ちた表情を向けてきたのだった。