アイシースリーピー Ⅴ
一瞬で意識を刈り取られたスーニャが地面に崩れ落ち、大男がスーニャを持ち上げようと身を屈め――
「スーニャ!」
「待て」
駆け寄ろうとしたその刹那、ナツキの眼前に鋭い細剣の切っ先が突きつけられていた。
「っ――」
「ナツキさん!」
「アイシャ、動かないで! こいつ、強い……!」
見えなかった。剣を抜く動きも、魔力反応も、一欠片の殺気すらも。
真っ白なフーデッドローブを纏った大男は、気絶させたスーニャには目もくれず、ただナツキの挙動を観察している。
武器ありの一騎打ちなら勝算はあるが、丸腰の状態では恐らく勝てない。そう分析し、動くことなく周囲の状況を観察する。スーニャを抱えてアイシャと共に逃げ切れるかどうか。
というかよくもこんな往来で暴挙に出たものだ。人混みに紛れれば逃げやすいかと考え、
「え?」
周囲のあらゆる人間が、地面に平伏していることに気づいた。
倒れているのではない、土下座だ。何に向かって? まさか、この大男に?
「……幼子よ。我に反抗的な目を向けるとは、余程身の程を知らぬと見える」
剣の切っ先をナツキの喉元に向け、大男は偉そうな台詞を吐いた。
フードに隠れて表情が読めない。《気配》術で意識を検知することもできない。先程から何発か《気迫》術を放っているが、気にかける素振りすら見せない。
明らかに、格が違った。
「……発言しても、いい?」
「許す、但し一歩とて動けば我が剣が貴様の喉仏を切り裂くと知れ」
周囲の人々の様子からしても、この大男は人を殺めようとも罪に問われない立場にある存在だ。
身体強化を首周りに集中させ、防御を固めておく。一点集中させた気の守りは物理攻撃ではそうそう抜けないはずだ。
「おじさんは……偉い人、なの?」
「何? ……我を知らぬか。これだから下流は好かぬ」
ひとまず、話も聞かずに無礼な小娘を切り捨てるタイプの偉い人ではないことにホッとする。
ならもう少し、綱渡りをさせてもらおう。何もわからぬままスーニャを連れていかせるわけにはいかない。
「土下座した方がいいならするけど……その前に、スーニャをどうするつもりなのか教えて欲しいな」
「それを貴様が問うか、無礼者! 貴様こそ、何を企んでおる!」
「わ、何も企んでないよ。ボクだって死にたくないもん。ただ……ただせめて、ボクの友達を無理やり連れていく理由が知りたいんだ……」
「友……だと?」
大男は訝しげに地面に伏せるスーニャを見た。しかしすぐに顔を顰め、
「……相違ない。此は我らが天使の剣、我らの所有物である。断じて貴様の友などではない! 我に対し虚言を弄せし罪、軽くはないと心得よ!」
「……天使の剣?」
聞き覚えのない言葉だ。しかし周囲で平伏している人々からは微かにざわめきが巻き起こる。あれがそうなのか、実物を拝めるなんて、などと口々に歓喜の声が漏れ聞こえてくる。
それを一睨みして黙らせた大男は、ナツキを睥睨して声高らかに叫んだ。
「愚かな娘よ、我を知らぬと言うならば、今ここで魂に刻み込め! 我は《塔》序列二位、エルヴィート=ラツィエ=メービゥス! 崇高なる聖下より光の加護を賜りし聖騎士であるッ!」
「っ!?」
《塔》序列二位。聖騎士。
それが一体どういう制度に基づく地位なのかは分からずとも、《塔》が統治しているこの世界において本当にとんでもなく偉い人だというのは理解できる肩書きだ。
そして《塔》の人間なら、任務を終えてすぐ帰還せず三日も迷子になった挙句、どこの馬の骨とも知れぬ小娘と呑気にほっつき歩いているスーニャを回収に来るのは理に適っていると言える。
だがもう少し、しらばっくれてみよう。何せナツキは、スーニャが《塔》のギフティアだなんて知らないことになっているのだから。
「《塔》の聖騎士さんが、どうしてスーニャを連れていくの……?」
「何を言うか、当然であろう!」
「だってスーニャは、森で迷子になっちゃうようなただの人間の女の子で……天使の剣って何なの? ボク、せっかく友達になれたのに……っ」
涙腺に気を通し、ぽろぽろと涙を流しながらそう言ってみると、聖騎士エルヴィートは初めて狼狽えた。剣の切っ先が一瞬ブレたので間違いない。……これだけ傲岸不遜な態度を取っておいて、幼女の涙には弱いのだろうか。
「……貴様、何を言っておる? 此は人間に非ず。星の涙、ラクリマであり、《塔》により管理されしギフティア部隊がナンバーゼロ、即ち我々人類の最終兵器……まさか貴様、知らずに接していたと?」
「何言ってるのかわからないよ……うぅ……スーニャは友達だよ……ぐすっ」
「……もう良い、泣くな、黙れ。後は此に聞く」
エルヴィートはようやくナツキの喉元に突きつけていた剣を下ろし、スーニャを拾い上げたかと思うと、
「……えっ」
次の瞬間には、目の前から忽然と姿を消していた。
踏み込み動作も魔力反応も、気を練った気配もなく、ただその場から消えた。そうとしか思えない去り方だった。
平伏していた人々が立ち上がり、ナツキをチラリと見ながら立ち去っていく。殺されかけた幼女が心配ではあるが、面倒事には関わりたくない、とでも言いたげな表情で。
ただ一人、アイシャだけがこちらに歩いてくる。
「な……ナツキさん、大丈夫なのです? 泣いてるです?」
「アイシャ……うん、ボクは何もされてないよ。嘘泣きだし。でもスーニャは……」
「仕方ないのです。スーニャちゃんはわたしとは……立場が違うです」
「……そうだね」
アイシャの時とは違い、帰るべきところから迎えが来ただけだ。それがスーニャにとって望む結果でないのなら話は別だが、フィルツホルンまで送っていくと申し出た時に彼女は喜んでいるように見えた。気絶させられて連れ去られたという点は気になるが――アイシャのように酷い目に遭わされることはない、と信じるしかない。
「おいこらナツキてめェ!」「ま、待って兄貴――」
今はそれより、ギルドから血相を変えて飛び出してきたダインとヘーゼルの対応をなんとかしなければならないようだった。
☆ ☆ ☆
「天使の剣ァ!? 《塔》の切り札じゃねェか! 何でまたおめぇがそんなんとつるんでんだ、オイ」
ギルドの執務室で事のあらましを説明し、聖騎士エルヴィートに言われたことも伝えたところで、ダインが爆発した。
「や、だから今日トドナコの森でばったり会って……」
「見た目や能力すら《塔》の上層しか知らねェって噂の代物に、どうやったらばったり会えんだ、ちったァまともな嘘をつきやがれ!」
「本当だってば!」
「本当なのです……スーニャちゃんは本当に迷子で、おなかを空かせて倒れちゃったのです」
ナツキが何かを隠しているのではないかと訝るダインだったが、アイシャの証言を聞いて観念したのか、頭を抱えて唸り出した。それが先程のヘーゼルの仕草とそっくりで、本当に兄弟なんだな、と場違いな感想が浮かんできた。
「……まァいい、どうせもう関わるこたねェ、今日のことは忘れろ。いいか、絶対に《塔》に乗り込んで奪い返しに行くとか考えんじゃねェぞ」
「そんなことしないよ……。ヘーゼルさんもダインも、ボクのことバカだと思ってる?」
「……助けを求められりゃ、どうせおめェは迷わず突っ込むだろ」
「え? そりゃ当然」
「ほら見ろ、バカだ。戦力差ってもんを考えやがれ。聖騎士共とやり合う気か? 秒で死ぬぞ」
「…………」
確かに聖騎士エルヴィートの動きは、あまりにも常軌を逸していた。ラグナの魔法科学をもってしても説明のつかない、溜めも魔力反応もマナの残滓も見えない瞬間移動。《気配》術ですら全く読み取れない意識。
「少なくとも、不意打ちできる武器が必要、かな……」
「そうじゃねェよ、挑もうとすんなバカ野郎」
「あ痛っ」
ダインから拳骨が下り、視界の端でヘーゼルは溜息をつき、アイシャは困ったように笑った。
最近思うのだが――この世界、妙にハードモードすぎないだろうか。勇者パーティの他の面々が不在で、普段使いの武器が存在しないことを抜きにしても、ラグナで体験したピンチなんて目じゃないくらいの強度で何度も死にかけている。
この世界に暮らす人々が皆強いわけではない。むしろ一般人に関してはラグナの人々のほうが遥かに強いだろう。モンスターの類がそこかしこをうろついているわけでもない分野外散策の危険度も低い。しかしA級神獣だの聖騎士だのギフティア(最終兵器)だの、イレギュラーな存在の強さが尋常ではないのだ。まるでラグナで魔王軍と戦ったのは物語の序章だとでも言うかのように。
「っていうか、ラグナのときは帝国騎士団の戦闘チュートリアルあったしな……」
この世界で魔法は一般的な技術としては存在せず、ギフティアのみが扱える特殊能力。だからそれが最高戦力であり、同等の練気術を扱える自分なら生き延びられるだろうと思っていたが、さすがに考えを改めなければならない。このたった数ヶ月で、聖石兵装、にー子の魔法、聖騎士の瞬間移動、魔法科学と物理科学が高度に融合した聖片――ラグナで培った知識では理解の及ばない現象ばかり見てきたのだから。
「別の魔法体系……いや、そもそも別世界だし物理法則がラグナとは違う……のか?」
「おいナツキ、何ブツブツ呟いてんだ?」
「……なんでもないよ」
考えるには情報が少なすぎるが、この世界では原理を聞いても「そういうもの」「《塔》が言うには」「天使様の力」しか返ってこないのが目に見えている。
どうしたものか、と難しい顔になりながら、ナツキは《子猫の陽だまり亭》へと帰路についた。
あけましておめでとうございます!
まあこれ書いてるの10月ですけども(予約投稿)。
年末年始の毎日投稿を敢行中。
今年も週2ペースで更新できるといいなーと思いつつ。
今後とものんびりお付き合いくださいませ。
ちなみに本作品は原案プロット上は6章構成、現在第一章の半分ちょいくらいです。
……はてさていつ終わることやら。もうちょいサクサク進めていきたいですね。