アイシースリーピー Ⅳ
フィルツホルン中央昇降ゲートの門番は、帰ってきたナツキたちを見るや否やホッと表情を緩めた。
「ボクはナツキ、市民IDは……えーと、C-0141298-1。トドナコの森で使い魔狩りをしてきた帰りだよ」
フィルツホルンの内外を跨ぐには、市民IDと呼ばれる番号と名前、顔の照合が必要だ。ナツキは法的にはダインの養子ということになっているらしく、ダインのIDであるC-0141298にインデックスの1をつけたものが今のナツキの市民IDである。
「ああ、良かった。無事に帰って来てくれて本当に良かった……」
「大げさだなぁ。大丈夫だって言ったでしょ」
いっそ泣き出しそうなくらい全力で胸を撫で下ろしている若い門番に苦笑を返す。
行きの時もこの門番に散々引き止められたのだ。Eランクオペレーターが初陣でCランクの依頼を受けるなど前代未聞だとか、うちの娘より小さいじゃないかとか、それはもう大変な慌てようで、最終的に通信機でダインに緊急連絡を飛ばし、忙しいところに水を差されたらしいダインに怒鳴られ、ようやく渋々と解放してくれたのである。
「えーと、そちらは契約ドールだね。個体IDを述べなさい」
「F0-A0021、です」
「はい、結構。それで……そのラクリマは?」
アイシャの確認を淡々と済ませた門番は、スーニャに視線を移して訝しげな表情になった。行きにはいなかったのだから、怪しまれて当然である。
どう説明すればいいか、と事前にスーニャに聞いてはみたものの、「だいじょぶ、まかせて」としか答えてくれなかった。さてどう任されてくれるのかとスーニャを見ると、
「ん、ちょっと……まって。これじゃない……これもちがう……」
異次元ウサギぬいぐるみのファスナーを開けて、何やら探していた。……どこぞの猫型ロボットを彷彿とさせる絵面である。
「……あった。はい」
やがてスーニャは、トランプくらいの大きさの真っ白なカードを一枚取り出し、門番に渡した。
「何だこれは……、……!? いや、まさか……!?」
受け取った門番は挙動不審になり、カードとスーニャを交互に凝視し、最後にナツキの方を信じられないものを見るような顔で見た。何だよ。
「スーニャ=クー=グラシェ。G-G4-C001。……とおって、いい?」
「はっ、はいぃっ! そっ、それはもちろん、で、ですが、この者らとのご関係は……!?」
「!?」
相手はラクリマだというのに、門番がやたらと低姿勢になった。《塔》に所属しているギフティアだから、だろうか。ギフティアは見つかり次第《塔》所属になるのだから、そんなに取り乱すほど珍しいわけではないと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。立場すら入れ替わるのか。
「なつきとあいしゃは……とも……えっと……スーを、たすけてくれたの」
「そっ、そうですか! え、えぇ……? い、いやしかし、何ゆえこのような下流側のゲートから……」
「ん……えっと、なんとなく?」
「なんとなく!?」
「……むー。だめ?」
「滅相もございませんッ!」
スーニャが少し頬を膨らましてみせると、門番は冷や汗を滝のように流しながらゲートを開けた。
「……? なつき、あいしゃ、げーとあいた。いこ?」
「う、うん」「な……なのです」
理解が追いつかず固まっているナツキとアイシャを、スーニャは不思議そうな顔で引っ張ったのだった。
☆ ☆ ☆
「はい、確かに。初仕事お疲れ様、ナツキちゃん。よくできました~」
ダインやヘーゼル経由で伝わっているのか、ハンターズギルド《ユグド精肉店》の受付嬢たちは皆ナツキを知っていたし、戦闘能力も充分あるということも理解されていた。なので今朝は依頼の受注を渋られたりするようなこともなく、それは大変結構なのだが、
「うふふ、いいこいいこ~。無事でよかった~」
「あんたばっかりずるいわ、あたしにも撫でさせてよ」
「抱っこしていい? いいよね?」
顔を合わせる度に撫でられ抱き上げられ、妙に可愛がられるようになってしまっている。
もっとも可愛がられるのが嫌なわけではないし、どうせそのうち飽きるだろうと割り切って抵抗するのはやめたのだが、
「ナツキさん、大人気なのです」
「おー……」
後ろから本物の幼女二人の視線が注がれているとなると、なかなかいたたまれない。
そしてナツキは可愛がるのにアイシャやスーニャは眼中にないのが、どうにもモヤモヤポイントである。アイシャには完全に無反応で、スーニャにはちらりと目を向けるものの、頭のツノに気づくとすぐに興味を失ってしまう。
せっかく身内が運営しているのだから、ラクリマを取り巻く環境を変えていきたいところだ。しかしオペレーターも多く出入りする以上、《子猫の陽だまり亭》のように簡単にはいかなさそうである。
コアを受け取ってくれた受付嬢は、ひとしきりナツキの頭を撫でて満足すると、真面目な顔になって算盤のような道具を弾き始めた。
「それでえーと、報酬の半額はギルドマスターに納入……で、本当にいいのね?」
「うん。借金を返し終わるまではそれでお願い」
リリムが黒魔術でかなり減らしてくれたとはいえ、まだ約200万の借金が残っている。自分たちの装備やら道具やらの調達用に半分確保するが、残り半分は全てダイン行きだ。
「ギルマス、お金のことになるとほんっと容赦ないんだから。ナツキちゃん、まだこんな小さいのに……」
「……ボク、ダインの家に住まわせてもらって、ご飯ももらってるんだよ。ダインはむしろ甘すぎるくらいじゃないかな」
借金について話すと誰も彼もがダインのことを守銭奴だと言うので、なんだか可哀想になってしまい、最近はダインをフォローするようになっている。しかしそれを聞いた人には皆、「考え方が大人すぎる」と溜息をつかれてしまうのだが。
「ナツキちゃんくらいの子供は普通、家も食事もあって当たり前なのよ……」
例に漏れず溜息をつきながら、受付嬢はナツキの取り分の報酬を渡してくれた。初任給、約1万リューズ――日雇いのバイトだと思えばそんなもんだろう。本来はこの倍額なのだから、オペレーターやハンターが「稼げる仕事」だと言われるのも頷ける。
お礼を言って受け取り、次に向かうのはギルドの二階、武器庫兼ヘーゼルの工房である。
「はんたーずぎるど……はいったの、はじめて。たのしい」
「スーちゃん、走ったら危ないのです……!」
スーニャは見るもの聞くもの全てが新鮮で珍しいようで、廊下を歩くだけで終始目を輝かせていた。忙しなくきょろきょろしているその姿は、ただの好奇心旺盛な人間の幼女にしか見えない。
やがて武器庫に到着し、重い引き戸を開けると、中から焼けた鉄の匂いが吹き出してきた。
「こんばんはー、ヘーゼルさん、いるー?」
「お、その声はナツキちゃん? 今行くよー」
すぐに出てきたヘーゼルは、いつも通りサラシに短パン、頭にタオル、片手にハンマーの職人スタイルだった。
「はいいらっしゃい、今日は何の、御用……」
「あのね、こないだ失くしてきちゃった剣を拾ってきたんだ。ごめんね、すごい遅くなっちゃったけど、返そうと思って……ヘーゼルさん?」
ヘーゼルが固まっている。ナツキの言葉は届いていないようで、ナツキの背後に視線が固定されていた。
視線の先にあるのは――スーニャだ。突然知らないドールを連れてきたせいで驚かせてしまっただろうか。
「おーい、ヘーゼルさん、大丈夫ー?」
「へっ!? あ、ああ、ごめ……じゃなくて、えーーっと……、ナツキちゃん、その後ろの子は……?」
「えっと、スーニャちゃん。……友達だよ。この剣見つけるの、手伝ってくれたんだ」
「ん……スー、まいごだったけど、なつきとあいしゃがたすけてくれた。だから、おれい」
スーニャから補足が入ると、ヘーゼルはまたピシリと固まり、
「そ……そっか、そうなのね。えーと、契約したわけじゃない……のよね?」
そんなことを聞いてきた。アイシャから乗り換えたとでも思われたのだろうか。
「契約? 何のこと? 森で会って友達になって、一緒に帰ってきただけだよ。ね、スーニャ」
「ん。なつきもあいしゃも、やさしい。すき」
「はわぅ、わ、わたしもなのです……」
「うん、ボクも二人とも好きだよ」
帰路での雑談のノリできゃっきゃきゃっきゃと話しながら、こんな仲良しの子供たちを引き裂くようなことは言わないよね? と無言の圧をこめてヘーゼルを見ると、何やら頭を抱えて唸っていた。一体何だと言うのだ。
「あ、そうだ……ヘーゼルさんごめんね、リリムさんにぶたれたって聞いたけど、大丈夫だった? 剣、見つけてはきたけど、延滞料とか必要だったら……」
「へっ? あ、いいよ、うん、大丈夫。アタシ知らなくてさ、その、ナツキちゃんがガチで死にかけてたって……ってかわざわざ探してきてくれたんだ。ありがとうね、延滞料もいらないから……で、それはともかく」
剣を受け取ってくれたヘーゼルはずいっとこちらに顔を寄せ、切羽詰まったような声色で、
「ナツキちゃん、その子……この後どうするつもり?」
「え、どうするも何も……どうもしないよ」
「《陽だまり亭》に匿おうとか考えてない? 大丈夫?」
「……そんなことしたら誘拐だよ、ヘーゼルさん」
どうやら、アイシャの時のように面倒事を抱え込もうとしているのだと思われているようだ。あるいはスーニャが《塔》のギフティアだと気づいているのかもしれない。
スーニャが酷い目に遭っていたり、助けを求められたりしているのであればともかく、そうでないのにわざわざ《塔》に歯向かうような真似をするほどナツキも馬鹿ではない。《塔》のギフティア部隊に所属させられているとはいえ、本人の様子を見る限りは待遇も悪くはないだろう。そこを引っ掻き回すつもりは毛頭なかった。
微妙な表情のヘーゼルに別れを告げてギルドを後にし、さてそろそろスーニャともお別れかと思っていると、スーニャがそっとナツキの服の裾をつまんだ。
「なつき……」
「スーニャ? どうしたの?」
「えっと……えっと……そ、そう、おなかすいた! ……たぶん」
頭を抱えて考え込んだ末出てきたのは、見るからに嘘と分かるそんな台詞だった。
まだお別れしたくないと、こちらを見つめる水色の瞳が主張している。
しょうがない、乗ってやるか。そうアイシャと目配せして少し笑い、
「じゃあ……ボクたちの家、来る? うち料亭もやってる宿屋だからさ、何かごちそうするよ」
そう提案すると、寂しそうだった表情がみるみる明るくなり、
「うん、いきた――」
「ようやく、見つけたぞ」
いつの間にか後ろに立っていた大男が、スーニャの首筋を手刀で叩いた。




