アイシースリーピー Ⅲ
スーニャを連れて、フィルツホルンの方角へと歩き出す。太陽の位置が固定されているおかげで、大雨でもない限りは「明るい方が西」と簡単に分かるのが楽で良い。
スーニャは相変わらず寝ぼけ眼だったが、食事を摂ってエネルギーを補給できたからか、今にも眠ってしまいそうなふらふら感はなくなっていた。
最初はナツキにぴったりついてきていたが、ちらちらとアイシャの方を見るので話してみるよう促したところ、すぐさま意気投合してしまった。
「あいしゃも、ともだち?」
「そっ、そうみたいなのです」
「おー……これ、ふぇりす?」
「なのです、フェリスのⅠ型で……ひゃんっ、さ、触っちゃだめなのです」
「ん……いたい? ごめん……」
「痛い……じゃないですけど、なんか、くすぐったくて……むずむずするです」
「ふしぎ。スーのは、かたくてつめたいだけ……」
忌印、ラクリマ同士の初対面会話の鉄板ネタなのだろうか。
これまで同じラクリマの話し相手といえば傍若無人幼稚園児のにー子だけだったアイシャにとっても、精神年齢のレベルが似た相手と話すのは楽しいようで、マイペースなスーニャに引っ張られるように緊張も解れていた。
「スーちゃんの忌印、初めて見たです」
「ん……グラシェ。きろくじょう、さんたいめ……だって」
「す、すごい珍しいのです!」
「ふふー……じつは、つのだけじゃなくてー……」
「んひゃぅっ!?」
少し得意げなスーニャがアイシャの首筋に両手を添わせると、アイシャは耳と尻尾の毛を逆立たせながら飛び上がった。すぐに離された手をまじまじと凝視し、
「つ……つめたかったです……」
「ん。スーのひょうめんおんど、こおりといっしょ」
「氷!? さ、寒くないのです……?」
「だいじょぶ。からだのなかは、ぽかぽか」
どうやらなかなかの不思議体質らしい。あえて分類するなら雪女だろうか。いや、ツノがあることを考えると、ラグナの雪山の頂上にいた氷の古龍のような生き物がこの世界にもいるのかもしれない。
……もっとも、そもそも忌印が全てこの世界に実在する動物由来であるとは限らないわけだが。
「見ただけじゃ分からない忌印もある、ってダインが言ってたっけ……」
そういえば、結局自分の体が人間なのかラクリマなのかは有耶無耶になったままだ。
ぼんやりそんなことを考えながら、《気配》術に引っかかった殺気に《気迫》術を飛ばして追い払っていく。その度にスーニャが少し不思議そうに首を傾げるので、彼女も殺気は感じ取っているのだろうが――この平和で尊い光景、誰にも邪魔させるものか。
そもそもラクリマ同士の日常会話というのは、お互いが感染個体でなければ成り立たない。この世界の現状において、この光景は非常に珍しく貴重なものなのだ。
「……これが普通、になればいいよな」
「ふぇ、ナツキさん?」
「なんでもないよ、独り言」
その後も雑談は続く。アイシャがナツキに助けられた経緯を妙に脚色して話すせいで、スーニャの中でナツキがどんどん聖人か何かのようになっていく。やめてくれ。
しばらく歩き、話題が切れたあたりでスーニャがふとナツキを見た。
「なつきとあいしゃはきょう、何しにきたー……?」
「スーニャが倒してくれた神獣の、使い魔狩りだよ。ギルドや軍の本部に掲示されてる無制限依頼だから、ボクら以外にもたくさん来てるはずだよ」
「おー、つかいま……わかった。おしごと、スーもてつだうー……」
ふんす、とそう宣言してくれたスーニャだったが、受けてきた分の依頼は既に終わってしまっている。
「気持ちは嬉しいけど、さっき倒してくれた鷹でノルマは全部達成だよ。ありがとね」
「……そっかー」
少ししょげてしまった。道案内のお礼をしたいと思ってくれているのかもしれない。
「あの、ナツキさん……剣はいいのです?」
ちょんちょんとナツキの背をつつきながら、アイシャが聞いてきた。
落とした剣の回収――それも目的の一つではあったが、発見は絶望的だ。
「できれば見つけたかったけどね……手がかりもない捜索にスーニャを巻き込むわけにもいかないし、ヘーゼルさんには今度何か別の方法でお詫びするよ」
自分の武器も調達しておきたいし、ある程度お金が溜まったらヘーゼルのところで武器を買うのもいいかもしれない。
「う? なつき、けん……さがしてる?」
「あー、うん。この間この森で落としちゃったから、ついでに探してたんだけど。見つかりそうもないし……あ、もしかしてスーニャ、見かけてたりする? シンプルな片手直剣なんだけど」
「んー……」
一抹の期待をこめて聞いてみると、スーニャは腕を組んで考え出した。
そうそう都合のいい話はない。気にしなくていいよ、と話を切り上げようとしたが、
「あれ、かな……んしょ」
なんと心当たりがあるのか、スーニャは立ち止まると、抱えていたウサギのぬいぐるみの背中のファスナーを開けて腕を突っ込み、中を探り始めた。
……いや、剣はそのぬいぐるみに入るサイズじゃないよ、とツッコミを入れようとして、
「ん、しょっ……なつき、これー?」
「……!?」
探していたまさにその長剣が、ずるりとウサギのぬいぐるみの背中から引きずり出されてきた。
「そ、そう! それ! それだけど……え、ええ!? そのぬいぐるみ……」
「う? これはスーのだから、だめ……」
湧き上がる疑問をそのままぶつけようとしたら、ぬいぐるみを取られると思ったのか、ぎゅっと両腕で抱きしめてそっぽを向いてしまった。かわいい。いやそうではなく、一体そのぬいぐるみはどこに通じているのか――
「な、ナツキさん……う……浮いてるのです……」
「へ? ……!?」
アイシャに袖を引かれて見れば、一瞬前までスーニャの手の中にあった長剣が、そのまま空中に浮いていた。
アイシャが恐る恐る剣を指先でつつくと、まるで無重力空間にあるかのように、ゆっくりとその場で回転し始めた。
「けんは、あげる。きのうひろった……」
スーニャがそう言うと、剣はスススと空中を滑り、ナツキが差し出した両手の上に落ちた。
もはや何から突っ込めばいいのか分からない。分からないが、とりあえずスーニャのおかげで森に来た目的は達成された。
「ありがと、スーニャ。助かったよ。でも……スーニャが拾ったのに、もらっちゃってよかったの?」
「……ん。ともだち、だから」
スーニャはぬいぐるみを抱きしめたまま、少し照れたように笑った。
☆ ☆ ☆
森を抜け、砂漠を一時間ほど歩けば、フィルツホルンの地割れが見えてくる。
日帰りでき野営の準備が必要ないという点で、トドナコの森は初心者ハンターやオペレーター向けの依頼目的地として有名だったらしい。害獣の討伐に限らず、木材や薬草の採取、地質調査なんかの依頼もあったと言う。
それが例の黒い霧の神獣のせいで使い魔の巣窟になってしまったため、中級者以上のハンターは可能な限り使い魔狩りを優先するよう、どこのギルドでもお達しが出ているそうだ。
森を抜ける間、ちょくちょく同業者と思われる戦闘音や話し声も聞こえてきた。この調子なら、そのうち元通りの平穏な森に戻ることだろう。そう言うと、スーニャは少しホッとしたように顔を緩めた。もしかすると、母体の討伐が遅くなってしまったことに責任を感じていたのかもしれない。
地割れの縁に点々と存在する昇降ゲートが見えてきたあたりで、どの昇降機を使うべきかと迷う。ナツキとアイシャだけならハンターズギルド《ユグド精肉店》に依頼完了報告に向かうので中央昇降機だが、スーニャは違う。彼女の目的地は恐らく、《塔》や軍の施設が多くあるという隔壁付近だ。
「スーニャは隔壁に行くの?」
「……ん」
こくりと頷く。
ならそろそろ別れて別々のゲートに、と言いかけて、スーニャが寂しそうな顔でこちらを見ていることに気づいた。
「ナツキさん、その……」
アイシャが遠慮がちに袖を引く。……ああ、分かってる。
「スーニャ、ボクたちはハンターズギルドに行くんだけど……時間があるなら、一緒にくる?」
「……! いく!」
眠たげな目を輝かせるその姿は、どう見ても切り札や兵器なんて言葉は似合わない、ただの小さな女の子だった。