アイシースリーピー Ⅰ
数日後、ナツキとアイシャはラズに休みをもらってトドナコの森に来ていた。
理由はいくつかあるが、まず大きな一つが、
「無いなぁ……この辺だったと思うんだけど」
「拾われちゃった、です?」
「うーん……言っちゃなんだけどレンタルしてるのは量産品みたいだし、特に意匠も無かったし……わざわざ拾うかなぁ……」
そう、放り捨ててきてしまった剣の捜索である。
リリムの「一発殴ってきた」により賠償金はなくなったが、それではさすがに筋が通らない。せめて回収してきちんと返却したいと思ったのだが、そう簡単には見つかりそうになかった。
「動物が巣に持ち帰った、とかだと絶望的……ん?」
ふと、《気配》術に強い殺意が引っかかる。
「アイシャ、今見てる方向から一体来るよ。気をつけて!」
「はいです! 回路展開!」
「門再接続」
アイシャがアイオーンの気巧回路を開き、ナツキがエネルギーソースをアイシャの根源の窓に差し替える。寒々しい氷色の燐光が、徐々に茜色へと変わっていく。
やがて目の前に現れた黒い霧を纏った狼を、アイシャは即座に切って捨てた。
「はわぅ……やっぱり、不思議な感じなのです……」
「どう? そろそろ自分の根源の窓の場所、分かってきた?」
森に来た理由の二つ目は、アイシャの練気術訓練だ。これからずっとアイオーンを使って戦うことになる以上、剣に仕込まれた《転魂》術を自分で上書きできるようになってもらいたかった。本人もそれを強く望んでいるようで、やる気は充分だ。しかし、
「う……だめです、よく分からないのです……」
「そっかー。うーん、方法を変えてみるべきかな……」
謎の声に回路展開の感覚を直接植え付けられているため、アイシャは一番最初の「気という概念を感覚で理解する」という関門をフリーパスで飛び越えてしまっている。本来そこで試行錯誤していく中で、自分の魂の形や場所、その裏にある根源の窓の存在もぼんやり把握していくものなのだが、その過程をスキップしてしまっているのだ。
「ごめんなさいなのです……」
「謝らなくていいって。そんなすぐに習得できたらみんな苦労しないよ」
今は門再接続をナツキが行いつつ、自分の根源の窓に剣が接続される感覚を掴んでもらおうとしているところだ。
ちなみにナツキの場合、諸々の段階をすっ飛ばしたスパルタ指導をゴルグから施されており、比較的「すぐ」習得できていたりする。まず最初に戦闘用の身体強化術の扱い方を身体で覚えさせられ、そこから逆算的に魂や根源の窓の位置、気という概念を後付けで理解していったわけだが――
「……いや、あの方法はダメだ、断じてダメだ」
「?」
あの色々と大変だった、というか一年以上経っても仲間達に弄られるネタになった屈辱の日々を……決してアイシャに味わわせるわけにはいかない。詳細は思い出したくもない。
しょんぼりするアイシャの頭を撫でつつ、倒れた狼の胸にナイフを入れる。モンスターからの素材採取はラグナで散々やったが、心臓を切り開くのはさすがに初めてだった。こんな作業をアイシャみたいな幼女にやらせるわけには、とコアの回収役を買って出たわけだが、手が血だらけになってしまいなかなかにエグく、
「筋に沿ってそっと切るといいのですよ」
「な、なるほど……」
手元を覗き込んできたアイシャにアドバイスをもらう始末である。これでは何のために回収役に名乗り出たのか分かったものではない。
「ふぅ……これで狼は五匹達成、だね。あと残ってるのは……」
「うさぎと鷹が一匹ずつなのです」
森に来た最後の理由は、黒い霧を纏った獣――アイシャとナツキが死にかけるきっかけとなった新型神獣の使い魔の残党狩りだ。
オペレーター認定試験をやっている間に、例の新型神獣はどうにか討伐されたらしい。しかし母体を倒そうと使い魔は消えない。そこでギルドに改めて依頼として貼り出されていたのを受領してきたというわけである。
「この調子なら、他の獣の討伐依頼も受けてくればよかったかもね」
狼五匹、鷹五羽、兎十匹。それが今日受けてきた依頼内容だった。コアだけ持ち帰ればどの敵を倒したのかは分かるらしい。
未知の敵ではなくなったことで、難易度ランクは落ちている。依頼は獣の種類ごとに分けられており、小型の獣はDランク、大型の獣はCランク、そして――「人型の獣」はBランクに分類されていた。
「あの……えっと……」
「うん、ごめん、分かってる。……もし人型が出てきたらボクがやるから、大丈夫だよ」
「……ありがとうです、ナツキさん」
ハンターズギルドで「人型の獣」の討伐依頼に手を伸ばした時、アイシャはひどく狼狽した。聞けば、憑依された人を殺すよう例のオペレーターに強要されたのがトラウマになっているらしい。助けを求めて呻く兵士の頭蓋を砕いた感触が、まだ手に残っているのだと。
当然それを聞いてすぐに掲示板に依頼の紙を戻したが、依頼を受けなかったからと言って人型と遭遇しないことが保証されるわけではない。フラグ管理されたゲームの世界ではないのだから。
「今更だけど……トラウマだらけの森に連れてきちゃってごめんね、アイシャ。気分悪かったりしたらいつでも……」
「だ、大丈夫なのです! この森は何度も来たことあるですし……あのときの嫌な感じもなくなってるのです」
「嫌な感じ? ……そういえば、結界は消えてるね。……ん、だから元の場所に剣が落ちてないのかな……?」
実はまだ、アイシャとそのオペレーターを助けた円形の空間も見つけられていないのだ。結界内の空間が歪んでいた、あるいは作り物の光景だったのだとしたら、もはや手がかりがない。
これは絶望的だな、と諦めモードに入ったところで、
――背後から強烈な死の気配。
「っ! アイシャ、伏せて!」
「ふぇっ……!?」
二人して屈んだ次の瞬間、見えない何かが空気を横に薙いで頭上を飛んでいき――その方向にあった太い木が二本、一瞬の衝撃の後にメキメキと音を立てて倒れ始めた。
「誰!?」
もし当たっていたら、身体強化で身を守れるナツキはともかくアイシャは死んでいただろう。しかし――ナツキやアイシャに向けた殺気は感じなかった。
《気配》術を全開にすると、大量の小動物の意識に混じって、斬撃の飛んできた方向に大きめの意識が存在することが分かる。じっと睨んでいると、意識の源はゆっくりとこちらに近づいてきた。
「アイシャ、ボクの後ろに。あとアイオーン貸して」
「はっ、はいです」
「ありがと。……回路展開、門再接続」
茜色の燐光を散らす剣を構え、闖入者を待ち構えること数秒、やがて姿を表したのは――
「……む、人間さん……? ごめん……、けが、した……? ふわぁ」
頭に鋭利な氷の角のような長い突起を二本付けた、長い薄水色の髪の、やたら眠たげな幼女だった。
「んなっ……!?」
「え……!?」
片手にウサギのぬいぐるみを抱え、パジャマのような薄いワンピースのみを身につけたその姿は、寝ぼけ眼と相まって、まるで今起きてベッドからなんとか抜け出してきたばかりの子供に見える。
あまりに予想外の邂逅に固まるナツキとアイシャに対し、剣を向けられてさえいるはずの幼女は全く動じず、くしくしと眠そうに目を擦ったかと思うと、
「ぁ……もう、だめかも……」
「え、ちょ、ちょっと!?」
ぱたり、とその場に倒れてしまった。
慌てて駆け寄ってみれば、気絶はしていなかった。地面にうつ伏せに突っ伏したまま首だけをナツキの方へ向けて、
「おなか……すいた……」
くきゅるるるる、という切ない音が、幼女の声よりも大きく響いた。
☆ ☆ ☆
「スーはね……スーニャって、言うのー。よろしく……」
ラズに持たされていたサンドイッチ弁当から一切れを分けてあげると、幼女は眠たげな目を輝かせて飛び起き、一瞬で胃に収めてしまった。どうやら敵意があるわけではないようで、先程の攻撃については「ごめん」「きづかなかった」と事故である旨をぼんやり眼で教えてくれた。少し眉が下がっているような気がしたので、申し訳ないとは思ってくれているようだ。
しかしこんな危険な森の奥に幼女が一人でいるなど、普通ではない――と考えかけたところで、自分たちも似たようなものだと気づいた。そもそも普通の幼女は太い木をなぎ倒すほどの不可視のエネルギー弾を飛ばさない。何かしら事情があるのだろう、話を聞くついでに休憩にするかと、ナツキとアイシャも腰を下ろしてサンドイッチを食べ始めたところである。
「ボクはナツキだよ。よろしく、スーニャ」
「なつき……ん、なつき」
「わ、わたしはアイシャ=エク=フェリス、です。ナツキさんのドールで……」
「あいしゃ……え、どーる……?」
スーニャと名乗った幼女は、眠たげな眼を少しだけ大きくして、
「じゃあ……おぺれーたー……?」
ナツキを指差して首を傾げた。
「うん……と言っても、この間なったばっかりだけどね。ほら」
首に提げて服の中にしまっていたタグを取り出すと、スーニャは顔を寄せてまじまじとそれを見た。そして少し眉を上げ、
「Eランク……ここ、あぶない。こわいどうぶつ、たくさん……はやく、にげないと」
そう、無表情ながらも少し焦ったように忠告してくれた。
見知らぬ幼女に対するアドバイスとしては至極真っ当なものである……が、どう返したものか。というかむしろそれはこっちの台詞なのだが。
「えーと、大丈夫だよ。リモネちゃんによると、ボクCランクのオペレーターさんより強いらしいから……」
「……ほんとー?」
じとっとした視線が投げかけられる。全く信じられていない。
「うーん……あ、丁度いいや、ボクの後ろの方から一体来てるね」
《気配》術に殺気が引っかかった。ナツキの言葉を聞いて慌てて立ち上がろうとするアイシャを手で制止する。
「ボクもちょっとは戦わないとね」
言いながら、《気迫》術の準備を始める。
やがて現れたのは、黒い霧を纏った兎だった。残りノルマに合わせて向こうからやって来てくれるとは親切なことである。
ナツキに飛びかかろうと予備動作を始めた兎に向けて、殺気の束を解放する。兎は一瞬体を跳ねさせ、声もなくその場で気絶した。すかさず解体用のナイフで頭を突いて仕留める。
振り返ると、アイシャは「やっぱりナツキさんはすごいのです」と笑顔だったが、スーニャはぽかんと口を開けて固まっていた。
「……いまの、きるねと、おなじ……なつき、ギフティアー……?」
「へっ!? え、えっと、ボクは人間だよ」
「でも……いま、しこーせーすぺくとろぎーそく……でてた……」
「し……シコーセース……?」
言葉の意味が分からないが、まさかこの幼女……気の流れが見えている? その不自然さから、ただの殺気の放出ではない、何かしらの魔法だと気づいた?
焦るナツキに向かってスーニャはとてとてと歩み寄り、ナツキの周囲をぐるぐる回って体をくまなく眺め始めた。
「んー……」
「ちょ、ちょっとスーニャ……?」
やがてワンピースのスカートをぴらりと捲りあげ、
「わっ、何するのさ!」
「しぐな……ない。人間さん……?」
「そうだって言ってるじゃん!」
忌印がないことを確認していたらしい。ナツキが人間であると認めたスーニャは少し眉を下げて、
「……ざんねん。なかまじゃ、なかったー」
少ししょんぼりとした声色でそう呟いた。
ふと、リリムの診療所で、にー子がアイシャを仲間だと言って喜んでいたのを思い出した。
……スーニャの頭上、氷のように透明で角張った角に、夕空のオレンジが反射してキラキラと輝いている。まあ、そうだろうなとは思っていたが――きっとこれは、アクセサリーなんかじゃない。
「ねえ、スーニャ。きみはラクリマ……だよね?」
「ん……ふわぁ……ながいあいさつ、するー……?」
スーニャは眠たげな目をくしくしと擦り、大きなあくびを一つすると、今までで一番しっかりと真っ直ぐ立って――それでも目は寝ぼけ眼のままだったが――聞いたことのある形式の自己紹介を、始めた。
「はじめましてー……識別名は、スーニャ=クー=グラシェ……個体IDは……G-G4-C001……対神獣戦闘用調整済みギフティア、異能は……んとー、ひみつー……。登録オペレーターはいなくてー、《塔》のギフティア部隊の……なんだっけ……あ、いまは、にんむちゅー……だったけどー、おわって、かえるとこ……ふわぁ……これでいー?」
くぁ、とまた大きくあくびをして、ギフティアの少女は眠たげに小首を傾げた。