ネコミミ幼女と人攫い Ⅲ
焚き火は、暖かい。
時折パチッと薪が弾ける音がする度、にぅっ、と驚いたような鳴き声が上がり、とてとてとて、と足音が響く。……火が怖いのだろうか。
ふと、体の上に何かが乗っていることに気付く。布のようだ。頭の下には、同じような材質の何かを丸めたものが枕替わりに置いてあるようだった。
誰が誰のためにそんなことをしたのか……考えるまでもなかった。
「……すまん、取り乱した」
身体を起こし、ナツキは開口一番謝罪した。
体にかかっていた布がずり落ちる。幼女的には持ち上げて前を隠すべきか……恥じらいを……と現実逃避を始めかけ、大の男が勢いのあまりに意味不明なことを泣きながら喚いていた恥ずかしさの方が何千倍も上であることに気づいて顔を伏せた。
体は幼女だし、見た目のみっともなさは軽減されていたことを祈ろう。
「お、正気に戻ったか? ……ってああ、寝てろ寝てろ。まだ毒が抜けてねぇんだからよ」
「は、毒? ……うっ」
物騒な単語に驚いて顔を上げた途端、ぐら、と視界が歪む。
「おっと、危ねェ」
堪らず横に倒れかけたナツキを、大男が受け止めてくれた。
「レドムウィープの炎毒だ。解毒剤は飲ませてあっから、そのうち抜けるだろ」
「っ……れど……何だって?」
再び枕に頭を預けながら、聞き返す。
「レドムウィープ。傷の手当てもしてあるが、痕は残るかもな」
その言葉で思い出す。酸の体液で脛を焼いた、不届き者のアメンボミミズ。
「……毒虫だったのか」
「遅効性の神経毒だ。普通は死ぬ」
「おい、命の恩人かよ……その、なんだ、ありがとうな。この布団と枕も」
「…………」
慌ててお礼を言うと、大男は何故か変な顔で押し黙ってしまった。
不思議に思うナツキだったが、そういえばこの男は人攫いで、自分とこのにぅにぅ鳴く「コロニーマザー」の子は攫われているのであって、そもそも倒れる直前まで睨み合っていたことを思い出した。釣り上げた魚から釣り針を抜いたら感謝された、みたいな気分なのかもしれない。
「う……だめだ、目眩、が……」
毒のせいか、再び鈍い頭痛と共に睡魔が襲ってくる。
抗うことは適わず、そのまま眠りに落ちた。
☆ ☆ ☆
ゆっさ、ゆっさ、ゆっさ……
闇の中、周期的な振動を感じる。
「んに、にぅ、なうっ、んにぅ……」
それに合わせて聞こえる、少し苦しそうな鳴き声と、頬にかかる吐息。
ふに、ふに。ぎゅう。ぎゅう。
包まれるような、やわらかい温もりを感じる。が、この窮屈さはなんだろう。まるで、袋に詰められて運ばれているような――
「……はっ! あれ、俺……どうなって……」
ようやく、脳がまどろみから覚醒した。
が、身動きが取れない。縛られてはいないが、身体を折り畳まれて何かに入れられている。真っ暗だ。
「に? にぁ、なう、なーぅ! にっ、にうぅっ」
そしてすぐ目の前から聞こえる聞き覚えのある鳴き声と、荒い息。
「うおっ、お前……そこにいるのか」
「なぅー、にぁー!」
「わっ、暴れんな、狭いんだから」
ぷにぷにぎゅうぎゅう。
どうやら、コロニーマザーの子と同じ場所に詰め込まれているらしい。おしくらまんじゅう状態だった。
ナツキが目覚めたことで、不安が一気に決壊したのだろうか。コロニーマザーの子は必死に何かを訴えていた。
「んー、これが顔で……これ猫耳か」
「んなぅー!? にぅっ……」
猫耳に触れると、嫌そうにぺたんと伏せられてしまった。
「あ、触っちゃまずかったか? ごめんごめん。んじゃほれ、よしよし」
「んに……ぅなー」
耳を避けて頭の後ろをなでてやると、コロニーマザーの子は気持ちよさそうな声を上げて大人しくなった。
コロニーマザー。コロニーマザー……
「しかし何だかなぁ。名前って感じじゃないよな、コロニーマザー」
「にー?」
「……よし。お前これからにー子な」
「んなぅー……なぅ?」
命名、にー子。
かつてラグナの学院に棲みついていた老猫の愛称だ。学生たちに餌付けされかわいがられていたが、数ヶ月前に姿を消してしまい、特に毎日のように世話をしていたトスカナがひどく寂しがっていた。猫は死期を悟ると人目につかない場所に行ってこっそり死ぬと言う。きっと寿命だったのだろう。
この少女は名付けられたことを理解していないだろうが、猫と同じように、呼び続ければいつか自分の名前だと分かってくれるかもしれない。
「にー子、ここがどこか分かるか?」
「なぅ……んな?」
「分かんないかー。だよなぁ」
「にぅー?」
ゆっさゆっさ。周期的な揺れは続く。
自分とにー子を包んでいるのは、どうやら布袋のようだった。
つまんでみると、結構分厚い。目も細かく、外は全く見えない。簡単には逃げられないようになっているというわけだ。
ゆっさゆっさゆっさ。
袋が揺れるたび、ナツキとにー子はぷにぷにとぶつかる。なのに全く痛くないのは、お互い筋肉の欠片もないぷにすべボディなおかげだろうか。
「にー子お前、あったかいなぁ。お子様体温ってやつか?」
「んにー?」
「俺も子供になっちゃったし、体温上がってんのかなぁ」
「なうなー」
雑な会話でカモフラージュしながら、袋の強度を検分する。練気術で気を纏って突けば簡単に破ることはできそうだが、にー子に怪我させてしまわないように気をつけないといけない。
ゆっさゆっさ。
「いいかにー子。俺はナツキだ。言ってみ? ナ、ツ、キ」
「にー?」
「ナー、ツー、キー、だ」
「んな、なう、にぁー!」
……なんだこいつ。かわいいじゃないか。
「よーしよしよく言えた、偉いぞにー子」
「んにーぁぅー」
ゆっさ……
揺れが、止まった。
「…………」
何か物言いたげな雰囲気が袋の外から漂ってくるが、
……ゆっさ、ゆっさ。
再び揺れ始めた。
「んにー、うー?」
「おっ、何だ何だ」
ぺたぺた、とにー子の小さな手のひらがナツキの顔に触れる。そのままつつ、と首筋へと指が下りていった。
「んひゃっ、ちょ……おい、変な声出たじゃんかこのやろうめ」
「なーぁぅ?」
「仕返しだ」
もうお互いの体の位置関係は分かっている。にー子の脇の下に手を突っ込み、脇腹をくすぐってやる。
「んにっ!? んにゃ、ぁ、ふにーっ、なふぁっ」
「おっとすまん、やり過ぎた……ごふっ!?」
じたばた暴れだしたにー子のアッパーカットが綺麗に顎に入った。
「ふにっ、なうーっ! ふぅにーっ!」
「わ、悪かったって……いてて……」
お怒りのにー子は、しばらくナツキのことをぽこすか叩いていた。
……と、再び揺れが収まっていることに気付く。
今度はすぐに再開することはなく、
「……おめぇら、うるせえ!」
代わりに、ナツキとにー子を攫った大男の苦言が聞こえてきたのだった。