Noah/θ - 休日出勤 Ⅱ
んじゃ張り切って休日出勤といきますか、とリモネは体を起こしてふらふらと出て行こうとする。
「リモネ」
さすがに気の毒になり、思わず呼び止めてしまった。
「端末一人貸すからさ、雑用に使っていいよ」
「んなこと言って、どうせ事件の詳細を自分で見てみたいだけでしょーに」
「心外だなぁ。リモネが心配なんだよ」
まあ、面白そうな情報を独り占めされたくないというのも、ないことはない。心配する気持ちと同量くらいしかない。
ぼくだって、《計画》の手がかりが得られるならすぐにだって得たいことに変わりはないのだ。
「まあ、はい。ありがとうですよ……誰が来ます?」
「んー、近くにいるのはλかな。フィルツホルンのDブロック……なんか屋台やってるね。子供が群がってる」
「またあいつですかー……」
端末の五感にアクセスすれば、彼らが見ている景色、感じている空気を自身の体験として知ることができる。アクセスされていることは端末達にもなんとなく分かるようで、あまり好評ではない。だから最近は、たまにちらっと覗くだけに留めている。
フィルツホルンの裏社会を牛耳る組織の一員として潜り込ませていたλは、何やらヘマをやらかして殺されかけていたところをナツキに助けられたらしい。面白そうな話だが、過去に遡って体験を覗けないのが端末システムの惜しいところだ。
λは今では、貧民街の陽気なヤンキー兄ちゃんだ。端末としての仕事を割り振っていない日はこうして屋台を開き、小麦粉を丸めてソースをかけた食べ物を良心的な値段で売っている。あれは美味しいのだろうか。
『……ん? ごめんやで、今日はこれで終いや』
ぼくがアクセスしたことに気づいたか、彼は屋台を畳み始めた。端末達によると、用があって覗いている場合とただ好奇心でチラ見されている場合とで、アクセスされる感覚が異なるらしい。
『なんや姐さん、仕事か?』
路地裏に入ったλが、通信機で連絡を飛ばしてきた。空間のスピーカーにつなぎ、リモネにも聞こえるようにする。
「やっほーλ。今晩からしばらく、リモネに付き合ってあげてくれる?」
『ガキには興味あらへん。ボンキュッボンになってから出直せゆーといてや』
指令の意味をわざと曲解したと見える返答が即座に返ってきた。
「あたしも聞いてますから、発言には気をつけた方がいいですよー……」
ゆらぁ、と傍らのリモネから殺気が湧き上がる。成長しない体とはいえ、自身の年齢設定を14歳にしたのは彼女自身のはずなのだが。どこの世界でも乙女心は複雑なようだ。
『せやろな。……なんや、疲れとるんか? いつものキレがあらへんで』
「ええ、まあ、休日出勤なんで……」
『そらお気の毒や。目的地まで肩車して連れてったるさかい、元気出しや』
「マジでやったら首折りますからね」
リモネとλはどちらもフィルツホルンで行動しているせいで、よく仕事で組まされている。だから精神的な距離感も近いのだろうが、それにしても、
「きみたち、仲いいね?」
『せやろ』
「どこがですか」
うん、なかなかいいコンビだと思う。
『で、目的地はどこや』
「《陽だまり亭》だよ。例の『手がかり』の女の子がオペレーターになったんだけどね、その契約ドール……重感染個体なんだけど、その子のロックが外れたっぽくて、その調査を」
『待て、待て、待てや』
頭を抱えながら遮られた。
『情報量が多すぎるで。オペレーター? ってかあのガキんことはデルタに引き継いだはずや。ワイの管轄ちゃうで』
確かに引き継ぎ申請は受けたし、δとも話し合った上で受理した。しかし、
「δ、今意識不明の重体なんだよね」
『は……ウッソやろ!? あのデルタやぞ』
「いくらあの子が強くたって、《迅雷水母》に近接戦で敵うわけがないんだ」
オペレーター試験会場でナツキと接触するはずだった端末のδは、ナツキを《迅雷水母》から助けようと立ち向かい、あっけなく電撃で丸焼きにされたのである。会場には通信機を持ち込めず、やめるように命令することもできなかったのだ。
回復薬を使うことも考えたが、彼女がただのハンターという立場にいる以上、他の負傷者と比べて異様に早く回復するのは避けたい。命に別状はなさそうなので、今は軍病院に任せているところだ。
『……なんやよー分からへんけど、しゃーない、やったるわ。リモネ、C上2の像んとこでええか?』
「ええ、なんかその辺で甘いもの買っといてください……クレープがいいです」
リモネの要求を聞いたλは一瞬きょとんとし、すぐ小さく溜息をついた。
『こりゃ大分参っとるなぁ。姐さん、そいつまだガキやで、あんまこき使わんといてやってや』
「誰がガキですか。あなたの数倍は生きてますよあたしは――」
――ブツッ。
λが通話を切った。こちらも五感の覗き見をやめる。
「……あたし、あいつより立場上なんですよね?」
「あはは、いいじゃん。オープンでホワイトな職場って言うんでしょ、こういうの」
「泊まり込み20連勤後の休日出勤するあたしに向かってそれ言います?」
ため息をつきながら、リモネは空間を出ていった。
軽口を叩きあってはいるが――正直、本当に心配だ。何せどれだけ長く生きていようと、λの言う通り彼女の基礎体力は14歳の少女のままなのだから。このままでは過労で倒れてしまうのではないか。λには後で、可能な限り彼女の雑務を手伝うよう追加司令を出しておこう。
……かつて存在したもう一人の同僚が姿を消してから、もう4年が経った。
実質的に好きな研究をしているだけでいいぼくとは違って、リモネの仕事は参謀から雑務まで多岐にわたる。なのに彼女は消えた同僚の仕事まで率先して請け負い、完璧にこなしてきたのだ。
全ては聖下の《計画》成就のため、と彼女は言う。《計画》のためなら何でもする、というのはぼくとリモネに共通する行動指針だが、彼女の必死さには別の何かが隠れているような気がしなくもない。
リモネの奮闘のおかげでなんとか問題なくこの世界は回ってきたのだが、最近になってやたら神獣の変種が増えてきている。今リモネの忙しさがとんでもないことになっているのはその処理に奔走しているというのが大きい。この状況が続くようなら――彼女はきっと、擦り切れてしまう。
否――既に一度、彼女の心は折れている。彼女自身がそれを忘れているだけで、きっともう、とうに限界のはずなのだ。聖下はそれを分かっているだろうか。
「でも……それでも、諦めないんだ。リモネも、ぼくも……この世界が滅びるまでは……」
無意識に独りごちて、ハッとする。最近、意志の再確認をすることが増えた。
世界の滅びが近い。そう言われてからもうどれだけの年月が経ったか。しかし最近は、本当に――もうタイムリミットが間近に迫っているのだと、肌で感じられるような気がする。
☆ ☆ ☆
真夜中になっても、リモネは帰ってこなかった。代わりにλから連絡があり、どうもリモネは《陽だまり亭》で倒れて眠ってしまったらしかった。
外からの監視を続行しようとするので、参謀本部に向かって明日のリモネの業務を代行しておくように命じておいた。あの《陽だまり亭》なら、意識のないリモネの身に危害を加えるようなことはしないはずだから。
「また《魔眼》使ったのかな……」
彼女の能力にはリスクがある。にもかかわらず、《計画》の手がかりが得られる可能性に賭けて無茶をしたのだろう。
《計画》は停滞している。天使の雫が見つからない限り事態は動かず、逆に見つかりさえすれば《計画》は最終段階に進む。そう聖下は言っているし、ぼくが理解できた範疇において、その論理は正しい。
あの「手がかり」の少女が天使の雫なら万々歳だったのだが、リモネの見立てでは望み薄だという。『最悪の可能性』については、既にλもリモネも否定的だ。それでも何か、何かしらの手がかりであってほしい。
《計画》が動けば、果たされれば、ぼくは。ぼくは、ようやく――
――ペフィロを、探しにいけるんだ。