Noah/θ - 休日出勤 Ⅰ
一日前――
余人の侵入を許さない隔離空間内で、ぼくはいつも通りモニターを見ていた。今は端末たちからの定時連絡が表示されている。
その中の一つが珍しく緊急連絡だった。曰く、件の手がかりの少女「ナツキ」が安全なはずのオペレーター認定試験でテロに巻き込まれ、命を落としかけた、と。
「ねーリモネ、あの子また死にかけたみたいだよ」
「知ってますよー……しかもオペレーターになって、感染個体のドールと完全契約、と。わけわかめです」
人民解放軍でドールを管理しているリモネは、つい朝方一仕事終えて帰ってきたところだ。具体的には、この間出現した新型神獣の件がようやく片付いたらしい。
今日は一日休暇だと言って、着替えもせずに展開したソファでごろごろとグダついている。この様子だと恐らく、ようやく諸々片付けたところで狙いすましたかのようにテロが起きて対応に奔走させられたのだろう。ご愁傷様だ。
「それで、あの子大丈夫なの? 《迅雷水母》の極液飲んじゃったみたいだけど……医療系の子って今フィルツホルンにいないよね。端末に上級回復薬届けさせよっか?」
「あーいえ、《前線》の生き残りの医者に担ぎ込まれたんで、気にしなくていーですよ」
「《前線》……か」
この星の時間で数年前、一箇所に大量発生した神獣の群れがホロウベクタの一柱を薙ぎ倒し、グランアーク――人類の生息可能区域へとなだれ込んできた。大量のオペレーターとドールの命が費やされ、ギフティアの数も半分にまで減った。ホロウベクタが開発されて以降初めて深刻な犠牲を出したその悪夢の戦場を指して、俗に《前線》と呼ぶ。
しかしその惨劇は、市井には詳しく伝わっていない。オペレーター志願者が減っては困るからだ。オペレーターは、少々の命の危険と引き換えにドールという強力な兵器を使って神獣と戦い、名声と共に大きな儲けが得られる憧れの職業でなければならない。
理屈は分かるが、感情的にはなんとも納得の行かないところである。
「ひどい戦いだったね、アレは。ちょっと前世を思い出しちゃったよ」
後方から端末経由で見ていただけでも、ペフィロと共に戦った戦場を思い出すほどの悲惨さだった。現場にいたリモネは相当堪えただろうと思う。
「セイラの前世……人間とエーアイのカク戦争、でしたっけ。……そういえば、カクって何なんです?」
この世界には今のところ、核兵器はない。ぼくなら作ることはできるが、作るつもりはない。
「核はねー……うーん、正しく使えば便利だけど、悪用すれば文明を丸ごとひとつ消し飛ばせるもの、かな」
「おっかないですねー。……それ、神獣にも効いたりしません?」
「効くかもねー。爆心地の周囲数キロにいた人間はガンで死ぬことになるけど」
「ちょ、何ですかそのエグい諸刃の剣は」
リモネが引いている。そんな代物で戦争していたのか、バカじゃないのか、とその目が言っている。
そう、バカだったんだよ、ぼくの世界の人間は。バカだったから、もう誰一人として生きてはいない。
「あ、でもそれなら、グランアークの外に撃ち込む分には問題ないんじゃないです? 発射前にちゃんと警報を出せば――」
「何を言われようと、ぼくは作らない」
思わず突き放すような口調になってしまった。ぼくらしくもない感情の発露にリモネが驚いた顔をしているのを見て、ハッとする。
あれからもう何年も経ったのだ。いつまで過去に囚われているのかと自分に呆れながら、固まっていた表情を揉みほぐした。
「……ごめん。でも、ホロウベクタの一撃の方が低コストで高威力で悪影響もないよ」
「そうですか……えっと、もしかして……その、あなたの死因も?」
ちょっと雰囲気が重くなってしまったついでに、聞きにくかったことを聞いてしまおうという魂胆だろうか。しかしその質問でぼくが気を悪くするようなことはない。なぜなら、
「さあね、分からないんだ。ぼく、好きな子を抱きしめてたらいつの間にか死んでたから」
「……この流れで惚気られるとは全くこれっぽっちも思ってませんでしたよ」
張り詰めた糸が切れたように、リモネがジト目になりため息をついた。
ぼくはもう何度もリモネに前世の話をしている。死因も、戦争の流れも、ペフィロのことも、今の話も。しかしこのリモネはそれを忘れてしまっている。
それは残酷でありながら、しかし彼女が望んだことなのだ。だからぼくは当たり障りのない範囲で、それと悟られないように彼女の記憶を復元していく。
一気にいろいろ語ってしまうと気づかれてしまうので、今日はここまでだ。
「それはそうと、《前線》の生き残りの医者に診てもらってるって言ってたけど……治療部隊はほとんど後方配備だったし、そりゃ生き残るんじゃない? 腕は大丈夫なの?」
「あーいえ、彼女は……えー、まあかなり特殊なアレでして。腕は信頼できるのでご安心を」
リモネにしては珍しく、明言を避けた。すなわち――ぼくの権限領域外の特級機密だ。
「ふーん……ぼくにすら言えない特殊経歴持ちかぁ。余計気になっちゃうね」
「まーそんなとこです。あなたや端末のアクセス可能領域に情報はないですからね、ちゃっちゃか諦めてください」
「分かってるよーだ」
聖下やリモネが秘匿するような情報は、どうやってもぼくには暴けない。本気でやればクラッキングできないこともないが、痕跡を残さないのは難しいし、そんな技術を持っているのは全世界でぼくだけだ。すぐにバレて聖下からきついおしおきを食らうことになる。経験則なので間違いない。
「……さて、他にリモネと共有しておかなきゃな情報はあったかなーと……」
トラウマになりかけた記憶を振り払い、ここ三週間ほどリモネが不在だった間のシステムログをさらっていく。
「えー、せっかく休みの日に報告なんて聞きたくないですよー」
ソファ上のナメクジ様物体から苦情が届くが、雑多な報告は対面でまとめて一気に済ませないと余計にリモネの通常業務を圧迫してしまうのだ。
「じゃ、手短に。ドールのロックが解除された通知が昨日一つ来てたんだけど、これってリモネ?」
「はえ、ロック解除?」
ナメクジ様物体が体を起こした。
「んなもんした覚えないですが……」
「そうなの? すぐ元に戻ってるけど……うーん、あんな鬼みたいな過剰防壁、管理者以外が抜けるわけないし、故障かな? 交換した方がいいかも」
「うへぇ、めんどくさみの極み」
ぐらり、べた、と体が倒れ、ナメクジ様物体はシャクトリムシ様物体に進化した。……パンツ丸見えだよ、リモネ。
「んー……ギフティアの子です?」
「えっと、ちょっと待って……個体ID、F0-A0021。フェリス型のエク年代ドロップス……」
「えぇ、何百人いると思ってるんですか、そんな量産型。後回し、後回しです、首輪が壊れたところで逃げだしゃしませんって」
「……重感染個体、登録オペレーターはナツキ、現在地は《子猫の陽だまり亭》、だけど?」
自分で読んでいて目を疑ってしまった。すごい偶然だ。
「…………」
マジで言ってるんですか、という視線。
「…………」
面白いことになってそうだね、という首肯。
「と言っても回路構造上、最高管理者以外が壊さずに外すのは不可能に近いよ、あの首輪。ぼくならなんとかクラックできると思うけど……十中八九、故障かな」
「でしょーね。昨日っていうと、迅雷水母の電撃で誤作動した可能性は?」
「電気回路じゃないんだけど……そういえば、高圧電流の耐久試験はしてないかも。今度しとくね」
十中八九、故障。それがぼくとリモネの共通見解となった。
しかしその程度ではいそうですかと後回しにして休暇に戻るなら、それはリモネではない。
「んで、残りの一、二割は?」
「はぁ……例の手がかりちゃんが未知の技術で突破した、って言わせたいんでしょ? それなら通りすがりの天使の剣が気まぐれに壊した、とかのがよっぽど信憑性あるよ、リモネ」
「う……でも、可能性は0じゃないはずです」
「まあ、ね」
溜息と共に答えながら、可能性は本当に低いだろうと思う。それができたなら、あのドールを一度プロバイダーに返却する必要もなかったはずだ。
しかし少しでも《計画》に繋がる可能性があるなら、リモネは動く。いくら疲れていようと、動く。
「……行ってきます」
「えーと、権限くれるなら、端末に行かせるよ? ぼくも気になるし」
「いえ、いーです、ドール管理権の移譲はあたしの一存じゃ無理なんで。あたしが行きますよー……」
「……いつもごめんね、リモネ」
この世界の情報の多くは聖片や端末を通してぼくの下に集約され、異変があれば関係各所にタスクが発生する。それを飛ばすのもぼくの仕事なわけだが、こんな状態の同僚にタスクを振るのは正直気が引けるというものだ。
「セイラのせいじゃないです……けど言わせてください。セイラのアンポンタン! 鬼! 悪魔! サイエンティストー! ……はぁ、はぁ……ごめんなさい」
「ん、いいよ」
ぼくは職責として、この場を離れることができない。彼女を手伝うこともできない。ならば理不尽に対する叫びくらい、甘んじて受け止めてあげなければ。
……サイエンティストは悪口なのかな?
お久しぶりのリモネちゃんサイドを少し。
やたら長くなってしまったので2ページに分割、後半は明日上げます~




