イケメンと噛ませ犬
人民解放軍フィルツホルン支部参謀本部、通称「本部」は、隔壁内にその本拠を構えている。その入り口にリモネちゃんの言った「受付」があるのだと、昼にやって来たリリムが教えてくれた。
「軍が直接オペレーター向けに出してる依頼も受付で受注できたりするよー。ま、大抵の依頼は同じのがギルドにも掲示されてるけどねぇ」
「どっちで受注した方がいいとかあるの?」
「んー、ギルドの中抜きが無い分本部のが実入りはいいかな。でも失敗したときの保険とか、サポート体制はギルドの方が上かも」
公営と民営の違いみたいな話らしい。ただし、ダインの《ユグド精肉店》のように大規模なギルドでなければそもそも軍のオペレーター向け依頼は掲示されないそうだ。
「ナツキちゃんの場合どうせダインさんにお金返すんだし、ギルド受注が楽なんじゃない?」
「うーん……中抜き分を借金返済とみなすのは……いいのかな?」
「いいのいいの、ダインさんが渋ってもあたしが押し通すから。んで、えーと、本部の場所はねぇ……」
元オペレーターが身内にいるということの、なんと頼もしいことか。
ありがとうリリムお姉ちゃん、とリップサービスを投げつけて悶絶させてから、ナツキはアイシャと共に本部へと赴いた。
隔壁の側面、表面デッキの上を、アイシャと手を繋いで歩いていく。
「……なんか視線を感じるなあ」
薄く張った《気配》術に、ナツキへ向かう大量の意識がずっと引っかかっている。一部は純粋な好奇心だが、大半は……理解できないものを気味悪がって遠巻きに観察している、そんな負の感情。
「あの……わたしと手を繋いでるからだと思うです……あと、この服も……」
アイシャが体を縮こまらせながら、恐る恐る指摘した。
今アイシャは、ナツキの私服のうち最も質素なベージュ色のワンピースを着ている。ナツキのいつものワンピースでペアルックにしようと言ったら、涙ながらにどうかやめてくれと懇願された結果だ。主人と同じ服を着るなんて、と。
一番質素な服でもアイシャには高級品に感じられるらしく、道行く人々がこちらを見ているのはそのせいだと感じているらしい。
「手はともかく、服はアイシャの考えすぎじゃない? トドナコの森のときに来てたドール、みんなそこそこちゃんと装備整ってたよ」
「それは戦いの装備なのです、普段はこんなしっかりした服は……」
「はいはい、気にしない気にしない! みんな見てるだけで何もしてこないんだからさ」
「ふぇぇ……」
この世界では、周りの目を気にしていてはラクリマは何もできない。人々は何も、ラクリマやドールが嫌いなわけでも、排除しようとしているわけでもない。むしろドールは神獣と戦い人々を守っている側なのだから、堂々としていればいいのだ。
「えーと、リリムさんに聞いた話だと、もうすぐ……あ、あれかな」
軍病院の入り口より一段下、地上に出る小さな昇降機がある壁際に、本部の入口はあった。黒曜石のような黒い建材で組まれた物々しいゲートの脇に、守衛らしい兵士が一人眠そうに立っている。大きな槍を持った、立派な無精髭のおっさんだ。
毎日お疲れ様です、と心の中で呟きながら脇を通り過ぎて中に入ろうとすると、
「ん? おい、止まれ。ここは子供の遊び場ではないぞ」
兵士に呼び止められた。……うん、そんな気はした。
「遊びに来たんじゃないよ。ボク、リモネちゃんに呼ばれてるんだけど」
「何、リモネちゃんに?」
リモネちゃん、こんな厳ついおっさんにすらちゃん付けされているのか。
「証拠はあるのか?」
証拠が必要なのか。しかしリモネちゃんは特に召喚状の類を渡してはくれなかったはずだ。
「えっと、口約束なんだけど……この子の首輪が壊れてるかもしれないから、交換しに来いって言われたんだよ」
「首輪が壊れた? そのようなことは聞いたことも……いや、そもそも何故一般市民の子供がドールを連れている。オペレーターはどうした」
「ボクがそのオペレーターだよ。ね、アイシャ?」
「は、はいです。わたしの登録オペレーターはこのナツキさんなのです」
ラクリマは人間に対し嘘をつかない、とダインは言っていた。アイシャが肯定すれば証明になるかと思ったが、兵士は「どうも怪しいな……」と厳しい顔になってしまった。
「ラクリマは嘘はつけないんでしょ?」
「首輪を通じた命令がある場合はその限りではない。どうせ誰かに頼まれて来たんだろう? そいつの目的は何だ? 大丈夫だ、君を罰することはない。安心して話せ」
「えぇーっと……」
ダメだ、完全に何者かの悪巧みの駒だと思われている。
さてどう説明したものか、と考えていると、
「おっさん、その子ちゃんとオペレーターやで。リモネが呼んだっちゅうんもホンマや」
「っ――!?」
ゲートの向こうから――懐かしい声が、聞こえた。
「何だ貴様は」
「ほい、リモネからの伝書や。雑用押し付けられすぎてちぃと遅なってしもたわ、堪忍な」
やがて姿を現した男は丸めた紙を守衛の兵士にポンと渡し、
「おう、久しぶりやな、ナツキ」
「ラムダ……!」
記憶に違わぬ爽やかイケメンスマイルを向けてきたのだった。
うん、やっぱりグラサンとニット帽は外してた方がかっこいいよ。
☆ ☆ ☆
リモネちゃんからの伝書だという紙を読んだ兵士は、すぐさま青くなってゲートの脇へと駆け戻り、ナツキとアイシャを中に入れてくれた。
ラムダに先導され、黒曜石のような素材の廊下を進む。
「ラムダ、今まで何してたの!? いきなりいなくなっちゃって、結構心配したんだからね!」
「すまんすまん、色々あったんや」
「えぇ……あの状況から軍で働くことになる『色々』、すっごく気になるんだけど?」
「軍で働いとるんちゃうで。今のワイはリモネの……何や、お守り……召使い……ヒモ? まあよく分からへんけど、そんな感じや」
「とりあえずヒモは違うんじゃないかな!?」
軍ではなくリモネちゃんに紐着く立場にいる、ということなのだろうが、ラムダはそれ以上は言葉を濁して語ってくれなかった。
……リモネちゃんという存在の謎がまた深まってしまった気がする。
「……?」
楽しげに話すナツキとラムダを見て、アイシャが不思議そうに首を傾げていた。そう言えばこの二人は初対面だ。
「アイシャ、この人はラムダ、ボクの友達だよ。でもってラムダ、この子はアイシャ。ボクの友達だよ」
「なななななナツキさんっ!?」
「いや雑すぎやろ」
ツッコミは飛んできたが、ラムダはアイシャと同列に扱われることに嫌な顔はしなかった。むしろ、青い顔で狼狽するアイシャの頭をわしゃわしゃと掻き回して「ほなワイらも友達や、よろしゅうな」なんて笑っている。
「わわ……わたしは……ドールで……ラクリマなのです……わ、わっ!?」
「そかそか、大変やったなぁ。リモネから話は聞いとるで。ナツキに命拾われたもん同士、仲良くしてこうや」
「は、はわぅー……」
アイシャはラムダに抱き上げられ、恐縮と混乱で目を回してしまった。
ラムダはラクリマ相手でも態度を変えない。それが分かって一安心だが、もともとの態度がアグレッシブすぎて、アイシャには荷が重かったようである。
やがて黒い廊下を抜けると、茶色い金網で囲われた広めの部屋に出た。
「本部受付や。あのカウンターでリモネを呼べばええ」
ラムダが指差した先には、空間を二つに分ける形で設置された長いカウンターがあった。簡素な間仕切りで分けられており、それぞれに人々がちらほら並んでいる。そのほとんどがドール連れのオペレーターだ。
「あの人たちは何しに来てるの?」
「大抵は依頼報酬の受け取りやろな。そこいらもまとめてチュートリアルする言うとったさかい、詳しい話はリモネに聞きや」
ほなワイはこれで、とラムダは忙しそうにカウンターの奥へと走っていってしまった。雑用を押し付けられていると言っていたし、多忙なのだろう。
丁度いいタイミングでカウンターが一つ空いたので、アイシャの手を引いてそちらへ向かう。眼鏡の受付嬢と目が合った。
「……あら、お嬢ちゃんどうしたの? 迷子?」
もうそれは聞き飽きたよ。
うんざりしながら首を横に振り、
「ボクはナツキ。この子はアイシャ。リモネちゃんに呼ばれてきたんだけど……」
「えっ、ってことはあなたが例の!?」
「へっ!?」
受付嬢が急に目を爛々と輝かせて体を乗り出してきた。その大声に、ただでさえ集まっていた周囲の視線がさらに集中する。
「金髪、碧眼、小さな女の子……間違いないわ! あなた、この間のオペレーター試験を受けた子ね!? テロがあった……」
「え、あ、うん、そうだけど……」
特に隠しているわけでもない。肯定を返すと、周囲がにわかにざわめいた。
「おいおい……例の噂本当だったのか?」
「あんなチビガキが、軍にもどうにもできなかった神獣とタイマン張って勝ったってか? いやいや、冗談も程々にしとけって」
「バカ、聞こえんぞ」
聞こえてるよ、とチビガキ呼ばわりしてきた男に視線を向けると、まるで信じていなさそうな顔で肩を竦められた。
……と、背後に気配。
「っ――」
飛びのきながら振り返ると、ゴツい鎧に身を包んだ大男がナツキの肩を掴もうとしているところだった。
「おっとぉ……勘がいいな、ガキ。――ヒック」
真っ赤な顔、片手には酒瓶。随分と酔っているようだ。
「……ボクに何か用?」
アイシャを背後に隠しながら、大男を睨めつける。少なくとも好意的な感情は向けられていない。
「ウィーック、いやなに、あー、まぐれでオペレーターになってぇ、浮かれてるガキに、ちっと現実を見させてやろうと思ってなぁ……ヒック、俺様が六年かかって合格した試験、ガキに突破できるわきゃねぇだろがぁ……このコネ野郎め!」
ああ、うん。いるよね、こういうの。
俗に言う、噛ませ犬ってやつだ。
「まぐれとかコネとか、言ってることがめちゃくちゃだよ、おじさん」
「うぉらぁあ! 死ねぇ!」
ここが公共施設であることも忘れてしまったのか、大男は酒瓶を振りかぶってナツキに振り下ろした。受付嬢が顔を青ざめさせて顔を覆う。
戦闘経験はそこそこ豊富なようで、酔っていても酒瓶の軌道はブレずに真っ直ぐ、ナツキの脳天を狙っていた。しかし所詮は人間の、魔法強化もしていない素の一振りである。
「飲み過ぎだよ」
懐に潜り込み、気を通した拳で胸のアーマープレートを上へトンと突き上げれば、大男は酒瓶を振り抜いた勢いのまま空中で一回転し、
「ぬぉぉあおあ――ぶっ!?」
顔から地面の金網に着地し、静かになった。地面に落ちた酒瓶が割れる音の余韻が消えても立ち上がってこない。気絶してしまったようだ。
アイシャが無事なことを確認しつつ、新手が来ないか周囲を警戒――他にバカはいない。
先程ナツキをチビガキ呼ばわりしてきた男をちらりと見ると、ぽかんと口を開けていたがすぐに我に返り、顔をひきつらせて一歩後ずさった。分かってくれたみたいで何よりだ。
受付嬢を見ると、安堵したような表情の中に、明らかな恐怖と動揺が見て取れた。少し引かれてしまったようだ。……ごめんね、ただの幼女じゃなくて。
「ちょいちょい、何の騒ぎですかー……およ、ナツキさん」
「リモネちゃん!」
カウンターの向こうからやって来たリモネちゃんは、ナツキとアイシャを見て、足元に転がる大男と割れた酒瓶を見て、周囲の人々の放心状態を見て、やがて何やら悲しそうな顔になり、
「ナツキさん……酒瓶で人を殴るのは、いくら幼女とは言え、ちょっとよくないですね」
「ボク殴られた側だよ!」
リモネちゃんは相変わらずマイペースで、少し安心したのだった。