突撃! 我が家の晩ごはん
その後は大変なお祭り騒ぎだった。アイシャは代わる代わる抱きしめられ撫でられ目を回し、アイシャを助けた経緯を話したナツキは胴上げされ、遅れてやってきたリリムが呆れて帰ろうとするくらいの大騒ぎ。
べろんべろんに酔っ払ったお客さんが全員いなくなる頃には、もうナツキもアイシャもくたくただった。ちなみににー子はホールがうるさくなった段階で早々に二階へ引き上げ、ラズに夕食をもらって今はすやすやと寝ている。
「お疲れさん、ほら、アンタらも食べな」
机に突っ伏したナツキとアイシャの前にコトリと置かれたのは、美味しそうに湯気を立てる熱々のグラタンだった。
「ラズさんありがとう……今この瞬間だけはラズさんが天使に見えるよ」
「なんだい、いつもは悪魔だってのかい」
そうだよ。どう考えても幼女にはハードワークだよ。
アイシャは大丈夫だろうか、と隣を見ると、
「……アイシャ? どうしたの、固まってるけど」
「ふぇあ!? はっ、はいです! えっ、あのっ、これはっ!?」
グラタンの皿を見ながら、大変な慌てっぷりを見せてくれた。
「ボクらの晩ごはん。空いてる日はお客さんと一緒に食べたりするけど、忙しい日はこんな感じになるよ」
「ば、ばんごは……」
「おなかすいたでしょ。食べよう、アイシャ。いただきまーす」
マカロニ、チーズ、クリームソース。どれを取っても日本で食べたものに遜色ない、最高のグラタンである。ラズの得意料理の一つだ。
「んー、美味しい。最高だよラズさん」
「そうだろうとも。アタシの母さんから受け継いだ味さね」
もう何度したか分からないやり取りだ。
ちらりと隣を伺うと、まだアイシャはおろおろしていた。
「あれ、嫌いなものでもあった?」
「ふぇ、えっと、えっと……これ、もしかして、わたしの分……なのです? わたしもごはん、食べていいのです……?」
不安そうな顔で聞いてきた。……そこからか。
「アイシャ……例の管理人さんにも、ご飯は食べさせるようにってちゃんと契約させたはずなんだけど、もしかして……」
「ね、燃料はちゃんとたくさんもらったのです! おなかがはちきれそうなくらい……でも、こんな、こんなおいしそうな食べ物、普通のドールだって食べていないはずなのです……」
「燃料?」
「ドール用Ⅰ型燃料、なのです」
携帯食糧のようなものだろうか。
詳細を尋ねようとしたら、ラズがため息をついて「これだろ」とカウンターに何かをそっと置いた。
ビー玉サイズの、艶のある茶色い球体。パッと見の印象はチョコ系のお菓子だ。
「これが燃料……え、うわ、重い!?」
「こら、落とすんじゃないよ!」
つまみ上げようとしたら、見た目に反する重さに危うく取り落としそうになった。1キログラムくらいはあるんじゃないだろうか。こんな比重の物体、金属ですらそうそう無いのでは。
「それ一粒に、そのコップ五杯分くらいの燃料が詰め込まれてるんだ。胃酸で外の殼が溶けて、腹の中で爆発するのさ。一瞬で腹一杯になるだろうよ」
「爆発!?」
「そっ、そんな危険なものじゃないのです!」
吐き捨てるようなラズの台詞に、アイシャが慌てて訂正を入れた。まあ確かに、今までずっとそれを食べてきたのなら安全ではあるのだろうが……そんな「食事」、あんまりだ。
「ドール連れのオペレーターが泊まりに来たとき用に、多少はウチにもあるんだよ。……でも、アンタにはこんなもん食べさせないからね。もっと美味いもん食って栄養をつけるんだ。それはアンタの分だよ、アイシャ」
「は、はわぅ……」
アイシャは恐る恐る、スプーンを握ってグラタンを口に運んだ。
「っ――」
一口食べれば、もう止まらない。一度目を大きく見開いたアイシャは、ぽろぽろ泣きながら、どんどんグラタンを頬張っていく。
「おいしい、です……ひぐっ、とっても、とっても……」
「そうだろうとも。おかわりもあるからね、たんと食べな」
そしてラズに勧められるまま、アイシャは用意されていた全てのグラタンを食べ尽くしてしまった。ラズが食べるはずだった分も、ナツキがおかわりするはずだった分も、深夜に帰ってくるダインのための分も、全て。
よほどお腹が空いていたのだろうか。ラズも目を丸くしている。
「は……はふぅ……おなか、いっぱいなのです……」
苦しそうに、丸くなったお腹をさするアイシャ。
「これで、終わりなのです……?」
まだ食べる気か!?
……いや、待て。
これは、もしかすると、
「アイシャ、えっと……おかわりはね、勧められても断っていいんだよ……?」
「……ふぇ!? そっ、そんなことっ、恐れ多いのですっ」
「あぁー……」
やはり。ラズの「まだ食べるかい?」を遠回しな命令だと受け取っていたらしい。
「こりゃ、慣れるまで時間がかかりそうだねぇ」
ラズが苦笑し、アイシャの頭を撫でる。アイシャが食べなくとも他の人が食べるから、自分が欲しいと思う分だけ食べればいいのだと教えられ、困惑しながらも頷いていた。
ちなみににー子の場合、最初は何の遠慮もなくおかわりを催促し続け、満足すると皿にまだ残っていても食事をやめるというマイペースっぷりを発揮していた。
皿に食事を残すとラズに怒られると理解してからは、おかわりをするか否かの選択に悩み、悩み、悩み抜いた末、時間が経って満腹になりそこで食事を終了するというアホっぷりを見せている。まあうん、健康的でよろしい。
不満げな顔で首を傾げるにー子を思い出しながら、じゃあそろそろ寝るかとアイシャを部屋まで案内しようとして、
――カランカラン、
玄関が開く音がした。
「ダイン……?」
その日の諸々を整理してからハンターズギルドを出るダインは、普段はもっと遅い時間に帰ってくる。今日は早く終わったのかと出迎えようとして――全くもって想定外の人物と、目が合った。
「え!?」
「はいどうもこんばんはー! 遅くにすみません、参謀本部の元気印、花ざかりの14歳、お久しぶりのリモネちゃんですよー!」
聞いたことのあるフレーズと共に店に突入してきたのは、軍病院で回復薬をくれた、騒がしマイペースロリコン美少女リモネちゃんだった。
遅れて飛んできた柑橘系の香りが、ふわりと鼻腔をくすぐる。
「リモネちゃん!? 何で!? ……あ、そっか、ええと、もう営業時間は過ぎてて……」
「あ、お客として来たわけじゃないですよー。やーどうも、お久しぶりですね、ナツキさん。元気です?」
「え、あ、うん、おかげさまで……」
あの回復薬がなければ、今も入院生活を続けていたかもしれない。その場合アイシャも助けられなかったわけで、本当にお陰様なのだ。
しかし、しかしだ。
「…………」
その前に胸を揉まれ腹に顔を埋められとやりたい放題されたこと、忘れたとは言わせない。捕まらないようにじりじりと距離を取ると、
「あははー……そうあからさまに距離取られると、さすがのリモネちゃんもちょっとショックです」
まるで本当に傷ついたような声色で、リモネちゃんはへら、と笑った。
……そんな顔をされると、少し罪悪感が芽生えてしまう。
「ぼ……ボクを誘拐しに来たんじゃ?」
「違いますよー……」
肩を落とし、しゅんと項垂れた。
どうも演技ではなさそうだ。それに、何だか……
「えっと……リモネちゃん、元気ない?」
前に会った時と比べて、声が少し暗い。ハキハキした感じが薄れている。
ナツキの問いにリモネちゃんは少し肩を揺らしたが、「そんなことないですよー」と否定の言葉が返ってきた。しかしその声も、どこか弱々しい。顔色も少し悪い気がする。
「……軍人さんなんだよね。おもてなしの作法とかあったりするのかな、ラズさん……ラズさん?」
そう言えばリモネちゃんが突入してきてから、ラズは一言も喋っていない。いつもなら即刻「もう今日は終わりだよ!」と追い出すはずだ。
そう思いながらラズを見ると、ラズはどこか懐かしそうな、悲しそうな、痛ましそうな……複雑な表情でリモネちゃんを見ていた。
「……何の用か知らないけどね、とりあえず座りな、リモネ」
やがてそう促すと、リモネちゃんは「すみませんね、じゃあお言葉に甘えて……」と頷いて、カウンター席についた。
ラズが名前を呼ぶのは、家族や従業員といった本当に近しい間柄の者だけだ。リモネちゃんがその範疇に入っているということに驚きつつ、ダインがリモネちゃんに対して何かしら思うところがある様子を見せていたことを思い出す。過去に何かあったのかもしれない。
「なーにが、そんなことないですよ、だい。ナツキの言う通りだ、アンタひどい顔してるよ。ろくに寝てないだろう」
「えー、寝てますよー。そんなひどい顔ですか、あたし?」
「無理して取り繕ってるときの顔だよ。昔からこれっぽっちも変わりゃしない。ほら、飲みな」
「あはー……こりゃどーも。お代は――」
「いらないよ、馬鹿だね」
ラズが客にタダで飲み物を出した。前代未聞の事態だ。
ふとアイシャに目をやると、カチコチに硬直しながら困惑していた。視線が宙を泳ぎ、口をぱくぱくさせている。リモネちゃんは上司みたいなもののようだし、無理もないか。
「それで、誰に用なんだい。大方ナツキかアイシャだろうがね。わざわざダインも他の猿共もいない時間を見計らって来たんだろ、さっさと済ませちまいな」
「やはー……全部お見通しですかー。いやはや、調子狂っちゃいますね。それじゃまず、ナツキさん。質問いいですか」
その一瞬で、リモネちゃんの目に気の渦ができていた。
――《正気》術。まさかそんな、ラズが心配するほど「無理している」状態で……リスクを負うのか。
やめろ、と言いたい。しかし言えない。彼女にとってナツキはただの幼女、魔法や練気術なんて使えないはずなのだから。
「……いいよ、なに?」
「アイシャ=エク=フェリスの首輪を外したのは、あなたですか」
いきなりド直球ストレートが飛んできた。視界の端でアイシャがビクリと震える。
ドールの首輪は《塔》に監視されているのだと、アイシャは言っていた。それを勝手に付け外ししたことで、《塔》に通知が行ったのだろう。それで軍のドール管理課に調査命令が下ったと、そんなところか。
それにしても……少しの間外しただけで、その後逃げ出したわけでもなく、さらにギフティアでもない普通のドールで、通報があったわけでもないのに、それでも《塔》は動くのか。
「……《塔》に通知が行ったんだね」
「ええ。やはりナツキさん、あなたが――」
「ボクは何もしてないよ。アイシャと一緒にお風呂に入ってたら、勝手に外れたんだ」
正直に答えるしかない。リモネちゃんが望んでいるであろう、《塔》に望まれているのであろう答えの、真逆の真実を。
「ぁぐっ、ぅっ……!?」
《正気》術の代償が、リモネちゃんを刺し貫く。気の循環路に規格を満たさない他者の気が流れ込み、幻痛となって神経系を犯しながら突き抜けていく。自律神経がぐちゃぐちゃに掻き乱される。
「リモネちゃんっ! ……ぐぇっ」
胸を抑えて椅子から崩れ落ちてしまった彼女に飛びつき、半ば下敷きになりながら支えた。
たった一回でここまでダメージを負うなど、正常な状態ではない。
自律神経が既にズタボロなのだ。体を支えた手のひらに伝わる高い体温が、彼女が熱を出していることを教えてくれた。
「やっぱり変だよ、なんでボクが答えるとリモネちゃんそんなに苦しそうなの!? 持病の発作なんて嘘でしょ!? もうやめてよ……!」
こうなるまで制止できないのが、もどかしい。目の前の女の子が苦しむことが分かっていて、そうなるように行動してから、さも想定外だったかのように振る舞うなど――最低だ。
頼むから、これ以上はもうやめてくれ。
「……ナツキ、さんは……やっぱり、天使ですねー……」
「何言ってるのさ!?」
このタイミングでそんなことを言われても、罪悪感が増すだけだ。
「何だい、何だってんだい!? 用とやらは後だよ! ナツキ、部屋に運ぶから手伝いな!」
ラズが慌ててリモネちゃんを抱き上げ、指示を出した。
困ります、仕事が、などとリモネちゃんは弱々しく呟いていたが、ラズがそれを聞き入れることはなかった。