新入りとお風呂
「あんたが新入りかい!? よく来たね、ちょうどもう一人くらい雇おうと思ってたところだよ!」
帰宅早々、アイシャを見たラズの第一声である。
「ふぇっ、あの、わたしはラクリマで……」
「見りゃ分かるよ、フェリス種だろう? ウチにぴったりじゃないか」
「え、えっ!?」
「にぁー?」
混乱するアイシャの後ろからにー子が顔を出すと、ラズは目を釣りあげ、
「こら、ニーコ! あんた勝手に抜け出したね!? 罰としてあんただけ一週間おやつ抜きだよ!」
「にっ!? に、にゃーの! ら、らずさんごめしゃい、にーこ、にゃー……にゃむっ」
「……心配かけるんじゃないよ、全く」
それだけは勘弁してくれと懇願するにー子を、優しく抱きしめた。
それを見ているアイシャはまだ目を白黒させたままだ。
「ラズさんだよ、アイシャ。この《子猫の陽だまり亭》のボスで、お客さんもボクらもダインも、絶対逆らえないの」
「ふぇ……」
「このおバカ、もう少しまともに紹介しな」
「あいたっ」
ラズから拳骨が降ってきた。
「嘘は言ってないのに」
「怖がられちまったらどうするんだい。……それでアンタ、名前はなんて言うんだい」
ラズはしゃがみこみ、アイシャと目線を合わせた。話しかけられたアイシャは一瞬ビクリと肩を震わせ、
「あ、アイシャ=エク=フェリス……です。個体IDは」
「IDなんかいらないよ。アイシャだね、アタシはラズ、この店のボスだよ」
「は、はいっ、よろしくお願いしますですっ」
「ふん、ダインから話は聞いたよ。ナツキと契約したってのは本当だね?」
「は……はいです」
「それは、アンタの意思かい?」
「ふぇ……?」
ラズは真剣な目でアイシャを見つめた。
「その場の雰囲気でなんとなくだとか、人間に命令されただとか、そういう理由で契約したんじゃないと、胸を張って言えるかい?」
「え、えっと」
アイシャの首がこちらを向き、
「アンタに聞いてるんだよ、アイシャ=エク=フェリス」
「あうっ」
ラズに両手で頬を挟まれて引き戻された。
しばらくラズに無言で見つめられていたアイシャは、やがて小さく深呼吸をすると、
「……いいえ、です」
そう、堅い表情で答えた。
「あ、アイシャ?」
「オペレーター契約は、前の管理人さんとナツキさんの交わした契約書に書いてあったこと、です。立会人のダインさんが、契約満了を宣言したのです」
……それは確かに、そうだが。
アイシャを見据えるラズの目が厳しくなる。
「……アンタの意思じゃなかったのかい?」
「はいです。……でも、」
ふっと表情を緩め、
「ナツキさんとお友達になったのは、わたしの意思です。わたしはずっと、ナツキさんのドールでいたいと、一緒に戦いたいと思ってるです。わたし……ナツキさんが大好きなのです。それじゃ、ダメなのです?」
「アイシャ……」
そう言い切られてしまうと、なかなか恥ずかしいものがある――と思っていたら、誰かに後ろから頭を撫でられた。……リリムだ。ダインとヘーゼルはギルドに向かってしまったため、(主ににー子の)付き添いとして付いてきていたのである。
「リリムさん?」
「ん……ちょっと、撫でたくなった」
理由になってないとか、コーヒー一杯につき一撫でですとか、いろいろと返す言葉は頭に浮かんではきたが――リリムの声には複雑な感情がぎゅうぎゅうに詰め込まれているのが分かってしまって、そのどれもが声にはならなかった。
「……大丈夫だよ、リリムお姉ちゃん」
撫でるのをやめなくても大丈夫。
心配しなくても、悲観しなくても大丈夫。
絶対に、後悔はしないから。幸せにしてみせるから。
「……なまいきな妹だ」
撫でる手が頭から離れ、代わりに優しく頬をつままれた。
アイシャの返答を真剣に聞いていたラズは、やがてふっと笑みを浮かべると、
「いい顔だし、いい答えだ。気に入ったよ」
そう告げて、アイシャの頭をわしゃわしゃと撫で回した。
「わっ、わわっ……?」
「とりあえずアンタら三人まとめてさっさと風呂にお行き。手術明けだろうがなんだろうが、元気なら夜はちゃんと働いてもらうからね!」
何ですと?
「はわっ、はいですっ」
「えっちょっとラズさん、休みじゃないの!?」
「にぁー、にーこ、ねむい……」
「何だい、新入りが一番いい心構えじゃないのさ!」
そりゃそうだろうよ、と返すこともできず、ナツキとにー子、アイシャは店の奥へと引きずられて行った。
☆ ☆ ☆
《子猫の陽だまり亭》には、風呂がある。
当然ながらスマートバスなどではないし、薪に火をつけてお湯を沸かすタイプのものだが、なんと浴槽があった。元日本人としては嬉しい限りである。
宿の裏手、表の通りからは見えない位置に離れのような小屋があり、そこが風呂場になっていた。宿泊客にも解放していて、使用無料を謳ってはいるものの、薪の用意と火起こしはセルフサービスである。
「ナツキさん、あの、ふろ……って、何なのです?」
もはや手馴れてしまった火の調整をふーふーとやっていると、アイシャがそんなことを聞いてきた。
「体を洗う場所だよ?」
アイシャは服はボロボロであっても、決して不潔ではなかったし、臭くもなかった。さすがにあの劣悪なレンタドール社でも、人に貸し出す以上は清潔さは保っているものなのだと思っていたが、違うのだろうか。
「あ……洗濯機のことなのです……?」
非常に嫌そうに、アイシャがそう呟いた。
「せ、洗濯機?」
「ぐるぐる回る大きな桶みたいな聖片なのです。綺麗にはなるですが……冷たくて、あちこちぶつかって……溺れそうになるので、苦手なのです……」
「……それは確かに洗濯機だけど、あのねアイシャ、生き物は洗濯機では洗っちゃいけないんだよ……」
「ふぇ!?」
……分かってはいたが、常識の乖離が激しい。レンタドール社、本当にどうしようもないな。
「……こんなもんかな。お風呂場にいこう、アイシャ、にー子」
「は、はいです……?」
「にぁーう」
火を止め、脱衣所に入り、ワンピースを脱ごうと手をかけ――そこでようやく、気づいた。
「あ……アイシャ、お風呂はね、服を脱ぐんだけど」
「? はいです、洗濯機もそうなのです」
これまでずっと一緒だったのは幼稚園児みたいなにー子で、特に気にしたことはなかったが――8歳児(推定)って、どうなんだ? 秋葉には確か、それくらいで「もうお兄ちゃんと入るのやめる!」と宣言された記憶がある。
「えっと……こないだ説明した通り、ボクの前世は男なのでして」
「なのですか」
「アイシャさんにおかれましては、その辺どうお考えなのかなと」
「何がなのです?」
きょとんとした顔で、何だか喋り方が変なのです、と突っ込まれた。
……特に気にしない、という解釈でいいのだろうか。だからといって、そもそもドールとして生きてきたからそのあたりの常識が無いはずで、それを無視して判断するのは一紳士として……
「なつきー、はぁくー」
こちらの葛藤などお構い無しに全てを脱ぎ捨てて手を引くにー子。猫みたいな性格のくせして風呂は好きなのが不思議だ。
「アイシャ、女の子はね、男の人にみだりに裸を見せちゃいけないんだよ」
「……? ニーコちゃんはいいのです?」
「にー子はまだ小さいから……」
「ラクリマはみんな小さいのですよ?」
「あー……そもそもそういうのはね、好きな人ができてから――」
幼女の身で幼女に向かって、一体何を講釈しているのだろうか、自分は。
「よくわからないのです……わたし、ナツキさんが大好きなのです。それじゃ、ダメなのです?」
「んぐっ」
さっき聞いた気がする、台詞。シチュエーションと意味合いが全然違うが。
「なーつーきー! はーぁーくー!」
そしてにー子がお怒りだ。
……うん、
「ボクは今幼女なので、問題ないです」
「よかったのです」
別にロリコンではないのだ。何の問題があろうものか。説明責任は果たしたのだから、アイシャが良いと言うなら良いのである。
全ての思考を服と一緒に脱ぎ捨てて風呂場へと入り、
「ナツキさん! お水が温かいのですよ!?」
「すごいのです! 息を止めなくても体が洗えるのです!」
「このあわあわはなんなのです!? ふわふわなのです……」
「なっなななナツキさんっ、髪の毛が光っているのです!」
アイシャの興奮っぷりたるや、タイムスリップした縄文人もかくやという程で、入る前の葛藤などどこかに吹き飛んでしまったのであった。
そんなアイシャを見てにー子は目を丸くしていたが、にー子も初回はこんな感じだった。にー子の場合はどちらかと言えば、驚きのあまり暴れていると言った方が正しかったが。
そして3人でさすがに狭く感じる湯船に浸かり、
「は……はわぁ……なつきしゃん……これ……だめなのですぅ……ぶくぶくぶくぶく」
「沈んでる、沈んでるよ!」
初めて体験する気持ちよさに耐えきれず沈みゆくアイシャを慌てて支えたりしていた。
そして最後には案の定、
「な……なつきしゃ……なんか、あたま、くらくら……ふにゃー……」
「のぼせてる! 出るよ、アイシャ! にー子!」
真っ赤に茹で上がり目を回すアイシャを抱きかかえて、湯船から出ることになったのだった。
さっと着替え、アイシャに最低限タオルを巻き付けて背負う。……軽い体だ。飢餓状態、栄養失調とまでは行かずとも、あばらが浮き出るくらいには痩せた体だった。レンタドール社の管理人にはちゃんと食べさせるようにと誓わせたはずなのだが。
「アイシャー、大丈夫?」
「ふにゃ……なちゅきしゃー……」
「大丈夫そうじゃないね……」
「なつきー、にーこも!」
のぼせるという概念がよく分かっていないにー子におんぶをせがまれ、それをあしらいつつ一歩を踏み出し、
――ガシャン、
何かが足元に落ちる音がした。
「にぁっ」
「あれ、何だろ? ごめん、にー子」
耳を倒したにー子に謝りつつしゃがんでそれを拾い上げ、一体何を落としたのかと確認――
――半分に割れた、トーラス状の金属塊。
「……え」
見たことが、ある。
ついさっきまで、視界には入っていた。
首周りを洗うのに邪魔そうだな、と思っていた。
「いや、そんなわけ――」
自分の背中で目を回すアイシャの首に手を伸ばし――何に遮られることもなく、汗ばんだ肌に指先が触れた。
アイシャを縛る首輪が、割れ落ちていた。