ネコミミ幼女と人攫い Ⅱ
「こんの、大人しく、しろ!」
「やめろッ!!」
駆けつけたナツキが叫ぶのと、ダルマのような大男が少女の首筋を叩こうとするのは、ほぼ同時だった。
探していた黄緑色の髪の猫耳少女は、大男の肩に担がれていた。
「……あァ? 誰だ?」
大男はきょろきょろと辺りを見回し、すぐにナツキに気づいた。途端、目を丸くしてナツキをジロジロ観察し始める。
「うぉ……おいおい、マジかよ。こりゃすげえな」
にわかに色めき立つ大男。まさかそっちの趣味かと、貞操の危機という言葉が頭によぎるも、どうやら違う。大男は、純粋に品定めをするような目でナツキを観察していた。
「その子を放せよ、クソ野郎」
そう告げると、大男はぎょっと目を見開き、すぐニヤリと笑った。
「……あァ、いいぜ」
「は?」
まさか大男が従うとは思ってもいなかったナツキは、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。何かの罠かと訝しむが、
「ほらよ、『コロニー』に帰んな」
言葉通り地面に下ろされた猫耳少女は、涙目で一目散にナツキの後ろに隠れにきた。
「なう、なーぁ、なぁぅー!」
「お、おい、危ねーからどっか行ってろって」
「に、にぅー……」
ナツキの体に後ろから抱きついたまま、離れようとしない。相当怖かったのか、体が震えているのが分かった。
大男はこちらを見たまま動かない。睨みつけてやると、愉快そうに笑った。
「ガハハ、何でェ、随分懐かれてんじゃねェか。てこた、そいつじゃなくておめぇが『コロニーマザー』なのか?」
「……コロニー、マザー」
天使様謹製の異世界語翻訳システムは、ニュアンスや認識が共有できていない言葉については上手く働かないことがある。固有名詞でない限りはなるべく近い言葉にはしてくれるのだが、靄がかかったような状態で伝わるのだ。
「あァ、分かんねェか。そりゃそうか。喋れたって『ラクリマ』だもんな」
大男はポリポリと頬を掻く。
「おめぇら『ラクリマ』がうじゃうじゃいる場所、この辺にあんだろ? 俺ら『シーカー』の間じゃコロニーって呼ばれてんだよ。コロニーがあるなら必ず、それを作った上物の『ラクリマ』がいる。それが『コロニーマザー』……って『ラクリマ』に言っても分かんねェのか。あァ、調子狂っちまうな、こりゃ」
ラクリマ。知らない言葉だが、どうやら猫耳幼女たちのことらしい。ナツキはその同族だと思われているようだ。
大男は自分をシーカーだと言った。seekerだろうか。捜す者。何を? 見つけてどうする?
決まっている。大男はナツキの後ろで震えている幼女、彼の言葉を借りるなら『コロニーマザー』を抱えて連れ去ろうとしていた。しかしナツキが現れるや否や、「上物」らしいそれを惜しげも無く解放し――今はナツキに、隙のない視線を向け続けている。
今、大男のターゲットは、完全にナツキに移っている。恐らくは……売れそうな商品として。
「ラクリマ……俺の仲間なのか? こいつの他にもいるのか? ……お前は、こいつを攫ってどうするつもりだったんだ? ……まさか、食うのか?」
大男の目的が不明瞭なまま、あの部屋へ連れていくわけにはいかない。ナツキはシラを切りつつ、探りを入れてみる。
……冷や汗がすごい。緊張のせいだろうか。大男に悟られないよう平静を保つ。
「ガハハ、食わねェよ! で、その言い方じゃやっぱそっちがマザーか。じゃあおめぇは何だ? 『調整』もなしに喋れるラクリマなんざ聞いたことねェぞ。『《塔》』の連中、大嘘こきやがって……おまけに『忌印』まで見えねェときた。体ん中にあんのか、そういう『ギフト』の『ギフティア』なのか――何にせよ――」
大男がブツブツと、ナツキに向けてなのか独り言なのかよく分からない調子で、喋り始める。出てくる大量の固有名詞らしき、ものの意味は全く、分から、ないが、
視界が、ぼやける。何だ? 妙な冷や汗といい、何かがおかしい……
「……よく分かんねーけど。俺はさっきここで……起きたんだ、何も……知ら……」
「ん? どうした……おい?」
体が、熱い。力が入らな、い。
大男が、手を……伸ばして、くる。
何か、攻撃を仕掛け、られ……たの……反げ、きを……
――ドサッ、
衝撃。鈍い、痛み。
「にっ……なう、なーっ!」
視界が、霞、む。
ああ、倒れ……たの、か。
「おいおい、大丈夫かよ……っておめぇ、この傷は!」
「にぅー、にぅーっ」
何か、言って、いる。
だめだ、意識が――途切れ――
☆ ☆ ☆
一瞬のような、数時間のような、暗闇の奥から――覚醒に向かう、感覚。
ああ、なんだ、夢か。
ずいぶん長い、リアルな悪夢だった。
今日の昼休みは、夢の話でもしよう。こんな強烈な夢だ、きっと覚えていられるだろう。
そういえばAIのペフィロは、夢を見るのだろうか。……そんなタイトルの小説が、地球にあった気がする。何だっけ。
ペフィロと言えば、悪夢の中にやたら素っ裸の幼女が出てきたのは、というか自分すらそうだったのは、概ね昨日の野外露出事件のせいだろう。文句を言ってやろうか――いや、トスカナに理不尽に正座させられそうな気がする。やめておこう。
今日も楽しい一日になりそうだ。
実験をしよう。昨日の師匠の大発見の検証だ。
エクセルの電球作りも手伝いにいかないと。
さあ、起きよう。新しい一日を始めよう――
――瞼が、重い。
起きたくない。
起きたら――気づいてしまう。
指先に伝わる、冷たいコンクリートの感触に。
パチパチと弾ける、焚き火の音に。
洞窟の中のような、湿った匂いに。
…………。
にぅー、にぅーと、心配そうな声色の鳴き声が……泣き声が、聞こえてくる。
ああ、
子供を泣かせるなんて、勇者失格だ。
受け入れるしかないのだろう。
「……なあ、ここはどこだ?」
「にっ……! にうっ、なー、なう!」
「うおっ、何だ何だ、起きたのか? って……おめぇ」
瞼を開く。
悪夢で出会った二人の顔が、ぼやけて見えた。
もうかつての日常には戻れないのだと、理解してしまった。
「なあ、教えてくれよ。ここはどこだ? なんて星のなんて国だ? 俺は何でこんなとこにいるんだよ。何で幼女なんだよ……なあ……」
止めようと思っても、止まらなかった。涙も、言葉も。
突然放り込まれた異世界で、二年もかけて築き上げた仲間との絆。ようやく手に入った、これからも続いていくはずだった平穏な日々。その全てが、ガラガラと音を立てて崩れ去っていくような気がした。
目を覚ますや否や、はらはらと涙を流し始めたナツキに、二人は狼狽しているようだった。
に、にう? うなー? と、慌てたように小さな手がナツキの頭をてしてしと叩いた。慰めてくれているのだろうか。……壊れてしまったと思われただけかもしれない。
「…………『ここはどこ』、か」
ナツキを見下ろしながらしばらく黙っていた大男は、やがて口を開いた。
「教えてやるよ。ここはパカリス砂漠の西の涙の遺跡、第27層だ。星の名前はノア。『くに』ってのは、知らねェ。おめぇがここにいんのはここの遺跡の『煌水晶』から発生したラクリマだからで、ちっこくてメスなのはラクリマの特徴だ」
律儀に、ナツキの吐き出した呻きのような質問に答えてくれた。
ノア。聞いた事のない星の名前だ。地球でもラグナでも、トスカナの母星シルヴァールでも、ペフィロの母星ラティノーでもない。エクセルの母星の名は知らないが、「今頃はもう粉々になっているだろうね」という彼の言葉を信じるなら、ここはナツキとは全く縁のない星だということになる。
「知らねーよ、そんな星も……砂漠も……国がないって何だよ……俺は男で20歳で人間なんだよ……そうは見えないんだろうけどさ……」
大男は何も悪くない。そんなことを言われてもどうしようもないだろう。
自分でも分かってはいるのだ。これは二度目の転生であり、二年前に全く縁のないラグナに飛ばされたのと同じ状況なのだと。
しかし今回はあまりにも唐突で、天使に出会うこともなく、なんの説明も無かった。突如納得の行かぬまま人生をリセットされたことによる憤りと悲しみが、感情の濁流となって溢れていく。
「ならおめぇは、どっから来たってんだ?」
しかし大男は理不尽なナツキの言葉に憤慨するでもなく、静かにそう聞いた。
「……惑星ラグナ、ヴィスタリア帝国。その前は、地球って星の日本って国だよ……」
「ふん、どれもこれも見事に聞いたことねェよ」
「だろうな……ははっ、笑えてくる」
「泣いてんじゃねェか」
「うるせえ」
それからしばらく、ナツキも大男も一言も喋らなかった。
静かに爆ぜる薪の音を聞いているうち、いつの間にかまた眠りに落ちていた。