闇医者リリム
「えぇ、何で分かっちゃうかなぁ……」
そんな呟きと共に外されたガスマスクの下から出てきたのは、やはり、見慣れたピンクがかった金色のふわふわポニーテール――常連客で町医者のリリムだった。
「のんびりした雰囲気がリリムさんだったよ」
「あー……チェーンソー振り回しながら入ってきた方がよかったかー」
「何も良くないけど!?」
リリムはこちらを無視していそいそと防護服を脱ぎ出した。中から出てきたのは、心なしかしわくちゃになってしまったいつもの白衣。そしてその胸ポケットから扁平な石のようなものを取り出し、
「もしもしー、こちらエンゼル01。速攻バレた。どうぞー」
そう石に話しかけた。……通信機のようだ。
『こちら02。いやそんなことある? どうぞ』
通信機から帰ってきたのは、聞き覚えのある声。ヘーゼルだ。
「やーナツキちゃん鋭すぎるよ。で、このままやっちゃうけどいいよね? どうぞー」
『……いいんじゃない? 割と一刻を争うんでしょ? こっちのお姫様はまだご立腹だけど……あっちょっ、こら! ――ザザッ―――― にぁー! にゃつきのばかー……プツッ』
最後に聞こえたのはもっと聞き慣れた声。にー子だ。……怒ってるなあ。触手に捕まった時点で迷わず奥の手を使うべきだったか。いやでも、そんなことしたら不合格だったかもしれないし……
……。
割と一刻を争う?
「あー、切れちゃった。まいっか。じゃ、始めるよ。覚悟はいい、ナツキちゃん?」
「へ?」
「いいよねぇ。だって針千本飲む覚悟でニーコちゃんと約束したんだもんね?」
リリムはこちらの顔を覗き込み、流れるようにどこかからメスを取って見せた。
キラリ。メスが光る。
にっこり。リリムがいい笑顔を浮かべる。
「待って! よく分からないけどやだ! っていうかボク何で拘束されてるの!?」
「え、暴れられると手元が狂うからだけど……」
「そのメスをボクに入れる気なんだね!?」
「それがオペってやつだよ、ナツキちゃん。ほらあたし、元はオペレーターだったって言ったでしょ? だいじょぶだいじょぶ」
「それ別のオペだよ!」
「いいツッコミだけど、ごめんね、時間がないんだ。はいサクッと」
「いっ――!?」
リリムがメスをナツキの体に突き立てた――ような、気がした。
「……? 痛く、ない」
一瞬、外したのかと思った。しかしどうやら違う。リリムの腕は何かを切るように動いている。
「ここまで侵食されてたらねぇ。痛みもないよね。痛みどころか感覚すらないでしょ、これ。麻酔も消毒も要らなくて助かるけど、正直キモいよねぇ」
首が固定されているせいで、リリムの手の先は見えない。ただ自分の体の上で何かをしているのは分かる。「正直キモい」何かに、何かを、している。そして言われてみれば確かに、胴体は痺れたように感覚がない。
「侵、食?」
「そ。《迅雷水母》の極液はね、卵でもあるんだ」
極液。飲まされた液体のことか。卵? 卵って……つまり……
「ボク今苗床ってこと!?」
「お、難しい言葉知ってるねぇ。そうそう。ナツキちゃんは今、おなかの中で《迅雷水母》を育ててるんだよー」
「や、やめて! 聞きたくない!」
最悪だ。ダインの奴、やけに切羽詰まった感じで急かすと思ったらそういう事か。というかそれを早く言え!
「ダインさんから連絡があってさ、いやーたまげた。最前線と同じ解呪をこんな町外れのちっちゃな診療所でやれって、無理があるよねぇ……」
や、むしろ設備が整ってるだけマシかな――なんて言いながら、リリムはスイスイと迷いなく腕を動かしている。ここはリリムの診療所の一室のようだ。
「でもよかった、まだステージ2だ。間に合うよ、ナツキちゃん」
「治せるの……?」
「ん。お姉ちゃんに任せておきたまえ」
これほど、リリムが頼もしく見えた日があっただろうか。
ああ、今なら呼べる。呼べるぞ。
「リリムお姉ちゃん……」
「っ……ま、待って。破壊力が……手元が狂うから後で、後で、ね?」
ずっと冷静マイペースだったリリムが取り乱した。これは面白い。面白いがやめておこう。冗談ではなく物理的に命にかかわる。
「……はい、開いた」
リリムがそう呟いた途端、部屋が明るくなった。
「へ……?」
「うわ、重っ」
リリムが抱えている、大玉スイカくらいある巨大な宝石のようなものが、その内部からドクンドクンと脈打つ青白い光を発していた。
……どうやら、これまで部屋を薄ぼんやりと照らしていたのは、自分の腹だったらしい。というかそれが入ってたのか。よく破裂しなかったな。
「摘出完了、と。うへぇ、すっごい純度」
「だ、大丈夫なの? それ、孵化したり……」
「しないしない。宿主がいなきゃ生まれないから。……さて、じゃーおなか元に戻そっか。まずはズタボロの胃袋を縫い合わせて……」
「やめて! 実況しないで!」
自分の腹が捌かれている事実から目を逸らし続けていたのに、あんまりだ。
「……メンタル強いね、ナツキちゃん」
「へ!? ぎゃ、逆じゃない!?」
いや、これでメンタル弱いとか言われてもそれはそれで理不尽だが。
「いやー、この治療受ける患者さん、何も言わなくても普通勝手にいろいろ想像して失神するんだけど……」
「頑張って想像しないようにしてたよ!」
「あ、そうだ。後半は失神してること前提のオペだから、このまま起きてると最後の方痛いよー」
「嘘でしょ!? 麻酔は?」
「最前線だと基本的に気絶してる間にやっちゃうからねぇ」
適当すぎる! 横着せずに麻酔を使え!
仕方がない、痛覚遮断して適当に痛がってるフリでもしておくか……と思ったら、リリムが何やらいい笑顔を浮かべて、
「でね、《迅雷水母》の自己回復能力の残滓に頼って接合してるんだけどね、こう、青くなったお肉がじゅくじゅくって感じで戻っていってて……」
「実況やめてってば!」
前言撤回、こんなお姉ちゃん嫌だ。
「いいよ、失神させたいなら勝手に寝るから! おやすみ!」
痛覚を遮断し、自分に《眠気》術。すぐさまストンと眠りに落ちた。
☆ ☆ ☆
次に目を覚ますと、そこは普通の病室だった。
「…………」
真っ白な壁。窓からは外の明るい光が差し込み、カーテンが風に揺れている。自分はふかふかのベッドの上、温かい毛布を被せられている。首も腕も足も、どこも拘束されてなんかいない。
「……何だ、夢か」
そう思いたかった。あんな鬼みたいなリリム、夢であって欲しかった。
しかし、視界には既に「それ」が入ってしまっていた。
青白く脈打つ光を放つ、大玉スイカサイズの宝玉――神獣の卵(本物)が、まるで見舞いのフルーツかのような顔で、ベッドの脇の机に鎮座していた。
「ナツキさん、起きたです?」
名前を呼ばれ、これ幸いと半ば逃げるように卵から視線を逸らす。
呼び声の主は、隣にもう一つあったベッドの中にいて――猫耳の黒髪少女が、こちらを安心したような表情で見つめていた。
「アイシャ!」
「あっ、しーっ、です。ナツキさん、静かにしないと……」
「へ?」
口元に指を当てるジェスチャー。この世界にもあるんだな、などと場違いなことを考えていると、
――もぞっ。
布団の中、自分の腹の上で何かが蠢いた。
「まさかまだ残って――!?」
《迅雷水母》の卵、全て摘出したわけじゃなかったのか。ならもう痛覚遮断してこの手で引きずり出してやる――と布団を勢いよく捲って、
「ん……にぁー……?」
「へっ……?」
腹の上、覆い被さるようにナツキの体に抱きついて寝ていた明るい緑色の髪の猫耳幼女が、寝ぼけ眼で頭を起こした。
「にー子……!?」
「にぅ……なぅきー……?」
何故にー子がここに。《子猫の陽だまり亭》から抜け出してきたのか!?
「なつき……ばかー……」
また前回みたくすごい剣幕で怒られるかと思いきや、にー子は再びナツキの体にしがみつき、すやすやと寝息を立て始めた。
……心なしか、ぐったりしているような。
「なー……ふあふあしゃ……なつきー……」
「あっ、だめなのです、ニーコちゃん!」
にー子の寝言のような呟きに大きく反応したのはアイシャだった。ベッドから飛び出し、カーテンをさっと閉め、慌てたようにきょろきょろ周囲を確認している。
「どうしたのアイシャ……って、うわっ!?」
アイシャに聞くまでもなかった。気がつけば、にー子が緑色に光り輝いていた。否、そうではない――にー子から、大量の活性化された風のマナが放出されていた。
それが全て、ナツキへと降り注ぐ。《同盟》から帰ってきてにー子に全身舐められた時とは比べ物にならない程の規模の回復魔法だ。中級回復薬のレベルに至っているかもしれない。
なのに、それなのに、全く癒されている気がしない。まるでもう癒すものなど無いかのように、ナツキに取り込まれたマナは、そのまま虚しく散っていく。
もう回復されきっているのに回復魔法をかけられているときの感覚だ。……手術で腹を開かれたばかりだというのに?
「ナツキさんっ、ニーコちゃん、ずっとその『ふわふわさん』を出し続けてっ、ナツキさんが起きるまでずっとやるんだって、それで……!」
「は!? それは……にー子、おいにー子、ダメだ、マナ中毒になるぞ! 俺はもう元気だから!」
マナ中毒。マナの使いすぎで体内の魔力回路が決壊し、溢れたマナが物理的な神経系を侵食している状態のことだ。
……ぐったりしているのはそのせいか!?
「《調律》開始!」
にー子の額に指を置き、自分の体内の気の循環路ににー子の魔力回路を接続する。にー子の魔力回路や神経系を流れる過剰なマナを、本来マナを通すための回路ではない気の循環路に通すことで減衰させ、元に戻す作業だ。当然、不適合回路にマナを流されるこちらは相当な苦痛を伴うが――
「……何も起きない、な?」
にー子の魔力回路には、マナなど流れていなかった。指先から伝わってくるのは痛みではなく、むしろ何か懐かしいような、温かいような、不思議に穏やかで優しい感覚。正常な状態の魔力回路に接続したことはないが、異常があるようには思えなかった。
そういえば、にー子が最初に回復魔法を使った時も、今も、発動前に必ずあるはずの魔力反応がなかった。星のマナを汲み出す際に生じる魔力場が観測できなかった。まるで、オペレーター認定試験会場で見た、あの女騎士の加速魔法のように。
にー子は、魔法を使っていない? ……そんなはずは無い。現に今、大量の風のマナがにー子から湧き出し続けている。そもそもマナ中毒でないなら、何故にー子はぐったりして……
「なつ、きー……けほっ、けほっ」
にー子が咳き込んだ。……マナ中毒の症状ではない。軽度なものなら手足が痺れ、重くなるにつれ徐々に全身の筋肉が弛緩し、やがて心臓と肺が停止するのがマナ中毒だ。
「にー子?」
もしやと、少し顔が赤い気がするにー子の額に手を当てる。……熱い。
「……《気流》」
濃淡をつけて自分の気を周囲に満たし、放出されたマナの流れを操作する。《気流》術――マナ、気、死霊といった実体のない超自然存在を包括的に対象とするベクトル変換術だが、攻撃魔法など指向性の高いものにはあまり効果がない。主に敵陣営の広域支援魔法を妨害する際に使うものだ。
それを使って、自分に向けられた回復魔法を、逆ににー子へと流し込む。
「わぁ……」
マナが全てにー子へと戻っていくのを見て、アイシャが感嘆の溜息を漏らした。
以前、自分の大怪我を無視してナツキを回復しようとしたトスカナに同じようにマナを差し戻したら、随分混乱されたものだ。マナがわたしの言うことを聞かなくなりましたー、なんて言ってたっけ。
そんなことを思い出しているうちに、ぐったりして辛そうだったにー子は穏やかな寝顔に戻っていった。つまり……
「ただの風邪……か」
きっと慣れない状況で体調を崩してしまったのだろう。
ついでにマナの放出も止まったようだ。魔力回路を通さずに、一体どうやってこれだけの星のマナを汲み出したのか、その謎は残るが――
「あ、ナツキちゃん起きた? パパとおばさん来てるよー」
「誰がパパだ」
「リリム? おばさんはひどくない?」
突然入ってきた大人達に、思考は霧散させられてしまった。