Noah/α - 魔法の呪文
試験会場の観客席から下を見下ろしたら、ナツキさんはすぐ見つけられたです。だって、たくさんいる大人の人間さん達の中に、一人だけとびきり小さな女の子がいたですから。
ナツキさんもわたしに気づいて、頭の中に声を送ってくれたです。これは「ねんわじゅつ」というナツキさんの特技で、声に出さずにお話ができて便利なのですが、わたしは使えないので言葉を伝えることはできませんです。それが今一番必要な力なのに……神様は残酷なのです。
試験はどんどん進んでいったです。神獣の卵から出てくるのはどれも見たことのある神獣を小さくしたような形で、力も弱そうだったです。これならわたしでもアイオーンがあれば倒せるかな、というくらいで。
でも、ナツキさんが割った卵から出てきたそいつは、全然違ったです。雰囲気だけで、格が違うことが分かったです。
「……何ですかね、あれ?」
「子供用の神獣レプリカなのでは?」
「いやしかし、むしろ他より強そうな……」
周りのドールプロバイダーの皆さんが、ざわついていたです。うちの管理人さんも、「見たことがありませんねぇ」なんて言いながら話に混ざって行ったのです。……白々しいのです。
反対側の客席を見ると、ハンターやオペレーターの皆さんも、顔を見合わせて何やら話していたです。
(誰か、気づいてください……ナツキさんを助けてくださいです……)
仕込みのことをバラしてはならないと首輪を通じて命令されてしまっているので、声に出すことはできないのです。お願い、どうか、気づいて……!
――バチィン!
すごい音がして、ハッと舞台に目を向けたです。《迅雷水母》が、丸い体から生えた長い紐みたいな手をすごい勢いで地面に突き刺したところだったのです。でもナツキさんは軽くそれを躱して、次の攻撃も、その次の攻撃も、ひょいひょいと躱していったです。
「ナツキさん、やっぱりつよいです……!」
ナツキさんなら、勝ってしまうかもしれないのです。きっと助けなんて必要ないのです。
そう思ったとき、客席の後ろのドアが勢いよく開いて、誰かが飛び込んできたです。
「おい誰か、あの神獣について知っている者はいるか! アレは軍のものではない、遠隔停止できない! このままではあの少女は……!」
それは、さっき試験を受ける人達にお話をしていた、試験監督さんだったです。
「軍の把握していない神獣!?」
「そんなん俺ら民間オペレーターが知ってる訳ねぇだろが!」
「知らないし……ってか、あの子強くない? 全部よけてるけど……」
客席にいるオペレーターさんたちは口々に知らないと答えたのです。当然です、アヴローラに入ったことのある人なんて、世界でも数えられるほどしかいないはずなのです。
「……これは非常事態である! 諸君らにも助力を願いたい!」
「え、助けに入れってこと? いやいや、アイオーン持たせてないって。戦いに来たんじゃないんだから……」
「そもそもあんなエグいの、ウチの安物ドールでまともに戦えるとは……」
「ってかあの子めちゃくちゃ強いじゃん。体に聖石兵装埋め込んでる感じ? いやほんと、俺らのドールより強いんじゃないの。大丈夫でしょ……」
そんな勝手なことを呑気に言うオペレーターさんたちの後ろから、誰かが走ってきたのです。……ダインさんなのです!
「おい、ありゃ何だ! いつから試験にマジモンの神獣を使うようになった!? 早く止めろ、素手で《迅雷水母》に勝てるわけねェだろが! 奴は回避パターンを覚えちまう、避けてるだけじゃあと3分もすりゃ――」
「っ、貴殿はあの神獣を知っているのか!?」
「……何だと? ってこたぁ……」
ダインさんがこちらを怖い顔で見たです。わたしではなく、管理人さんを見て――
「テメェかこのクズ野郎!」
「おや、何ですか? ワタシが何をしたと……」
「チッ、白々しい……クソ、時間がねェ……おい試験監督、軍の権限で2番の整備所から遠隔攻撃系のアイオーンとドールを3組、今すぐかっぱらって来い! 近接はカウンターショックで死ぬからダメだ、リミット3分、急げ!」
「あ、ああ!」
ダインさんに指示されて、試験監督さんはすぐに駆け出していったです。でもそれと同時に、客席から悲鳴とざわめきが聞こえてきて、
「……ナツキさんっ!?」
見れば、ナツキさんが《迅雷水母》の腕に足を取られて転んでしまっていたのです。
ナツキさんはそのまま足を掴んで持ち上げられてしまったですが、それを見たフィールドにいた他の受験者さんたちが皆、ナツキさんを助けようと中央に踏み出して、客席にいたハンターさんたちも飛び降りて――
「――馬鹿野郎共! 遠距離職以外は逃げろォッ!」
ダインさんの叫びは届かず、みんな次々と《迅雷水母》の鋭い腕に体を貫かれていったです。赤い血飛沫があちらこちらで舞い散って……一体ナツキさんがあれをどうやってかわしていたのか不思議になるくらいあっさりと、みんな倒れてしまったです。
「ウォォアアッ! 人間をッ、舐めるな、神獣ッ!」
一人だけ、まだ倒れていない人がいたです。ナツキさんの一つ前に試験を受けて、合格だと言われていた女の人なのです。
「その子を放せぇ!」
「待て馬鹿、進むな!! 捕食中のそこはキルゾーン――」
バチン、と大きな音と光がして、思わず耳と目を塞いだのです。
目を開けたら……あのとっても強かった女の人が、煙を上げてうつぶせに倒れていたのです。それを見て、まだ倒れていなかった人たちはナツキさんを置いて闘技場の外に逃げ出し始めて……どうしてなのです!? お願い、行かないでくださいです……! ナツキさんが、ナツキさんが……!
「兄貴!」
「ヘーゼル!? おめェ、逃げろって――」
「遠距離のアイオーンがあればいいの!?」
女の人が、客席の上を走ってきたです。ヘーゼルさん……ダインさんの妹さん、なのです?
「あるよ! すぐそこの整備所に、一昨日修理に出したやつ!」
「――でかした、すぐ持ってこい! ドール認証はこいつだ! 急げ!」
そう言って、ダインさんはわたしの肩をぐいっと引っ張ったです。
……え? ドール認証って……
「わ、わたしが戦うのです!?」
「つべこべ言うな! 奴のセオリーがインストールされてねェ一般ドールにゃ一人じゃ無理なんだよ! おめぇにしかできねェことだ!」
「ふぇっ……!?」
わたしじゃないと、ナツキさんを助けられない……?
な、なら……!
「ちょっとちょっと、待ってくださいよ、えぇ」
管理人さんが……割り込んできたです。
「あァ!?」
「そのドールの管理権はワタシにあります。アナタも知っての通り、大事なドールなのですよ、えぇ。それを勝算も分からないような化け物と戦わせるなど……いやはや、正気の沙汰とは思えないですねぇ」
「なっ、テメェ!」
「こちらも商売ですからねぇ。どこのポポムーの骨とも知れない子供一人のために大金を失うわけにはいきません。……ああ、そうそう、49番――アイシャ=エク=フェリス。管理者権限をもって命じます。『アナタはあの神獣レプリカと戦ってはいけません。』重ねて命じます。『あの少女を助けようと考えてはなりません』」
管理者さんが、わたしの首輪に触れて、そう……命令した、です。
「そん、な……」
「――このクソ野郎がッ!」
「おや、ワタシは自分の財産を守る選択をしたまでですが――」
……ああ、だめです。もう、わたしにはなにもできないのです。戦おうとすれば、首輪のバチバチに眠らされてしまうのです。
舞台を見れば、ナツキさんはたくさんの腕にぐるぐる巻きに締めあげられて、その内の一本を口に入れられていたです。その一本がゴポゴポと波打っていて、あれはきっと、毒……っ!
「ひっ、ナツキさん……っ、いや……いやです! わたし、助けに……」
キュイイィィィ、と首輪が嫌な音を出し始めて、パチパチと、火花が散る音が……
「……っ、ぅ、うぅぅううぅっっ……」
だめ、なのです。
あのバチバチに、わたしは耐えられない……そう、知っているのです。
どうして、わたしはこんなに……弱くて……なにも、できないのですか。
こんなに、こんなにっ、助けたいと思っているのに……!
あぁ、だめです、助けたくないなんて、思えないのです……
嫌な音が、止まらない……
「ナツキさんっ……」
ぎゅっと、目を閉じて、その瞬間を――
――あきらめちゃ、だめ!
「え……」
……幼い女の子の声が、聞こえた気がしたのです。
――となえて、あいしゃ。『回路展開』
知らない、声。頭の中に、響く声。
はっきりとしたイメージで流れ込んでくる、魔法の呪文。
ナツキさんがアイオーンや首輪に触れて唱えていた、不思議な呪文。
「……回路展開」
言葉じゃない、イメージがそのまま、口から出てきたです。
そしたら、ぶわっ、と頭の中にごちゃごちゃした光の迷路が出てきて――
「49番? アナタ、何を――」
「え、この子の首輪、なんか光ってない!?」
――つづけて、あいしゃ。『接続解除』
次の呪文は、とってもとっても複雑なイメージで、曲がりくねって遠回りして、何かをぐるぐる避けながら進むような、細かい呪文。
でも、大丈夫なのです。もらったイメージをそのまま、口から出せばいいだけ。
「接続解除」
何か、大きなものがわたしから切り離されるような、そんな感じがして――
……カチャッ。
小さな音がして、首輪は嫌な音を出すのをやめたのです。
――ん。もう、だいじょうぶだよ。
謎の声に言われなくても、分かっていたです。
「……わたしは、ナツキさんを助けるです。アイオーン、貸してくださいです」
顔を上げて、ヘーゼルさんにそう言っても、バチバチは来なかったのです。
「へっ!? あ、うん! ついて来て!」
「ま、待ちなさい! 何故です!? 管理者権限をもって重ねて命じ――」
「うるせェ黙れ!」
ダインさんが、管理人さんの首筋を叩いて気絶させたのです。……傷害罪なのです。けど……わたしは何も見てませんです!
「よく分からんが急げ! 時間がねェ、もう極液を飲まされちまってる!」
ダインさんに急かされ、わたしとヘーゼルさんは走ったです。闘技場から飛び出して、すぐ近くのアイオーン整備場まで全速力で。
「ごめん、緊急事態なの! お代は後で払うから、返してもらうね!」
「はっ!? ヘーゼルそりゃねぇよ、何だよ緊急事態って――」
「うるさい黙れ!」
ゴン、と拳が落ちて、整備所のお兄さんが気を失ったのです。しょうが……何も見てませんです!
「使用者登録、アイシャ=エク=フェリス!」
ヘーゼルさんがわたしの首輪にアイオーンを触れさせてそう唱えたですが、いつもみたいな光る板は現れなかったです。……さっきので、首輪が壊れてしまったのです?
「……あ、あれ!? 何で!? 使用者とうろ――」
「何でもいいのです!」
「あっ!? ちょ、ちょっと――あーもう! 何が何だか……」
わたしはヘーゼルさんからアイオーンを奪い取って、全速力で闘技場まで走ったです。走りながら、新しいアイオーンの使い方を考えて――
――ぼうがん、だよ。てきにむけて、そのひきがねをひくの。
また女の子の声がして、すっ、とこのアイオーンの使い方が頭に入ってきたのです。起動しながら闘技場に飛び込んで、
「あぁあああはははははぁぁっ――!?」
雷の渦の中で、笑い声とも叫び声とも分からないような声を上げるナツキさんを目にして、
「だめ、だめですーっっ!!」
ありったけの魂を注ぎ込んだ、最大出力の一撃を、撃ち出したのです。