二次試験 Ⅱ
闘技場のフィールドの中央に立ち、卵を割ろうと手を持ち上げかけたところで、「待て」と試験監督からストップがかかった。
「なに?」
「あー、その、何だ……君、本当に試験を受けるのか?」
何を言ってるんだこいつは。また一本背負いされたいのか?
「どんな敵と戦うのか、分かっただろう? そもそも君はまだ小さいし……」
「あのねえ! ボクそういうの差別だと思う!」
「そういうわけでは……ハァ、まあいい。だが、その聖片は子供が戦うことを想定して設計されていない。危険だと判断した段階でこちらから止めさせてもらう」
「えぇ? んー、まあ、いいけど……」
つまり、傍目から見て死にそうな状態になったらアウト、か。なかなか面倒なハンデだ。
「それから君、戦える装備で来るようにと言ったはずだが?」
「ボクはいつもこれだよ」
もっとも、我ながら戦闘用装備には見えないし、実際ただのヒラヒラワンピースである。ダインによれば拳闘士もいるらしいので、武器は身体強化と己の拳で構わないだろう。倒す必要もないのだから、打撃の通らない相手ならひたすら避け続ければいいし、何なら奥の手はいろいろとあるのだ。
「えーと、もう一回一本背負いする? それともまずおじさんと戦う?」
「……いや、結構。始めなさい」
「はーい」
面倒くさくなって脅してみたところ、あっさり許しが出た。うん、力こそパワー。
身体強化、《気配》術を展開し、卵を地面に叩きつける。コォン、と澄んだ音がして、桃色の召喚陣が展開され――
「……ん?」
他の受験生の魔法陣と、微妙に違うような気がした。
魔法陣はすぐに消えてしまったし、召喚されたのは他と同じようなサイズの神獣レプリカだ。見間違いだろう。
相手となる神獣レプリカは、水色半透明の空飛ぶ巨大クラゲだった。上部の丸い傘の中でバチバチと稲妻が走っており、そこから垂れる触手からも時々放電の火花が散る。脳内命名、電気クラゲ。
感電耐性を練気術でつけるのは少し難しい。いくら身体強化したところで絶縁体になることはできないため、電気は通ってしまうのだ。代わりに痛覚遮断と心筋の強制操作で、「ダメージは受けているが戦える」状態を作ることになる。当然体にはよくないので、出来ればあの触手には捕まりたくないところだ。
もっとも、死なないように調整されているのだから、大した電流ではないのだろうが……攻撃を受けないに越したことはない。クラゲだし、毒もあるかもしれない。死なないからと強力な睡眠毒でも塗られていたらまずい。
順当なところだと、弱点は触手の付け根だろうか。傘の部分は打撃耐性がありそうだ。斬撃は通りそうだが、攻撃する度に剣を通じて感電しそうだ。今は剣を持っていないので関係ないが。
敵の姿からそこまでを一瞬で読み取り、戦闘態勢に入る。
模造意識があるタイプの魔法生物ではないようで、《気配》術にかかることなく電気クラゲの触手が動き始めた。術を解除しつつ咄嗟に横に飛ぶと、バチィン、という音と共に、今までいた地面に鋭く触手が突き刺された。
「あー、刺してくる感じね」
かなり速度がありそうだ。身体強化を少し強める。
触手が地面から抜かれ、水色の液体を散らしながら本体へと戻っていく。毒液だろうか――と、第二撃の予備動作を見てさらに横へ飛ぶ。地面が抉れ、抜きながらさらにもう一撃飛んでくる。逆側に切り返して躱すと、今度は二本同時に左右から。前に転がって電気クラゲの後ろ側に回ろうとしたら、待ち構えていたように大量の触手が降ってきた。足を強化、慣性を無視して斜め横に回避。ズドドドドドド、と工事現場のような音を立てて地面にミシン目のごとく1列の穴が穿たれていった。
「こっちの動きを先読みして攻撃してくる、と……厄介だなぁ」
それからも似たような攻防が続く。素直にかわし続けていると、たまに先読みした頭のいい全力攻撃が降ってくるので、慣性無視の緊急回避で対処する。それを三回ほど繰り返したが、ようやく1分経ったかどうかというところか。リアルタイム肉弾戦における10分は本当に長い。
こちらから打って出ようにも、電気によるカウンターが入るのが目に見えている。恐らく、木や石の鈍器でタコ殴りにするか、遠距離武器で穴だらけにするのが正攻法だろう。
「どっちも今のボクには無理だけどね……!」
練気術の遠距離攻撃は、魂を持つ対象にしか効かないものがほとんどだ。無生物相手に使える攻撃系練気術もあるにはあるが、見た目が完全に魔法である。今ここで使えばギフティアだと思われて連れていかれるのがオチだ。
四本目のミシン目を作った触手が全て抜かれ、再び電気クラゲの攻撃が始まる。電気クラゲの隙は、ほぼ全ての触手が地面に刺さった後の数秒だ。次の隙が来たら、試しに傘に蹴りでも入れてみようか。
そう画策しながら、触手の刺突を避けていく。慣れたものだ。左、右、後ろ、右、前。そしてここで上から降ってくるので、慣性制御で攻撃範囲外へ――
グイッ。
「うわっ!?」
足が何かに引っかかった!
瞬時にそれが地面に這うように配置された触手だと気づくが、もう遅い。前につんのめり、転び、頭から地面に落ち――なかった。
「わ、なんっ……」
頭に回した身体強化が空振りに終わり、全身が浮遊感に包まれ――世界が反転した。
足に絡みついた触手に、逆さまに吊るされていた。
そしてこの世界には重力というものがあるので、
「うわこのバカクラゲ! ボク今ワンピースなんだよ!?」
支えられていないワンピースが裏返りそうになるのを両手で抑えた。
そしてそんな呑気なことをしている間に、次々と別の触手がこちらを取り囲みにきていて、
「あっ……」
選択ミスを悟った時にはもう、大量の触手に胴体をぐるぐる巻きにされていた。
「ぐえっ、ちょ、くるし……」
締め付けがかなり強い。身体強化をしていなければ既に身体が握り潰されていただろう。しかし試験監督が止めなかったことを考えると、神獣レプリカの「調整」とは恐らく、相手の強さに応じて適応的に「死なない程度」の力を出すとかそういう……
「……いやそれはっ、ボクの場合洒落にならな……んむっ!?」
触手の一本が口に突っ込まれた。即座に何か甘い液体がかなりの圧力で流し込まれ、
「んぐ、んくっ、んく、んーっ!?」
喉への身体強化は間に合わなかった。恐らくは毒液であろうそれを、ほとんど無抵抗に飲み込んでしまう。
それが数十秒もの間続き、息が限界になってきたところで、ようやく口から触手が抜かれた。
「ぷはっ、はぁっ、このスケベクラゲ、ぅぷっ、はぁ、触手モノのエロ同人じゃ、ないんだぞ……っ」
ずいぶんと注ぎ込まれてしまったようで、他の触手に締め付けられているお腹の苦しさが急激に増した。
丁度いい、その圧力で全部吐いてしまおう。そう思い腹筋に力を入れるが、
「ぐっ、ぉっ、……んんっ、何で、だ」
苦しさがさらに増すだけで、一向に吐き出せなかった。よく分からないが、とりあえず即効性の毒ではない。魔法生物の分泌物なのだから、さっさと倒してしまえば少なくとも魔法的効果は消えるはずだ。さてどう倒すか、と行動を決めようとしたところで、
――バヂッ。
視界の端、電気クラゲの傘の中で稲妻が走り、
「あっ、ヤバ――」
バチチチチチチチチッ!
「あはっ、あ、ああああっあはははははぁっ!?」
全身を電気ショックが貫いた。
痛覚遮断と心筋制御はしているが、痺れた足に触られた時のような最悪の感覚が全身を駆け巡る。そしてどうやら、触手から流れ出た電流の向かう先は、ナツキの体内――胃袋の中だった。
「っ、こい、つっ、毒じゃなく、てっ、電極飲ませ、たのかっ……!」
これは、ダメだ。もうなりふり構っていられない、奥の手を――
ギギギギギギッ――
「ぐ、ぷっ……!?」
締め上げが、強く――違う、電流の対処のせいで身体強化が間に合っていない!
これ以上別のことに気の力を割く余裕は……ない……!
(クソッ、また《転魂》術やるしかないのか……!?)
寿命を消費する覚悟を固めかけた、その時だった。
――バチュゥゥンッ!
そんな、ゲームに出てくる電子銃のような奇妙な音とともに、寒々しい氷色の燐光が、電気クラゲの傘を掠めていった。寿命数年分はありそうな、超大出力のエネルギー弾だ。
直撃はしておらず、倒せてはいない。しかし――その一瞬、放電が止まった。
今しかない。奥の手を、使わせてもらう。
正直、魔法生物との戦いを評価される試験で、これだけは使いたくなかったが――にー子との約束、生還が最優先!
「――お前の主人はボクだっ! 回路展開!」
電気クラゲの攻撃を躱しながらこっそり拾ってポケットに入れておいた割れた神獣の卵に、気を通す。
一つ魔法を発動するだけの魔術具くらいなら、マナベースの回路であっても練気術師にだってある程度は制御できる。ぼんやりと浮かぶ回路の中、動力の出力口らしき部分を探し、
「――門再接続! ボクに、従え、電気クラゲ!」
電気クラゲへのエネルギー供給ラインを、自分の根源の窓に接続した。
途端、締め付けが緩んで身体が解放される。当然だ、自らの主として登録された対象、すなわちエネルギー供給源を攻撃する魔法生物は存在しない。
本来マナが必要な設計をされているであろう魔法生物に気の力を注いでいるので、このまま完全状態で使役することはできないだろうが、
「そこに正座!」
そう命令すれば触手を折って地面に座り込み申し訳なさそうに傘を垂れるくらいには、従順になったようだった。
地面に降り立ち、キッと電気クラゲを睨む。……散々痛めつけてくれやがって。体の中も外もボロボロの火傷だらけだ。またにー子に泣かれてしまう。
「キミには模造意識がないっぽいし、そうやって申し訳なさそうにしてるのもボクの命令に従ってるだけってのも分かってるよ。でもね! ボクは今怒ってるんだよ! だからもっと申し訳なさそうにして!」
垂れていた傘が地面についた。土下座っぽい。
「いい? さっきの攻撃全部ね、ボクじゃなかったら死んでたよ! それからね、ワンピースの女の子を逆さ釣りにするってどういうことか分かる!? 分からないよね、でも分かれ! あそこでワンピース抑えてなければあんな大惨事にはならなかったんだよっ!」
完全に逆ギレだったが、言わせてもらった。あの瞬間、初めて経験するタイプの羞恥に判断力が鈍ってしまったのは、自分のせいではないと思う。
ちなみにあの瞬間の最適解は、ワンピースはずり落ちるに任せ、腹筋で体を持ち上げ両手で足を縛る触手を引き千切る、である。
「あとこれどうしてくれるの? おなかパンパンだよ! よっくもまあこんなに飲ませてくれたね! 苦しいから早く消して!」
想像以上にまん丸になっていた自分のお腹を指差してそう命令すると、電気クラゲは傘を持ち上げてふるふると横に振った。……無理? マジか。
「……これ、吐けないってことはおなかの中で固まってるんでしょ? キミが消えたらちゃんと一緒に消えるって、ボク信じてるからね? ……大丈夫だよね!?」
このまま胃袋から消えないとか言われたらさすがに困る。そう問いただしたがしかし、電気クラゲからの反応はなかった。主人の情報検索質問に対し使役される魔法生物が無反応の場合、その意味は「未定義」。すなわち、
「分からないってことね……ハァ、もういいよ。消えて」
そう命令を出すと、根源の窓との接続が解除され、電気クラゲは光の粒子となって消えた。活性化したマナではない、高密度な気のエネルギーが生み出す発光体だ。
そして自分の体を見下ろすと、
「……消えてないじゃん!!」
相も変わらずまん丸ぽっこりなおなかが、しわくちゃになったワンピースを前に押し出していた。
「ちょっと試験監督さん、ひどいよ! これどうしてくれ、るの……」
試験監督なら全て分かっているはず。というか止めろよ、普通に死にかけたぞ、と文句を言おうと壁際を見回して、
「あ……れ? なに、この惨状……」
ようやく、そういえばいつの間にかものすごく静かになっていて、自分の周囲にはたくさんの人間が血だらけで倒れ伏していて、自分以外動いている人間は誰もいないということに気がついた。
……そういえば、電気クラゲに逆さ釣りにされてから、電気クラゲしか見ていなかった。
ということはつまり、この周りで倒れている人々は……
「ボクを助けようとした、の……?」
何だ、何が起こっている? 試験監督が遠隔操作で止められるんじゃなかったのか?
軽くパニックになりかけながら試験監督の姿を探すが、どこにもいない。
そして自分のすぐ近く、倒れている人々のなかで最も中心に近い位置で、あの女騎士が意識を失っていた。
「っ、大丈夫!?」
慌ててしゃがみこみ、脈と呼吸を確認する。……大丈夫、気絶しているだけだ。
「ぅぐ……しゃがむと苦し……なんて言ってる場合じゃ、ない……!」
間違いない、これは想定外の事態、事故だ。召喚陣が他の卵と少し違う気がしたときから嫌な予感はしていたが――恐らく試験監督は遠隔操作で止めようとしたものの止められず、どこかへ助けを呼びに行き、他の受験生やハンター達はナツキを助けようと立ち向かったものの歯が立たず、それを見た観客は逃げ出した……というところか。
「ナツキさんっ!」
背後から聞き覚えのある呼び声。ハッと振り返ると、見慣れないボウガン型の武器を持ったアイシャがいた。
「アイシャ……!」
ボウガンからは寒々しい氷色の燐光が漏れ出している。……さっき電気クラゲの傘を貫いたのは、アイシャの攻撃だったのか!
「回路展開、門再接続!」
とにかくまずは接続の上書きだ。あんな大出力のエネルギー弾、どれだけの寿命を消費したのか……!
「よかっ、た……ナツキさん、生きて……る……」
茜色に変わっていく光には見向きもせず、アイシャはじっとこちらの顔を見つめて、呆けたように呟いた。
「生きてるよ……ボクのことよりアイシャ、あんなの、無茶しすぎだよ……」
「だって、だって……ナツキさんがっ、死んじゃうって……わたしの、わたしのせいで……っ!」
「何言ってるのさ、どう考えたってアイシャのせいじゃ」
「違うです……! だってあれは、あの神獣は」
その時、バァン、と勢いよく舞台の扉が開いた。
続いて駆け込んできたのは三人の幼女――ドールだ。アイシャが持っているのと同じようなボウガン型のアイオーンを手にした彼女らは、完全に規律の取れた動きですぐさま散開し、舞台の壁際で正三角形を作り、ボウガンを同時に中央へと向け――動きを止めた。まるで、そこにいるはずの攻撃対象がおらず、次に取るべき行動が定義されていないので何も出来ないとでも言うように。
「……発射音、しないけど?」
「失敗か!? ……様子を見てくる」
「待て馬鹿、捕食中の奴のテリトリーは広ェぞ!」
やがてそんな声とともに、開け放たれた扉から三人の人間――試験監督、ダイン、ヘーゼルが姿を現し、
「……は?」
「あァ……そんな気はした」
「だから言ったじゃん……」
神獣のいない闘技場を見回し、中央付近で立っているナツキとアイシャに気づいて、三者三様の反応を示した。
……まあ、大体流れは分かった。うん。きっとあの神獣を倒すために、ドールと武器を揃えてきてくれたのだろう。大変ありがたいことである。
しかし一言、ただ一言だけ言わせてもらいたい。
「……遅いよ!」
薄々勘づかれている方も多いと思いますが、本作品は筆者の抱える各種特殊性癖の集合体です。誰も書いてくれないから自分で書くぜってやつです。
やわらかめな表現にはしていますが、苦手な方はご注意を。