ネコミミ幼女と人攫い Ⅰ
「ぐ、あ、あぁっ――何だ、これ……」
何処とも知れない廃墟で、ナツキは割れそうな頭を必死に抱えて耐えた。
昨日のことを回想していたら、不自然に記憶が途切れ――要領を得ないノイズ混じりの情報の濁流へと変わった。
流れてくる言葉、光景、そのほぼ全てが記憶にない。途中の甲高い叫びは、死の間際に聞いた妹の秋葉の声だ。それ以外は分からない。最後に見えたのは、ぼろぼろ泣きながら自分を呼んで叫ぶトスカナの顔。そんな過去はない。ないはずだ。なのに――虚構でも幻覚でもないと、どこかで確信している自分がいる。
「ぐっ……ダメだ、思い出せない」
そしてずっと頭に残ってトゲを残す、「使命を果たせ」という強烈な感情の想起。
「記憶操作……洗脳? ベッドに入ってから寝込みを襲われて……死んだ? ……クソッ、情けないな。平和ボケし過ぎたか……」
魔王軍との戦いを終えて、もう一年だ。危険察知能力が衰えてきたところを狙われたのだろうか……いや、過ぎたことを考えても仕方がない。
とにかく日が落ちる前に動かなければと、外へ――夕焼けの光が入ってくる方へと向かう。
「死んだと仮定して……二度目の転生ってことになるのか……あるいはここが天国って可能性……いや天国に廃墟はさすがに……」
ぶつぶつと現状把握のための推測を重ねながら、何層にも重なった壁の穴を抜けていく。
ラグナで廃墟と言えば、大抵は干からびた荒野か魔物の縄張りの中にあった。すなわち、人が住めなくなった、あるいは住処を追われた場所だ。どうせここもろくな場所ではないだろう。敵の気配はないし、夕焼けに染まる荒野でも広がってるかな、と予想する。
しかしその予想は、すぐに予想外の形で裏切られることになった。
三つ目の壁の穴を抜け、ついに「外」に出たナツキの目の前で――夕日色に光る巨大な水晶が、地面に突き刺さっていた。
「……夕日じゃないのかよ」
こんな物体は、地球にもラグナにもない。
ナツキに反応して動き出すようなこともなく、じっとただそこに存在している、煌々とした橙色の光を湛える巨大水晶柱。
あまり近づかないようにしておけば大丈夫だろうと判断し、周囲を見回そうとして――ふと、足元に違和感を覚えた。
「ん?」
見れば、太いぬめぬめした黄緑色のミミズにアメンボの足を5本付けたような大きめの虫が1匹、足を這い上がろうとしているところだった。
「うわっ!?」
特段虫が苦手なわけではないが、さすがに未知の生物は怖い。反射的に足を振って振り飛ばそうとすると、アメンボミミズ(仮)はミュゥッ、と奇妙な鳴き声を上げて足にしがみついた。ぬめぬめした胴体が足の皮膚に触れる。途端、鋭い痛みに襲われる。
ジュウッ……
「あっづっ……こんの、離れろっ!」
足に「気」の力を込めて思いきり振り抜くと、アメンボミミズは吹き飛ばされて近くの岩に激突し、プチュッ、と潰れて沈黙した。
「うわ、と、とっ、いてっ」
しかしナツキも、振り抜きの反動でバランスを崩して転んでしまう。
「くっ、筋肉が足りない、背が低い、リーチが短いっ」
幼女ボディはあまりにもハンデが大きかった。歩くだけでも重心の違いで少しふらふらするというのに、まともに体術で戦えるとは思えない。かといって武器はなく、防具はパンツ1枚すらない。
アメンボミミズが触れた部分を見ると、強酸が塗られたかのように焼け爛れており、じくじくと痛みが走る。ペフィロのように皮膚が丈夫なわけでもなさそうだ。
「っつ……悪いカナ、回復頼む……あ」
いつも負傷した仲間をすぐ回復してくれるトスカナは、いない。
後ろからレーザーで援護射撃してくれるエクセルも、
敵の大技を消し去ってくれるペフィロも、
背中合わせで死角を補い、共に戦ってくれるゴルグも――いない。
転生してから初めて感じた、心細さだった。
「…………落ち着け、考えろ」
頭を振って感情をリセットし、周囲を観察する。
地面、見える範囲に新手はいない。
周囲、巨大水晶を取り囲むように並ぶ、層状の廃墟。というか、ビルのような高い層状の建築物の中央を、巨大水晶が貫き崩したのか。
上方、巨大水晶の上部に空は見えない。代わりにうっすらと見えるのは、鍾乳洞のようなつらら状の岩石群。
地下あるいは洞窟内の大空洞、そこに眠る古代文明の遺跡。そんなところか。
付近を探索する。アメンボミミズが地中から出てきたと仮定すると、地面がむき出しの場所は危険だ。なるべく廃墟のコンクリート上を進む。
廃墟には透明なガラスや鉄骨、コンクリートのような建材が使われている。少なくとも地球レベルに発達した文明だったはずだ。それが廃墟になっているとするなら、外は。
「ポストアポカリプス……人外が征服済み……ディストピア系……ろくな可能性がないな」
せめて人類が存在する世界であってくれと願いながら、廃墟の中を探っていく。
「何か、武器になるもの……あとできれば服……っ?」
ふと、視界の端を何かが横切った。
警戒し、周囲の空間を気で満たす。
《気配》術と呼ばれる練気術の基礎であり、マナベースの魔法体系で言うところの探知魔法だ。自分に向かう意識の流れを検知することができる。
目の前の壁の向こう側から、何かがナツキに意識を向けている。しかし敵意ではなく、恐らくこれは――好奇心。
「……誰かいるのか?」
呼びかけて、暫し待つ。
すると、壁の後ろから恐る恐る、といった動きで――小さな女の子が、出てきた。
「っ、子供!?」
思わず大きな声を上げてしまい、それに驚いた女の子はぴゃっと跳び上がってまた壁の後ろに隠れてしまった。
そして壁からそーっと上半身だけ出して、こちらを観察し始めた。好奇心と警戒心が半々くらいの様子だ。
女の子は、ナツキと同じく何も身にまとっていなかった。幼女になってしまったナツキよりも、一回り小さい。幼稚園児くらいの見た目で――よく見ると、頭に大きな猫耳がついている。怖がっているのか、猫耳はぺたんと伏せられていた。髪は肩に触れるかどうかくらいの長さで、鮮やかな黄緑色だ。
「ね……ネコミミ幼女……」
いよいよ分からない。どういう世界観なのだ。
怖がらせないよう、なるべく表情を柔らかくして「おいで」と手招きしてみる。
やがて女の子はとてとてとナツキの前までやってきて、ぽすっ、とナツキが広げた腕の中に収まった。
温かい。生きている。幻覚ではなさそうだった。
「よーしよし、大丈夫かー?」
その言葉に女の子は一瞬ビクリと震えたが、やがてナツキに敵意がないことを理解したのか、腕の中で身体の力を抜いた。
目の前でぴこぴこ揺れる大きな耳の向こうに、髪色と同じ黄緑色の長い尻尾がゆらゆら揺れているのが見える。根本は尾てい骨のあたり。耳も尻尾も、本物だ。ラグナにも獣人族はいたので、それ自体に特に目新しさはないが――鮮やかな黄緑色の毛並みは、猫科獣人には発現することのない特徴だ。やはりここは、別の世界なのだろう。
しばらく女の子をぎゅっと抱きしめながら、ふと気づいた。これはなかなか、ヤバい絵面である――主に誰も服を着ていないあたりが。これではペフィロと同じだ。
早急になんとかしなければとは思うが、今のところ遺跡内で布の類が一切見つかっていないのでどうしようもない。うーむ。
そんな葛藤をしていると、やがて女の子がナツキを見上げ、口を開いた。
「うー?」
「おぅ、ど、どうした」
「んうー、なー」
「なー? 何だって?」
「なうー」
言葉が通じていないというより、鳴き声だろうか。
女の子は身をよじってナツキの腕から抜け出し、ナツキの手首を掴んでぐいぐい引っ張った。
「なー」
「何だよ、ついて来いってか?」
「なうー? にー」
「わ、引っ張るなって」
言葉が通じているとは思えないが、他に行くあてもない。敵意はなさそうなので、逆らわずについていくことにする。
女の子は何も考えていないように見えて、器用にコンクリートの上だけを歩いていた。やはり地面が露出している場所は危険なのだろう。それをこの子に教えた者がいるのか、あるいは実体験からの学習か。
なるべく女の子が通った場所を通るようにして廃墟の奥へと進むこと数分、ナツキは一つの大部屋にたどり着いた。
「んなっ、こ……れは……」
思わず驚きの声が漏れる。
それはそうだ。ナツキの目の前で、何十人もの子供が――ここまで案内してくれた女の子と同じような獣人の幼女たちが、なーなーにうーわうわうーと思い思いに鳴き声を上げていたのだから。
よく見れば、全ての子が獣人というわけでもない。しかし何かしらの人外成分が存在する。一つ目だったり、足がたくさんあったり、体がスライム状だったり。
「にー?」
「……もしかして、仲間だと思われて連れてこられた、のか……?」
ハッとなり自分の頭と尻に手をやる。……ケモ耳や尻尾の類は生えていない。ほっとしたような、少し残念なような。
そんなことをしている間に、ここまで案内してくれた女の子は忽然と姿を消していた。大部屋のどこかにいるのか、あるいは他の仲間を探しに行ったのかもしれない。
ここにいる子供たちは、みんなあの子が集めてきたのだろうか。
「俺もこいつらの同族に生まれ変わった、ってわけじゃないよな……耳も尻尾もないし……俺だけ成長してるってのも変だ……ん? あ、おい!?」
ナツキの目の前で、ふらふらと力なく歩いていたウサ耳の幼女が、ぱたりと倒れた。
「おい、大丈夫か? しっかりしろ!」
慌てて駆け寄り、仰向けに寝かせる。
外傷はないが、息が細い。胸に手を当てると、と、くん……とく、ん……と弱々しい鼓動が不規則に伝わってきた。衰弱しきっている。
「……きゅ、ぅ」
「くそっ……どうにか……どうにか……」
目の前で弱って倒れた子供がいる。助ける以外有り得ない。勇者として、それ以前に人として、当然の選択だった。しかし。
「どうにも、できない……」
ナツキは、何も持っていなかった。
練気術に、身体を回復する術はない。神経系に働きかけて痛みを無視したり、身体強化で無理やり身体を動かしたりして急場を凌ぐことはできても、傷や病気を根本的に治すことはできないのだ。
トスカナがいなくても最低限なんとかなるようにと常備していたポーションも、今はない。
自分の足の傷も治せないのに、死にかけの子供を救うなど――できるはずもなかった。
「……き、ぅー?」
うっすらと開かれた目が、ナツキを不思議そうに見つめた。
この子は、自分が死にかけていることを理解しているのだろうか。
「なん、なんだよ……何だよ、これはっ!? 悪夢なら醒めてくれ、頼む……!」
ナツキの叫びは、誰にも届くことはなく。
倒れた少女の鼓動は、次第に弱まっていき――やがてあっさり途絶えた。
「……ごめんな」
助けてやれなかった。
悔しさと、理不尽な世界への怒りで涙ぐみ、ぼやける視界の中で、しかしナツキは気付いた。
少女の骸が、光っている。
「なっ……」
驚きに目を瞠るナツキの目の前で、骸は徐々に光のリボンとなって解けていく。
そのまま程なくして、空気に溶けて消えてしまった。
「は……ぁ?」
異常。
ウサ耳の幼女が倒れてから、光のリボンとなって消えるまで、他の幼女は誰一人として関心を示さなかった。ナツキが大声を上げても、視線をよこすことすらしなかった。
異常。
これだけ多くの生物が一箇所に集まっているのに、この部屋には何も無かった。道具も、食料も、骸も、排泄物すら。不自然な程に清潔な部屋だった。
異常。
幼女たちは、なーなーと鳴いて動き回るだけで、他には何もしていなかった。皆無表情で、お互いに干渉することもない。時に別の幼女とぶつかって転んでも、すぐに立ち上がり、何事も無かったかのようにそれぞれ動き出す。
異常。
このままではいずれ自分も。耳が生えたら終わりなのだろうか。そのときにはもう、言葉も感情も失って――
「ハッ、違う、何考えてんだ俺……クソっ、気が狂いそうだ」
とにかく脱出しなければ。ここにいてはいけないと、全ての感覚が警鐘を鳴らしている。
「……そうだ、最初にここまで案内してくれた子は……」
あの子はある程度感情を持ち合わせていたように思える。ナツキの大声に驚いて廃墟の壁に隠れ、こちらを伺ってきたあの子はきっと――この大部屋の個体とは別種の個体だ。
黄緑色の髪の、猫耳の子。部屋を見渡しても、いない。
「探しに行くか」
これ以上この部屋に留まりたくなかった。立ち上がり、部屋の境界を跨ぐ。
その瞬間に全ての幼女がぐるりとこちらを向いて追いかけてきたり、見えない壁に弾かれたりするんじゃないかと少し身構えたが、特にそんなこともなかった。
「……ゲームのやりすぎだな」
ホッと息を吐き、さてどこから探そうかと辺りを見渡したところで――
「にぃいいいいいっ! うーっ、なぅ、なぁあぁぁあ!!」
「てめっ、暴れんじゃねえ、大人しくしやがれ!」
泣き叫ぶような鳴き声と一緒に、全く聞いたことのない言語の怒声が遠くに聞こえた。……聞いたことのない言語なのに意味が分かるということは、天使様謹製の異世界語翻訳システムはまだ生きているらしい。鳴き声は翻訳されなかったが、さすがに意味するところは理解できた。
大人しくしやがれ、なんて言いながらも眠らせる気配がないあたり、魔術師ではない。魔法も使えない暴漢一人程度、練気術で身体強化をすれば撃退はできるだろう。小さな体で動き回るのにもようやく慣れてきたところだ。
足に気を通し地面を蹴って加速、声のした方角へと駆けた。
勇者パーティの面々はしばらく退場ですが、ちゃんとまた出てきます。