アイシャの返却
「おい管理人、いるか」
レンタドール社の施設――ダインの言うところの「飼育小屋」の正面、窓口のように壁がくり抜かれた一角で、ダインはそう呼びかけた。
やがて奥から手を揉みながら出てきたのは、小綺麗な服に身を包んだ男だ。細い目の先から覗く視線がダインを捉え、次にアイシャ、ナツキへと移り、ダインに戻った。
「おやおやぁ、これはこれは……かのダイン=ユグド様ではありませんか。お噂は兼ねがね……そのような小汚いジャンクをお持ちになって、いかがいたしましたかな?」
ナツキについては言及もしない。しかしたまにチラチラと視線は向けられてくる。……まあ、場違いな謎の子供だろうな。
「ウチの馬鹿が一人《塔》にパクられちまってな、そいつの契約の後始末だ。コレに全部書いてあっから今読め」
ダインが投げ渡したのは、《塔》の使者から渡された書類らしい。管理人の男は《塔》と聞いて顔を少し引き締め、書類に目を通し始めた。
「あぁ……例の金無し馬鹿ですか。そのままソレと一緒に死んでくれれば、廃棄費用も浮いたんですがねぇ……えぇ、何ですかねぇ、ジャンクの出来損ないのくせに、頑張っちゃったんですかねぇ? 全く余計なことを……で、ドールだけ返却と……使えない、えぇ、本当にアナタは使えないですねぇ、49番!」
「っ、ごめ……んなさい……」
管理人の男の口から出てきたのは、聞くに耐えない理不尽な罵詈雑言だった。それを真正面から浴びせられたアイシャは身体を震わせ、小さな声で謝罪を返した。
……今すぐにでも殴り飛ばしたい。しかし今問題を起こす訳にはいかない。この世界の筋を通さなければ、アイシャは助けられない。グッと拳を握りしめ、衝動を堪えた。
「余計な口叩いてねェでさっさと処理しやがれ。急いでんだ」
ダインもイラついている。それが伝わってきて、少しホッとした。
「えぇ、はい。確認しましたよ。彼との契約については《塔》の提示条件に従い処理することに同意します、はい。……ああ、ドールはその辺に置いておいていただいて結構ですよ、適当に廃棄しておきますからね。他に何か?」
不機嫌そうにそう男が言うと、ダインは「俺からは以上だ」と返してナツキをちらりと見た。何か企んでるんだろう、という顔。その通りだ。
「……ねえおじさん、一つ聞いてもいい?」
「おや、アナタは?」
「ボクはナツキ。ダインに拾ってもらった孤児だよ」
「……ふむ。それで? ワタシに用があるような年齢には見えませんが……」
男はこちらを値踏みするようにじっと見た。ダインとの強めの繋がりがあるということで、謎の子供から要注意の子供へとランクアップしたか。
「廃棄、って何? アイシャをどうするの?」
「おやおや、ドールの運用に興味があるのですか? まだ小さいのに感心なことですねぇ。……廃棄というのは言葉通り、もう使えなくなったドールを処分することですよ、えぇ」
仕事について語るのは気分がいいのか、男は上機嫌にペラペラと語り出した。
「しかしまだ寿命が残っているならば、それを使わないまま壊してしまうのは実に勿体ない。えぇ、勿体ないのです。だから『充電』に回したり、『砲弾』にしたり……廃棄と一口に言っても様々な方法があります。いずれにせよ、ジャンクでは大したお金にはならないですがねぇ」
『砲弾』は前にダインが言っていた、剣に括りつけて神獣にぶつけるやつだろう。『充電』が何なのかは分からないが――どうせろくでもないことに違いない。
「……ここだけの話、五体満足ならアンダーストリートで奴隷として売るのが一番利益は出るんですよ。ソレはよりにもよって手首を落としてきやがりましたので、奴隷は無理ですねぇ」
こちらに顔を寄せて、そんなことを小声で付け足した。近くに寄ってくる醜悪な表情から逃げるように頭を引きそうになったが、堪える。
話の内容については、軍病院でアイシャから聞いていた通りだった。レンタドール社は、裏では奴隷売買にも手を出している。
「感染個体じゃあ充電も無理、砲弾も次の募集はまだ先でしょうねぇ。こうなるともう、口減らしには自前で壊すしかないんですよ。するとどうなるかと言いますと、ドール運用法違反で罰金が発生するんですねぇ」
口減らしのために使えないドールを処分したいが、故意にドールを傷つけるのは違法。しかし長期的に見れば罰金を払った方が得で、その一時的に必要な罰金分を「廃棄費用」と呼んでいる。そういうことらしい。
そして、このままだとアイシャはその対象になってしまうらしい。ちらりとアイシャを見ると、何もかも諦めたような表情で俯いていた。
……そんな顔をするには、まだ早いぞ。
「だったらボクが引き取るよ?」
口減らしができればいいのなら、それで問題ないはずだ。
「おや、引き取って何に使うおつもりで? ……大変有難いお申し出ですがねぇ、オペレーター以外にドールの管理権を差し上げることはできないのですよ。ドール運用法で定められていましてねぇ……」
「そうなの? さっき奴隷として売ってるとか言ってなかった?」
「……おっと、そこは口外法度でございますよ」
男はチラリとダインを見、ダインは軽くため息をついて肩を竦めた。
「公然の秘密ってやつだ。俺ァ手は出さねェが口も出さねェよ。……クソ貴族共と事構えるつもりはねェからな」
奴隷の買い手は主に貴族らしい。用途については考えたくもない。
管理人の男は少し安心したように息を吐き、ナツキの質問に答えてくれた。
「奴隷として売る場合、形式上は管理権ではなく命令権を分譲するんですねぇ。オペレーターの皆さんが現場でドールを貸し借りすることがあるのはご存知でしょうかね? えぇ、特定の相手に命令権を与えられるのですよ」
これも、アイシャから聞いた通り。そもそもレンタルが主であるレンタドール社では、奴隷でなくとも基本的には管理権ではなく命令権を期限付きで売っている。奴隷の場合はそれに期限を設けていないだけだ。管理者でなければ受けられない《塔》や軍のサポートはいろいろとあるらしいが、違法な奴隷として買う以上はサポートなどあってはむしろ困るというわけである。
「じゃあボクがアイシャを奴隷として引き取ればいいってこと?」
「ご冗談を。ワタシの都合で平民の未成年、しかも幼気な少女を奴隷市場に連れ込めるものですか、えぇ。ワタシとてそのくらいの分別はありますとも」
アイシャだって幼気な少女だろうが。そう言いたいのをグッと我慢する。
「それは俺も許さねェからな」
ダインの補足が入った。
別にこちらとしては、それでも構わないのだが。ダインやラズの風評にも関わるのだろう。
オペレーター以外は管理権を購入できない。平民の子供相手に奴隷売買はできない。
ならば、方法は一つだ。
「じゃあおじさん……ボクがオペレーターなら、アイシャを引き取っても問題ないってことだね?」
「おいナツキ!?」
アイシャから色々と話を聞いて、まず思いついた選択肢だ。オペレーターしかドールと契約できないなら、オペレーターになればいい。ただ付随する面倒がいろいろとあるので、できれば回避したかったところだが、仕方がない。
ダインは何を考えているのかと慌て、管理人の男は面食らったように目を丸くした。
「……ええ、まあ、そうですねぇ。ですがオペレーターには神獣討伐義務がありますよ」
「うん、知ってる」
オペレーターは少なくとも月に一度、一定額以上のコアを《塔》に納めなければならない。普通のドールがこなせているタスクなら、アイシャにアイオーンを借りれば一人でもできるだろう。
「……そもそも、オペレーターになるには試験を受ける必要がありますよ。大人と同じ実技試験をアナタが通過できるとは思えませんがねぇ?」
今のところ一番の不確定要素はそれだ。月に一度行われているオペレーター試験は、毎回内容が変わるという。一次の筆記試験と二次の実技試験で構成されるのは変わらないが、二次試験には決まった型がない。猛獣と戦ったり軍のベテラン兵士と剣を交えたりと、戦闘が含まれることは確かだが、形式や評価基準は始まるまで分からないらしい。これについては自分が頑張るしかない。
「頑張るよ。だからボクがオペレーターになるまで、アイシャは予約しておきたいんだ。何年かかるか分からないけど……もちろん、その分お金は払うよ」
「ほう? このジャンクの維持費をアナタが出し続ける、と?」
男は目の色を変えた。いくらかさ増しして請求しようか、とでも考えていそうだ。
「おいナツキ、金は」
「大丈夫。ダインだって知ってるはずだよ、ボクの資金源」
金もないのに約束するなと割って入ろうとしたダインに、そう切って返す。確かに自分は無一文だが、この男に対してなら、きっと相当な価値があるものを持っている。
「……コアか」
顔を近づけ、声を潜めて聞いてきた。
その通り。フィルツホルンに来る途中に倒してきた、神獣のコアがある。
「いくらくらいになるか、分かる?」
「オペレーターが普通に《塔》に提出したら、20万ってとこだ。……だがあの純度なら、闇市でオークションにかけりゃあウン百万にはなるだろうな。こいつにゃ格好のエサだが……本当に使っちまうのか?」
「必要ならね」
「……何をコソコソ話しているのです?」
訝しげに聞いてきた管理人の男に対し、ダインは「金があんのか確認しただけだ」とだけ返した。それでナツキに支払い能力があると納得したらしい管理人の男は、商売人の目付きになってこちらを睨んだ。
「アナタが何故、そうまでしてこんなジャンクを欲しがるのか、そこがとても気になるところではありますねぇ……何か儲け話でも?」
「もし仮にそうだとして、それをおじさんに説明するメリット、ボクにあると思う? その対価におじさんは何を支払うの?」
「……これはこれは。ずいぶんしっかりした子供ですねぇ」
「少なくとも、ボクがアイシャを引き取った結果としておじさんが損になるようなことは無いよ。それは約束してあげる」
理由を教えなければアイシャは渡さない、などと言われては面倒だ。「アイシャは友達だから」がこの男に通じるとは思えない。
「オペレーター試験が月一だし、アイシャの生活費も月一で払いにくる感じでいいかな? どれくらい必要?」
了承されたものとして話を進めにかかると、管理人の男は「まあいいでしょう」と呟き、少し考えるように視線を上げた。
「そうですねぇ、月に5万リューズもあれば足りるでしょうか」
「おいおい、随分ぼったくるじゃねェか」
提示された金額に即座に突っ込んだのはダインだった。
「そんなにぼったくりかな? 一日の食費が1000リューズとしても、あと寝る場所とか服とか、迷惑料とか、いろいろ含めて考えたら……」
「バカ、人間と同じ基準で考えるんじゃねェ。ドール一匹の最低ラインの維持費は一日200、月1万でも多いくらいだろが。寝る場所はどうせ床だろうし、外に出さねェなら服もいらねェよ」
管理人の男が、余計なことを、という視線をダインに向けた。
リューズは大体日本円と同じくらいの相場だ。『子猫の陽だまり亭』のメニューはランチが500~1000リューズ、ディナーだとその倍くらいになる。それが中流区の基準で、ここは下流区だというのはあっても……一日200円で「維持」される命か。
「いいよ、月5万でも。その代わり、ちゃんと食べさせてあげて。寝る場所と服は……せめて、寒くないように、病気にならないように考えてあげて。怪我させるのもダメだよ」
「……ふむ、品質が大事と。となると、愛玩目的の狂人に売り捌くのですかな? それとも、もしやアナタが……?」
「説明する気はないし、何でもいいよ。とにかくそれがボクからの条件。いいよね、ダイン?」
「おめぇがそれでいいならな」
ぼったくりだろうが衣食住だけは譲らない、という姿勢を見せると、男は興味深そうに目を細めつつ頷いた。
「……いいでしょう。その条件を盛り込んで契約書を用意します」
しばらくして奥から男が持ってきた契約書をダインにも読んでもらい、お互いの提示した条件が書かれていることを確認する。
「わ、わたし、そんな人間さんみたいな扱いを受けるわけにはっ……」
「わがまま言わないの」
「ふぇえっ!?」
「黙りなさい、49番。アナタがようやくまともに金になるのですよ」
契約書にはサインや判を捺す場所はなく、代わりに差し出された手のひらサイズの真っ黒な立方体に指を置くように指示された。契約書の上に立方体を置き、その上に関係者全員が指を乗せることで、《塔》の下での誓いが成立するらしい。当然、聖片だ。ナツキが金を払わなかったり管理人の男がアイシャに食事を与えなかったりすれば、《塔》に通知が行き、使者が飛んできて逮捕されるとのこと。なんともハイテクなことだ。
アイシャはずっと口をパクパクさせて恐縮していたが、これで契約成立である。後ろ髪を引かれながらもアイシャを置き去りに、『子猫の陽だまり亭』へと帰路についた。
今この場で引き取れなかったのは残念だが、次善の策は万事上手くいった。そう思ったが――去り際に管理人の男が見せたニタリとした笑みが、少し気になった。