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エンゼルフォール:エンドロール ~転生幼女のサードライフ~  作者: ぱねこっと
第一章【星の涙】Ⅲ お肉屋さんのお手伝い
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隔壁

 やがて夜になり、ダインがやってきた。立って普通に歩き回っているナツキを見てあんぐりと口を開けていたので、リモネちゃんに中級回復薬を分けてもらったことを報告したら、一転して苦々しい顔になった。


「……リモネか」

「ダインも知ってるの?」

「知ってるも何も、あいつは……いや、何でもねェ」


 何か思うところがあるのか言葉を濁し、


「んなことより、中級薬だぁ? どっから手に入れてきやがったんだ、んなもん。低級薬に着色でもしたんじゃねェのか……? おい、傷見せてみろ」


 そう言って包帯の端に手をかけるので、慌てて後ずさった。……後ずさっただけだと思っていたが、身体が勝手にバク宙していて、着地時には戦闘態勢が整っていた。


「……。リモネに何かされたか?」

「何かされたなんてレベルじゃないよ!?」

「あァ、いい。今ので大体分かった。傷が治ったってのも分かった。分かったから、俺は何もしねェから、まずその殺気をしまえ」


 ダインは冷や汗をかいていた。どうやら無意識に《気迫》術まで発動していたらしい。慌てて気の流れを抑えると、溜息をついて、着替えだ、と紙袋を渡してくれた。


 自分で包帯を取っていつものワンピースと下着を身につけ、ようやく本当に回復した気分になる。

 しかしそんなナツキを「かわいいです」と褒めてくれたアイシャは、穴だらけの粗末なワンピースにボロボロの革鎧のままで、左腕の先には包帯がきつく巻かれたままだ。自分だけいい思いをしているのがどうにも申し訳なかったが、当の本人は気にした様子もなく無邪気なもので、それがまた胸を締め付けた。



 ダインに連れられて病室を出ると、そこは半分廊下で、もう半分外だった。


「へ!? 何、ここ……、外……? 廊下……?」


 自分でも何を言っているのかよく分からないが、この空間を一言で形容する言葉をナツキは持ち合わせていなかった。


 周囲は暗い。照明が落とされた室内の暗さではない、夜の暗さだ。

 夜闇の中、床も天井も壁も、その全てが金網でできた「廊下」が、空中に浮いている。否、浮いているわけではない。広大な空間に林立する太い鉄柱に支えられ、それらの間を空中で繋いでいるのだ。

 その構造のあちこちに照明が取り付けられ、それが複雑に金網に反射し、星空の中にいるような錯覚に陥る。今自分が立っているのと同じような廊下が何本も、金網の向こうに見えていた。

 目の粗い金網の隙間から入ってくるのは、屋外の空気だ。ひゅう、と気持ちのいい風が吹き抜けて、ワンピースの裾がはためいた。


 そして後ろを振り向けば、廊下に接するように、今まで自分達のいた病室が――材質の分からない真っ白で大きな直方体が、淡く発光しながら、とんでもない場違いさをもって空中に浮いていた。……どこにも固定されていない。本当に浮いている。


「隔壁の中だ」


 そう言ってダインが病室の扉を閉じ、扉の脇にあった突起に手を触れると、病室はどんどん縮んでいき、サイコロ大の小さな白い立方体となってダインの手のひらに収まった。扉があった場所は、最初から何も無かったかのように金網の壁になっていた。

 ……いや、いやいやいや。


「今のなに!? 病室は!? 隔壁って何さ!? ちょっとダイン!」

「うるせェ! 気持ちは分かるが落ち着け」


 周囲を見回すと、整然と並んだ金網の廊下の隙間に、他にもいくつか白い直方体が浮いているのが見えた。あれらも病室だろうか。


「隔壁ってのはAブロックとBブロック……貴族とそれ以外を分ける壁だ。軍や《塔》関係と、役所と……あとは貴族と平民の間に立って稼いでる連中か。その辺の施設だの店だのは隔壁の中にあんだよ」


 貴族特区と上流区を隔てる壁。存在は聞かされていたが、あまりにも想像と違った。ダインによれば、そもそも物理的な壁は一枚ではない。地割れの内部を両断するほどの巨大な金網が、数百メートルにわたって何枚も並んだ、その内部及び表面のことを「隔壁」と呼ぶらしい。

 貴族がそれほど平民を遠ざけたいということだろうか。今のところ、身分社会を実感するような出来事は起こっていないが……


「わたしも、隔壁の中には今日初めて入ったです。来たときはお昼で、そのときも不思議だったですけど……夜はなんだか、きらきらしてて綺麗なのです」


 アイシャも興味深そうに周囲を見回していた。


「初めて? おめぇ一応ドールだろ。ドールならここの軍の施設で調整を受けたはずだ」

「そ、そうなのです? ごめんなさいです……わたし、調整前のことはよく覚えてないのです。オペレーターさんについていくときも、表面デッキの受付にしか……」

「んん……? 調整ミスで記憶がなくなった、ってか……?」


 ダインは何やら難しい顔で少し考えこんでいたが、今考えることではない、というように首を振った。


「綺麗っちゃ綺麗だが、んなこと言ってられんのはこの辺だけだな。奥や端に行けば行くほどごちゃごちゃしてくっからな。案内人がいなきゃ中流区のバイパス迷路なんざ目じゃねェくらいに迷うぞ」


 隔壁の内部は小規模な金網によって細かく立体的な区域に分けられており、その様相は違法建築状態。街中の10層構造からは独立しており、内部の配置は三次元座標のような番地の三つ組で表現される。そして場所を示されたとしても、道順を知らなければたどり着けない空間が無数に存在するという。さながら立体迷宮だ。


「《塔》の建物があるってことは、フィルツホルンの中枢ってことだよね? そんなごちゃごちゃでいいの……?」

「さすがに教会や軍の施設まわりは整理されてっからな、迷うことはねェよ。ここもその一角だ」

「ふーん……教会があるの?」


 この世界にも宗教があるらしい。宗教事情は知っておいた方が余計な揉め事を回避出来るだろうと話を振ってみるが、


「ん? そりゃ……あァ、教会ってのは《塔》の窓口のことだ」


 返ってきたのはそんな情報だった。


「……え? 《塔》?」

「熱心な教徒は毎週通って聖下に祈りを捧げるとかなんとか……神頼みってのは性に合わねェからな、俺にゃよく分からねェが」


 ということはつまり、


「《塔》って……宗教団体だったの?」

「ん、言ってなかったか? その通りだ」


 それが世界を統治しているとなると……面倒なことになりそうな予感しかしない。信仰で覆い固められた正義には、論理では対抗できないのが厄介だ。


「まァ宗教つっても、《塔》の連中が崇めてんのは神サマじゃねェ、『天使』だ」

「天使?」

「暴走せし神を止めるべくただ一人立ち上がり、我ら星の民を守るため手を差し伸べて下さった――とかいう、ナントカって大天使様だそうだ」


 ダインは胡散くさそうにそう説明してくれたが、ナツキは知っている。天使は実在するのだということを。何せ、実際に会って言葉を交わしたのだから。

 あの天使と《塔》が崇拝する天使が同じものであるとは限らないが、頭ごなしに御伽噺と決めつけることはできない。


「ってことは、神獣は神様の手下? 天界は今内乱中で、この世界が滅びそうなのはそのとばっちり?」

「……連中の言い分を信じるなら、な」


 話半分に聞いとけ、とダインは手をヒラヒラ振った。


「んでもって、おめぇがさっき泡吹いてたこれァ、無菌室の聖片(サクラメント)だ。原理は知らんが便利だな」

「あーはい、聖片(サクラメント)ね……」


 指で摘んで見せられた白く光る立方体を見て、げんなりと肩を落とす。不思議現象は全て謎の聖片(サクラメント)のせい、で解決するというわけだ。なんとも分かりやすい思考停止である。


「《塔》の人達にとっては、これがその大天使様の奇跡の力ってわけだね?」

「あァ、そうだが……何だ、何も言ってねェのによく分かったな」

「ま、ありがちだし……」


 実際は奇跡でも何でもない、物理科学と魔法科学の結晶体だ。その技術を秘匿しながら天使の奇跡として小出しに流布し、信仰を集めているというわけだ。

 ……《塔》が一気に胡散臭くなってきた。しかし本当に神獣から人々を守っている以上、形だけの悪徳宗教ではないのも確かだ。


 ――まだ、情報が少なすぎる。


 答えの出ない考えを巡らせながら空中回廊をしばらく歩くと、遠くから人々の話す声が風に乗ってきた。それと同時に、端が霞んで見えないほど巨大な金網が進行方向に立ち塞がっているのが見えてくる。


「第五隔壁だ。あの向こうから上流区になる」


 貴族特区側から順に番号づけられた巨大な金網が並んでいて、今見えているのはその五番目、一番端らしい。軍病院の受付はその第五隔壁上にあり、ダインはそこで手早く退院手続きを済ませてくると、ナツキとアイシャを連れて隔壁の外へと出た。


 外には幅10メートルくらいの金属板の足場が長く横に伸びていて、その向こうには何も……割れた天井と空洞を縦に貫く柱以外は何も見えない。空洞の天井がずいぶん近くに見えることからして、かなり高い位置に出たようだ。

 となれば、足場の端まで行けば――


「……おー」


 手すりから頭を乗り出したナツキの眼前に広がったのは、見慣れたフィルツホルンの光景だった。しかし今自分がいるのは、上第四層よりもかなり高い場所――隔壁の側面、そのほとんど最上部だ。

 見上げればすぐ近くに天の亀裂がのぞき、見下ろせば長く果ての見えない直線的層構造の夜景が広がる。隔壁の内部を星空の中と形容するなら、ここはさながら天の川の上だ。


「表面デッキ最上階。フィルツホルンじゃ、ここが一番絶景かもな」


 後ろからついてきたダインの発言を裏付けるように、特に病院には用事もなさそうな若い男女が数組、足場の縁の手すりに手をかけながら談笑している。夜景が綺麗なデートスポットというわけか。


「あの壁際の光がラズの店で……あの辺のロータリーの隙間から漏れてる光がうちのギルドだな」


 ダインが指差した先に目を凝らすと、確かにそれらしい光を見つけることができた。星座でも辿っているような気分だ。


「レンタドール社はどの辺?」

「下流区の地底層がここから見えるかよ。……何だ、おめぇも行くつもりか?」

「むしろ何でボクが行かないと思ったの?」

「……厄介事の種はさっさとラズに引き渡すつもりだったんだが」


 失礼な。厄介事を起こすつもりなんて……、……、まあ、多少はね?


「ほら見ろ、何かやらかしますって顔に書いてあんぞ」

「そんなことないよ」


 どうだか、と鼻を鳴らしてダインは歩き出した。アイシャと一緒について歩き、足場の端にある階段を下っていく。

 隔壁の表面デッキは軽く20階層ほどはあって、足場に沿って隔壁に埋め込まれるような形で様々な店が立ち並ぶその姿は、まるでショッピングモールの通路のようだ。しかしダインの言っていた通りそのほとんどは公的機関や交易所のような見た目で、市場として賑わっている感じではない。

 今は夜だが半分くらいの施設には灯りがついていて、中の様子が伺えるものもあるが、何をしているのか分かるのはちょくちょく見かけるレストランくらいだ。そのレストランも高級そうな感じで、そういえばここは平民の区域の中で最も貴族特区に近い場所なのだと思い出す。


「おい、キョロキョロしてねェで足元見ろ。踏み外したら死ぬぞ」


 各階層を繋いでいるのは、街中にある柱周りの螺旋階段と同じようなスリルたっぷりの階段だ。忠告に従って慎重に足を運ぶこと数分、無事にメインストリートのある基盤層に降り立った。


 それからはもう、普段と同じ街並みだ。メインストリートを下流方向へとずっと下っていく。建物がどんどん薄汚れていき、人々の身なりが貧しくなっていき、悪臭が漂い始めたら、下流区(Dブロック)だ。隔壁からここまで、距離にして10キロくらい――歩けなくはないが、自転車が欲しくなってくる。自動車があるのなら、自転車くらい普及していてもいいと思うのだが。

 そうダインに話を振ってみたら、


「自転車? あァ、あるぞ。《塔》の貸し出し品で見たことあるな」

「貸し出しなんだ……普段使いできたら便利じゃない?」

「んん? どうだろうな。階段が登れないんじゃイマイチ使い所がねェんじゃねェか?」

「あー……」

「それにありゃあ、乗りこなせるようになるまで相当かかっぞ。なんせ車輪が2つしかねェからな」


 確かに、この複雑な立体構造の街ではあまり恩恵がない上、習得コストもかかる。そもそも上流区から下流区まで移動するような状況も滅多になさそうだ。


 そんな話をしている内に、目的地は目と鼻の先になってしまっていた。


「……見えてきたな」

「はい……です」


 メインストリートから外れて階段を下り、これ以上下りられないところまで来れば、そこは下流区地底層。中流区で排出された汚水を含んだ川を水源に貧しい人々が暮らす、貧困地帯だ。

 そんな場所のさらに辺境、他に何も無い荒れた岩陰にあるそれは、監獄のような見た目をしていた。コンクリートのような材質で作られた、平たく横長の無骨な直方体。ところどころに存在する窓らしき穴には黒い鉄格子が嵌められていた。


「……これが、アイシャの帰る場所?」

「はい……わたしの、おうちです」

「あァ。レンタドール社の()()()()だ」


 どう贔屓目に見ても家とは呼称しかねるそれを見て、ダインはそう吐き捨て、アイシャは少し脅えたように顔を伏せた。

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