マイペースな来訪者 Ⅱ
ナツキは、人間か。
わざわざそんなことを聞くということはつまり、リモネちゃんはナツキを例の黒い霧に有効な能力を持って生まれたギフティアか何かだと疑っているのだろう。
「……どういうこと? リモネちゃんには、ボクがラクリマにでも見えるの?」
「質問に答えてください」
リモネちゃんはこちらをじっと見つめている。その両の瞳には、気の力が濃く渦巻いている。
アイオーンのような気巧回路を起動した様子はなかった。……間違いない。リモネちゃんは練気術士だ。さらに正確に言えば――練気術士の、タマゴ。
(残念だが、俺にその勝負を挑むのは命知らずだぞ)
心の中で呟く。リモネちゃんが今行使している術は、相手に発動を気づかれてしまったらもう勝ち目はない類のものだ。気の流れの隠蔽すら体得しないまま、同じ練気術士に対して発動するような術ではない。
「えっと、ボクは人間だよ?」
「っ……。体も、人間ですか?」
「ええ? 人間の体は、普通人間だと思うけど……あ、ラクリマみたいな体つきって言われたことはあるよ。これで忌印があれば完全にラクリマだー、ってさ。ラズさんはお貴族様の忌み子じゃないかって言ってたけど……ほらボク、記憶喪失だから……この体が誰から生まれた子供なのかは、知らないんだ。えへへ、もしかしたらリモネちゃんの言う通り、実はラクリマだったりして――」
「っ、ぁっ、っぐ、ちょ、す、ストップ、ストップっ……はあ、はぁっ……」
答えを紡いでいく度、リモネちゃんは苦しそうに顔を歪める。しまいにはぜぇぜぇと肩で息をしながら、震える手を広げて発言を遮った。
――苦しいだろうな。でも、手を抜くわけにはいかない。アイシャを幸せにすると約束した以上、ここで《塔》とやらに一人だけギフティアとして連れ去られるわけにはいかないんだ。
「どうしたの? 辛そうだけど……」
「いえ、大丈夫、何でもないです。……次の質問です。例の霧の倒し方を知ってますか?」
「さっき言ったでしょ。そんなこと聞かれても、説明できそうなことが何もないよ。……力になれなくて、ごめんね」
「ぁ、ぐ……そう、ですか……。……本当に、ですか?」
そこで不安になるなよ。その「目」で見たんだから。
「…………」
「いや、ちょっと。どーしてそこで黙っちゃうんですか」
「……だって、ボクが答えると、リモネちゃん苦しそうだから……」
追い打ちの趣味はない。このまま続けたら、リモネちゃんの魂に深刻なダメージが入る。……既に彼女の魂を包む気の循環は乱れに乱れ、全治三日くらいの状態になっているはずだ。
今彼女が行使しているのは、ラグナでは《正気》術と呼ばれていた術だ。問いにより条件付けされた相手の返答が、(少なくとも発言者にとって)真実かどうかを高精度に判定できる、平たくいえば嘘発見器である。これを発動中は相手の発言が薄い霧のように「見える」ようになり、その色が緑なら真実、赤なら嘘だということになる。相手の中でも真偽が定まっていない場合は彩度が下がり、逆に完全に信じていたり完全に嘘だと分かって言っていることほど鮮やかに見えるという寸法だ。
それだけ聞けばただの便利な術だが、限定的とは言え相手の心を詳細に読む以上、相応のコストが必要になる。すなわち――相手の発言の真偽が術者の予想を裏切った場合、発言に絡みついた気の力は鋭い刃となり術者を襲うことになる。
「あーすみません、ちょっと持病がありまして。たまに発作が出るだけで、ナツキさんのせいじゃないですよー」
リモネちゃんはそう言ってごまかした。
……どうでもいいけど、「持病の発作」で何かをごまかす人、実在したんだな。
「そう? じゃあ答えるけど……うん、本当だよ。ボクは嘘ついてないよ」
リモネちゃんが術を発動してからここまで、嘘は一つも言っていない。そうなるように、答えを選んだ。ナツキの自己像は人間だし、人間の体は普通は人間だし、ナツキは部分的に記憶喪失だし、理解してもらえる内容で説明できる霧対策は存在しない。全て真実だ。
屁理屈だろうが何だろうが、《正気》術で真偽を判定できるのは言葉になった部分のみ。それを逆手に取って本質的に虚偽の証言を通すのはそこまで簡単な話ではないが、ラグナで散々訓練させられたナツキにとっては難しくはない。……そこそこ神経はすり減るが。
「っ……、分かり、ました。……変なこと聞いちゃいましたね、ごめんなさい」
リモネちゃんの目から気の力の渦が消えた。諦めてくれたらしい。
「んーん、お仕事だもん、仕方ないよ。他にも何か聞く?」
「や、事情聴取はもういいです。で……そーですね、お詫びに傷の治療でもして帰りましょーか」
「えっ、傷の治療?」
それは助かる。入院生活なんて短いに越したことはない。
少し身を乗り出すと、リモネちゃんは懐から一本の試験管を取り出した。
「じゃーん。《塔》の連中からせしめて来ました。一本だけ」
中の液体の色は、緑。……ラグナと同じなら、中級ポーションだ。
「それって……回復薬?」
「話くらいは聞いたことあるんじゃないです? 中級回復薬ってやつですよ。大抵の傷は一瞬で治る、意味不明にヤバいお薬……貴族にすら流通してません。当然聖片ですけど、安全性は《塔》に誓って保証しますよ」
回復薬は聖片――つまり《塔》によって製造されているらしい。ラグナでの製法に則るなら製造過程に魔法の行使が必要なわけで、魔法は《塔》が管理しているのだから、当然といえば当然だ。
「《塔》からせしめたって言ってたけど……それ、使ってホントに大丈夫なやつ? 権力に消されない?」
「大丈夫です。証拠は潰してきたので」
「証拠ってなに!? 怖いよ!? っていうか一本しかないのにボクに使っちゃうの!?」
「だいじょーぶですって。何かあったらあたしが全部責任取りますから」
言いながら、リモネちゃんはナツキの体に巻かれた包帯を解き始めた。
「え、な、なんで包帯取るの……? 飲み薬だよね?」
「中級薬で治らないほどの傷だったら使い損じゃないですか。診察ですよ」
「あー、そっか……?」
さっきかなり詳細に傷の具合を報告してくれたような気がするが、まあいいか。それほど貴重な品なのだろう。
というか寝てればいずれ治りそうな自分よりも、自然治癒しないアイシャの左手を治して欲しい。そう思ってアイシャを見ると、言いたいことが伝わったのか、アイシャは無言でふるふると首を横に振って笑った。
「(ボクの傷は安静にしてればそのうち治るよ。でもアイシャの手は違うでしょ。……遠慮しなくていいんだよ、アイシャを幸せにするって約束したんだから)」
リモネちゃんに気づかれないよう、《念話》術でアイシャに言葉を飛ばす。アイシャは一瞬びっくりした後、そうじゃない、と言うように再び首を振った。
「(……リモネちゃんにアイシャを優先させるのは、ボクじゃ無理?)」
アイシャは頷く。……リモネちゃんの権力や立ち位置、アイシャとリモネちゃんの仕事上の関係性、そのあたりのしがらみがありそうだ。
「(分かった。でもなるべく早く、アイシャの分の薬も手に入れるからね。約束するよ)」
そう念話を飛ばすと、アイシャは嬉しそうに少し微笑んだ。
存在は確認したのだから、入手手段は必ずある。リモネちゃんのように「《塔》の連中からせしめて」くればいいのだ。その方法をどうやって知るかが問題だが……ダインあたりに聞いてみようか。
そんなことを考えているうちに、あっという間に上半身の包帯が巻き取られてしまった。ほんの少しだけ膨らんでいるようないないようなつるぺたバストと共に、へその上あたりの大きな傷が露わになる。
……この体にこんな大きな傷痕が残るのはちょっと、嫌だな。是非とも回復薬で治してもらいたいところだ。
「ふむ」
あちらこちらをぺたぺたと触診される。少しくすぐったい。ぺたぺた。ぺたぺた。ふにふに。ぺたぺた。ふにふに……
「……胸を揉む必要は、ないよね?」
「や、ちっちゃいなと」
「つるぺたで悪かったね!」
何せこの体はまだ8歳(ということになっている)。つるぺたで当然なのであって、成長すれば大きくなるはずだ。きっと。そう信じたい。
……いや待て、体は女の子でも心は男だ。別に大きくしたい願望があるわけでは、ない……はず……なのだが……いや、せっかく女の子に生まれ変わったのだから……待て待て。何を考えているんだ。落ち着け。
ぐいっ、くるくるくる――
「……ん?」
成人男性と幼女の思考の狭間で悶々としていたら、いつの間にか身体を持ち上げられ、下半身の包帯まで全て巻き取られていた。
すっぽんぽんである。
「ちょちょちょっちょ待って待って、何!? 何で!? おなかの傷見るんだよね!?」
慌てて見えてはいけない部分を手で隠した。ダインといいラムダといい、何故こうもこの世界の住人はこうなのか。8歳幼女なんて羞恥心の芽生えもまだだとでも思っているのだろうか。小学四年生だぞ?
……いやでも、リモネちゃんは女の子だから、いいのか。……本当にいいのか?
「……なるほど。女の子ですねー」
「ぺったんこすぎて男の子に見えたってこと!? ボクまだ8歳だからね!? これからいろいろ大きくなるんだもんっ!」
どこからか羞恥心と怒りが湧いてきたので、それをそのまま叫んでしまった。……ラムダにワンピースの中を見られたときや陽だまり亭での処女宣言のときもそうだったが、この羞恥心は一体どこからやってくるのだろうか。幼女ボディが生み出すホルモンか何かのせいなのか、幼女ロールプレイのやり過ぎで自我が塗り替えられているのか、はたまたその両方か――
「はい、力抜いて横になってー」
「ねえちょっと聞いてる!?」
「痛かったら言ってくださいね」
リモネちゃんは全く聞く耳を持ってくれない。憮然としながらベッドに仰向けに倒された。
痛みをフィードバックする必要があるならと、痛覚コントロールを解除する。腹部と足の疼痛が蘇ってきた。……そういえばお腹を刺されただけじゃなく、足もボロボロになるまで酷使したんだった。
「っ、いた、リモネちゃんそこ痛い」
お腹を指圧され、疼痛が刺すような痛みに変わった。手を挙げて報告。
「我慢してくださいねー」
「あっ出た! 痛かったら言えとは言うけどやめてくれるわけじゃないやつ! ひど……あっ、痛い、痛いってば!」
「ほら、痛いの痛いのとんでけー」
「頭撫でられても痛いのはおなかと足だよっ」
「ふむふむ……」
マイペースなリモネちゃんに体をくまなく撫でられ揉まれ、痛みとくすぐったさと恥ずかしさに耐え続けること数分、リモネちゃんは手を止めてじっと考え込み始めた。
「はぁ、はぁ……ど、どうなのさ……?」
涙目で聞くナツキを見て、リモネちゃんはとても申し訳なさそうに首を横に振った。そうか、中級回復薬でも治せないほどの傷なのか……
「あたし医療知識は無いんで、よく分かんないんですよね」
待てやおい。
「いやいやいや!? じゃあ今の何だったの!? え、ボクくすぐられ損ってこと!?」
「やはー、かわいい幼女とお医者さんごっこできてあたしはほくほくですよ。最後にぎゅーしていいですか? じゅるり」
「ひっ……絶対にいやだ!」
こいつロリコンかよ! 見かけによらないにも程がある!
痛覚コントロールを再開。体を起こして丸まり、鼻息の荒いリモネちゃんから距離を取る。
……しかし痛覚を切ったからと言って、怪我で弱りきった体が動くようになるわけではなかった。ひょいと高く持ち上げられ、ぎゅっと抱きしめられてしまう。……お腹に顔をうずめられた。
「はぁ……あったかいですねー……いい匂い。すぅ~っ」
「ぎゃー! やーめーてー!」
ぽかぽか頭を叩いて抵抗する。大きなキャスケット帽にもふもふとダメージを吸収された。
「このぷにぷに感、たまらんです……はぁ……好き……」
「へっ、変態、だぁ……っ! そうだ、アイシャ、アイシャ助けて!」
ベッド脇の椅子に座っているアイシャの存在を思い出し、助けを求める。しかしアイシャはおろおろと首を横に振った。
「ご、ごめんなさいです、わたしはここから動けないのです……」
「なんで……あ、リモネちゃんに座ってろって言われたから!? じゃあ命令! 助けてー!」
「リモネさんの命令の方が上位なのです……」
「そのとーり。あたしは全ドールの管理者ですよー」
「全ドールの管理者にこんなロリコン配備したの!? 助けて、誰か、誰かーっ!」
もうこうなったら身体強化で無理やり振りほどくしか……と覚悟を決めかけたところで、バン! とドアが開いた。
「何事だ!?」
救難信号が届いた! やっぱり変態に襲われたら大声で助けを呼ぶのは正しい!
部屋に飛び込んできてくれた人間は、なんと知った顔だった。――ナツキに低級回復薬をくれた、やたら格式張った口調の剣士の少年だ。
彼はリモネちゃんに抱き上げられた涙目全裸のナツキを見てぎょっと目を剥き、すぐさま視線を逸らし、
「こら。秘密の花園は男子禁制ですよ」
「……し、失礼した……」
リモネちゃんに睨まれ、そそくさと部屋を出ていった。
女の子に対する礼儀というものを弁えている。うんうん。ダインやラムダにも見習って欲しいものだ。
…………。
「待って行かないで! 助けて! 入っていいからぁ!」