マイペースな来訪者 Ⅰ
握手を交わし、アイシャと友達になった。アイシャは握手の意味がよく分かっていないようだったが、大切な友達になった証だと教えると慌てふためいた。しばらく慌てふためいて、いきなりピタリと止まったかと思うと、「たいせつ……そういうことですか」と何かに納得し、安心したようにため息をついた。納得してくれたようで何よりだ。
「それで、ここは……どこ? ボクはどうして助かったの?」
いろいろあって後回しになってしまったが、本来まず確認すべきはそれだ。
アイシャは森で見たものと同じ、ボロボロの皮鎧をそのまま着ている。自分は、と体を見下ろすと、ワンピースも下着も全て脱がされていて、首から下は全身包帯ぐるぐる巻きのミイラ状態だった。
ぐるりと周囲を見渡す。今自分たちがいるのは、一つだけドアのついた、窓のない小さな部屋のようだ。内装は真っ白で、ナツキは白いベッドに寝かせられていて、アイシャはその脇の丸椅子に座っていた。天井にいくつも埋め込まれた白い照明が、部屋全体を明るく照らしている。
病室、だろうか。
「ここはフィルツホルンの軍病院なのです」
「軍病院?」
「オペレーターさんとか、ハンターさんとか……神獣や使い魔と戦って怪我をした人たちが、お薬をもらったり、入院したりするところなのです」
なるほど。そうなると気になるのは、
「……お金は?」
「ダインさんが……えっと、プラス二ヶ月? って言ってたです」
「ああああああぁぁぁああっ……」
「わっ、ど、どうしたですか」
病院であることも忘れ、頭を抱えて絶叫してしまった。また就労期間が伸びた。計六ヶ月……半年じゃないか。
「まあ、しばらく行くあても無いし……いいかな……」
むしろ住まわせてもらっている身だ。いつまでも居候のままでこちらが申し訳ないくらいだし、幼女にはちょっとだけ忙しすぎて大変で死にそうな仕事が毎日課される以外、特に不満はないのだ。……そう無理やり納得する。
看板娘として定着してしまって、離れようにも離れられなくならないように気をつけるとしよう。
その後は、気を失ってからこれまでのことをアイシャが話してくれた。あの直後にアイシャのオペレーターの意識が戻り、ナツキを背負ってアイシャと一緒に逃げてくれたらしい。そんな殊勝な奴だとは思わなかったと言ったら、何でもあの黒い霧に操られている間も意識は完全には消えていなかったようで、ナツキを刺してナツキに助けられた一部始終を認知していたそうだ。その罪滅ぼしとお礼なんだとか。……その誠実さを少しでいいからアイシャにも向けて欲しいものだ。
橋まで戻ると、軍の兵士とダインたちが大口論をしていたらしい。ナツキを助けに行くと言うダインたちを、ミイラ取りがミイラになると兵士が諭していたのだそうだ。
アイシャ達三人はすぐに医療テントに運び込まれ、治療を受けた。あの剣士の少年がまた回復薬を分けてくれたらしい。
この時既にナツキの心臓は止まっていて、アイシャは血液の三分の一が失われていたそうだ。ナツキは応急人工心肺装置に繋がれながらフィルツホルンまで搬送され、もっといろいろな治療を受け、今に至る、と。時間としては、まだ倒れてから一日も経過していないようだ。
「アイシャはちゃんと治療してもらえたの?」
「……はいです。最初はもちろん放っておかれて、ここで星に還るんだって思ったですけど……ダインさんが、新型神獣の使い魔と戦って生き残った貴重な証言者だ、って言ってくれたです。だから、ほら」
ひょい、とアイシャは左腕を持ち上げて見せた。
ずっとベッドの角やらアイシャの体やらに隠れて見えなかった、……あるいはアイシャがわざと見せないようにしていた、左腕の先。手首より先は……なかった。ただ白い包帯が、巻き付けられていた。
「包帯、巻いてもらえたのです」
驚くべきことを告げるような表情だった。……事実、この世界では驚くべきことなのだろう。
「……それは、ちゃんと治療してもらえたとは言わないよ、アイシャ」
地球はともかく、少なくともラグナなら、中級回復魔法なり中級ポーションなりで完治させられる傷だ。ラクリマだからと薬の消費を惜しまれたか、あるいは薬が高価すぎるのか……
「ふぇ? ……あ、血もちゃんともらえたですよ。期限切れの輸血パックがあってよかったのです」
「期限切れ!?」
「だ、大丈夫なのですよ。ほら、賞味期限切れのほうがおいしいって言うですから」
「そんな軽い話じゃ……はぁ、ごめん。アイシャに言っても仕方ないよね」
人間とラクリマが共に戦える未来、道のりは遠そうだ。
「あと、腕の上の方の怪我は、青いお薬を飲んだら治ったです」
そう言って、アイシャは左の二の腕を見せてくれた。ひどい裂傷があったはずの部分が、綺麗に元通りになっていた。
青いお薬。ナツキがハンターの少年にもらったポーションと同じものだろう。低級ポーションでは手首の欠損や内臓損傷といった大怪我までは直せない。ナイフに貫かれた自分の腹部も治っていないことを考えると、そもそも中級以上のポーションは病院ですらほいほい使えるものではないのかもしれない。
これは自分もしばらく入院コースかな、と思っていると、コンコンと扉がノックされた。
「えー、ナツキさん? 入りますよー」
「あ、はい、どうぞー」
女性の声。医者か、看護師かだろう。そう思い入室を促すと、
「はいどーも。目が覚めたと聞きまして。いやはや、すごい生命力」
入ってきたのは10代半ばくらいの、どう見ても医者でも看護師でもなさそうな少女だった。栗色の髪を短めの二つ結びにして大きな赤いキャスケットを被り、学校の制服を改造したようなボタン付きの服をきっちりと身にまとっている。香水でもつけているのか、ふわりと仄かな柑橘系のいい香りが漂ってきた。
……どこかで、会っただろうか。顔に見覚えがないこともない。『子猫の陽だまり亭』のお客さんかもしれない。常連さんではないのは確かだ。
予想外の来客にあれこれ考えながら固まるナツキを、少女はじろじろと眺め、やがてこめかみを押さえて溜息をついた。
「えーと……あの?」
誰? 何の用? そう問いかける視線には答えず、少女は片手に持ったバインダー上の資料をパラパラめくりながら喋りだした。
「……心停止から30分、低級回復薬投与のみで放置。心肺蘇生後もほとんど失血死状態。殺傷用ナイフで腹部貫通、胃は串刺し、さらに何故か両足の骨も筋肉もズタズタボロボロ。さらにさらに? 魂の損耗がざっと見積もって五年弱? ……いや五年弱って、アイオーンのリミッター外してぶん回しでもしたんですか? バカなんですか?」
少女の口から、滝のようにナツキの症状一覧が流れ落ちてきた。まあ、そんなところだろう。《転魂》術では寿命四年分しか使っていないはずだが、ラグナで悪魔の剣に吸われた分も含めた累積値ならそれくらいだ。
うんうん、と頷いていると、隣にいたアイシャがわなわなと震え出した。
「アイシャ?」
「ご……ごめ、ごめんなさいです、ナツキさん、わた、わたし……わたしのせいで」
「え? いやいや、アイシャのせいじゃ――」
「寿命が五年もなくなってしまったですよ!? なんでそんな平気な顔してるですか!」
「あはは、まあ覚悟してやったことだし……その分アイシャの寿命がたくさん伸びたからいいんだよ」
「何も良くないのです!」
謝っているのか怒っているのかよく分からない。
キャスケットの少女はそんなアイシャを驚いたような目で見て、ほう、と顎に親指を当てた。
「ずいぶん元気なドールですねー。感染個体です?」
「はっ、はいっ! ごめんなさい!」
「アイシャに何か?」
じろりと睨むと、少女は少し慌てたようにぱたぱたと手を振った。
「や、違う違う。珍しいなと。……ドロップスの感染個体は、ドールになると大抵は精神的に追い詰められて自殺しますから。元気な子は本当に珍しいんですよ」
「……そうなんだ」
少女がアイシャを見る視線からは、負の感情も正の感情もあまり読み取れない。それでも、少しだけ嬉しそうに見えた、気がした。
「あーそれと、あなたがボロッボロになったのはその子を助けに行ったから、ってのは聞いてます。えー、アイシャ=エク=フェリス。追い出したりはしないので、そのままそこに座っているように」
バインダー上の資料を目で追いながら、少女はそうアイシャに命じた。ぶっきらぼうな命令口調ではあったが、少し温かみを感じたのは気のせいだろうか。
「えっと、それで……キミは誰なのかな。ボクと会ったことある?」
「およ? ……あっ、そういえば自己紹介してなかったですね」
どうやら素で忘れていたようで、ナツキの誰何に少女はぽんと手を打った。バインダーを左脇に抱えてぴんと背筋を伸ばし、右の掌を左胸――心臓の位置に添えてこちらを見る。
「初めまして、ナツキさん。人民解放軍フィルツホルン支部参謀本部、ドールオペレーション課のリモネです。以後、お見知り置きを」
ぺこり、と綺麗に腰を折る。これまでのマイペースな雰囲気はどこに消えたのか、すらりと丁寧な挨拶だった。
人民解放軍――「軍」の正式名称だ。まさか軍人だとは思わなかったが、その前に、何かが頭の奥で引っかかった。
「リモネ、さん……あれ、やっぱりボクその名前、どこかで……」
「リモネちゃんでいーですよ。聞いたことあります? まーそこそこ名前が売れてる自覚はありますけども。参謀本部の元気印、花ざかりの14歳、みんなのチュートリアル美少女リモネちゃんですよーっと」
この世界の敬礼らしき姿勢を崩すと、軍人少女リモネちゃんは元の調子に戻った。このテキトーな態度がデフォルトらしい。みんなのチュートリアル美少女ってなんだ?
「……うーん?」
しかしいくら記憶を辿っても、話した覚えはない。彼女の言う通り、初めましてのはずだ。『子猫の陽だまり亭』のお客さんの噂話でも聞いたのだろうか。
「まあいいや。それで、軍人さんがボクに何の用?」
「例の『黒い霧』について少しお話を聞きたくてですね。……正直、お手上げなんですよー」
リモネちゃんは疲れたように溜息をついた。
「誰に聞いても言うことは一緒。黒い霧が口に入ったら仲間が化け物になった。頭を吹き飛ばせば殺せる――って事後処理情報だけがあって、肝心の事前予防手段はわからない。……そんなんじゃギフティアの子達は動かせないんですよね」
そう言って肩をすくめる。
……命の戦術的価値の話だ。普通のラクリマであるドロップスのそれは人間より軽くても、異能を持つギフティアはむしろ人間より重いらしい。
「予防手段なんて、ボクにも分からないよ?」
あの黒い霧を悪霊の一種とするならば、憑依を防ぐ手段はいろいろとある。しかしそれはラグナの、高度に体系化された魔法学あっての話だ。魂の周りを気の流れで覆い固めろとか、体表にマナで防護膜を張れとか、そんなアドバイスが通じるわけもない。マナを使った方法はナツキだってできないのである。ましてや、魂を脇に退けて誘い込んで閉じ込めて倒す、なんてのは練気術に慣れきっているナツキだからできた芸当だ。
「ナツキさん、あなたは霧に襲われても無事だったと聞いています」
「運が良かっただけだよ」
「運が良ければ助かるなら、他にも生還者がいるはずですよね?」
目を細め、じっとこちらを見つめる。
「霧に襲われて生還したのは、あなたが助けたオペレーターと、あなただけなんですよ」
何か知っているんでしょう、とその目が追及をかけてくる。
霧に出ていけと強く念じたとか、適当なことを言ってごまかすことはできるだろう。しかし実際には、悪霊対策はただの精神論ではどうにもならない。憑依は魔法であって、その防御は立派な魔法的技術だ。ナツキの言うことを真に受けて戦いに出られてしまって、甚大な被害が発生する可能性も否めない。
「……そんなこと言われても、困るよ。ボクはただ、アイシャを助けなきゃって、それだけ考えてたんだ」
力がバレて危険分子と見なされれば、《塔》に排除される。――ダインはそう言っていた。《塔》に近い場所にいるのだろうこのリモネという少女に、どれだけのことを言ってしまっていいのか……情報が全く足りない。この場ではしらばっくれるしかない。
「ふむー。なら、聞き方を変えましょーか」
リモネちゃんは一旦目を閉じ、
「ナツキさん。――あなたは、本当に人間ですか?」
気を纏った目を開いてこちらを見据え、そう聞いた。
リモネちゃんのイメージラフはこちら。
https://twitter.com/dimpanacot/status/1304919250113499136