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エンゼルフォール:エンドロール ~転生幼女のサードライフ~  作者: ぱねこっと
第一章【星の涙】Ⅲ お肉屋さんのお手伝い
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最初の一歩

 ……何か、不思議な夢を――見ていた、気がする。


 目を開けると、見知らぬ天井があった。

 薬品の匂いがする。


「……ここは……」


 喉から出てきたのは、もはや聞き慣れてしまった声。幼女ナツキの、高い声だ。

 右腕を持ち上げようとした。何かに引っかかったように、動かない。

 代わりに左腕を持ち上げてみれば、小さな手のひらが視界に入る。意思通りにふにふに動く、自分の手だ。


 まさか、あの状況下で……助かったというのか。


 身体を起こそうと腹筋に力を入れて――上腹部に、思い出したような激痛が走った。


「いっづ……!?」


 そうだった。ナイフで串刺しにされたんだった。

 反射的に練気術で痛覚を遮断し、起き上がるだけ起き上がってみることにする。

 ……起き上がれなかった。何かが胸の上に乗っている。身体強化をしていない素の幼女ボディの腹筋では、持ち上げられない。

 右腕が上がらない理由も、これが乗っているからか。

 首だけ少し持ち上げて視線を下ろすと、ぼんやりと黒い塊が見えた。……起きたばかりだからか、焦点が定まらない。


「何だ、これ……」


 自由に動く左手で、胸の上の異物をどけようとする。


 ――さら、ふわ。


 陽だまりのように温かい、固くて丸いものを覆うように、柔らかな繊維と、ふわふわの突起。

 まだ覚醒しきらないまま、ぽかぽかしてさらさらと触り心地のよいそれを撫でていると、ふわふわの突起がピクリと揺れた。


 あ、これ……頭だ。

 そう気づくと同時に、胸と右手を抑える重さが消えた。


「ナツ、キ……さん……?」


 天井しか見えていなかった視界に、寝ぼけ眼の幼女が入ってきた。

 ようやく、焦点が合っていく。

 夜のように黒く綺麗なのに、ろくに手入れされていないようでぼさぼさの長髪の上に、同じ夜色の大きな猫耳が、ふたつ。気弱そうでしかし真っ直ぐな、ぱっちりと大きな金色の瞳が、揺れた。

 ……アイシャ。


「……良かった、助かったんだな」


 左手を上げて、こちらを覗き込む顔に手を添える。……温かく、柔らかい。ゾンビでも死霊でもない、ちゃんと生きている。

 アイシャはハッと目を見開き、震える右手をナツキの手に重ねた。


「ふ……うぇ……ナツキさんが……起きた、です……夢じゃ、ないです……?」


 ぽろぽろと、大粒の涙がこぼれ落ちてくる。


「ん、おはよう。……どうした、泣くなよ」

「ぅ、ぁ……ぅぁあ――ナツキさん、ナツギざんっ……」


 顔をくしゃくしゃに歪めて、アイシャが再び胸の上に落ちてきた。縋り付くように、ぎゅぅと背中まで手が回される。


「心配、したです……もう、起きない、かもって、ひぐっ、言われっ、言われて、わたし、えぐっ、わたしっ」

「はは、んな大げさな……」

「心臓がっ、止まってたですよ!? 大げさじゃないのです!」


 ガバッと身体を上げて、アイシャはこちらをキッと睨んだ。そしてすぐ、再びくしゃりと顔を歪めて泣き出してしまう。

 どうやら自分はやっぱり、そこそこ死の淵を彷徨っていたらしい。……そう言われてみれば、花畑が見えたような気がしないでもない……


「……ごめんな。でもそれを言ったら、お前だって大概だぞ。……見つけた段階でもう失血死寸前だったんだから」

「……お医者さんに、なんで動いてるかわからない、って言われた、です」

「はは、だろうな。……ちゃんと森の外に出られるくらいの力は渡せたみたいで、よかった」

「よかった、じゃないのです!」


 ぎゅう。アイシャの腕に力が入る。


「わたしの、わたしなんかのために、えぐっ、治療、して、よくわからない力も、分けてくれてっ……」

 

 気の力な。


「わたしは元気に、動けるようになってっ、なのに、ナツキさんはっ、全然、動かなくて……なんで、どうして……わたしは、ラクリマで、不良品(ジャンク)の、感染個体のっ、出来損ないの……助ける価値なんて……」

「やめろ」


 それ以上は、耐えられなかった。身体強化でアイシャごと上半身を跳ね上げる。アイシャの肩を掴み、顔を突き合わせた。


「ナツキ、さん?」


 泣き腫らして赤くなった目が、ぱちくりとこちらを見た。


「ラクリマ、不良品(ジャンク)、感染個体? だから何だってんだよ。どこが出来損ないだこの馬鹿」

「ふぇ、え……? そ、そもそもっ、わたしは、ラクリマはっ、人間じゃ――」

「それが何だ!」

「ふぇぇっ……」


 まさか怒られるとは思っていなかったのか、アイシャの濡れた目が困惑に揺れる。何を言っているのか分からない、という顔。

 ……もう、うんざりだ。


「なあ、アイシャ。ラクリマって、いろんな見た目の奴がいるよな。猫っぽかったり、巻き角生えてたり」

「……はい、です。いろんな種類の忌印(シグナ)があるです」

忌印(シグナ)、いいよな。人間にはないラクリマの特徴。それだけで個性だ」

「ふぇっ!?」


 アイシャの猫耳がピンと立った。


「特ににー子やお前のその猫耳、何だ? かわいすぎるぞ。俺にもよこせ」

「ななっ、な……こ、これはっ、取れないのです! のでっ」


 猫耳をぺたりと倒し、アイシャは首をぶんぶんと横に振った。


「そうやって感情が動きに出るのがいいよな。耳見てるだけで何考えてるか分かって楽しい」

「ふぇ、ぁぅ……そ……それは、わたしが感染個体で……」

「なら、俺は感染してるラクリマの方が好きだな」

「えっ、え……ええっ?」

「うちの店来て客に聞いてみろよ。みんなそう言うぞ。なんせマスコットキャラにあのにー子が就任したからな。今、にー子目当ての客で大繁盛なんだよ」

「そんなはず、ないです! だって、だってわたしたちは、感染個体は、人間の子供みたいにいろいろ考えちゃう、気持ち悪いラクリマでっ」


 そう反論するアイシャの目は、本気だ。人間の真似事をするラクリマは気持ち悪いものだと、本気で信じている。


「誰かにそう言われたのか?」

「……みんな、そう言うです。管理人さんも、オペレーターさんも」

「それ以外は?」

「ハンターさんも……」

「他には?」

「…………えっと」


 答えに詰まる。


「……何だよ、それっぽっちで『みんな』なのか? 宿屋や飯屋の店主はどうだ? 八百屋は? その辺歩いてる子供は? スラムのヤクザ連中は? そもそもお前の言うハンターとオペレーターってのは、見かける奴全員に聞いて回ったのか?」

「そっ、そんなことしてませんっ。そんなことしたら嫌がられるです、迷惑ですっ」


 ぎゅっと目を閉じ、ふるふると首を振る。


「じゃあ全然分からないだろ。……少なくとも、うちの店に来る奴らは皆……八百屋のキールさんも、鍛冶屋のドボガスじいさんも、医者のリリムさんも、《モンキーズ》ってハンターパーティの連中も――みんな、お前の言うところの、人間の子供みたいで気持ち悪い感染ラクリマのにー子が大好きだぞ」


 ぱっと出てきたお客さんの名前を、何人も挙げていく。最近じゃ、にー子を抱きしめて満足して何も頼まずに帰ろうとする奴までいる。入店料でも取ってやろうか。


 しかしそれでもアイシャは、イヤイヤと首を振った。


「うそ……うそです、だって、わたしに話しかける人は誰も、一人も、そんなこと言わなかったです……」


 ……いきなり自分の常識と違うことを突きつけられても、簡単には信じられないか。


「ならアイシャにとって、俺がその最初の一人だ」

「え……」

「いいかよく聞け、ラクリマで感染個体で不良品(ジャンク)の、アイシャ=エク=フェリス」


 猫耳が、ぴくりと揺れる。


「ラクリマは人間と違って、耳やら尻尾やら、個性的な特徴がある。それは魅力だ」

「っ……」

「感染ってのはこの場合、感情に染まったって意味だろ。生まれたときは感じたり考えたりできなかったのに、できるようになったんだ。友達と話したり、遊んだり、笑ったり、喧嘩したりできるってことだ。感染してない奴らにはできないことが、たくさんできる。すごいじゃないか。もっと誇っていいんだ」

「……そん、な、こと」

不良品(ジャンク)ってのは、調整が上手くいかなかったって意味だろ? そりゃ幸運だ。子供をロボットみたいな戦闘兵器にする調整なんて、失敗したほうがいいに決まってる」


 声を上げなくても、そう思っている人はたくさんいるはずだ。あのダインだってそうなのだから。

 しかしアイシャはなお、震える声で反駁する。


「そんな、こと、ないのです。ドールは、兵器だから、何も考えちゃ、だめで――」

「違う。そこがまず違う!」

「違わないのですっ!」


 ……そうやって自分を規定して、否定するから、何も受け入れられなくなるんだ。


 アイシャの肩を引きよせ、ぎゅっと抱きしめる。


「ふわぅぁっ……な、ナツキさ……!?」


 温かい。突然抱きしめられて驚いたのか、とくんとくんと伝わってくる鼓動のスピードが速い。視界の端で、猫耳が慌てたようにぴこぴこと忙しなく動いている。


 ……こんな兵器が、あってたまるか。


「お前は兵器じゃない。ラクリマって種族の女の子だ。人間って種族と同じように、いろいろ考えて、笑って、泣いて、精一杯生きて……そうしていい、それを望んでいいんだ」

「ぅ、え、でも、でも、神獣を」

「ラクリマが兵器なんじゃない。馬鹿な人間共が、自分勝手に、ラクリマを兵器にしたんだ。神獣と戦うのに、自分たちが死にたくないからって……肩を並べて戦うべきなのに、お前らを一方的に盾にすることを選んだ馬鹿な奴らがいたんだ」

「っ……」

「神獣とは戦わなきゃ、生き残れない。それは正しいさ。でもその役目を、一番危険な部分を一つの種族に押し付けるのは、違うだろ。……そう思わないか?」


 そう問いかけると、アイシャはしばらく黙り込んで、しかし再び首を横に振った。


「ラクリマは……星が生み出す、無限の命なのです。星に還ったら、またラクリマとして生まれてくるです。だから……人間の命とは、価値がぜんぜん違うです。アイオーンに食べられたり、神獣に壊されるのは、価値の低い命を使うべきなのです」


 冷めた声色。厳然たる事実を前に、どうしようもないと全てを諦め悟ったような、そんな話し方だった。


「ならお前は、アイシャ=エク=フェリスって個人は、不死身なのか? 生まれ変わる前の記憶があるのか? 種族としてじゃない、一人ひとりの命について考えたことはあるか?」

「それはっ……でも、そうしないとこの星は、ノアは、滅んでしまうです。わたしより、星の方が大切です。違うです?」


 そう。理詰めで考えると、どうしてもそこに行き着いてしまう。アイシャの主張は、完全に間違っている訳ではないのだ。

 ダインも言っていた、人間とラクリマの最大の違い。人間は生殖しなければ増えず、兵士として戦えるほど成長するのに長い年月が必要だが、ラクリマは死んだ分だけすぐにどこかの遺跡に現れ、3年ほど調整・訓練すれば充分戦えるようになる。生まれ変わりの過程が観測されたわけではないが、統計データ上ほぼ間違いなく、この星に存在するラクリマの総数は常に一定に保たれているのだそうだ。

 戦争において、人の命はそれぞれ戦術的価値を割り当てられ、資産と化す。死んでも惜しくない命が優先的に死地に追いやられ、温存しなければならない命は守られる。いつまで戦いが続くか分からない場合の指揮官の采配としては、ラクリマを戦わせるのが最善手だろう。それを論理的に、戦術的に否定するのは困難だ。


 ――でも。


「確かに、アイシャの言うそれは……星を延命するための、今一番堅実な手段だ。何百年前だかからずっとこの星を守り続けてる、経験と実績に裏付けられた生存戦略だ」

「そうなのです」

「つまり、全然ダメだ」

「……えっ」


 猫耳がぴこんと立った。


「何百年もかけて、全く事態が好転してない。人々は神獣に怯えて暮らしてる。毎日のように、戦場で誰かが死んでる。あと何千年、そんな状態を続けるつもりだ? これ以上神獣が強くなったらどうする? この星に必要なのは延命手段じゃない、戦いを終わらせる手段だ」

「そ、れは……でも、他にどうすれば」

「どうすればいいと思う?」

「ふぇ!?」


 まさか聞き返されるとは思っていなかったのか、アイシャの猫耳が狼狽してぴこぴこ動いた。

 抱擁を解いて、正面からアイシャの顔を見る。……難しい顔で考え込んでいた。


「考えたこともなかったか?」

「……はいです」

「じゃあ……神獣ってのはどこから来るんだ? そこに攻め込む方法はあるのか?」

「知らない、です」

「なら、何故神獣は人間やラクリマを襲うんだ? 目的は何だ?」

「……分からないです」

「そうだな、俺も分からん。だからどうすればいいのかなんて、もっと分からん」

「……!?」


 教えてくれるんじゃないのか、とばかりに目をぱちくりさせた。それができれば苦労はしない。


「でも今のままじゃいけないのは分かるだろ? だから考えて、調べて、研究して、答えを探すんだ」

「答えを、探す……」

「そうだ。今の状態が絶対的なものだなんて、決めつけるな。諦めるな。ラクリマが、お前自身が笑える世界への道を探せ。この世界に慣れきった人間共はそんなこと考えちゃいない。ラクリマが声を上げて、考えて、人間にも訴えかけるんだ。でもって……考えて行動できるラクリマは、感染個体だけだ」


 そう投げつけた言葉に、アイシャはハッと息を飲んだ。少し何かを考えるように目が動いたが、やがて俯いてしまった。


 ――ダメか。

 そう思いかけた時、


「……ですか」


 小さな、震える声が聞こえた。


「わたしは……諦めなくて、いいのですか」

「……ああ」

「痛いの、我慢しなくて、いいのですか」

「ああ」

「泣いたり、笑ったりしても、いいのですか」

「もちろん」


 ぽつり、ぽつりと、アイシャの心が溢れ出す。

 そんなこともいちいち他人に確認しなければならないほど、彼女の自我は押しつぶされて来たのだ。その事実に気づいて、思わず泣いてしまいそうになった。


「わたし……幸せになりたいと、願っても……いいの、ですか……?」


 ぽろぽろと大粒の涙を零しながら、アイシャは顔を上げて聞いた。


「当たり前だ」


 再びぎゅっと抱き寄せる。……分かりやすい、幸せの形だ。

 一瞬強ばった体から、すっと力が抜けて、静かに嗚咽を上げ始めた。震える背中をぽんぽんと叩く。……昔、秋葉が泣き出したときはよくこうして慰めたものだ。


「アイシャが願わなくたって、俺が願ってやる。森で最後に言っただろ、『幸せになれ』って」

「ぅっ……ひぅっ……覚えて、えぐっ、ないのです……混乱、してて……」

「そりゃ残念」

「……だから、ひぐっ、……あの、もう一度言ってっ、欲しいのです……」


 アイシャは腕の中にすっぽり収まっている。平静を装ってはいるが、身体をガチガチに緊張させながら、恐る恐る言っているのが分かった。……人にお願いをするという行為が、怖いのだ。


 それでもアイシャは一歩、足を踏み出した。


 ――なら、こちらも一歩、踏み出そう。


「幸せになれ、アイシャ。むしろ、俺が全力でお前を幸せにしてやるからな、覚悟しておけ」

「ふぇええっ!?」


 考えてみれば、「幸せになれ」というのは無責任な言葉だ。場合によっては、お前は今幸せではない、と暴言を投げかけているに等しい。

 アイシャはナツキに逢うまで、人生を諦めていた。ドールとはそういうものだと、それでいいのだと諦観していた。ナツキは助けてくれと頼まれたわけではない。なのにそこに新たな選択肢を投げつけるということは、希望を与えると共に、それが果たされなかったときの絶望の可能性をも新たに生む行為である。それを見て見ぬフリをしてはいけない。

 だからもう、後戻りはできない。アイシャの生に口を出したからには、彼女の幸福を見届けるため、存在に気づきながらも半ば意識的に関わらないようにしてきたこの世界の問題に、謎に、首を突っ込まなければならなくなるだろう。


「……上等だ」


 これでも神に選ばれし転生勇者、平穏な日常なんて送れるわけがないのだ。世界を救おうとは思わないが、身の回りの大切な人々くらいは全力で守り、助けていこう。それで最終的に、身内が全員心から笑える日常が訪れるなら、それが一番いいはずだ。

 身の回りの大切な人。今はにー子、ラズ、一応命の恩人的な意味でダインもだろうか。彼らが家族のようなものだとすれば、アイシャは――


「ナツキさん?」

「アイシャ、お前が俺の大切な人になるにあたって、一つ教えておかなければならないことと、必要な儀式がある」

「たたたたたいせつなひと!?」


 腕の中にいるアイシャの体温が上がっている。そこまで取り乱さなくてもいいだろうに。


「いいかアイシャ。お前も知っての通り俺は別の世界から転生してきた勇者で元は男で今年で20になるが……」

「……ふぇ!?」


 アイシャが驚いて固まった。……あれ?


「ん? ……異世界から来た元勇者だって、砂漠から帰るときに言ったよな? ダインとも話して……」

「ふわ……い……イセカイって、街の名前じゃ……」


 ……なるほど。そこに誤解があったのか。

 そう言えば、男であるとも明言していなかったかもしれない。


「まあそれはどうでも良くて」

「よっ良くないです! 男の人なのですか!?」

「中身はな。でも対外的には今もこれからも女の子だ。……で、なので、この世界では基本的に幼女らしく振る舞うことにしている」

「よ……ようじょらしく……??」

「うむ」


 コホン、と咳払いして、にっこり笑顔。幼女モードに移行する。


「と、いうわけで……ボクと友達になってくれる、アイシャ?」


 ポカンと口を開けて固まっているアイシャに、開いた右手を差し出した。


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