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エンゼルフォール:エンドロール ~転生幼女のサードライフ~  作者: ぱねこっと
第一章【星の涙】Ⅲ お肉屋さんのお手伝い
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黒霧の森 Ⅱ

 ある程度森の奥まで駆け抜け、足を止める。途中で何か魔獣のようなものを跳ね飛ばしたような気がしたが、それどころではなかったのだ。その場にいたのが悪い。

 目を閉じ、再び全方位に《気配》術を伸ばしていく。薄く、広く。

 そこそこ近くに殺気を感じたので、《気迫》術で殺気を返却しておく。……逃げ出したようだ。


「……ん?」


 ある部分を境に、気の網が、不自然に遮断された。まるでその先に空間が続いていないかのように、気の侵入を阻む壁がある。


「結界!?」


 ラグナならあまりにもありふれた現象だ。《気配》術なんて、学院の生徒なら子供でも使えた。ゆえに一定以上の社会階層の住居や施設、城には、悪意のある魔法的探知を阻む結界が張られていた。

 しかしこの世界、惑星ノアにおいて、魔法とは《塔》が管理しギフティアが行使するもの。例外があるとすれば、その《塔》がギフティアを使って抗っている相手――神獣による魔法だ。

 もう半径1キロメートルほどは探査範囲を広げているが、謎の結界以外に怪しげな気配はない。《気配》術を打ち切り、結界のあった方角へと駆けた。


 途中でやたら素早い狼が手首に噛みついてきた(そのまま近くの木に叩きつけた)以外は何事もなく、結界の境界にたどり着いた。そっと侵入する。

 景色は変わらない。別の空間と繋ぎ合わせているわけではないのか。再び《気配》術を発動し、


 ――殺気の束。


「――っ!?」


 ナツキですら身体を震わせてしまうほどの総量の殺気が、結界内の至るところからナツキに向けられている。

 なのに、《気配》術を解けば何も感じない。恐ろしく「気」の扱いに長けた存在でなければ、そんな芸当はできないはずだ。


「そうか……この結界が、神獣の狩場なんだな」


 殺気の群れは、まだ動かない。ナツキが結界の奥へと入っていくのを、じっと待っている。


 ――ならこちらも、存分に探らせてもらおうか。


 《気配》術の範囲を広げていく。どんどん増えるナツキに向けた殺気の流れに押しつぶされそうになりながら、どうにか受け流し、()()()()()を探す。


「……見つけ、た!」


 小さな円形の範囲、そこだけ流れがナツキに向かわず、円の中心に向いている。その中心にあるのは、二つの人間の意識――そのうち片方が、今、不安定に揺れた。


「アイシャ!」


 大地を蹴り、出せる最高速で円の中心へと向かう。

 遠すぎて、二つの意識のうちどちらがアイシャなのかは分からない。しかしどちらか片方の意識が、消えかけている。死にかけているか、あるいは――黒い霧とやらに、呑み込まれかけているか。

 

「クソッ、邪魔だ!」


 ナツキの意図を悟ったか、進行ルートに近い殺意が集まってくる。狼、兎、蛇、鷹、熊――そして、人。その全てが黒い霧を纏っていた。


「ァアアアァァアアアァアアア!」


 狂ったような呻き声を上げながら、人間とは思えないスピードで剣が振り下ろされるのを、直前で横にズレて躱し――何もせずに、走り抜ける。


「お前らの相手してる暇はないんだよ!」


 走りながら、《気迫》術の種を育てていく。

 目標地点まで、残り約100メートル。背後に迫る大量の黒い霧の化け物に向けて殺気爆弾を解放し、《気配》術を再起動。背後の殺気は全て消失し、そして――円形範囲の中心にあった人間の意識が、一つ、純粋な殺気に変わるのを感じた。そしてそれは――アイシャでは、ない。


「クソッ、間に合え――!」


 あと50メートル。

 背負っていた剣を投げ捨てた。今まで一度も使っていない。素手で充分だ。


 あと30メートル。

 残ったアイシャの意識が、明滅している。錯乱状態。


 あと20メートル。

 人間の意識から転じた殺意が、アイシャの意識にむけて動き始める。


 あと10メートル。

 立ち並ぶ木々の隙間、黒い霧をまとったオペレーターが、立ち竦むアイシャの胸に、ナイフを――


 世界が、ゆっくりになる。スロー再生のように、自分も、アイシャも、オペレーターも、少しずつ動く――そんな錯覚。あるいは、脳内意識下における、真実。

 引き伸ばされた時間の中で、手段を模索する。前のように物を投げるのは、腕の加速が間に合わない。このままの速度で間に割り込むのも、間に合わない。もう足の強化に割く気のリソースがない。《気配》術は切った、身体強化を捨てた。まだ足りない。ほんの一瞬、間に合わない。


(何か、何か方法は……ッ!)


 根源の窓から取得できる気の力の流量には、限界値がある。気合や捨て身でどうこうできる類のものではない、理論的に証明された限界値だ。練気術士は皆、修行によってその限界を目指す。ナツキは当然、その限界値までの力を引き出している。

 その限界加速に付き合わされる幼女の体はもうとっくに限界を迎えていて、身体強化を切ったことで足の筋肉が千切れかかっている。


 引き伸ばされた思考の中、人間にあるまじき加速度で、ナイフの切っ先がアイシャの胸に迫る。



 次の一歩の加速で理論限界を超えなければ、絶対に間に合わない。



 救世の勇者のくせに、目の前で殺されようとしている女の子一人、守れないのか。



 ――そんなこと、あって、たまるか。



「うぉぉおあああぁあああッ!」


 禁じ手。

 絶対に手を出してはならない、他人に教えれば終身刑だと、ゴルグが何十回と釘を刺しながら、なのにこっそり使い方は教えてくれた、禁呪。


「――《転魂》ッ!」


 ……ああ、そう言えば、この世界では禁呪でも何でもないんだった。


 魂に、罅が入る。

 自分そのものを構成する何かが、ポロポロと剥がれ落ちて――寒々しい氷色の燐光となって、今まさに地面を蹴ろうとしている右足に、集まっていく。

 根源の窓からの最大流量の気と、寿命二年分ほどの魂の欠片が、千切れかけている右足の筋力を爆発的に跳ね上げる。

 右足が地面を離れた瞬間、体はナイフとアイシャの間に割り込んでいた。

 さらに二年分の寿命を消費して、気の力で生じた慣性を全て打ち消し、寒々しい氷色の燐光を撒き散らしてその場に静止、身体強化を――


 ――ズプッ。


 強化が間に合わず、冷たい激痛が腹部に捻りこまれた。


「ぐぁ、っ……、ま、だだっ――」


 痛みを意識的に遮断し、目の前で唸り声を上げる、オペレーターだったものの額に指を突きつける。


「《換気》ッ!」


 死霊術師(ネクロマンサー)や死霊系の魔物が死者の魂を憑依させて意識を奪った場合、すぐにその魂を追い出せば、元の意識を回復させられることがある。そのためだけに存在する術だ。ラグナですら片手で数えられるほどしか使った試しがない。

 しかし果たして、オペレーターの男は口から黒い霧を吐き出し始めた。


「ァアアア――……ぉ……ぁ……ァァアアア……おれ……は……ァァア……」


 当然、出てきた黒い霧がそのまま退散するはずもない。次の標的としてナツキを選んだらしい霧は、オペレーターから排出されるそばからナツキの顔目掛けて殺到する。


 ――練気術師に憑依とは、命知らずなこった。


 憑依で意識が乗っ取られるのは、憑依に抗おうとするからだ。憑依してくる死霊に対する最も有効な撃退手段は、自分の魂を少し脇にどけて、受け入れスペースを作ってやること。……当然、罠を仕掛けた上で。

 殺意の塊が、ナツキの中に入ってくる。

 

 ――コロセ コワセ

   ――ジャマモノヲ コロセ

  ――ふぃルるるた ハカいセヨ

    ――きアはるクめヴ ゥススすスすそ

   ――コろセ ハカイセよ

     ――ホシヲ ハカイセヨ

    ――テンスぃぬヲメトザスすさそ

      ――コロセ コワセ せ せセセせこここロワろせセせ――


「ぐ、ぁ……何だ、これ……」


 ラグナで対処してきた悪霊とはわけが違う、意味不明な殺意。生物由来の魂では考えられない、指向性の高すぎる機械的な殺意。意味の読み取れない意識が偏在する。

 さっさと消し飛ばしてしまわなければ、まずい。


「《侵食》ッ!」


 ゴルグに教えられた中でも凶悪極まりない術を、外に逃げられないようにした受け入れスペースに対して発動する。学院で教えられることはなく、ゴルグとナツキ以外に存在を知る者がいるのかどうかというレベルの――知られていないから禁呪指定されていなかっただけの、実質禁呪。

 相手の魂を包んでいる殻を溶かし、少しずつ魂の糸を解いていく。《転魂》術のように魂を砕くのではなく、通常の寿命消費を数万倍に加速する。痛みも不快感もなく、しかし何かが抜け落ちていく。やがて重要な記憶が消え、思考能力、技能記憶が破損し、発狂し、植物状態になり、やがて身体が衰え脳の活動が完全に停止すると、スカスカの芯だけになった魂の残りカスが、根源へと還る。

 当然、人間相手に使っていいものではない。しかし対象が悪霊のような依代のない剥き身の魂なら、一瞬で蒸発させられる便利な武器でもある。


 そんな悪霊特効兵器のような技を叩きつけられた黒い霧は、殺意の残滓を撒き散らしながら、呆気なく散り散りに消えていった。


 アイシャの前に割り込んでから、約10秒。長い、10秒だった。


「っ……ナツキ……さ……ん……?」


 久しぶりに聞く声が、鼓膜を震わせた。

 振り向くと、放心したようにへたりこんだアイシャが、虚ろな目でナツキを見上げていた。

 

 ……左上腕部に、ひどい裂傷。

 ……左手首から先が、ない。


「クソッ……全然、間に合ってないじゃないか」


 ピュッ、ピュッと、アイシャの心臓の鼓動に合わせて、左手首から血が吹き出す。早く止血しなければ、死ぬ。自分のスカートを破って包帯代わりにしようとして、それが既に血でびしょびしょになっていることに気がついた。何だ?


「ナツキ……さん、おなか……はやく、血……止め……」

「……ぁ」

 

 アイシャに指摘され、ようやく思い出した。

 視線の真ん中、自分の腹の、へその上あたり――無骨な戦闘用ナイフが、背中まで貫通していた。

 この10秒で、どれだけの血が流れ出したか。

 背骨を砕かず中心から逸れて貫通したのは、奇跡か。果たしてその奇跡に、意味はあるのか。意味を生み出せるか。


「ぐぷっ……」


 思い出したように、口からも血が吹き出した。強烈な痛みが、腹部から脳に駆け上がる。


「っ、あ……」

「ナツキ、さ……ん……!」

「……へへっ、黙って、ろ……大丈夫、だ」


 せめてアイシャだけは。助けると誓ったアイシャだけは、生きて返す。


 練気術で再び痛覚を遮断。ナイフは刺さったままでいい。抜いたら失血死が早まるだけだ。

 ワンピースの下半分を引き裂き、血を絞り落とす。アイシャの左腕の先に、きつく巻いていく。


「この世界に、も……回復薬は、あるんだ。生きて帰れさえすれば……いつか、元に戻せる、はずだ」


 意識が朦朧としてくる。アイシャが、いやいやと首を振っている。


「だめ、ナツキ、さん、しんじゃ、う……で、す」

「ちゃんと約束、守って死ねるなら……いい人生だったさ。短かった、けどな」


 ああ、三回目の人生は、1ヶ月で幕引きか。

 平和な日常ってやつを、送りたかったな。看板娘になるところまでは、順調だったんだ。

 また次の世界に飛ばされるのだろうか。それとも、今度は本当に無に還ってしまうのだろうか。

 本来の夏樹の人生は、二年前、妹の秋葉を庇ってトラックに轢かれたあの日に終わっているのだ。それが2年もロスタイムをもらって、さらに1ヶ月。やり残したことも、悔いも沢山あるけれど――きっとそれは、充実した人生を送れた証拠だって、日本にいた頃に某青い鳥のアプリで誰かが言っていた。


「……アイシャ、あっちだ。あの木の……方角に、まっすぐ、走れ」


 《気配》術で周囲を確認し、自分が通ってきた、最も敵が少なくなっているはずの方角を指差す。


「ぇ……」

「振り返るな、敵と遭遇しても逃げろ、逃げ続けろ。森を抜けたらキャンプでダインを探せ。ナツキの遺言だっつって、『子猫の陽だまり亭』の三代目看板娘になれ。ラクリマとかドールとか、面倒なことは全部、ダインがなんとかする」

「ぇ、えっ……?」

「アイシャお前、かわいいから……すぐ人気者に……なれるだろ」

「ふぇ……」


 左上腕部の裂傷にもワンピース包帯を巻き、止血。


「……《活気》」


 意識がもたない。練気術を使えるのは、これで最後だ。

 使える限りの気を、根源の窓から取り出して、アイシャの身体に巡らせる。


「ふぁ、あ、あぁっ……!?」


 ビクン、とアイシャが体を跳ねさせた。


「他人の窓から出した、気は、馴染むのに……少し、時間がかかるんだ。ちょっと、我慢……して、くれ」

「んっ、ぁ……っ」


 身体に浸透させた気は、しばらくの間、アイシャの体力、筋力を賦活する。根本的な治療をしなければならないのは変わらないが――森を抜けるまで走るくらいの元気は、渡せたはずだ。


「はぁっ、はぁ……今の、なに……、あ……あれ、からだ……動く……」


 ……大丈夫そうだ。


「ほら行け、アイシャ……もう、走れる、だろ」


 足から力が抜ける。かくんと地面に倒れそうになり、膝立ちでなんとか堪えた。


「ナツキさん!? い、いや、いやです! わたし、ナツキさん背負って逃げるです!」

「そんな、こと、したら……共倒れ、だ。そもそも俺は、森、抜けるまで、もたねえ、よ。だから……」


 視界が、暗くなっていく。身体が前に倒れ、地面に落ちる……前に、何かに支えられた。……温かい。


()()()。絶対、振り返るな。俺は置いていけ。……幸せになれ、アイシャ。……あぁ、あと、にー子のこと、よろしくな。きっとあいつ、俺が戻らな、かったら……めっちゃ、泣く、けど……遊んで、やって……」

「ナツキ、さん? ……ナツキさん、ナツキさんっ!」


 ――早く、行け。


 もう、声は出なかった。



 やがて、ナツキさん、と連呼するアイシャの声も、遠くなっていき――



 ふっと、糸が切れるように、意識を手放した。

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