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エンゼルフォール:エンドロール ~転生幼女のサードライフ~  作者: ぱねこっと
第一章【星の涙】Ⅲ お肉屋さんのお手伝い
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黒霧の森 Ⅰ

「撤退だぁ!? おめぇ、俺らをボランティアかなんかと勘違いしてねぇか、おい」

「すすすすみませんっ、ですが、隊長の判断でっ」


 トドナコの森と砂漠を分け隔てる川のほとり、軍によって設営された簡易キャンプ地のような場所で、ナツキたちハンターズギルドの面々は途方に暮れていた。森に潜む使い魔を倒してコアを手に入れるために来たというのに、その森に入るなと言われているのだ。


「何をどうしたら使い魔狩りの中止命令が出んだよ。母体が死んでも消えねェんだぞ。……まさか、もう母体含めて狩り尽くしたってか?」

「いえ! むしろ、こちらの被害が甚大で……」

「なら、尚更俺らが加勢すべきじゃねェのか」

「ですがっ、アレは部隊の精鋭達ですら手に負えません! むしろ精鋭部隊を送ったら悪化する! アレの対処を民間の人間に依頼するなど、できるわけが……あぁ、霧……黒い……やめてくれ、嫌だ、お前、明日誕生日だって……あぁっぁああ!」

「お、おい、どうした!?」


 何か悲惨な光景でも見ているかのように取り乱し、兵士は頭を抱えてその場にへたり込んでしまった。ダインの声も届いていない。凄惨な体験のフラッシュバック――急性ストレス障害だ。


「ダイン、どいて!」

「ナツキ!?」


 兵士に駆け寄り、その頭を抱きかかえる。


「うわぁぁあああああっ、やめ、やめろ、死にたくない、放せぇっ!」

「つっ、大丈夫、落ち着い、てっ……」


 兵士はがむしゃらに暴れ、ナツキの腕を掴んで力任せに引き離そうとした。二の腕に爪が食い込み、慌てて少し身体強化に気を回す。


 トラウマを根本的に治療できるほど、練気術も万能ではない。魔王との戦いの終結から1年経ったが、ラグナでも同様の症状に悩まされ続けている人々はまだ多い。研究は進められているようだったが、医療分野はナツキも専門外だった。

 それでも、対症療法くらいならある。


「大丈夫、大丈夫だから……ほら、ゆっくりお休み」


 気の網を頭に通し、脳の過敏な神経活動を抑え込んでいくイメージ。相手を強制的に眠りに落とす、《眠気》術だ。加減次第で眠りの深さをコントロールできるが、加減を誤れば昏睡状態に陥ってしまう。その危険性ゆえ学院で教えられることはなく、主に専門の医師が使う術だ。

 何故ナツキが使えるのかと言えば、当然、ゴルグに教えられたからである。


「あ……、ねむ……い……」


 兵士は意識を手放し、ナツキの胸に倒れ込んだ。それを支えながら、ダインを見上げる。


「ダイン、運んでくれる?」

「あ、あァ……おめぇ、今何した?」

「何も? ぎゅってしてあげただけだよ」


 周囲には大勢のオペレーターやハンターがいる。身体強化や体術、殺気くらいならまだしも、相手を強制的に眠らせるなんて魔法みたいなことをしたら、忌印(シグナ)がなくてもギフティアと間違われかねない。兵士には悪いが、幼女に抱きしめられて安心して眠ってしまったことにしてもらおう。

 ダインはナツキをじっと見たあと、同じような考えに至ったか、「そうか」と一言呟いて兵士を背負った。


「……その腕、大丈夫なのか」

「ん、ちょっとだけ痛いけど、平気」


 兵士に爪を立てられた部分からは、少し血が垂れていた。キャンプに薬があれば分けてもらうことにしよう。そう思っていたら、「おい、チビ」と後ろから肩を叩かれた。振り返ると、そこにいたのはハンターの少年。道中ナツキをからかって、試合を持ちかけたら逃げ出した少年剣士だ。


「飲め」


 そう言って渡してくれたのは、コルクで封をされた小さなガラスの試験管だった。中に青い液体が入っている。……これは、まさか。


「回復薬。一番安いやつだが、そのくらいは治せるはずだ」


 少年剣士はバツの悪そうな顔で、ぷいっとそっぽを向いた。……心配してくれているらしい。

 しかし、飲むタイプで即効性の外傷回復薬……ラグナでは「ポーション」の通称でどこでも通じるほど一般的だった魔法薬が、まさかこの世界にもあるとは。一番安いやつとは言うが、魔術師(ギフティア)は全て《塔》に管理されているような世界で、そんなに安価で手に入るものなのだろうか。


「えっと……」


 ちらりと他のハンターやオペレーター達の反応を伺う。皆一様に驚いたような顔で、何か口を挟みたげだった。けれど、何も言わない。何かを恐れているようでもあった。……明らかに、他人にほいほい無償で渡せるものではない。


「ありがとう、でも大丈夫だよ。これくらいなんともないし、あとで軍の人から普通の薬をもらうから……」

「飲めと言ってるだろう! これは命令だ!」


 面倒事を抱えるのは御免だと断ったら、少年はコルクを抜き取って試験管をナツキの口に突っ込んだ。


「むぐっ!? ……んくっ」


 そんな強硬手段を取られるとは思ってもおらず、流し込まれた液体を飲み込んでしまった。まさか毒かと青ざめたが、杞憂だったようで、すぐに身体の芯が温かくなるような感覚があり、黄緑色の燐光――活性化された風属性のマナが腕の傷を癒して散っていった。ラグナの低位ポーションと、ほとんど同じ。低級回復魔法を聖水に溶かしたものだ。


「もう、いきなり何するのさ!」

「素直に飲まないのが悪い。それから……これくらい、などと言うな。小さな怪我でも、人は……簡単に死ぬんだ。お前みたいなチビは特に……」


 後半は、何かを堪えるように声が震えていた。同じような怪我で、身近な人を亡くしたのかもしれない。


「ん……ごめん。ありがとう、お兄さん。でもこれ、貴重なものだよね? いつかお礼するね」


 そう言って笑みを向けると、少年はふんと鼻を鳴らして「必要ない」とハンターたちの後ろに戻っていった。……ハンターたちが何故か、少年を恐れて避けるように道を空けた。


「ねえ、ダイン――」

「……行くぞ。救護テントと隊長を探す」


 ハンターたちの行動について問おうとするのを遮るように、ダインは眠った兵士を背負いながら歩き始めた。……傲岸不遜な態度ではあったが、悪人には見えない。何やら複雑な事情がありそうだ。


 救護テントに眠った兵士を連れていき、医者らしき隊員に事情を話していると、ちょうど隊長を名乗る人物が入ってきた。撤退指示の理由を話せと詰め寄るダインに、いかついヒゲの隊長は疲れ切った顔で何と言ったものかと口をパクパクさせていた。


「二人とも、とりあえず外に出ようよ」


 ストレス障害を発症するような戦場の話を、救護テントの中ですべきではない。ナツキが促すと、医者も隊長も、あからさまにほっとした顔をしていた。

 それから聞かされたのは、その大げさな安堵の表情にも頷けるほど、ひどい話だった。

 森に入ってしばらくすると、何故か帰り道が分からなくなる。迷っているうちに黒い霧をまとった獣が現れて、襲ってくる。神獣の使い魔だ。それを倒すのは比較的簡単で、順調に討伐が進む。しかしいつの間にか敵の数が増えてきて、最後には黒い霧自体が襲ってくる。逃げなければと思ったときにはもう遅い。数秒前には肩を並べて戦っていた仲間が、黒い霧に呑まれたかと思うと、いきなりうめき声を上げながら襲いかかってくる。生命力も筋力も化け物のように強化されて、対抗するには頭を潰すしかない。……親しい人間の、頭を。


「昨日一緒に酒を飲んでいた部下の頭を、この手で吹き飛ばして……木の根に足を取られて転んだ者を置き去りに……いや……囮にして、転んだのが自分じゃなくて良かったと、心のどこかで思いながら……我々はあの森から、なんとか逃げてきた……」

「おい、もういい! もう喋るな」

「なに……長く前線にいたのだ、似たような状況は何度も経験している。……慣れられるものでも、ないがな」


 隊長は先程の兵士のように幻覚に囚われてしまうようなことはなかったが、それでもひどく調子は悪そうだった。

 しかしそのような状況に何度も陥るほどの「前線」とは、一体……


「とにかく、そういうことだ。民間組織に依頼できる内容ではなくなってしまった。よしんばそれが許されたとして、むざむざ敵の狩場に餌を投入するような行為を見過ごす訳にもいかん。故に、撤退命令だ。本件は《塔》に任せることになるだろう。……呼びつけておいてすまないが、従ってくれ」


 隊長が頭を下げようとすると、ダインは苦々しい顔で「やめろ」とそれを制した。


「あんたの判断は正しいだろうよ。俺としても異議はねェ。だがな、俺の後ろのこいつらは金に釣られてここまで来てんだ。このまま無報酬で返してみろ、軍の評価はえらいことになんぞ」


 ダインが後ろを振り向き、釣られてナツキと隊長もハンター達に目を向けた。皆一様に、理屈は分かったが納得はいかないという顔をしている。

 隊長は少しの逡巡の後、諦めたように顔を伏せた。


「……そうだな。部隊の資金から、前金相当くらいは出せるだろう。集ってくれた者の名簿を渡してもらえれば――」


 隊長がそうダインに答えを返そうとした矢先、ドタドタと大きな音を立てて、血相を変えた兵士が一人走ってきた。


「隊長、大変、大変です!」

「何事か!」


 息を切らしながら森の方角を指差し、


「民間オペレーターと思われる者が一人、森に……!」

「何!? 何故止めなかった、馬鹿者!」

「じ、自分は止めました! 人間が襲ってくるであろうことも伝えたのです! しかし、それでも行くと言って聞かず……」

「ならば力ずくで止めるのが番兵の責務だ!」

「ドールが感染個体だったのです、そのようなことをすれば私が殺されてしまいます!」


 兵士は悲鳴のような声を上げた。

 感染個体という言葉に、ハッとする。そうだ、アイシャとそのオペレーターはどこだ!? 到着してから一度も見ていない。……いや、分かりきっている。今森に入っていったというのがそれだ!


「ホールで騒いでたあいつか……」

「ああ、なるほど。感染個体なら人間相手でも殺せる……のか?」

「ん? どういう理屈だ?」

「ドール行動原則ってのがあってな……」


 ハンターとオペレーターたちも、にわかにざわめき出す。聞こえてくる話の断片から、ナツキはあのオペレーターの行動を理解した。

 アイシャは他のドールと違って、感染しているがゆえに、自分で考え行動することができる。それは即ち、うまく思考を誘導すれば、ルールで縛られているはずのことも――殺人すら可能になるということ。なら、他のハンターやオペレーター達を出し抜いて、人間(えもの)を狩りまくれる。


「なんて奴だ……」


 理解はしたが、吐き気がする。そして、馬鹿だ。軍の精鋭たちをここまで怯えさせる化け物の森にたった二人で飛び込むなど、自殺に等しい……!


「なんという……まあいい、一人程度ならさして変わらんだろう。いいか、これ以上は誰も通すな!」

「はっ!」

「……貴殿らで全てという訳ではなかったのだな。全く、どこにでも暴れ馬はいるものだが――手綱を握るのは長の、貴殿の役目だ。しっかりしたまえ。で……何だったか。……ああそうだ、参加者名簿だが――」

「っ!?」


 ……それだけ!?


 隊長は、何事も無かったかのようにダインと話を再開した。馬鹿な愚か者が一人死のうがどうでもいいという雰囲気で、それはナツキの後ろのハンターやオペレーター達も同じようだった。

 当然――アイシャを心配する者など皆無だった。


「……くそっ、アイシャ!」

「っ、おいナツキ、待て! 戻れ!」


 ダインが制止してくるが、無視だ。今この状況で、アイシャを助けられるのは自分しかいない。足に気を通して、森に繋がる橋へと亜音速で駆ける。


「なっ、止ま、れ……?」


 橋の前にいた番兵の脇を駆け抜ける。そんなトロい動きで誰が止まるか。


 橋を渡り、やけに静かな森に突入し、周囲の空間を気で満たしていく。《気配》術の限界まで、薄く、広く、広く、広く――


「どこだ、アイシャぁあぁあああああ!」


 必ず見つけ出す。

 いつかきっと助けると、約束したのだから。


実際は、ストレス障害に対し向精神薬・睡眠薬を投与するのは、発症後一ヶ月は避けるべきなんだとか。

ナツキの戦場の知識は基本的にラグナ由来なので、細かいことは気にしない方針でひとつ。

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