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エンゼルフォール:エンドロール ~転生幼女のサードライフ~  作者: ぱねこっと
第一章【星の涙】Ⅲ お肉屋さんのお手伝い
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Noah/α - 狩場

 トドナコの森へと足を踏み入れたアイシャは、途端に強烈な違和感に襲われた。思わず足を止めてしまい、主の叱責が飛んでくるかと身構えたが、主も同じように足を止めて周囲を警戒していた。

 この森に来るのは初めてではない。林業の手伝いや害獣の討伐に駆り出されたことが何度もある。そのはずなのに、何故か全く知らない異界の地に迷い込んでしまったかのような錯覚に囚われたのだ。

 原因はすぐに分かった。……音がしないのだ。フェリス種の聴覚をもってしても、鳥のさえずりも虫の鳴き声も一切聞こえない。今日は風もないのか、葉擦れの音すら耳に届かない。

 気味が悪いほど無音の空間に、歩き出した自分と主のザッザッという足音だけが響く。


「おいジャンク、何か聞こえるか?」

「何も。周囲に動くものはいなさそうです」

「……少し奥まで進む。何か聞こえたら知らせろ」

「はいです」


 主の指示に従い、注意深く耳を澄ましながら森の奥へと歩を進めていく。


 ――ガサリ、と何かが揺れた。


「っ! 右前方、大きな木の下……草むらの中。何かいるです」

「使い魔か!?」

「まだ分から……きゃっ!?」


 答えを返す間もなく、草むらからいきなり黒い影が飛び出してきた。標的は自分。咄嗟にアイオーンを構え、ギリギリで弾き返す。


「は、速いです……!」


 弾かれた黒い影は、空中で身を翻して地面に難なく着地した。牙を剥き出し、唸り声を上げてこちらを威嚇している。


「狼か? いや、だがこりゃあ……」


 見た目は狼だ。家畜を襲う害獣として、何度か駆除させられたこともある。しかしそれはこんなに俊敏ではなかったし、何より……普通の狼は、その体に()()()など纏ってはいないと思うのだ。


「使い魔は霧、周囲の生物に乗り移る……です。きっと、人間じゃなくても……」

「ハッ、ならちったぁやり易いじゃねぇか。殺れ!」

「はいです!」


 指令に従い、目の前の狼を討伐対象と定める。アイオーンに力を込めると、相も変わらず寒々しい氷色の燐光が舞い散り、自分の根幹にヒビが入るような悪寒がまとわりついた。……もう慣れたものだが、やはり不快なものは不快だ。

 アイオーンを動かすと同時に、狼が地面を蹴って飛びかかってきた。標的は後ろに控えている主だったが、そうはさせない。自分も合わせて跳び、狼の軌道上にアイオーンの刃を立てる。無防備に突っ込んできた狼は、スッと音もなく真っ二つに割れた。……不意打ちでなければ、余裕そうだ。


「フン、案外脆いな」


 ナイフを構えて迎撃体制を取っていた主が、構えを解いて狼の死体を見下ろした。


「肉質は普通の狼と同じだったです」


 血は赤く、断面から覗く内臓も普通の狼と変わらない。纏っていた黒い霧もどこかへと消えてしまい、ただの狼の死体に見える。


「……コアは、心臓の中だったか」


 主は骸から手早く心臓をくり抜き、中を開いた。果たしてそこには、見慣れた神獣のコアが一つ入っていた。大きさも純度も、普通の使い魔と同じくらいに見える。


「フン、上々。楽な仕事じゃねぇか」


 ――ガサリ。

 また草むらが揺れる音がした。


「近くにいるです!」

「よし、他の連中が来る前に狩りまくれ!」


 飛び出してきたのは、黒い霧を纏った兎だった。それを難なく倒してコアを回収したところで、――ガサリ。黒い霧を纏った熊。襲われる前に切り伏せる。――ガサリ。黒い霧を纏った蛇。黒い霧を纏った狼。熊。兎――


「はっはァ、大漁だぜぇ!」


 次々と現れる動物たちを切り伏せ続け、森の奥へと入っていく。徐々に敵の数は増えていったが、動きは単調で、大した強さではないと分かってからは主も戦闘に参加した。オペレーターは認定試験の過程に戦闘実技が含まれるので、皆ある程度の自衛技術は持っているのだ。

 順調だった。いや――順調過ぎた。


「ご主人様、これ、本当に大丈夫です?」

「あぁ? 何言ってやがる……おら、次だ!」


 目の前の木の影から現れた狼を両断する。……まだ自分たち以外の冒険者も到着していないと言うのに、あまりにも一方的で、余裕すぎる。嫌な予感がした。


「こんな簡単なら、軍の人たちがあんな風になるはずない、です。一度戻った方が……」


 そう撤退を促す。主はこちらを見て、しかしその目を釣り上げた。


「うるっせえな、ドールがオペレーターに口出しするんじゃねぇ! あいつらが腰抜けなだけだ! 他の連中がまだ来てねぇ今がチャンスなんだよ!」

「ご……ごめんなさい、です」


 突然の叱責に、身体が竦む。……そうだ、自分はただの武器だ。オペレーターの指示に従い動く、ただの殺戮人形。気持ちを切り替えろ。主を守りながら弱い獣を狩っていくだけの簡単な仕事だ。ただそれだけをこなせばいい。


 ――ガサリ。

 次に出てきたのは、獣ではなかった。


「ア……アア――ァ――ァ……」

「……おいおい」


 黒い霧を纏った、()()()()()が、呻き声を上げて剣を振りかぶった。


「人間……!」


 驚いている余裕はない。これまでの例を考えれば、この敵も普通の人間より俊敏に動くと考えるべきだ。

 即座にアイオーンを目の前に構え、剣を受ける。ギィン、と重い衝撃が体から地面へと抜けた。


「うぐっ……こいつ、強い、です」

「軍の連中が言ってたのはこれかよ。へっ、立派なバケモンじゃねぇか。俺の命令は覚えてるな? 躊躇うな、殺せ!」

「は……はいです!」

「アアアァあああァア!」


 何度も剣を打ち合わせる度、人間の放つ剣撃とは思えないほどの重さと速さの衝撃がビリビリと体を貫く。アイオーンの自動防御が無ければ、最初の一撃で背骨が砕けていただろう。ラクリマの身体強度は、アイオーンがなければ人間の子供と同じなのだから。

 そしてこの兵士の剣撃は、アイオーンの自動防御を上回る衝撃で少しずつダメージを蓄積させてきている。このままでは、身体がもたない。ならば、どうするか。


 一か八か、ギリギリで躱して懐に潜り込むしかない!


「やぁぁあっ!」


 上段からの大ぶりの一撃を迎撃するように見せかけて、するりと右に躱す。……躱し切れず、左上腕の外側を撫でるように剣が掠めた。


「っ、く……ぅっ!」


 抉られるような強烈な痛み。まるで鉋を腕に当てて引かれたように、薄い皮のような肉の塊が、視界の端で血飛沫と共にひらりと舞った。

 アイオーンに受け止められることを前提に振り下ろされた剣はそのまま地面を深く抉り、兵士の次の攻撃動作が少し遅れる。……この瞬間を逃したら、終わりだ。痛みを必死に堪え、アイオーンを横一文字に振り抜いた。


「はあぁぁっ!!」


 そこで、失敗に気づいた。兵士は金属鎧を身にまとっている。無理な体勢からの一撃が、果たして通るか――


「アアアアアアァ――……ァ……」


 しかしそれは杞憂だった。あまり丈夫な鎧ではなかったのか、はたまた火事場の馬鹿力が発揮されたのか――放った斬撃は金属鎧を簡単に切り裂き、他の獣と同じように兵士の体を上下に分けた。上半身は切断面から血と臓物を吹き出しながら吹き飛び、背後にあった木に叩きつけられた。下半身はその場に倒れ、血溜まりを作り始めた。

 倒せた。そう安堵したのも束の間、吹き飛んだ上半身がビクリビクリと動き始めるのが見えた。


「ァ……ア……アア……」

「ひっ……まだ、生きてる……です?」

「早く止めを刺せ! 何するか分かんねぇぞ!」


 左腕の痛みでチカチカする頭を、主の命令が叩き起こした。


「は、はいですっ……」


 もうひと踏ん張りだ。いくら何でも脳を破壊すればさすがに死ぬだろうと、無防備な兵士の額目掛けて突きの構えを取り、


「アアァ……ァしに……だくな……ァアア――だすげ……ァァ……」


 その呻き声を、聞いた。

 

「っ!? ご主人様、この人、意識がっ」

「何もたもたしてやがる、さっさと殺せ!」 

「ァァ――がぁさ……ん……ァア――」

「でも……でもっ」


 この人は、助けを求めている。化け物なんかじゃない、ただ操られているだけで――


「ふざけるな! この不良品がッ! オペレーターの命令を聞け!」

「っ……!」


 ――わたしは、武器。オペレーターが振るう、心を持たぬ剣。それ以上でもそれ以下でも、ない。


 ぐしゃ。


「……あ」


 気づけば、アイオーンが木に突き刺さっていた。

 その中ほどに、涙を流す兵士の頭を串刺しにして。


「い……いや……わたし……」

「フン、それでいい。……ったく、これだから感染個体は……」

「あ……ご……ごめんな、さい……です……」


 じく、じく、と左腕が痛む。それ以上に、何かに刺されたかのように胸が痛む。ぐしゃ。アイオーン越しに伝わった、頭蓋を砕く感触。違う。わたしは武器です。ご主人様がわたしを振るって、人を殺しただけです。ぐしゃ。わたしが殺したんじゃないのです。ぐしゃ……ぐしゃ……違う、あれは化け物、人間じゃない……だから、ぐしゃっ、ぐしゃ……


「うほっ、かなり高純度じゃねぇか」


 ご主人様が、兵士の心臓を……抉り出して、切り開いて、コアを……取り出した……です。


「よし、もう一匹殺して撤退だ。この純度ならあと一つで充分だろ」


 もう、一匹? 何を……誰を? わたしが、殺す?


「い……いや、いやです」

「は? ……あぁ!?」


 思わず口を突いて出てしまった拒否の言葉に、主は激昂してわたしの髪を掴んで釣り上げた。ハッとなり、失言を悟る。


「てめぇ、もういっぺん言ってみろ!」

「っ、あ、ご、ごめんな、さい、は、はいです、ごしゅじ、ん、さま」

「イカれたこと抜かしてんじゃねぇ。もう一匹、人型のを倒したら撤退だ。あのクソ管理人にてめぇのレンタル料倍額で払わなきゃならねえんだよ、つべこべ言わず命令に従いやがれ!」

「…………はい、です」


 心を、鎮める。わたしは、武器。なんてことはない、さっきと同じように、化け物を殺せばいい。あれは人間じゃない。ご主人様がそう言っていた。左腕は動かないけど、あと一体なら、右手だけでもなんとか――


 ――ガサガサガサガサッ!


 突然、あちこちから複数の接近音が響いた。

 それは、嫌な予感が当たってしまったことを告げる音。


「何だ!?」

「全方位から新手! 数は……数えきれない、です」


 やがて周囲の木陰から、大量の黒い霧を纏った獣や兵士が現れた。逃げ道を塞ぐように、あらゆる方向からジリジリと距離を詰めてくる。……獣の思考回路ではない。黒い霧が一度に操り、連携させているのだろう。


「クソ、逃げるしかねえ! 一点突破だ!」

「どちらにです!?」

「元きた方に決まってんだろが! これ以上森の奥に行けるか!」

「それは、どっちですかっ!」

「どっちってお前……、……あ?」


 どこから来たのか、分からない。

 今いる場所は、周囲に等間隔で同じような木が生えているだけの、平坦な一角だ。敵が立てる物音に釣られて戦いながら入り込んできた自分たちには、どちらに逃げればいいのか分からない。


「ハハ……嘘だろ、おい」


 これは、罠だ。餌をちらつかせて獲物をおびき寄せ、奥へと誘導し、迷わせ、弱ったところを仕留める――この森全体が、神獣の仕掛けた罠であり、狩場なのだ。


 一点突破、しようと思えばできるだろう。弱めの獣なら一撃で切り伏せられる。でもきっと、それも罠だ。その方角はどうせ、森の奥へと続いている。

 なら突破すべきはその逆側にいる――兵士。

 同じ考えに至ったのか、主も自分と同じく兵士を睨んでいた。


「わたしが兵士を相手するです。ご主人様は少しだけ、時間を稼いでくださいです」

「んだと、ドールがオペレーターに命令――」

「ご主人様を守るためなのです! 死にたいのですかっ!?」


 何があろうと、最優先は主の命。そう命令したのはこの男で、思いつく限りの最善手を提示しているつもりだ。……それが、とてつもなく低い可能性だったとしても。


「――チッ、まぁそうするしかねぇな」


 ご主人様が両手にナイフを構えたのを確認し、背中合わせに立つ。正面、呻きながらジリジリと距離を詰めてくる兵士を見据え、


「やあぁーっ!」


 先手必勝、アイオーンを振り下ろした。しかし兵士は素早く間に剣を割り込ませ、攻撃を防ぐ。そこからは先程と同じ、剣撃の応酬にもつれ込む。……怪我のせいで、左腕にうまく力が入らない。剣に速度が乗らない。

 

「っぁ、ぅぐぅっ……」

「ゥゥアアアアアゥアアァァア!」


 キン、ギィン、と剣が交差する度、左腕の傷を衝撃が撫でていく。頭がチカチカして、くらくら、して、もう……


「クソッ、おい、早くしろ! ぐっ……」


 後ろから、苦戦していそうな声が届く。振り返る余裕はないが、数に押されているのは分かる。そうだ、主を守らなければいけない。何があろうと、自分が壊れることになっても、ご主人様だけは生きて脱出させなければ。

 そのためには、何がなんでも、目の前の兵士を即刻倒さなければ。

 さっきと同じようにすれば、いいはず、です。

 ちょうど、次の相手の一手は、上段からの振り下ろしなのです。

 スッと、それを、右に避けて……


 左腕が、言うことを聞かなかった、のです。

 振り下ろされる刃、その軌道上、

 肘より先が、曲がったまま


 ザクッ――


「ぎっ――ぁ……っ!?」


 いた、い、痛いっ、いたい!

 わたしの、手首から先が、どこかへと、とんでいく。

 


 ――だから、なんなのです?

 わたしがこわれても、ご主人さまさえまもれれば、いいの、です。

 みぎては、無事なのです。なら、この化け物をぶっころす ことなんて かんたん です。



 アイオーンを、振り抜いたです。

 やっぱり、水を切るみたいに抵抗もなく、スッと真っぷたつになったのです。


「ァァアアア――」


 化け物が変なことを言い出す前に、あたまをつぶすです。


 ぐしゃ。


「ァ――――」


 やった、です。


 頭がちかちかして、くらくらして、すごく、痛いけど――これで、ごしゅじんさまは、逃げられ


「ぎゃあああああぁぁあ、来るな、来るんじゃねえっ!!」


 ――え?


「おいっ、ジャンク、たす、助け――ぁ、ァアアアァァアアア!」


 ごしゅじんさまの、くちのなかに、黒い、きりが、はいって――


「ァ――ァアアやめア……ァァおレはァァアアア――」


 ぜんしん から、くろいきり が 吹きだしているです。


「ァアアアアアアアアアアアア!」


 ごしゅじん、さまが、ないふを わたしに むか って


   ふせがな きゃ

               いたい

        あたま ちかちか くらくら する

  これは ばけもの?

               くるしい

 でも なにがあってモ

    ごしゅじんさまの いのチガ さいゆうせん


  いたい                にんげん?

               どうして

    わたしは どーるで 

                 なんで

 それが めいレイ  だから 

    まもらなきゃ

                  こわい

             いたいよ

  いやだ             



         たすけて……






 ――ズプッ。

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