Noah/α - わたしはまだ、頑張れる
わたしはアイシャ=エク=フェリス。エク年代に発掘されたフェリス種のドロップスで、ドールとして調整されたはずの――不良品です。
わたしは、他のドールにできることができません。大きな音には耐えられません。嫌なこと、悲しいことがあったとき、表情を保っていられません。神獣と戦うとき、恐怖を感じずにはいられません。オペレーターの人には怒られてばっかりで、役立たず、能無しと言われます。その通りで、返す言葉もないのです。その評価を覆すべく身体を調整すべきなのに、何故か辛い、苦しいといった人間みたいな感情が邪魔をします。わたしは本当に、何も出来ない不良品なのです。
小さな神獣をどうにか狩った帰り道、とても大きな神獣に出くわしたのです。とても強そうで、わたしに勝てるわけもなくて……でもその時のオペレーターだった人は、わたしに「何があっても私を守れ」と命令しました。首輪を通じた厳重命令だったのです。
命令どおり、わたしは必死にご主人様を守って戦ったです。火事場の馬鹿力とでも言うのか、普段より身体が軽くて、なんとかご主人様が逃げるだけの時間は稼げそうな気がしたです。でも、気がしただけだったのです。ご主人様はわたしの見えないところで、神獣の尻尾の一振りで殺されてしまいましたです。
命令を遂行できなくなって、わたしは動けなくなったです。次の命令がなかったのです。「スパイク」と呼ばれる硬直現象だと理解して、自己保存命令で上書きしようとした時には、もう手遅れだったのです。神獣の大きな爪が、わたしのおなかを勢いよく抉り上げたです。アイオーンの自動防御機構が貫通は防いだですが、代償に寿命がガクッと減ったのが分かったです。わたしそのものが叩き割られるような強烈な痛みに、しばらく息ができなかったです。
そのまま地面に叩きつけられて動けないわたしに、神獣が止めを刺しにきたです。アイオーンは手放してしまい、もう自動防御も効きません。次の一撃でわたしは星へ還るのだと、覚悟したのです。
でもわたしは、生き延びてしまったのです。わたしと神獣の間には、小さな人間の女の子が立っていました。女の子はとても強くて、あんなに強かった神獣をあっという間に倒してしまったのです。
女の子は変わり者でした。わたしたちラクリマが神獣と戦っているのはおかしい、と言うのです。しかも、一緒にいた大人の人間さんによれば、実は彼女も人間ではなくラクリマで、でも中身は人間なのだそうです。……意味がよく分からないのです。忌印がないのがとても不思議だったです。イセカイから来たと言っていましたが、聞いたことのない地名です。遠い街のラクリマは、人間のような見た目をしているのです?
さらに驚くべきことに、女の子は、アイオーンの寿命食いを封じてしまったのです。わたしと同じくらい小さな手がわたしの頭に乗せられたかと思うと、カチリと何かが胸の奥で切り替わるような感じがして、アイオーンの放つ寒々しい氷色の光が茜色に染まっていったのです。その状態のアイオーンは、いくら力を込めて振っても、わたしそのものにヒビが入るようなあの嫌な感じはやって来ませんでした。
気づけばわたしは、泣いていたのです。ドール失格です。早く止めないと、と思えば思うほど、涙は溢れてきました。辛くも悲しくもないのに泣いてしまうのは初めてだったのです。そして、周りの人間さんがそれを怒って止めないのも、初めてだったのです。
彼女らに連れられて、わたしはフィルツホルンへと届けられました。
道中、苦しくなるほどおなかいっぱいにお肉を食べることができましたです。初めて食べたドール用燃料以外の食べものは、それはそれはおいしかったのです。食べ過ぎを少し怒られたのですが、いつものようにおなかを殴られたり蹴られたりすることはなかったのです。怖い顔で体も大きいのに、とても優しい人間さんだったのです。
門番さんに連れられて、わたしはレンタドールの宿舎に戻されました。管理人さんは不機嫌そうに門番さんにお金を渡したあと、わたしを懲罰房に投げ入れました。
「全くアナタは、何をしてもダメですねえ……! 借り手を守りきれなかった挙げ句、そのまま星に還ればいいものを、捕まって帰ってくるとは! 報奨金を出さなければいけないのは私なんですよ。えぇ、聞いていますか? 私に対する嫌がらせですか? この……感染ジャンクの分際でッ!」
その後は、いつも通りです。役立たずと言われ、装備や服を剥がされ、殴られ、蹴られ、あと、体が熱くなってむずむずした気分になるお薬を飲まされたり……いろいろ、いろいろ。宿舎にいる間は、よくあることです。それでも一応わたしは商品なので、首輪に記録が残るほど壊されることはないのです。管理人さんが飽きるまでただじっと耐えていれば、そのうち整備室に戻してくれるです。……この日は、管理人さんが不機嫌だったせいか、なかなか戻してくれませんでしたけど。
整備室では、わたしと同じような不良品のドールたちが、アイオーンを振って戦闘訓練をしていたり、再調整を受けたりしているです。わたしはアイオーンを握って、あの茜色の光を出そうと頑張ってみたのですが、全然できませんでした。力を込めても「わたし」にヒビが入っていくだけで、あの「カチリ」という切り替わりは起きなかったです。悲しくて涙を零していたら、訓練官さんに見つかってしまい、頬を叩かれたです。
せっかく教えてくれたことも満足にできないわたしは、本当に不良品です。もう、自分の胸にアイオーンを突き立ててしまえば、楽になれるのです? 一度星に還れば、ちゃんとしたドールとして生まれ変われるのです? そう思い、アイオーンを逆手に持って、その刃を見つめたです。
――いつかきっと助けてやるから。諦めるなよ、絶対。
別れ際、あの女の子――ナツキさんがわたしにかけてくれた言葉が、わたしの手を止めたです。
……ラクリマと同じように袋に詰められて運ばれていたあの子が、一体どうやって助けてくれると言うのですか。あの子だってどこかに売られてしまうに決まっているのです。大人の人間さんに何やら交渉をしていたですが、ラクリマとはそういうものですから。
でも……でも、もし万が一本当に助けに来てくれたとしたら……きっとあの子は、わたしがもういないと知って悲しくなってしまうのです。そう思うと、まだ刺してもいないのに胸がジクリと痛んだのです。
「……わたしはまだ、頑張れるです」
自分に言い聞かせるように呟いて、わたしはアイオーンを置いたのです。
☆ ☆ ☆
それから半月ほどが経って、わたしに新しい借り手が付いたのです。
「予算はこんだけだ、一体戦闘用で見繕ってくれ、頼む」
「ほう? これっぽっちでドールを出せと。いやはや、冗談がお上手だ。……こちらも慈善事業ではないのですがね?」
管理人さんが、お客さんと話していたのです。この日は何人ものお客さんが慌ててドールを借りに来ていて、どうやら新型の大型神獣が出たのだとか。
……小型神獣をなんとか倒せるだけのわたしには、関係のない話なのです。
「調整中の個体でもダメか? 何ならジャンクでも……とにかく、使い魔を倒せるレベルなら何でもいいんだ。何の保証もいらねえ、ここで失敗したらもう俺はそこまでなんだよ。……ああ、何なら狩りが成功したら倍額払う。《塔》に誓って契約書を書いてもいい! 頼むよ旦那! あんただけが頼りなんだ!」
そのお客さんは、必死だったです。もう後がないのだと、何度も繰り返していたです。
「はぁ、見苦しいですね……」
管理人さんは、陳列棚の端に繋がれていたわたしをちらりと見て、
「……よいでしょう。無保証、1日、ジャンク品、返却時の倍額支払いを条件に、提示額で一体貸し出しましょう」
そのお客さんにわたしを貸し出したのです。
「ほ、本当か!」
「ええ。では、契約書にサインを」
きっと、これが最後の仕事になるのです。使い魔とは言え、たくさんの人が集められて戦うような新型の大型神獣が召喚するのです。わたしなんか、全く歯が立たずに壊されてしまうのです。
「49番、出なさい。アナタの新しい主ですよ」
救われたような表情でわたしを見たお客さんは、わたしが自己紹介を終えるころには、絶望の表情になっていたです。……わたしの借り手は皆、同じような反応をするのです。
「……畜生、よりにもよって重感染個体かよ」
「おやおや、ジャンクだと契約書には記載したはずですが……」
「ふざけんな! 限度ってもんがあるだろうが! こんなただのヒトの子みてえな気持ち悪ぃ粗悪品使って戦えってか!?」
「ふむ、では、返却ということで? 私は構いませんが……ちゃんと《塔》に誓った契約書通り、明日までに倍額を持ってきてくださいね」
「ぐっ……」
そんなこと、あれだけ必死だったこのお客さんにできるわけがないのです。
「ご主人様、不良品でごめんなさいです。わたし、精一杯頑張るですから……」
いくら不良品、気持ち悪いと罵られようと、わたしはラクリマ。主たるオペレーターの武器として神獣と戦うドールなのです。
「チッ……戦えるんだな?」
「小型神獣や、使い魔くらいなら、倒せるです」
「フン……なら、黙っていろ。俺に恥をかかせるなよ」
元々、そのつもりだったのです。わたしはなるべく普通のドールと同じように、ご主人様に不快感を与えないように、感情を殺して、表情を消して、ご主人様のあとをついて歩いたです。
怒られることもなく、順調だったのです。……ハンターズギルドに、突然の大きな声が響くまでは。
わたしは大きな耳の忌印を持っているせいで、大きな音に弱いのです。突然の大音響に頭が痛くなり、思わず耳を塞いでしゃがみこんでしまったのです。
そのせいで、ご主人様は他のオペレーターさんにからかわれてしまったのです。ご主人様は怒って、わたしの髪を掴んで引っ張り上げたです。
痛くて、悲しくて、情けなくて、泣いてしまいそうになって、ぎゅっと目を閉じて――ふと、ナツキさんの声が聞こえたような気がして目を開けたのです。
「おい、そこのオペレーター!」
ナツキさんではなかったです。ナツキさんと一緒にいた、怖い顔の大きな男の人間さんでした。
オペレーターは契約ドールに故意に危害を加えてはならない。そんな法律があったなんて、初めて知ったのです。つまり、今までわたしの借り手となった人たちは、悪い人だったのです? ……違うのです。わたしがダメダメすぎるのが悪いのです。
ご主人様に連れられて、わたしは街の外に出たです。砂漠は大きな音はしないので、少し安心なのです。
そのまま無言でしばらく歩いて、トドナコの森に到着したです。森と砂漠の間には川が流れていて、その砂漠側に軍がキャンプを作っていたのです。軍の皆さんの表情は暗くて、頭を抱えて座り込んでいる人がちらほらいました。
他のハンターやオペレーターの皆さんは見当たらず、わたしたちが一番だったようです。
「使い魔の掃討依頼を受けてきた。情報をくれ」
ご主人様が声をかけると、軍の人は疲れきったような顔で振り返ったです。
「あぁ……ハンターズギルドのオペレーターか。救援要請を出しておいてなんだが……悪いことは言わない、引き返した方がいい。今回の神獣は異常だ……霧が……あいつを……もう俺は仲間を殺したくない……あぁあ……っ」
そう言って、蹲ってしまったです。
「仲間を……? ……いや、何でもいい、俺は何がなんでもコアを集めなきゃなんねえんだ」
それ以上話しかけてもまともな答えは返って来なくて、諦めたご主人様は他の兵士にも話を聞いて周ったです。そして誰も彼もが、仲間を手にかけるのはもう御免だ、もう森には入りたくないと落ち込んでいたのです。
軍の皆さんによれば、今回の神獣が召喚する使い魔には実体がなく、見た目は黒い霧のようで、周囲の動物に乗り移って身体の自由を奪い、攻撃してくるのだそうです。霧に憑依された時点で意識はなくなって、操られている動物を殺せば霧も一緒に消えるらしいのですが……仲間が操られているとなれば、躊躇ってしまうのも当然なのです。
「コアはどうなる? 霧にコアがあるのか?」
「霧状のときは見当たらなかったが……憑依された奴の死体を調べたら、出てきたらしい。その……心臓の中から。私が見た訳ではないが……」
「つまり、人間を殺して、死体の胸から抉り出せってか」
「ああ……。そんなこと、民間組織に依頼できるわけもない。……幸い今のところ、憑依された動物も霧も森からは出てこない。今は生き残りをここに集めて、《塔》の判断待ちだ」
無駄足を踏ませてすまなかった、帰ってくれて構わない、と言われたです。でもご主人様は、このまま帰ってもお金をもらえないのです。一体どうするのです? ……そう思ってご主人様を見上げたわたしは、問いかけられたです。
「冗談じゃねえ……おいジャンク、お前、人を殺せるか?」
「……?」
あまりにもさらっと聞かれたので、一瞬、わたしは何を聞かれたのか分からなかったのです。
わたしたちドールの存在目的は、星の武器として神獣から人類を守ること。オペレーターの手足となって、時には身代わりとなって、オペレーターやその大切な人を守ること。それ以外にはないです。ないはずです。
守らなければいけない人間を、殺すと、ご主人様は言ったのです?
「ひ、人は、守るものです……」
「チッ……ドール行動原則か。感染ジャンクのくせに何でそこはしっかり調整されてやがんだよ、クソが」
「ふぇっ、ご、ごめんなさいです」
なぜ怒られたのかは分からなかったです。でも、ご主人様はとても怖い顔をしていたです。
怖い顔でしばらく考え込んでいたご主人様は、やがてニタリと笑ってわたしを見たです。
「おい。ドール行動原則その一、言ってみろ」
ドール行動原則。ドールになる調整でわたしたちが最初に教え込まれる、決まりなのです。
「『ドールは神獣を殺す』です」
「その二」
「『ドールは人間に従う』です」
「で、その三が」
「『ドールは人間を守る』です」
「そうだ」
《塔》が作ったドール行動原則はまだまだ続くですし、全部覚えているです。でもご主人様は、そこで暗唱させるのを止めたです。
「いいか、これは優先度順なんだよ。オペレーターが死んでも目の前に神獣がいればドールは戦う。人間に多少の被害が出ようと、なりふり構わず倒さなきゃならねぇ神獣はいて、それを判断するのは人間だ。そうだな?」
「……はいです」
それはそうなのです。わたしが頷くと、ご主人様は冷たい笑みを浮かべたです。
「神獣の使い魔に憑依された連中は、意識がねえってんならそりゃもう神獣の使い魔だ。お前の殺すべき敵だ。だから殺せ。そう、俺はオペレーターとしてお前に命令する」
「あ……う……」
ご主人様の言葉は、耳に入ってきたです。難しいことは言っていないし、間違ったことも言っていないはずです。なのにどうしてか、素直に頷いてはいけないような気がしたです。……きっと、第三原則がわたしを縛っているせいなのです。
上位の原則は下位の原則に優先する。そんなことは教えられてないのです。でもご主人様は《塔》に認可されたオペレーターさんで、そのご主人様が言うからには、きっとそうなのです。わたしは不良品だから、普通知っているはずのことを知らないだけなのです。
「……返事はどうした」
「はっ、はいです」
慌てて答えると、ご主人様は満足そうに頷いたです。わたしは殴られずに済んで、ほっと息をついたです。
それからご主人様とわたしは、軍の人たちの制止を振り切って、橋を渡り、トドナコの森に足を踏み入れたです。
「何があろうと最優先は俺の命だ、いいな。お前が盾になってでも守れ」
「はいです。それがドール、です」
ご主人様は、そんな当たり前のことを何度も確認して、しまいには首輪を通じて厳重命令にしてしまったです。……感染固体は行動原則が曖昧なことが多いらしいですから、仕方のないことです。
「この作品には残酷描写が含まれています」、実際に含まれていなくても表記されている印象がありますが、本作の場合普通に含まれています。
次話以降、少しだけ注意。