肉屋という概念 Ⅱ
ダインに言いくるめられ、明日からの神獣討伐援護に参加することになってしまった。《子猫の陽だまり亭》に帰ってそうラズに報告すると、
「そうかい、しっかり頑張ってきな。こっちはあたしが何とかするよ」
そんな頼もしい答えが返ってきてしまった。……引き止めてダインを怒ってくれることを期待したのに。
ドアごと大人を吹き飛ばし、《終焉の闇騎士同盟》で大暴れしたことまで知られ、さらに店に帰れさえすればにー子というヒーラーがいる。「危ないから」を理由に引き止めてはくれないかもとは思っていたが、この分だとどうやら――
「ラズさんも、ボクがハンターズギルドに登録されてるの、知ってたんだね……」
「ん? あんたがウチに来た日にダインから聞いたよ、緊急事態のときは借りるってね」
あの時はまさか戦闘要員とは思わなかったけどねぇ、とラズが笑う。
さっきこじつけたわけではなく、最初っからそのつもりだったということか。ダインめ……
「なぅきー?」
「お、にー子。ただいま」
「にぁ!」
にー子がとてとてと寄ってきたので、ぎゅうっと抱きしめてやる。もふもふの癒しに、トゲトゲしていた心が溶かされていく。
「ああ、ボクの味方はにー子だけだよ……」
「にー?」
「あのねにー子、ボク明日から三日くらいいないけど、ちゃんとラズさんの言うこと聞くんだよ」
「なう? なぅき、ぃなぃ……?」
不安げな上目遣いがグサグサと心に突き刺さる。
「なぅきぃなぃ、にぁーぁ!」
ぶんぶんと首を横に振って、がっしりとしがみつかれてしまった。
いつの間にか、にー子は簡単な文まで作れるようになっていたらしい。これはもうペットの猫なんかじゃない、妹……いや、「娘」だ。自分は今、寂しがる娘を置いて出張に出かけようとしているのだ。
「ううっ、ごめんにー子……でもちゃんと帰ってくるから、ね?」
「にぁぅ……」
「何かお土産持って帰ってくるからさ。楽しみにしててよ」
「なぁーぅー……」
罪悪感を堪えながらにー子の頭を撫でて諭すも、イヤイヤと首を振ってナツキに強くしがみつく。
「こりゃ、こないだあんたがボロボロで帰ってきたのを覚えてるんだねぇ。もう無茶するんじゃあないよ」
ラズの言葉にハッとする。にー子は寂しくて不安なんじゃない、ナツキが怪我をするかもしれないことが不安なのだ。
「そっか……にー子は優しいね」
「にー……?」
「大丈夫。ハンターズギルドが武器を貸してくれるらしいから、そうそう怪我なんかしないよ。だから安心して待っててよね」
「……。なぅ」
完全に納得してくれたわけではなさそうだったが、にー子は腕を離してくれた。
その夜はにー子にしがみつかれた状態で就寝することになり、翌朝寝苦しさで目を覚ますと腹の上に横向きににー子が乗っていた。出発するまでずっとにー子はそんな調子で、よほど行かせたくない様子だったが、それでも無理に引き留めようとはしなかった。
いい子すぎて罪悪感がすごい。さっさと終わらせて帰らねば……と決意を新たに、早朝のハンターズギルドへと向かった。
☆ ☆ ☆
ハンターズギルドは、大勢の人でごった返していた。昨日ダインから聞いた話によれば、討伐した使い魔から採取できる全ての素材は討伐者のものになるのだそうだ。素材には神獣の核たる『コア』も含まれ、ギルド経由で《塔》に納品することができる。軍の緊急要請は実質《塔》による依頼らしく、依頼料の代わりに《塔》が割増価格でコアを買い取ってくれるらしい。ここには、簡単に大量の報酬を得ることができるかもしれないというエサに釣られた命知らず共が群がっているというわけだ。
さすがにナツキのような子供はいないだろうと思っていたら、なんとまさか、女の子が大勢いた。しかしそれは皆、人ならざる部分――忌印を持つ少女たち。
「……ドール、か」
「ハンター登録してるオペレーターは多いからな。軍の討伐隊から溢れた有象無象がこっちに来るっつーわけだ」
漏れたつぶやきを拾ったのは、いつの間にか後ろにいたダインだ。
「ダイン……」
「普通のドール見るのは初めてだろ。よく見とけ、これがこの世界の常識だ」
言われずとも、ナツキの視線はあちらこちらにいるラクリマの少女たちから動いていなかった。
彼女たちは、この喧騒の中にあって、一言も言葉を発しない。無駄な動きもしない。にー子のように鳴くこともない。ただ主であるオペレーターの後ろを、無表情・無感情についていく。
オペレーターから話しかけることもない。オペレーター達が彼女に対して起こすアクションは、「首輪に触れる」のみだ。触れて何をしているのかはさっぱり分からない。
「オペレーター権限がありゃ、ドールのステータスは首輪で確認出来る。ああやって触れっと、オペレーターの視界にしか映らねェホロウィンドウが出んだな」
「なっ……!?」
心を読んだかのように入ったダインの補足は、にわかには信じ難いものだった。他人には見えないホロウィンドウだって?
「ホロウィンドウって……思いっきりSFじゃんか。どういう仕組みだ?」
「『えすえふ』? ……仕組みは知らねェよ。あの首輪自体が《塔》の聖片だからな、そういうモンだ」
出た、《塔》お得意の科学技術の偏在化。ついに地球の科学を超えてしまったぞ。
やはり《塔》には何かがある。しかしあまり深入りしてはならないと散々ダインに脅されているし、言われずとも厄介事の匂いがする。今はまだ、首を突っ込むべきではないだろう。平和が一番だ、うん。
「さてナツキ、おめぇにゃ武器と防具を貸し出す。戦闘能力は分かってっからテストはなし、レンタル料はサービスしてやる。希望は?」
これほどまでに平和を望んでいるというのに、周囲はそれを許してくれないんだなぁ。
「……何でェ、変な目で見やがって」
「何でもないよ。防具は軽めで動きやすさ重視……というか無くてもいい。武器は長めの両刃直剣があると嬉しいかな」
「よし、ついて来な」
この世界には人に使える技術としての魔法の概念がない。エンチャントされた防具でないのなら、むしろ防具なしで機動性を上げて練気術で防御力を補った方がいい。銃弾レベルの高速高威力の不意打ちに対応できなくなるが、それを求めると防弾チョッキみたいなものが必要になる。借り物でそれは高望みすぎだろう。
武器は正直何でもいいが、ラグナで一番よく使ったのは『幽剣イオニスタ』――神が作りし聖剣の一振りと謳われる、柔軟な気功回路を内蔵した練気術師のための剣だ。
そういえば、魔力回路つきの剣はこの世界でも既に一振り確認している。アイシャが持っていた悪魔の剣だ。もしかすると、《転魂法》以外の魔法が組み込まれた剣が、そうとは気付かれずに眠っているかもしれない。
「おーい、ヘーゼル! いるか!」
ダインに連れられて到着したのは、ハンターズギルドの建物の二階、武器庫らしき部屋だ。
「はいはい、何か用、ギルドマスター様?」
ダインに呼ばれて部屋の奥から出てきたのは、綺麗なお姉さんだった。髪は明るいベージュ色のロングヘアで、先端を一つに縛っている。服はショートパンツとサラシを身につけるのみで、肩も腹も足も丸出しのずいぶんな露出度合いだ。しかしその額にタオルを巻き付け、小さなハンマーを慣れた手つきで弄ぶその姿は、紛うことなき職人の出で立ち。色気よりも逞しさが前面に出ている印象だ。鍛冶師か、あるいは整備士か。
「こいつの武器を見繕ってやってくれ」
「はいはい……って、子供じゃない。ドールじゃあるまいし……どういうこと?」
「剣振らせて見りゃ分かる」
「はぁ……?」
ダインに説明する気がないと判断したのか、ヘーゼルはこちらにずんずんと歩み寄ってきた。
「はいどーも、おじょーちゃん。アタシはヘーゼリッタ=ユグド。ヘーゼルって呼んでね」
「あ、ボクはナツキです……って、ユグド?」
「ん、聞いてない? アタシ、こいつの妹だよ」
「妹!?」
あの筋肉ダルマの妹がこんな美人に!? という驚愕の視線をダインに送ると、「何でどいつもこいつもそんな反応なんだ……」とぼやいていた。みんな考えることは同じらしい。
「で、ナツキちゃんだっけ。防具と武器が必要な理由は?」
「えっと、ボク、ダインに借金をしてて、体で返さなきゃいけなくて……」
「ナツキ!?」
嘘は言っていない。
ちょっと俯いてもじもじしながら言ったのは、にー子を悲しませることになった腹いせだ。
「オーケーなるほど、兄貴をぶっ殺すための武器ってことね。でも安心して、アタシが代わりに地獄に送ってやるから……」
「うおおおお待て待て、誤解だ!」
ハンマー片手に詰め寄ってくるヘーゼルから逃げながら必死に弁明するダインに、べっと舌を出して見せた。
その後事情を理解したヘーゼルは、奥から軽い革鎧を持ってきてくれた。
「よく子供サイズがあったね?」
「ドール用のレンタルもしてるからね」
「なるほど……」
いつものワンピースの上から重ね着するように革鎧を身につけ、飛んで跳ねて空中で一回転したりしてみる。
少し、動きにくい。ラグナで着ていた防具は全て国を通じたオーダーメイドだったし、補助魔法で機動力が底上げされていたから気にならなかったが、防具というのは基本的に邪魔なものだ。慣れの問題なのだろうが……
「うーん、やっぱり鎧はいらないかな。動きにくいや」
そもそも無強化の革鎧で防げる程度の攻撃なら、気を通して強化した体でそのまま受ければいいのである。
「っはー……すごい身軽さ。ちょっと兄貴、この子一体何者?」
「さァな。ほら、防具がいらねェなら次は剣だ。長めの両刃直剣つってたな」
「えぇ? 長めのって、子供に振れる重さじゃ……」
「いいから何本か持ってこい。急いでんだ」
ダインに急かされたヘーゼルは、釈然としない様子で数本の長い剣を鞘ごと抱えてきた。全て何の彫刻も無い、見るからに量産型の剣だ。
それを一本一本持ち上げてみて、重さとリーチと重心を確認、使いやすそうなものを選ぶ。さすがに気功回路は組み込まれていなさそうだ。
「この中だと、これかな」
「え、嘘、片手で持ち上げてる……えぇ……?」
「試し振りはそこでやれ」
「うん」
困惑しているヘーゼルに代わって、ダインが指で倉庫の開けた場所を示した。
そこに立って、軽く深呼吸、
「……はっ!」
アイシャを助けたときと同じように、『閃光』を放つ。剣には気を通していないので神獣の足を切り落としたときほどの速度は出ないが、それでもリィン、と空気が震えた。量産品の割にしっかりしている。
「えええぇー……何、今の……」
「振らせてみりゃ分かるっつったろ」
剣を鞘に納め、口をあんぐり開けているヘーゼルとダインのところまで戻る。
「うん、これがいいよ。ありがとう、ヘーゼルさん」
「あー……うん、君がなんかワケありってのはよく分かったよ」
もはや理解するのは諦めたという顔のヘーゼルに見送られ、ダインと共に一階の広間に戻る。武器を借りに二階へ上がったあとでさらに人が増えたようで、大混雑だ。
広間の端には教壇のように一段高いエリアがあり、そこにダインが立つと、それに気づいた者から次第に喧騒が静まって行った。
「よォし、よく集まったな、命知らず共! 知らねェやつはいねェだろうが、俺がギルドマスターのダインだ! 今回の緊急クエストについて説明してやっから、耳の穴かっぽじってよく聞きやがれ!」
ダインがそう叫ぶと、場に残っていたざわめきがスッと収まり、視線が彼に集まった。手馴れたものだと少し感心する。これがこの世界の肉屋なんだな。
…………。
いや、どう考えても、ダインが特殊なだけな気がする。