肉屋という概念 Ⅰ
ナツキがボロボロで帰還し、ラムダが姿を消してから、一週間くらいが過ぎた。
《モンキーズ》の面々は、再び水の都ネーヴェリーデへと旅立って行った。特に意味もなくトンボ帰りさせてしまったことを詫びるナツキに、結果的に戻る必要が無かったならそれは喜ぶべきだ、と彼らは笑ってくれた。本当にいい奴らだと思う。
ボロボロにしてしまった服は、新しいものをラズが用意してくれた。お下がりなのに何故同じものがあるのかと聞いたら、初代看板娘の子がよくボロボロの血だらけになって帰ってくるので同じものを何着も仕立てておいたのだそうだ。ちなみにその血は返り血だとか……。「血溜まりワンピース」の謎はこのあたりに答えがありそうだ。
壊れてしまったドアも元通りになり、事件の前と変わらぬ日々に戻ったわけだが、変わったこともあった。
ナツキについてではない。『子猫の陽だまり亭』が誇る天使のようなふわふわマスコット――にー子が、この一週間で大きく「成長」したのだ。
と言っても、体が大きくなったわけではない。
「ニーコちゃーん、おいで~」
「なうー?」
「きゃー、来た! ニーコちゃん、お名前なんて言うの~?」
「にぁ……にーこ!」
「きゃんわぃいぃい……っ!」
「んにぅー」
「あたしはねぇ、リリムって言うんだよー。り、り、むー」
「にぁ……に、にぅ……ににむー……?」
「んきゃああぁあっ、だめ、ヤバいよぉお、死ぬ……」
にー子は、この一週間で自分の名前を把握し、なんと発音すらできるようになったのである。さらにどうやら、こちらの言っていることも理解し始めている。それがお客さんの間で広まり、こうして自分の名前を呼んでもらおうとしては舌っ足らずな声に悶絶死する被害者が後を絶たなくなってしまった。
「リリムさーん、注文はー?」
「んえ? あー、今日はいいよ」
「いやよくないけど!?」
うちは料亭であって、断じてにー子とのふれあいパークではない。
チャポムの一件を踏まえて、そもそもにー子とお客さんを触れ合わせるのをやめさせようともしたのだが、当のにー子がそれを泣いて嫌がったのだ。一人寂しく裏で待つのは変なお客さんに絡まれるより苦痛、ということなのだろうか。
それでも、他の大多数の善良なお客さんの目もあるホール内にいた方がいいだろうということで、にー子の定位置は玄関からカウンター脇の椅子に移っている。今みたいにお客さんに呼ばれたり、顔なじみを見つけたりすると、飛び降りてとてとてと遊んでもらいにいくのだ。お客さんの間では、にー子が自分から遊びに来てくれるようになったら真の常連の証、という格付けがされているとか、いないとか……。
そんなことを考えながら仕事ができる程度には客足も収まってきた昼下がり。カウンター席に座って休憩していると、ラズが厨房からひょいと顔を出した。
「ナツキあんた、ちょいとおつかい頼んでいいかい!」
「おつかい?」
「昼に来た大食らいの連中いただろう? あいつらのせいで夜用の肉が足りなくなっちまったのさ」
そう言ってラズが渡してきたメモには、「C-△1-W1-298 ユグド精肉店 ポポモモ五頭分」の走り書きがあった。簡略化された住所、店名、買ってくるものか。
「ユグド精肉店……ユグド? これ、もしかして」
「ダインの店さね」
「おお……本当に肉屋だったんだ……」
ダインの本名はダイン=ユグド。なるほど、ダインが肉屋だというのは本当に本当らしい。気づけば「狩り」とやらに出かけていたり、シーカーとして遺跡にラクリマを拾いに行ったりしているせいで全然信じられなかったが、ようやく証拠をこの目で見る機会が訪れたぞ。
「いってきまーす」
「人攫いに気をつけるんだよ!」
先週の誘拐事件以来、ナツキが一人で出かける際の決まり文句になってしまったやり取りを経て、外に出た。
《終焉の闇騎士同盟》は大人しくなったはずだが、どこぞの暗殺者に狙撃されないとも限らない。一応《気配》術を薄めて広範囲に伸ばし、強い悪意や殺気を検知しながら目的地へと向かう。魔王城への旅路では一日中こんな状態だったせいで、もはや無意識レベルで制御できるようになったお手軽第六感レーダーだ。練気術や魔法が一般的でないこの世界でなら、充分な守りと言えるだろう。
目的地はCブロック、上第一層、西第1ストリート、298番地。
散々な目に遭ったはじめてのおつかいから今日に至るまで、何度もおつかいには出ているのだ。分かりやすい住所が目的地なら、さすがにもう迷わない。橋を渡るよりは基盤層のメインストリートまで下りた方が早いなと目星をつけ、近場の螺旋階段をカンカンと降りていく。
街中に点在する螺旋階段は、地底層から天井までを垂直に貫く巨大な円柱の周囲をぐるぐる回っている。各層をこの柱がガッチリ支えているようなのだが、階段の出入り口には数十センチほどの隙間があったりする。階段は後づけなのだそうだ。
「よっ、と」
上第一層、東第1ストリートと書かれた看板のある出入り口で、階段の外へと軽く飛び移る。子供の足にはなかなか危険な隙間だ。そのうちうっかり踏み外してしまわないだろうかと少し不安になる。
そのまま西へまっすぐ進めば、基盤層のメインストリートへ下りる大階段があり、メインストリートを挟んで反対側の大階段は上第一層の西第1ストリートに繋がっている。中流区で最も賑わう、『大十字広場』だ。様々な店が立ち並び、人混みの中で店員らしき人々が呼び込みに勤しむ光景は、まるで渋谷の雑踏のよう。
「今日も賑わってんなぁ……」
メインストリートは、大型車が五台くらい並んで通れそうなほどの幅を持っている。今日はメインストリートに用事があるわけではないのでさっさと渡ってしまおう、と人の切れ目を探していると、にわかに下流側が騒がしくなった。
「何だ?」
「……おいあれ、『車』じゃねーか!?」
「やべえ、道開けろ!」
道に溢れていた人々が、慌ててザァッと端に寄る。できた隙間を、ボロボロの四輪駆動車らしき物体が五台、ガタガタと走っていくのが見えた。
「……おお、車。マジであったのか」
遠出する際に《塔》から借りるという、この世界の「車」。見た目は金属板を貼り合わせたような形で不恰好だが、排気ガスの排出口は見当たらない。なかなかうるさいエンジン音は聞こえているが、これも未知のエネルギーなのだろうか。
「ボロボロだな……何かあったのか?」
「誰も窓開けねえってこたぁ……よっぽどだぜ」
「少なくとも、いい知らせじゃないだろうな……」
周囲から、不穏な呟きが漏れ聞こえてくる。
「ねえお兄さん、あの車、何なの?」
隣にいた男の袖を引いて問いかけてみると、すぐに答えが返ってきた。
「なんだ嬢ちゃん、見たことないか? ありゃ《塔》の調査団の車だよ」
「《塔》の調査団?」
「ああ。この星の、俺ら人間が住めないような領域まであれこれ調べに行くのさ。もし涙の遺跡が見つかれば、過酷な環境でも戦えるようなギフティアがいる可能性が高いってね」
「ふーん……」
ギフティア。人智を超えた異能を持つラクリマのことだ。この間の騒動でにー子がそうだと判明して、「絶対に《塔》に気づかれるな」とダインに釘を刺された。《塔》に見つかったが最後、特権命令で回収されて死ぬまで最前線だと。ダインは隠しているのが見つかって処罰される前にこっちから《塔》に提出すべきだと主張したが、そんなの受け入れられるものか。
(人智を超えたって言うか、ただの初級回復魔法なんだけどな)
数々の高度な技術を保有していると思われる《塔》ですら、ギフティアの能力は喉から手が出るほど欲しいものらしい。魔法が発動するからにはラグナと同じく星のマナは存在するはずだが、それを制御する術がまだ確立していないのだろう。ギフティアを攫っていくのは、戦力増強の他に研究目的でもありそうだ。
《塔》は、ダインに話を聞く限りではやはり統治組織だ。なんでも数百年前から存在しているらしいが、その具体的な中身は誰も知らないという。ただ一つ確かだとされるのは、「《塔》のルールに従う限り、《塔》は全力で神獣から人類を守ってくれる」ということだ。
「今回は収穫なかったっぽいなぁ。この雰囲気だと調査員もいくらか死んでるかもな……」
「そんなに危険な場所なの?」
「そりゃそうさ。烈日昇る灼熱のヘルアイユ、闇に沈む極寒のアヴローラ。人どころか草一本生えない世界、そのくせ神獣共がうようよいるって噂だぜ」
なるほど。この周辺が常に夕方であるならば、その両脇には常に昼、常に夜の領域もあるというわけだ。当然そこの気温は両極端になり、生命は存在し得ない、と。人類を脅かす神獣の住処となっているのなら、そこを《塔》が調査しているのも頷ける。
愛され看板娘生活をしていると忘れがちだが、やっぱりここは終末世界で、人類は滅亡の危機に瀕しているのだ。命を懸けてそれを支えている人々がいて、さらに多くのラクリマ達が神獣と戦うために魂を消費されている。
そのことも忘れてのんびりし過ぎていたかな、と少し反省しつつ歩いていると、いつの間にかダインの店に到着していた。
「おう、ナツキじゃねェか! どうした?」
ダインがナツキに気づいて声をかけてきたが、ナツキは咄嗟に反応できなかった。
圧倒されていたのだ。ダインの店は、あまりにも、大きかった。何かのギルドの総本部か何かですか? というような四階建ての建物が、周囲の細々した店舗を押しのけるような存在感をもって、西第1ストリートに鎮座していた。
「えーと……」
そして返答しようとして、言葉に詰まった。圧倒の次にナツキを襲ったのは、混乱だった。
それは、確かに肉屋だった。道路に面したガラス張りの大きなショーケースの中には所狭しと様々な肉が並んでおり、ダインはその奥で何かの肉を捌いていた。「ユグド精肉店」と書かれた看板がその上に掲げられており、これはもう紛うことなき肉屋だった。
散々疑っていたナツキとしても、納得せざるを得なかっただろう――
「……ダインお前、これは何屋なんだ?」
それが、この巨大な建物の1割にも満たない隅っこにオマケ程度に存在する精肉販売所でなかったなら。
「肉屋だっつってんだろが! 何度言わせりゃ気が済むんだこの野郎!」
「じゃああのクエスト掲示板と受付カウンターと荒くれ冒険者の群れはなんだよ!」
そう、この建物は、ラグナで様々な街を辿る度に見た、冒険者たちの依頼斡旋所――通称「冒険者ギルド」にそっくりな見た目をしていたのである。ちょうど今、《モンキーズ》の面々と同じように全身を装備で固めた剣士が一人、掲示板から紙を引っペがしてカウンターの受付嬢に渡した。Cランクの依頼となりますがよろしいですか? とか言ってる。
「あァ、ウチはハンターズギルドも抱えてる肉屋だからな」
「ギルドに抱えられてる肉屋の間違いだよな?」
逆だろ、どう考えても。いや逆でもおかしいが。
「馬鹿言え。いいか? 狩人は今や何でも屋だが、元々は名前通り獣を狩って売んのが基本だったんだよ。肉屋即ち狩人、狩人即ち肉屋。狩人の総まとめが肉屋なのは何もおかしくねェ」
果たしてそうでしょうか。
……この世界ではそうなんだろう。うん。
深く考えるのをやめ、ラズのメモを渡した。
「夜用の肉が無くなったんで、買いに来た」
「えぇと……ポポモモ五頭分な。うし、ちぃと待ってろ――」
「ギルドマスター!」
後ろから突然割り込んできた切羽詰まったような声に、何事かと振り向く。カウンターにいたはずの受付嬢がすぐ後ろに立っていた。
ギルドマスター? どこにいるんだ? ときょろきょろして、受付嬢の視線の先にダインがいることに気づく。
……嘘だろ、おい。
「どうした?」
「軍からの緊急要請です!」
「……何かあったのか」
受付嬢の叫びに、ダインの雰囲気が変わる。マジでギルドマスターらしい。周囲にいた冒険者たちも静まり返り、受付嬢の言葉に耳を傾けていた。
「トドナコの森の南西、ヘルアイユの縁にて《塔》の調査団が未知の召喚型神獣を発見、討伐を試みるも失敗、撤退したとのことです!」
「未知の召喚型っておい……ちょっかい出して放置してきたってか!? 後先考えねェバカ学者連中め、森が使い魔で溢れ返るぞ……!」
「はい、既に森林事業者および一般人の立ち入りは禁止、明朝にはギフティアを含む討伐隊が出ると。ついては、使い魔の掃討に当ギルドの協力を仰ぎたいと……」
「あァ、そういう流れだろうな……断れるわけがねェ、承諾する。緊急クエストにまとめて掲示しろ」
「はい!」
ダインが指示を飛ばすと、受付嬢はカウンターへと走って戻って行った。周囲で聞き耳を立てていた冒険者たちが、儲けのチャンスだと色めき立ってそれに続く。
なるほど、つまり――
《塔》の調査団が、使い魔を召喚するタイプの神獣を倒し損ねて逃げ帰ってきた。手負いの神獣は次々に使い魔を生み出し続け、その使い魔は近くの森に潜んでしまう。人々が近づけなくなり、木材やらの供給が途絶えてしまって困るので、早急に神獣ごと討伐する必要があるが、神獣本体以外に軍の戦力を割く余裕はない。よって民間の狩人たちに協力要請が来た……と、こんな感じか。
さっき見た車が逃げ帰ってきた調査団連中だろうか。情報伝達が早いのはいいことだ。
「大変そうだな、ギルドマスター」
「他人事みてぇに言いやがって」
「俺はハンターじゃないしな」
「何言ってんだ、おめぇもハンターだぞ」
「は?」
初耳だぞ、と怪訝な視線を向けると、ダインはニタリとわざとらしい笑みを浮かべた。
「おめぇは3ヶ月、ウチの店でタダ働き。そうだろ?」
「え、ああ、でもそれはラズさんの……」
「あァ違えねぇ、それもウチの店だな」
「なっ――!?」
屁理屈にも程がある!
こいつ、本業は人攫いでも肉屋でも狩人でもなく、詐欺師か何かなんじゃないのか?
じと、と睨みつけると、ダインはガッハッハと豪快に笑った。