帰還
「ナツキあんた、どこほっつき歩いてたんだい!?」
「あう……やっぱりこうなるか……」
夜20時を過ぎた頃、ようやく『子猫の陽だまり亭』に帰りついたナツキを迎えた第一声は、ラズの大声だった。
《終焉の闇騎士同盟》本部を出た時点で、時刻は夜になっていた。ラムダと共になるべく急いで走ってきたのだが、もう夜のラッシュすら終わってしまっただろう。
ナツキがいなくて、あの量の客が捌けるわけがなかった。素直に謝るしかない。
「ごめんなさい、ラズさ――」
「ばかな子だね……!」
「ぐむっ……!?」
しかし謝罪を遮って返ってきたのは、強くあたたかな抱擁だった。
「えっ、ら、ラズさん!?」
「あんた、傷だらけじゃないか……その頬、誰に殴られたんだい! 脇腹のそれは銃創だね!?」
「うぇ!? え、えっと、これは……」
見れば、ラズは目に涙を浮かべていた。そうか、一般人にとってはひと目で分かるほどボロボロなのか、今の自分は。無意識のうちに全身に気を通していたせいで自覚がなかった。
試しに練気術による筋力の賦活や痛覚コントロールをやめてみると、途端に膝がかくんと折れ、体のあちこちを疼痛が苛み始めた。ラズが慌てて支えてくれなければ、顔から地面に倒れていただろう。……ラグナでの感覚のまま、幼女ボディを酷使しすぎたかもしれない。
するとラズの言葉を聞きつけてか、店の中からわらわらとお客さんが湧き出してきた。……ラッシュは過ぎた時間だと言うのに、どうして――と考える暇もなく、矢継ぎ早に声が浴びせられる。
「ナツキちゃん!? 見つかったのか!」
「殴られた!? 撃たれたって!?」
「治療だ、早くしろ!」
「おい俺だ、見つかったらしい、早く戻ってこい!」
「バカ、まずダインさんにだ! 通信石渡せ!」
その全てが歓喜と安堵、焦燥に満ちており、なにか一大事でもあったような雰囲気で。
「え、え……?」
あれよあれよと言う間にナツキは室内へと運び込まれ、クッションを敷いた長机に寝かされた。
「良かった……無事で本当に良かった」
「どのチームが見つけてくれたんだ? 頼む、酒を奢らせてくれ!」
「どこでもいいだろ! ナツキちゃんが無事ならそれでいい!」
「いや無事じゃねえ! なんだよこの傷……」
「おいこれ、縛られた痕じゃねえか!」
……ああ。どうやらこれは、お客さん方にとんでもなく心配をかけてしまったらしい。というか、お客さん総動員でナツキを探してくれていた? 寄り道せずに帰ってくるべきだったかもしれない。
どう説明したものかとナツキがわたわたしていると、どこからか白衣を着た女性が救急箱のようなものを持って走ってきて、「医者です、どいて! ナツキちゃん、ちょっとごめんね!」とワンピースを脱がせようと――
「わ、待って! 今ボク下着履いてないから! 破かれちゃっ……て……ひっ!?」
訳も分からないままとにかくそう抵抗した瞬間、騒ぎが止み、ナツキでも怯むほどの殺気が室内を渦巻いた。同時に、服を脱がせようとした医者の女性が、「そう……怖かったね……もう、大丈夫だからね……」と悲痛な表情でナツキを優しく抱きしめた。何だ。確かに殺気は怖かったが、多分違う。何か誤解されている気がする。
「許せねえ」「どこのどいつだ」「討伐隊を結成するぞ」「ナツキちゃんを汚すたぁ死罪だ」「そのイチモツ切り刻んで畑の肥やしにしてやるわい」
理解した。ナツキの貞操が奪われたと思われている。このままではスラムまで乗り込んで行きかねない雰囲気なので、慌てて止めた。
「ち、違うよ!? や、あんま違くはないけど、服が破られただけで、ボクの方は大丈夫だから! えっちなことされる前に逃げ出してきた、から……えっと、その……つまり、ボクはまだ……処女で……」
あまり深く考えずに口走ったあと、急に恥ずかしくなってきた。……ラムダにノーパンがバレたときに薄々気づいてはいたが、幼女化のせいなのか、本能的な感情まで女の子に寄ってきている。複雑な気分だ……
というか、これ、覚えがあるぞ。ノアに転生する前日に、トスカナがやらかしたやつだ。
(トスカナ、からかってごめんな――)
天に向かって心から謝罪する。これは確かに、恥ずかしい。
「あんたらナツキちゃんに何言わせてんのよっ!」
「ぐぁあっ!」
聞き覚えのある声が、殺気をまとう男共をナツキの代わりに蹴散らしてくれた。はっと顔を上げると、見覚えのある気の強そうな顔。今ここにはいないはずの――
「レイニーさん!? え、よその街に行くって依頼は……」
「んなもんキャンセルに決まってんでしょ! ナツキちゃんが攫われたなんて聞いたら帰ってくるしかないじゃない! ほら、みんないるわよ!」
見れば、その後ろには他の《モンキーズ》のメンバーも全員いた。ルンがのほほんと手を振っている。ラッカが親指を立てて笑っている。不機嫌そうなリンバウをローグが宥めている。
ああ、これは……なんという、申し訳なさか。
「うわあああ、ご、ごめんなさい……」
「なんであんたが謝るのよ、バカ! 当然でしょ! 無事で良かったわ……」
ぎゅ、と抱きしめられる。
これは本当に、スラム街なんか寄らずにさっさと帰るべきだった。
「なっ、なぅぃ、にぁ、なぅいぁーーっ!」
そこに、久しぶりに見る気がするにー子が泣きながら突撃してきた。部屋を満たした殺気が怖くて逃げてきたんだろうか。
「わ、にー子、大丈夫だよ。みんなにー子に怒ってたんじゃないから」
「にぅ……に? なうー?」
そこで初めてナツキがボロボロなことに気づいたらしく、にー子は心配そうな顔になり、脇腹の傷をぺろっと舐めた。
しみて痛むかと思い反射的に目を閉じるが、そんなことはなく、むしろじんわりと心地よい温もりが広がった。……あれ、この感覚、どこかで――
「え……!?」
「ちょ、嘘でしょ? そんなことって」
女医さんとレイニーの驚く声に目を開け、にー子が舐めていた傷口を見ると、そこには……何も、無かった。
綺麗なままの肌が、大きく裂けたワンピースの向こうに見えていた。
「……あれ? ボク、確かに撃たれたんだけど……」
不思議に思い脇腹をさするナツキの目の前を、ふわ、と黄緑色の光の粒子が一つ舞って、溶けていった。
「……!」
それは、ラグナで怪我をする度に見た光。
傷という概念を上書きして全てを癒す、優しい温もり――トスカナが得意としていた、回復魔法の光。
「にー子お前今、魔法を――」
「ニーたん、あなたギフティアだったの!?」
ナツキを遮って、レイニーがにー子の顔を覗き込んだ。
ギフティア。以前ダインが言っていたような……
「にぅにぁー?」
にー子はきょとんとし、すぐレイニーから興味を失ってナツキの傷という傷を舐め始めた。殴られた頬から始まり、縄の痕を見つけ、服の中に潜りこみ――
「うひゃっ、くす、くすぐったい、こらにー子! どこ舐めてんっ、んひゃっ」
「なぅー……」
にー子は終始心配そうな顔をしており、さらに舐めたそばから傷という傷が消えていく。気を通すのをやめた途端に現れた倦怠感すら、全身から抜けていく。そのせいで怒ろうにも怒れず悶絶するナツキの周りを、黄緑色の光の粒子がキラキラと舞い踊る。
それを何故か必死に隠そうとするレイニーと女医さん。……ああ、まあ、センシティブかな。幼女に全身舐められる幼女。うん。
「おーいナツキ、大丈夫か!」
それを全く意に介さず突入してきたのは、こっちは本当に久しぶりに会う男。
「ダイン! 久しぶり……あっ」
そしてダインの小脇に抱えられ、ぐったりしている、ついさっきまでナツキと共にいた男――
「そこにいた見慣れねェ奴なんだがよ、怪しかったからとっ捕まえたら、ナツキに会わせろだの話せばわかるだのうるせェんだよ。心当たりあっか?」
「ナツキぃ……こんおっさん、なーんも言うこと聞いてくれへん……」
「うわあぁぁ、ラムダ!? ごめん、忘れてた! ダイン、放してあげてっ!」
慌てて解放を要求すると、ダインは「そうか、知り合いか」と手を離した。当然、ラムダは落ちる。
「へぶっ」
「ら、ラムダ……大丈夫?」
寝かされていた長椅子から飛び降り、ラムダに駆け寄る。
「……自分、愛されとんなぁ」
「あはは……そうみたい」
それを見たダインに「そいつは何なんだよ」と問われたので、正直に答えることにする。
「《終焉の闇騎士同盟》に捕まったボクをここまで連れて来てくれた、優しい人だよ。ね、ラムダ?」
「なっ……」
「嘘は言ってないよ?」
その言葉に周囲の常連客達はざわめく。――あの終焉の闇騎士同盟に捕まっていただって? ――それを助け出して来たって? ――なんて勇敢な男だ! ――きゃーっ、イケメンよ!
「は、いや、ちゃうねん。ワイは……」
「そういうことにしときなよ。どうせ行くとこないんでしょ」
顔を寄せて小さく耳打ちする。同盟から追放されてしまったラムダには、新しく帰る場所が必要だろう。
「『子猫の陽だまり亭』は、従業員募集中、だよ?」
「ナツキ……」
ナツキの言葉を聞いたラムダは何事かを考えているようだったが、すぐにお客さん達の質問攻めに呑まれてしまった。巻き込まれないようにスススと退散させてもらおう。
それから丸一時間ほど、ナツキ発見祝いだとかで、お客さんたちは『子猫の陽だまり亭』で食事を頼みまくって大騒ぎをして帰っていった。
ナツキはラズとダインにだけ詳しい経緯を説明した。ヴィスコに直談判をしに行って銃弾の雨に晒されたところでラズは卒倒しかけ、ヴィスコに嘘泣きと上目遣いを駆使して諸々を認めさせたところでダインは頭を抱えてしまった。
そしてラムダのことも紹介しようと思って店内を見回して、気づく。
「……あれ、ラムダは?」
いつの間にか、彼は姿を消していた。
慌てて店の外に出て周囲を探しても、ただ静かな夜の闇が広がっているだけ。
「ラムダ……」
「なんだい、逃げちまったのかい? ゲンコツ一発で許してやろうと思ったのに、二発に増量だね」
遅れて外に出てきたラズはそう言って笑うが、きっと逃げたわけではないだろう。『子猫の陽だまり亭』に身を寄せずとも、彼には帰る場所があったのかもしれない。……うるさいお客さん達の中に一人で放置したせいで、拗ねて帰ってしまったのではないことを祈ろう。
「ほらナツキ、早く入りな。ダインがあんたに大事な話があるって言ってるよ」
「話? ……うん、分かった」
恩返しを続ける限り、人の縁は続く。それを積み重ねて人道とする。彼がそれを語ったとき、実はナツキは睡眠薬を盛られていたわけだが――それでも、彼の言葉に嘘は感じなかった。きっとあれは彼の本心、信条のようなものだ。
まだ自分は、ラムダの恩返しを受け取っていない。だからきっとまた、ひょっこり顔を出すだろう。またジュースを奢ってもらって、彼が何か困っていれば力を貸す。
友達らしくていいじゃないか、そんな関係も。
☆ ☆ ☆
「……あれ、あなたのこと探してるんじゃないですかね?」
「せやろな」
上第四層東エリアにある『子猫の陽だまり亭』を、同層西エリアの物陰から覗く影が、2つ。
小柄な影が双眼鏡を下ろし、大柄な影を仰ぎ見た。
「ちゃんとお別れしなくてよかったんです? 結構仲良くなったみたいじゃないですか」
「お別れて、ワイはガキんちょをおうちに送り届けただけやで」
「ちょっと寂しそうな顔してますよ?」
「ワイがか? そか……寂しそうに見えるんか」
「さあ。暗くて見えないのでよくわからんです。言ってみただけですね」
「おう、なんや自分、喧嘩売っとるんか」
「いえいえ滅相もない。……で、実際のところは?」
「……ま、久々にまともな人間と触れ合って楽しかったんは確かやな。《同盟》はワイの肌には合わへん、殺されかけたしもう懲り懲りや」
「ほーん。ちょっと名残惜しいと」
「せやな。だからこそ、潮時や」
ザァッ、と強い風が吹き、街が耳障りな金属音を放って軋む。
「……これ以上べったり一緒におったら、『最悪の可能性』んときに判断が遅れる」
「ん。仕事を忘れないでいてくれて助かりますよー。で、あなたの主観としてはどうなんです、あの『陽だまり亭』の二代目看板娘ちゃんは?」
「ええ子やし、顔は完璧やな。あと十年待って胸とケツが出るかどうかや」
「んなこた聞いてねーですよ。あれは《天使》ですか、あるいは――」
「んー……聖下の話にゃ沿っとらんかったな。フツーに記憶喪失やったし、なにより女の子やで。考えすぎやろ」
「んんん……空振り、ですかー……確認ですけど、本当に女の子でしたか?」
「確実に、雌性体や。ついとらんのも確認したで」
「そうですか……。…………? うわっ、え、見たんですか。えぇ……近寄らないでください」
「任務遂行しただけやっちゅうにドン引きされるんは流石に理不尽ちゃうか!?」
「……はぁ、まあいいです。それで、見られたときのあの子の反応は?」
「顔真っ赤にして『えっち!』や。……なんやこれ拷問か?」
「それは……女の子、ですねー」
小柄な影は、むぅと唸った。自分のカンが外れるなんて、とでも言いたげな様子で。
「けどあいつ、銃弾の雨するっするかわしよったで。でもってものっそい殺気で《同盟》の幹部を一網打尽や。ただの人間ちゃうんは確かやな」
「ふむー。となるとギフティアの変異個体、あるいは外来種……違法入手した聖片で武装って線もありますかね……ま、いずれにせよもうしばらく観察が必要ですね。引き続きお願いします、デルタ」
「ラムダやっちゅーねん! いい加減覚え……待てや。何が引き続きお願いしますや、ワイ今上がって来たとこや言うとるやんけ。イヤやわー、ブラックな職場」
「はぁ、んじゃちゃんと別の端末に引き継いでくださいよ。あたしゃ表の仕事もしっかりあるんですから、見込み薄の個体に張れるほど暇じゃな――おや? あの子、諦めて帰っちゃいましたね」
小柄な影が再び覗いた双眼鏡の先、少し寂しげな顔の金髪幼女が、玄関のない『子猫の陽だまり亭』の中に入っていった。
「うーん、哀愁漂う表情、激カワでしたねぇ。かわいそ。萌えます。ベリーグッド」
「自分も大概やで……」
軽口を叩きながら、小柄な影は思考をめぐらせる。
あのイレギュラーたる少女が《天使》なのであれば、まだいい。捕獲すればいいだけだ。
もし彼女が、かつて予見された『最悪の可能性』なのだとしたら――
この世界の滅びは、いよいよ近い。