ネーヴェリーデ裏話
「うおッ!?」
「リリムさん!?」
面食らう一同の視線を集める中、リリムは体勢を崩したおやっさんの眼前に二枚の紙切れを突きつけた。
「親方さん、コレ、何か分かる? 分かるよねぇ」
「それはッ……!」
「このまま皆の前に連れて行ってお別れムードにしてうやむやなまま送り出そうってんでしょ? そうは行かないよー」
「くッ……まさかお前……ローレライの洗脳をその場で解いたのかッ!?」
「ん、ちょっとやりすぎてミュウちゃんには泣かれちゃったけどねぇ……。なんだかんだ仲直りして、これをもらってきたわけ。理解できた?」
愕然とするおやっさんの首元に、リリムのもう片方の手がそっとメスを添える。
「でもあたしもさ、こんなめんどくさい状況で、あなた達やその上の連中と揉めたくはないんだよね。あなたの首を切っても何もメリットないし」
「ハハ……首に刃物突きつけといてよく言うぜ。何が欲しい?」
「誠意」
手品のようにメスをしまい、親指と人差指で輪っかを作り、他の指を広げて見せる。……そのジェスチャー、この世界にもあるんだな。
おやっさんは苦笑し、肩を竦めて答える。
「……今回の件について、俺様が話せることは全部話してやる。でもって、今日の『荷物』は細心の『注意』と最大限の『配慮』が必要な『前払い』の『こわれもの』だ、と裏船頭に伝えておく。これでどうだ」
「ん、交渉成立! 水に流してあげる」
そう言って二枚の紙の片方を破り捨てたリリムの満面の笑みに対し、おやっさんは両手を上げて溜息をついた。
☆ ☆ ☆
要は、今回の件の黒幕がおやっさんだった、ということらしい。
ただそう端的に表現してしまうとおやっさんの印象が地の底に落ちてしまうので、以下に事情聴取のまとめを残しておく。
つまり、いわゆる蛇足、舞台裏だ。知ったところで今後の旅路には何の影響もない。
ナツキ達が巻き込まれた騒動には三つの組織が関与していた。
ミュウをローレライという怪異に仕立て上げた、あのレンタドール社の管理人も所属しているという《祭祀場の鐘》なる組織。
フィンとミュウ、さらにはアイシャやにー子までもを「狩り」の対象として娯楽に興じるためにやってきた、《プルタネルフ自治区》なる組織。
ナツキ達を数週間にわたり匿ってくれた、おやっさん率いる《水魚の婚礼》という組織。
これらの組織は全て、《パーティ》と呼ばれる巨大組織を親に持つ兄弟関係にある組織だった。
彼らは皆上納金を本部である《パーティ》に収める義務があり、各々の方法で金を稼いでいる。本部からの評価に直結するので、基本的には各組織は独立して競い合うように資金を形成していた。
《水魚の婚礼》は最も真っ当で、ネーヴェリーデの裏街を取り仕切る中で生まれた利益の一部を収めていた――というのはおやっさんの談なので、もっと悪どいこともしていたのかもしれないが、少なくとも他の二組織に比べればマシなのは確かだろう。
《祭祀場の鐘》は、様々な市場で違法ギリギリ、あるいは違法そのものな商売を繰り返し、資金洗浄した上でその一部を収めていた。フィルツホルンで営業していたレンタドール社もその一環だろう。人脈は広く《塔》内部にまで及び、メンバーが投獄されても賄賂ですぐ釈放されてしまうという。《パーティ》本部は犯罪行為による金稼ぎを公には禁止しており、彼らは処分されて然るべきなのだが、人脈という病巣は本部の奥深くまで根付いており、踏み切れない状態だったらしい。
《プルタネルフ自治区》はその名の通り、フリューナ大陸にある港街プルタネルフの統治組織だ。主な上納金の源は税収だが、構成員は貴族を中心としており、内部に様々な派閥が存在する。その中でも今回アイシャ達を狙ったペルニコフという男の派閥は異端で、極刑を言い渡された有能な大犯罪者を貴族の権限で傘下に引き込み、ラクリマや平民の子供を攫って奴隷売買にかけることで膨大な利益を得ていた。
「きっかけは《祭祀場の鐘》が《水魚の婚礼》に協力を持ちかけてきたことだ」
悪事に深く手を染めていない分営業成績のあまり良くない《水魚の婚礼》に対し、彼らは洗浄済みの利益の一部と引き換えに、ネーヴェリーデの裏街内に拠点を構え商売をする権利を要求した。彼らは裏街のルールを守ることを誓い、最初のうちは大人しくしていた。洗浄のためとは分かっていたが、もともと裏街は無法地帯だ。経済の回りが良くなるのはいいことだとおやっさんは目を瞑り、数年前に裏街の再開発で投棄された旧メインダクトの浄水場を《祭祀場の鐘》の拠点として貸与した。
「それがあの、ミュウちゃんが暮らしてた場所だね。ヘルアイユの空みたいなドームの……」
「ああ。あの鉄の繭みてえな空間は丸ごと一つで移動型拠点の聖片だっつう話だが……まァそれはいいか」
四ヶ月ほど前、《祭祀場の鐘》は「幸せ屋」なる新たな商売を始めた。事前契約によって定めた日に「契約通り」拉致され、謎のツテにより手に入れた洗脳のギフティアによって多幸感を与えられ、「契約通り」所持金を全て奪われ記憶処理されて解放されるという、裏街のルールで禁止されている事項を巧妙にすり抜ける商売だ。
よくそんな契約を結ぶ客が次々現れるものだとおやっさんは訝しんだが、当時は後遺症もなく、拉致された本人に拉致された記憶がないこともあり「スリが多発しているので注意しよう」くらいの認識で収まっていたので、放置していた。傭兵の練度不足や医療体制の薄さなど、他に優先対処すべき問題が山積みだったのだ。
ミュウがエアダクトを移動に使うことで、飛行補助用のアイオーンが発生させる空気の振動が共鳴を起こし、風笛の鳴る時間帯に偏りが生まれたが、何の得もないのにわざわざ原因を調べようと思う者は裏街にはいなかった。
三ヶ月ほど前、異変が起き始めた。「幸せ屋」から開放された人々が皆、陶酔状態で発見されるようになったのだ。洗脳に加えて酒を飲ませ、再契約率を上げる方針にしたのだと説明された。開放された人々の血液検査の結果はその主張を裏付けるもので、二日酔いが長く続くことに不審感はありつつも、おやっさんは納得した。逆にその影響でにわかに湧き出てきた「ローレライ」の噂を利用し、有能な何でも屋系ハンターパーティを長期拘束して組織の運営改善に役立てる計画を実行に移した。
「ははん、そのハンターパーティが俺らってわけか」
「そうだ。お前ら《モンキーズ》は予想以上によく働いてくれた、感謝してるぜ」
「ちょっとあんたね……!」
「騙してたことの詫びは追加報酬で払う。こんなもんでどうだ」
「許すわ!」
「レイニーさん……」
もし《祭祀場の鐘》が何か法に触れる悪事を企てており、《モンキーズ》がそれを暴いてくれるならそれはそれで良し。暴けなくとも、調査中の宿を提供する見返りという形で組織内の運営改善タスクを割り当て続けることで、豊富な知見が共有され組織改革が進む。《祭祀場の鐘》の悪巧みへの牽制にもなる。そういう計画だった。
しかしその後も、ローレライによる被害は悪化の一途を辿っていく。加えて「子供熱」なる流行り病や水路の水量異常、往来の酔っ払いの異常増加といった新たな問題が同時発生し、対処に追われることとなった。
そんな中、《モンキーズ》の調査結果を読んでいたおやっさんはあることに気づいた。被害者が被害に遭う前に大きな取引をした店のリストは、パッと見では「高額な商品を売っている店」くらいの共通点しかなく、意味のない情報に思える。しかしそれらの店にはもう一つの共通点があったのだ。すなわち――「《水魚の婚礼》傘下の店」であり、かつ「契約書による売買証明」をしているという点である。
おやっさんはすぐに店舗共通で規格化・発行している契約書を調べた。結果、それが特殊な製法で作られた紙であり、薄皮を剥くように表面を剥がすと、残った部分にもう一枚の契約書――「幸せ屋」の利用契約書が現れる仕組みになっていることが分かった。さらに署名と日付の欄には特殊加工が施されており、上面に書いた内容がそのまま下面に転写されるようになっていたのだ。
この事実に《モンキーズ》が辿り着き、陰謀を白日の下に晒せば、まず矢面に立つことになるのは《水魚の婚礼》だ。その間に《祭祀場の鐘》は証拠を隠滅して夜逃げするだろう。用意周到な彼らなら、それくらいの準備は当然してあるはずだ。
そう考えたおやっさんはまず――《モンキーズ》に店舗の傾向を調べる意味はないことをそれとなく伝え、時間を稼いだ。
「ちょっとローグ~、騙されてるじゃん~」
「や、これ以上調べても意味がなさそうってのは僕らの共通見解だったでしょ。他の調査に時間を割くべきだって……」
「フン、そこをそっと後押ししてきやがったわけか。……いい手だ」
その上でおやっさんは本部である《パーティ》に連絡し、処罰覚悟で全てを話した。上納金は控えめだが優良な組織と評価を受けている《水魚の婚礼》と、金払いはいいが本部も扱いに困っている問題児である《祭祀場の鐘》を天秤にかけ、自分たちが残されることに賭けたのだ。
本部の返答は、どちらの処罰でもなかった。曰く――
――《塔》の聖窩深層にたった二人で侵入し、散々荒らし回って聖騎士すら打ち負かし、大天使の猛攻をかいくぐって原初の涙1体と天の階5体を確保して全員生還した頭のおかしい連中がいる。そいつらのカロノミクノ亡命を任せる。上手く使え。
「な、なんかすごく誇張されてるのです!」
「うーん……まあ……視点によっては合ってると言えなくもないね」
「合ってると言える視点があるってことがまず信じられねえんだが……ともかくそれで、お前らがやって来たワケだ」
「で、あたしがサインした密航手配の契約書の裏に、幸せ屋さんの契約書があったってワケね」
契約書には、実際に金銭とサービスを交換するタイミング、すなわち船に乗り込む日付が記される。それがそのまま幸せ屋のサービス提供日として記録され、《祭祀場の鐘》に渡った。
おやっさんはその日の前日、すなわち拉致予定日にリリムにローレライのことを教え、警戒を促した。聖窩に乗り込んで聖騎士とやり合って生還するような人間ならきっと返り討ちにしてくれるだろう、組織を潰せなくとも根幹にいるギフティアさえ確保できれば事態は解決するはず――そう考えた。
「あー……もしかしてあたし、聖窩で聖騎士や天の階と戦ってたと思われてる?」
「……あの有名な《神の手》と見たこともねえ人間のガキが来て、他にどう思えってんだ」
しかしリリムはちょっと戦闘力が高いだけで、練気術も精霊魔法も使えないただの人間である。奇襲を警戒しているだけではミュウの異能を防げず、あっさり拉致されてしまった。
おやっさんは急遽計画を変更し、ナツキ達にリリム救出のついでに《祭祀場の鐘》を始末してもらおうと考えた。折り悪く《祭祀場の鐘》との取引のために居合わせていた《プルタネルフ自治区》の連中も巻き添えにナツキやアイシャ達が獅子奮迅の大暴れをした結果、目論見は成功し、今に至るというわけだ。
「と、そんなところだ。まあ誤算だらけだったがな……まさか《鐘》の奴ら、災害指定害獣を養殖してやがったとは」
「アメウナギ……数十年前の《塔》の実験で生まれた害獣、だよねぇ。あたしも資料でしか見たことないけど、本当なの? ルンもよく気づけたもんだよ」
「私のお母さんがね~被災地に住んでたから~、お水が怪しいって思った時に~ピンと来たの~」
災害指定害獣、アメウナギ。数十年前に《塔》が行っていた「神獣に食わせて体内から殺す生物兵器を作る」プロジェクトの産物だが、実験施設が神獣の攻撃で破壊され、逃げ出した個体が河川で繁殖してしまった。原種であるユキウナギは瞬く間に淘汰されたが、見た目が酷似しているため発覚が遅れ、河川の下流にあった村は壊滅的な被害を受けた。
その体液や肉は、アルコールに似た組成の毒を含んでいる。症状は酩酊、幻覚、思考力低下、記憶喪失、強欲化、食欲異常、異常な喉の乾き、水中への投身欲求などだ。
これは「泳げる神獣はいない」ことに基づいて神獣を自滅させるためにデザインされた人工の神経毒である。もちろんただの化学物質がそんな都合のいい作用を持っているわけがなく、メルクによると「天使の力」の断片が遺伝子レベルで練り込まれているそうだ。
厄介なのは二点。まず、そのまま飲んでもすぐには効果が現れず、体内に蓄積され一定の閾値に達すると一気に発症する上、血液検査などではアルコールと同一の結果になってしまうため、初期検出が困難であること。そして、加熱調理によりタンパク質などと結合すると性質が代わり、効果が弱まる代わりに即効性が生まれることだ。
「《鐘》が陣取ってたのは旧浄水場――つまり、昔は裏街の水が必ず通ってた場所だ。奴らは古い経路で水を引き込んで、アメウナギの養殖槽を通してから元の水路に戻してたってわけだ」
汚染された水は水路を巡り、住民の身体を蝕んでいく。ここで水量をコントロールして毒の濃度を調節していた影響が、アイシャ達が調べていた水路の流量異常となって現れていたのだ。
「でも、なんで毒を入れたお水を水路に流してたです? ミュウさんの異能があれば簡単に誘拐できるはずなのです」
「言ったろ、奴らの目的は誘拐でも強盗でもねえ、資金洗浄だ。金のねえ裏街の連中から、金や金になるモノのある奴らを狙い撃ちで、判断力を鈍らせてでかい取引をさせまくる必要がある。だから水量異常は金持ちの居住区の水路にしか起きてねえ」
「……あ、そっか~、だから親御さん達~ちゃんと治療費払えたんだ~」
「そういうこった。……ガキ共はともかく、金持ち向けの水路から採った水を買ってる企業の感染ラクリマをぶっ壊しちまったのは《鐘》も想定外だっただろうがな」
アメウナギの毒は、子供には酩酊の代わりにアルコール中毒や熱風邪のような症状を与える。子供熱は子供にしかかからないのではなく、大人は酔っ払っている状態と区別がつかないだけなのだ。
ラクリマの場合、酩酊しても感情がないため、通常はただの体調起因のパフォーマンス低下状態になるだけだ。しかし感染ラクリマは感情を持った上で行動原則により押し殺されていることが多い。アメウナギの毒によって欲望が誘発されると、それを禁止する原則や命令との板挟みになり、毒が抜けるまで終わらないスパイク状態に陥ってしまう。これがローグとリンバウが遭遇したという「動作不良ラクリマ」の正体である。
「――と、謎だったのはこんなもんか」
「いや……まだある。ここまでの話じゃ、いちばん不思議なやつが説明できない」
おずおずと手を挙げたローグに視線が集まり、
「みんな聞いたことくらいはあるでしょ、『食堂の幽霊』の話!」
真剣に聞こうとしていた面々の表情が一斉に呆れ顔に変わった。
「毎食準備中に一人分が忽然と消える、誰もいないはずの食堂で足音がしたりポルターガイストが……」
「お前な、まだそんな怪談信じてたのか」
「いやこれたくさん証言あるんだよ!? 絶対ただの怪談じゃないって」
そういえばそんな噂が流れてたな、とナツキは思い出す。しかし今改めて考えてみるとそれは……
「ってことらしいけど、スーニャ、何か申し開きはある?」
「ん……おなかすいてた。おいしかった」
「ポルターガイストは?」
「みんなびっくり。たのしかった」
ぽやぽやと無邪気な笑顔。
……うん、うちのスーニャちゃんがご迷惑をおかけしました。