姉妹 Ⅲ
ナツキの一味を捕らえろという命令は効力を失っている。その上でまだナツキ達を害そうと言うのなら、それはフィンの意思のみに基づく決断になるが、本当にその選択をするのか。――そうミュウに問われたフィンは固まってしまった。
「あのおっさんがそんなミスするわけねー……けど……あん時確かになんか……変だった、よな……」
ぶつぶつと呟いたあと、長い沈黙を経て、フィンはナツキの前まで歩み寄り、言った。
「首輪に触れてみてくれ」
「へ? いいけど……」
指先でフィンの首輪に触れると、微量の気が吸い取られる感覚のあとすぐにフィードバックが返ってきて、視界中央にホロウィンドウが開いた。
「オペレーターじゃねーとそれ見えねーんだよ。代わりに読んでくれ」
オペレーター権限のある者がドールの首輪に触れることで閲覧できる、そのドールの情報だ。なんだか個人情報を覗き見ているような気がして後ろめたく、アイシャの情報を見たのは風呂上がりにアイシャの首輪が割れ落ちた日の一度きりで、その時も登録オペレーターの欄しか見ていないのだが。
アイシャのときは視界いっぱいに大量のホロウィンドウが開いたはずだが、今回表示されたのは小さなパネルが一枚だけだった。自分が契約していないドールの場合は基本情報しか表示されないらしいが――
=======================
G-P3-F003 Fin-3-PASEL
B8/Y20/R1M[SCS-4]
C: -
P: -
M: T1
G: Electrokinesis-A
=======================
基本情報どころか、IDと名前と謎の英数字しか書かれていない。Gの欄は異能のGでエレクトロキネシスだろうが、他はさっぱりだ。
「フィン、読んでもよく分かんないよ、これ」
「ギフティアのステータスはフツーのオペレーターが見る前提じゃねーからな。Cってとこあるだろ、なんて書いてある?」
「空欄だよ」
「っ……なら、Pは」
「そっちも空欄だね」
「ははっ……スラッシュ区切りの行、三つ目以降を読み上げてくれ」
「R1M……括弧付きでSCSの4」
「……そうかよ。そういうことかよ……はは、は……冗談キツいぜ」
ナツキの返答を聞いたフィンは、片手で目を覆って力無く座り込んでしまった。何にショックを受けたのかは分からないが、とにかく声をかけようとしたその時、ガコン! と大きな音を立てて部屋が揺れた。
「わ!? 何が――」
「よう、来たなッ!」
部屋の入口に立てかけてあった木板を蹴り倒し、虎マスク男がにゅっと顔を出す。その大声の向こうから聞こえてくるのは、ドドドド……という滝の音。吹き込んでくる風は強い潮の香りがした。つまり――部屋に入ったときはアジトに通じていたはずの入口が、外に繋がっていた。
「表街貨物集積区、滝裏口に到着だぜッ! 『お部屋』の『荷物』の輸送用昇降機の乗り心地は快適だったかッ!? まさか部屋ごと動いているとは思わなかっただろう! ハハハハハハッ! ハハハ……ハ……?」
得意げに笑うおやっさんだったが、やがて部屋の誰も何の反応も返さないことに気づいたか、徐々に笑いを引っ込めた。エレベーターなのは分かったが、悪いが今こちらはそれどころではないのだ。
「……ッ!」
「あ、フィン!」「うおッ……!?」
気まずい静寂を切り裂くように、フィンは突然駆け出し、出口のおやっさんを突き飛ばして飛び立って行った。
共鳴石のペンダントから澄んだ電子音が鳴り始め、ミュウがハッと我に返ったように立ち上がる。立ち尽くしているナツキの前に駆け寄り、
「フィンは私に任せてちょうだい! でもその前にナツキちゃん、あなたに伝えておかなければいけないことがあるの! 本当はもっと落ち着いてから話したかったのだけど……!」
「ボクに? うん、何?」
「あなたはタイショーくんのお友達のナツキ・メグリジ、なのよね?」
「!?」
――なぜ、その名を。
「さっきハロちゃんにお願いして、遺書の写しを読ませてもらったわ。勝手にごめんなさいね」
――あれは日本語のままの写しだ。読めるわけがない、はずだ。
混乱するナツキの答えを待たず、ミュウは続ける。
「私はミュウルエール・キュアレ・ソラ。私たち《探究の庭》は、あなたをずっと待っていたのよ」
耳元に口をよせ、ナツキにしか聞こえない声で囁く。
「もう時間はあまり残されていないわ。《塔》から逃げおおせたなら、できるだけすぐに《巣》へいらっしゃい。そして学びなさい、『彼女』を知りたいなら歴史を、『彼女』に会いたいなら科学を。大きな選択をする前に、取り返しがつかなくなる前に、あなたは知らなければならないの」
「っ!? 待って、それってどういう――」
「ごめんなさい、共鳴石が鳴っているうちにフィンに追いつかないといけないの。また現地で会いましょう!」
早口でそう言い切り、ミュウは純白の翼を広げた。翼の内側に装着された機械から寒々しい氷色の燐光を撒き散らしながら、ジェット機のように飛び去って行く彼女を、引き止めることはおろか声をかけることすらできなかった。
沈黙の数秒が過ぎ、残された面々は顔を見合わせる。
「な……なんだったです?」
「わかんない……けど、なんかとてつもなく重要なことを言われたような……一度にいろんなことが起きすぎてもう何が何だか……」
「ん……少なくとも、フィンちゃんにはもう会えないと思った方がいいかもね」
「リリムさん? どうして……」
なぜそんな悲観的なことを、とナツキが訝しむと、リリムは諦観の滲んだ顔で返した。
「Cは契約者、Pは職位。《塔》のギフティアでそこが空欄になるなんて、普通は有り得ないんだ」
「契約者と職位がないって……え、自由ってことじゃ?」
「R1Mは残り寿命1ヶ月、だ。SCS-4ってのは……《充電》関連のステータスだ。知らなきゃ知らないままのほうがいい。ざっくり言や、あいつの魂はもうボロボロで、取り返しのつかない状態になっちまってるって意味だ。ローレライの奴も《塔》のギフティアだ、全部理解できてたはずだぜ」
おやっさんが補足し、空気が凍りつく。
「い、1ヶ月!?」
「《塔》に捨てられたんだろうな。厳重命令の仕様の裏をついてまで任務の建付けしてんのは、せめて高難度任務中の殉職ってことにして他のギフティア向けの体面を保とうってハラか。胸糞悪ぃなッ」
「っ……」
寿命はまだ1年あるとフィンは言っていた。それすらも《塔》がフィンに信じ込ませている嘘というわけか。
「ミュウさん、任せてって言ってたですが……どうするつもりなんでしょう。わたし達にできることは……」
「……寿命を戻すのは無理だ。残り1ヶ月、寄り添ってやるつもりなんだろうよ。俺様達が探しに行くのは野暮ってもんだ」
「うぅ……」
ミュウとフィンは姉妹だ。もし自分がミュウの立場で、余命1ヶ月と宣告されたのが秋葉なら……どうするだろうか。もしありとあらゆる病院に匙を投げられ、どうしようもないことが確定しているのなら、ひとしきりこの世を呪い絶望したあと、秋葉の余生を充実させることに全力を尽くすだろう。
しかし先程のミュウは、焦りはしていても絶望はしていないように見えた。最後の台詞は別れの挨拶ではなく、「また現地で会いましょう」という再会の約束だった。現地というのは、直前にナツキだけに聞こえるように示した場所のことだ。
――《巣》。
そこにフィンの魂を治療する手段がある、と考えるのは楽観的に過ぎるかもしれない。しかし希望を抱くくらいはしてもいいだろう。
どうか、フィンと再び言葉を交わし、今度こそ裏表のない友情を築けますように。そんな祈りをどこへともなく捧げ、顔を上げる。
「みんな、行こう。今は……前に進むしかない」
「ん……そうだね。他人の心配より先に、あたし達はさっさとカロノミクノに辿り着かなきゃいけない」
「はいです! フリューナ大陸に向けてれっつごーなのです!」
「しゅっぱーつ!」「なぅぁー!」「おー」
いつの間にか次元断層から外に出ていたハロとにー子、加えてスーニャの眠たげな声に後押しされ、洞窟の外へ一歩を踏み出す。
「よぉしこっちだ! 俺様についてきな、《モンキーズ》やウチの連中も見送りに来てるぜッ」
「これ密航なんだよね!? そんな人集めたら気づかれない?」
「ガハハ、滝裏にいりゃどんだけ騒いでも表街にゃ聞こえねえぜッ」
船に乗り込んだら、皆に共有しなければならないことがたくさんある。水龍軒のこと、ナツキの正体と過去のこと、《巣》のこと。アイシャも話したいことが色々とあるのだろう、何やらもどかしそうな表情だ。リリムに至っては今まさにおやっさんに掴みかかっている。
……おやっさんに掴みかかっている!?