姉妹 Ⅱ
そのたった一言で、フィンの身体はピシリと固まってしまった。
「もう……さっきから聞いていれば、お友達に向かって、なんてことを言うのかしら! まるで弱いものいじめみたいじゃない! めっ!」
「……う……嘘だろ、この声……この怒り方……」
空気がほつれ、見知らぬ少女が姿を現す。
見覚えはない――いや、よく似た顔立ちの、よく似た忌印を持つラクリマならよく知っているのだが。
「あれが『そろそろ』?」
「ん、ミュウちゃん。あたしを攫ったローレライだよ」
「あ、あの子がそうなんだ。無事だったんだね」
ローレライについてはリリムから話は聞いていた。彼女も被害者だったのだと。
しかしフィンとの関係がよく分からな――いや、フィンの反応でなんとなく予想はついているのだが……
「見ない間にずいぶん生意気になったみたいね、フィン? やっぱり私がいないと不良になっちゃうのかしら……」
「ね……姉ちゃん!? 本物か!? 生きて……今までどこにいたんだよぉ……!」
「きゃっ、ちょっと、フィン……!?」
フィンは泣きながらミュウに駆け寄り、抱きついた。
姉ちゃん。フィンの姉。やはり、と思うと同時に、嘘だろ、と現実を直視できない自分がいる。
「フィンのお姉さんって……確か、売られた先の海賊船を乗っ取って大海賊の船長として海を支配したものの、大型神獣に敗れて無人島に逃げ延びて、孤独なサバイバル生活を送ってるって……」
確かそんな感じの話だったはずだ。しかし今ナツキの目に映っている少女は、その逞しすぎるイメージからは大幅な乖離があった。
小さく儚げで、雪の妖精のような――パセル種であることも相まって、愛くるしいシマエナガを擬人化したかのようなその容姿。その華奢な体に不釣合いに大きな胸が目を引くが、フィンのように野性的で活発な印象は全く受けない。
ナツキの呟きを聞いたミュウは頬に手を当ててぽっと顔を赤らめ、恨めしげにフィンを見た。
「えっ……やだもうフィンったら、あの子に私のことなんて説明したの?」
「ホントのことしか言ってねーよぉ……あん時からずっと……ずっと姉ちゃんが帰ってくるの、待ってたんだぜ……でも姉ちゃんの船の目撃情報が途絶えて……神獣に食われちまったんじゃねえかって……うぁあ……っ」
泣きじゃくるフィン。彼女から聞いていた話をもとに考えると、これは感動の再会のはずで、実際にフィンの方は感極まってしまっているわけだが――ミュウの方は頭の上にハテナマークが浮かんでいるようだった。
「えっと……私、海賊船ではずっと奴隷だったわよ? 異能もほとんど使わなかったし……みんなやけに親切だったのは確かだけれど、お料理とお掃除が主なお仕事だったわ。船長くんとよく一緒にいたから、変な噂が立っちゃったのかしら……」
「……は?」
「神獣……はあれでしょうね、《巣》のリヴァイアサン。そろそろ完成する頃だって思い出して、船のみんなにお願いしてみたの。嫌な予感がするから港に戻りましょうって」
「は?」
「それで戻ってみたら、次の日に海に化け物が出たーって大騒ぎよ。私ね、そこで奴隷から神託の巫女に格上げされたのよ。うふふ、まっちぽんぷって言うのよね、こういうの」
「神託の巫女??」
「でもね、私はお料理とかお掃除とかしてみんなに喜んでもらえる暮らしのほうが好きだったの。だからこっそり逃げ出して、《塔》の人を探したのだけれど……知ってる? プルタネルフって《塔》の保護圏内にあるのに《塔》の施設が一つもないのよ。シーカーさんすら見つからなくて大変だったんだから!」
「はあ」
「それで、《塔》の人をやっと見つけたのだけれど、端末っていうちょっと変わったお仕事の人で……潜入工作員って言うのかしら? その人に雇ってもらって、いろんなところで働いたわ。なかなかフィンと同じ職場にならなくてやきもきしていたのよ」
「…………」
「うふふ、やっと会えたわね。もう……フィンったら、泣いちゃうほど寂しかったの?」
「っ……姉ちゃんのバカ! オレがどれほど……心配したと思って……ッ」
それ以降は言葉にならずに嗚咽を上げるフィンを、ミュウは優しく抱きとめた。
「私も……フィンがギフティア部隊の隊長になった、なんて聞いて心配してたのよ。無事でいてくれて本当に良かったわ。でもね……今すべき話はそのことではないでしょう、フィン?」
その瞬間、スッとミュウの雰囲気が変わった。
「ね、姉ちゃん……? なんで怒って……」
「どうしてお友達にあんなひどいことを言ったのかしら? アイシャちゃんは私の命の恩人よ? それにそっちの……ナツキちゃん? はあなたのことを助けてくれたのでしょう?」
「それはっ……姉ちゃんは知らねーかもしれねーけど、こいつら凶悪犯罪者なんだぜ!? 聖窩に乗り込んできていろんなもん盗んでいきやがったんだ!」
「あらあら、それは痛快ね。でも、そんな悪いことをする子達には見えないのだけれど……これは本人に聞いたほうが早いかしら?」
ミュウがこちらを向く。
「……フィンの言ってることは、間違ってないよ。聖窩に侵入したのも事実だし、《塔》の所有物を奪って逃げてるのも事実。陽動で街の人達にも迷惑かけちゃったし……この世界の法に照らせば、ボク達は間違いなく犯罪者だから」
「そうなのね、でも後悔はしていないって顔だわ。うふふ、一体何を盗みに行ったのかしら?」
「家族だよ。治癒能力を持つ珍しいギフティアだってだけで《塔》に攫われて、記憶を抹消されて物言わぬ回復薬製造装置にされることになってた、ボクの大事な家族。……さっきまでスーニャの次元断層にいたんなら、会ってるんじゃない?」
「……!」「は……!?」
ミュウが口に手を当てて驚き、フィンも目を見開いて硬直した。
同時にすぐ近くの空気がほつれ出す……が、「にー!」「わ、だめだよニーコちゃん、ハロ達はここにいなきゃ」「ななぅー?」そんな会話が遠くに聞こえ、ほつれが元に戻っていく。
「家族、ね。ナツキちゃん、あなたは人間でしょう?」
「そうだけど……血の繋がりなんて関係ないって、キミとフィンは一番よく分かってるでしょ」
「あら……ふふっ、そういう意味で聞いたわけではないのだけれど。そうね、充分な答えだわ。フィン、あなたはどう思うかしら?」
「どうって……」
話を振られ、フィンは暫し黙り込む。その拳に力が宿り、何に振るわれるでもなく緩んだ。
「……あぁクソ、分かってんだよ、ナツキがほんとはいい奴だなんてことは! 会ったときから分かってたんだ」
「フィン……」
「オレだって重感染個体だ、仲間の記憶を消すとか言われたら反抗したくなるのは分かるし、それをエルヴィートのおっさんと真っ向から勝負してやり遂げたのはスゲェし尊敬もんだぜ! 正直天使の血は部隊に欲しいけどよ、今の話聞いて知るかよこせとは言えねぇ、言いたくねえ! でも!」
力無く俯き、フィンは絞り出すように続ける。
「でもよ……オレはラクリマで、今の上官はエルヴィートのおっさんで、こいつらを捕まえてこいって命令を受けてる。だから見逃すわけにゃいかねーんだよ……!」
「命令……ね。本当に《塔》はリリムちゃん達を回収してこいなんて命令をフィンだけに出したの? それはちょっと……いえ、かなり無茶じゃないかしら。きっと何か……」
フィンの目をじっと覗き込み、ミュウは問いかけた。
「フィン、命令の内容を正確に教えてちょうだい。厳重命令を受けているなら、一言一句覚えているはずでしょう?」
「……首輪に入ってるやつ読み上げろってことか? 機密じゃねーから別にいいけどよ……」
フィンは目を閉じる。
厳重命令はラクリマというより首輪に対して命じられるもので、ラクリマはいつでも首輪経由でその内容を正確に思い出せるようになっている。オペレーター認定試験のときに学ばされた内容だ。
数秒もせずフィンの口が開き、エルヴィートの発した命令が読み上げられる。内容は――
「『そのまま一分、何があろうと時の聖剣を手放すな』……ん?」
「え?」「……それが命令?」
それはナツキとは全く関係のない謎の命令だった。聞いていた全員の頭にクエスチョンマークが浮かび、フィンはハッとなり頭を抱えた。
「思い出した……あのおっさん、実験とか言って変な命令出したあと更新してねぇ! てかオレが最後まで聞かずに飛び出しちまったんだった! どうすんだこれやべぇよ!」
「あらあら、聖騎士様もうっかりさんね」
「うっかりさんね、じゃねーよ! ……いや、つってもざっくり内容は覚えてるし、シンプルだし聞き間違えようもねーし、命令は命令……な、なんだよ姉ちゃん」
ずい、とミュウはいたずらを思いついたような顔で近づき、囁く。
「いいことを教えてあげるわ、フィン」
☆ ☆ ☆
「上書きされた厳重命令は命令としての効力を失う」
《蓋》を訪れたギフティア第三大隊の副隊長の問いに対し、聖騎士エルヴィートは威厳のある声でそう答えた。
「はい?」
「必然、調整済みの非感染個体は効力を失った命令は認識せず、新たな命令に従って行動する。そして効力を失った命令に反する行動を取った星涙を、それを理由に罰してはならぬ――と、ドール運用法に定められている。これは、未定義の命令に対する抗命を罰せられたと認識した個体がスパイク状態に陥りやすくなることを鑑みた、事故を防ぐための規則である」
「はあ。知ってるよ。それで?」
「だが貴様ら感染個体は、首輪のみならず自らの脳にも命令を記憶する。わざわざ首輪経由で命令を認識するのは、意識を失いかけたときや細かく複雑な命令を反芻するとき等に限られる。故に命令を出す側は、厳重命令の意図せぬ更新に注意せねばならぬ」
「そうだな。で、私が聞いてるのはウチの隊長がいつ帰ってくるのかってことなんだが?」
苛立たしげに狐耳を揺らしてジト目を向ける副隊長に、エルヴィートは淡々と事実を述べた。
「貴様らの元隊長は今、無意味な厳重命令の下、無効化された過去の厳重命令に従い、不可能な最終任務にあたっている」
「……は? なんて?」
「いつ帰ってくるかは奴の選択次第だ。無効な命令に気付かぬまま無謀な戦いに挑み星に還るも良し、寝返って天使の血共と身をくらますもよし、逃げ帰ってきて寿命が尽きるまで我の実験に付き合うも良し――ああそれと、奴は既に貴様らG3大隊の所属ではない。今後は貴様が隊長だ。励みたまえ、ルカシュ=セス=ヴァルプ」
「!?」
それだけ言い残して去ろうとするエルヴィートの腕を、副隊長――もう隊長になったらしい――ルカシュが慌てて掴んで止める。エルヴィートは小さく溜息をついて振り返った。
「気安く触れるな。何だ」
「聖騎士長、さすがにそれは私も隊のみんなも納得いかないぞ! 何もかも意味不明、というか隊長の任務は例のテロリストの追跡調査だろう!? 聖下の計画をそんな雑にやっていて大丈夫なのか!?」
ギフティア部隊の一桁台大隊の隊長ともなれば、人類生存圏防衛の要も要である。ちょうど《充電》のために大隊ごと拠点待機になっていた状態からの流れとはいえ、それほどのギフティアが防衛任務より優先して単独アサインされるような任務を、厳重命令なしで遂行させているのか。不可能な任務とは一体どういうことか。
詰め寄るルカシュを手で制し、エルヴィートは癇癪を起こした子供を窘めているかのように告げる。
「落ち着け。貴様は何を言っている? これは我が個人的に課した任務である。聖下はテロリストなど眼中にない。今奴らを追っている者など、ピュピラ島の民間警察とフィン=テル=パセルくらいだろう」
「……は!? いや、それなら尚更だ、隊長にはさっさと隊に帰ってきてもらわないと困る! 神獣共の特異化がどんどん進んでいるんだ、先週など第八大隊が全滅――」
「先日のピュピラ島への緊急出撃命令を受け、奴は作動中の《充電器》から強制排出された」
その一見文脈を無視した言葉が、瞬時に空気を凍らせた。何かに耐えるようにルカシュの目が細められる。
「貴様ももう十年目だ、意味は理解出来るな?」
「ッ……! まさか……いやしかし、つい先日会ったときは普通に……いや、そうか……確かに少し調子が悪いと……だが、あのフィン隊長だぞ!? そんな、ことで……」
「…………」
「ああ……本当、なんだな。聖騎士長がそんな嘘をつく理由はない……」
無言の返答を受け、固く唇を噛みしめ俯くルカシュに、エルヴィートは冷たく現実を突きつけた。
「シェルコロージョン、ステージ4だ。奴の魂はもう《充電》の侵食に耐えられぬ」
エルヴィートの袖を摘み続けていたルカシュの指から力が抜け、エルヴィートは背を向けて歩き出す。
「奴の寿命は残り一ヶ月だ。最後の灯火をどう使うかは――奴自身が決めるべきだろう」