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エンゼルフォール:エンドロール ~転生幼女のサードライフ~  作者: ぱねこっと
第二章【星の旅人】Ⅳ 泡沫の幸せをあなたに・下
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脱出 Ⅳ

「……はっ、ワタシは一体……」


 《祭司》が我に返ったとき、彼の手は水牢の排水口の開閉レバーを握っていた。ナツキを閉じ込めておくため絶対に操作してはならないはずのレバーは今、「開」と記された位置まで下りていた。


「……ッ!?」

「ふふ……ごめんな、さいね……」


 弱々しい声が聞こえ、《祭司》は勢いよく振り向く。振り向きながら、何が起きたのかを理解した。


「あ……アナタ、私を洗脳しましたねぇッ!? 何故、何故厳重命令を破っ――あぁっ!?」

「洗脳、ではないの、だけど。そう、よ……あなたはもう、私のご主人くんでは、ないのだもの」


 折れた足の痛みに脂汗を流しながら、ミュウは悲しげに答えた。

 そう、ミュウの所有権はもうペルニコフに移っている。彼らなら《イーター》によって自在に厳重命令を下せるが、命令が有効なのは《イーター》の効果範囲にミュウがいる間だけだ。その彼らは今ここにいない――《祭司》が侵入者の排除のために追い出したのだから当然だ。


「えぇ、なんたる不覚ッ……!」

「落ち着い、て……ほら、お眠りなさい……」


 途切れ途切れの声と共にミュウから光の粒子が溢れた瞬間、感情の奔流が《祭司》を飲み込む。判断ミスを後悔する間もなく、彼の思考は塗り替えられていった。


(えぇ……何に怒っていたのでしょう。全てがどうでもいい……何だか眠くなってきましたねぇ……えぇ……眠い、眠い眠い眠いねむいねむ……、…………)


 三秒ももたず《祭司》は床にぱたりと倒れ、いびきをかき始めた。

 ミュウの周囲から光の粒子が消え、再び青白いモニタの光だけが場を満たす。


「ふ、ぅ……すぐ効いて、よかった、わ……」


 じくじくと思考を苛む痛みに耐えながら、ミュウは安堵する。つい先程のリリムのように、異能(ギフト)が全然効かなかったらどうしようと不安だったのだが――やはりリリムがイレギュラーだっただけのようだ。《祭司》も他の「お客さん」同様に一瞬で同調してくれた。


「あの子は一体どうして……いえ、それよりも……」


 ――どうにかして、逃げなければ。


 《祭司》の場合、少なくとも表面上はミュウとは協力関係にあった。ミュウが反抗的にならないよう善人を演じ、ミュウを傷つけ罰することはなかった。彼の目的は金稼ぎであり、ミュウはそのための便利な道具だったからだ。

 しかし次の主人だというペルニコフは違う。彼とその部下達は、猟奇的な娯楽のためにミュウを買ったのだ。もしこのまま彼らについていけば、待っているのは……彼らの娯楽のために異能(ギフト)を使わされ、最後は自分も同じように壊される未来だ。


(たぶん……今が最後のチャンスね)


 ミュウは特殊な経歴を持つ重感染個体であり、ラクリマ行動原則には縛られていない。しかし《蝙蝠》の手によって《塔》と繋がる首輪はつけられてしまっているので、厳重命令に逆らえば電撃を受けて昏倒してしまう。

 そして、ペルニコフはまだミュウに首輪を通じた厳重命令を課していない。彼の部下が《イーター》を使って一時的に命令を上書きしただけだ。つまり、彼が帰ってきて首輪に触れるまでの間、ミュウは誰からの命令にも縛られずに行動できるのだ――足が折れてさえいなければ。


「……っ、ぁっ……!」


 腕で這って進もうとして、足に振動が伝わり激痛に変わる。それだけでミュウの腕の力は抜けてしまった。

 生まれてこの方、大怪我なんてしたことがなかった。誰に襲われようと異能(ギフト)を使えば一瞬で解決したのだ。

 骨折がこんなに痛いものだったなんて、とミュウは朦朧とした意識の中で思う。海賊団にいたとき、ミュウを守って敵と戦っていた船員たち。もっとずっと前、獰猛な狼からミュウを庇って血だらけになったフィン。彼らはずっとこんな思いをしていたのか、と。


「うぅっ……だめ、動けない、わ……」


 自分一人の力ではどうしようもないと悟り、ミュウは肩を落とす。

 フィンだけでも無事に逃げられただろうか、とモニタを見上げ――


 ――ドタドタドタ、バァン!


 ペルニコフが勢いよく扉を開け、部屋に戻ってきた。

 もう戻ってきてしまった、という落胆、諦めより先に、ミュウは驚いていた。ペルニコフの様子は、まるで何かから逃げ帰ってきたかのように慌てふためいていたのだ。


「《祭司》、あれは無理だ、撤退を――おい!?」


 いびきを立てて眠り続ける《祭司》は反応を返さない。それに気づいたペルニコフはハッとミュウを見た。ミュウを連れていかなかった自分の判断ミスに気づいたのだ。


「クソが……!」

「ぎぇえーっ!」「きひゃ、いやぁあああっ!?」


 開け放たれた扉の向こうから、叫び声と共にペルニコフの部下二人が吹き飛ばされて部屋に転がり込む。彼らはすぐに体を起こし、ミュウを見つけ――ニタァ、と笑った。


「ひっ……」

「か、閣下、まだ戦えるであります!」

「きひひ、そう、そいつの力があれば……」

「言われずとも分かっている!」


 ペルニコフの腕が伸び、ミュウの首を首輪ごと鷲づかみにして吊るし上げる。


「いぁ、いた、痛いぃっ! お願い……やめてちょうだい……っ」

「黙れ奴隷、主の命令に従えッ!」


 重力に引かれて足が伸ばされ、ミュウは激痛に喘ぐ。集中を乱され、発動しようとしていた異能(ギフト)が効力を失う。ミュウの懇願など聞く耳も持たず、ペルニコフは必死の表情で叫んだ。


「厳重命令を課す! 貴様の異能(ギフト)を十全に発揮し、私に反抗せず、私を護り、私に害を為す者共を全員無力化せよ! 例外は認めないッ!」

「あ……っ」


 首輪に命令が書き込まれ、ミュウの意識を読み取り始める。すでに反抗意思をもっていたせいか、すぐさまキュイィィィィ――と耳障りな充電音が鳴り響き始める。


「やれ。奴が動き出す前に洗脳しろ! 貴様らは牽制を続けろ!」

「了解であります!」「はぁい!」


 宙吊りのまま盾のように扉に向けられ、こうなってはもうやるしかない、せめて穏便に眠らせよう――と、ミュウはその「害を為す者」を見た。

 この圧倒的強者であろう男をここまで慌てさせるとは、一体どんな屈強な戦士がやって来たのか。そんな先入観と共にミュウが予想していた頭の位置より50センチは下のあたりに、可愛らしい黒い猫耳があった。


「……え?」


 どう見ても、ラクリマだ。カッツェ族――《塔》の分類で言えば、フェリス種。その大きな両の瞳がミュウを捉えたかと思うと、悲痛に歪められた。


「くそう……やはり効かないであります!」

「きひ、ひひ、これが……マルコヴナとアントンが勝てなかった子供……ヒィイイイ、嬲り殺したいィい!」


 ズガガガガガガ、と様々な凶器がラクリマの少女の急所目掛けて飛んでいき――その全てが、彼女の目の前で勢いを失い地に落ちる。少女には傷一つなく、家の外でそよ風が吹いたかのごとく微動だにしない。ギフティアなのかと思いきや、少女の周囲に光の粒子は飛んでいない。

 よく分からないが――とにかく、無力化しなくてはならない。


「ごめんなさい……眠ってちょうだい。絶対、殺させはしないから……!」


 異能(ギフト)を発動する。対象に感じてほしい「欲求」を思い浮かべ、押し付ける。故郷の言葉で《託宣されし憧憬(オラクルウィッシュ)》なんて大層な名前をつけられた力だ。それがどんなに便利で恐ろしい力であるかは、外の世界に出て初めて知った。

 睡眠欲や食欲といった単純な生理的欲求なら、ただ視線を向けるだけで誘発できる。もっと複雑で論理的な欲求であれば、呼びかけや歌声で意識誘導・条件付けすることが必要になるが、突拍子もない内容でなければ大抵は成功する。「路地裏から歌が聞こえてくるので確認したい」欲求を押し付けることで、これまで様々な人間を店に招待してきたのだ。

 そう、この異能(ギフト)が効かなかった相手など一人も――リリムを除いて一人もいないのだ。相手がいかに凄腕の戦士であろうと、感情に直接作用するような力に対抗する術はない――


「えっと……あなたがローレライさんなのです?」


 猛烈な眠気に襲われているはずの少女が、のんびりとそんなことを聞いてきた。


「……!?」

「リリムさんを連れてったです?」

「何をしている、無駄口を叩くな! さっさと無力化しろ! 逆らえばどうなるか……」

「い、今やってるのよ! でも……」

「なるほど、その人から命令されてるですね」


 少女はつかつかとペルニコフとミュウの目の前まで歩み寄り、ミュウの首に手を伸ばした。

 異能(ギフト)が効いていない、そんな馬鹿な。このままでは首を折られて殺される――!


「っ……!」

回路展開(オープン)接続解除(ディスコネクト)


 ――カチャッ。


 冗談のように軽い金属音が、首元で鳴った。


 最初は、自分の首が折れた音なのだと思った。しかしいつまで経っても意識を失う様子がないので、怪訝に思い目を開ける。


「……え?」


 カン、カン、と何かが地面に落ちて跳ねる音が二つ。

 《蝙蝠》に拾われてからずっと首にまとわりついていた冷たい感触が、消えている。耳障りな充電音も、もう聞こえない。


「なっ……貴様!?」

「その手を離すのです。もうその子はあなたのラクリマじゃないのです」

「ふ、ふ……ふざけるな! そんな無法がまかり通るとでも――」

「どの口が言うですか」


 ズ、と空間が圧縮されるような音が聞こえ、ミュウは唐突に浮遊感に襲われた。


「ぎっ、ぁああぁぁあッ――」


 背後からペルニコフの苦悶の叫びが聞こえ、理解する。少女がペルニコフに何かをして、ミュウから手を離させたのだ。

 このまま床に落ちれば、折れた足にまた激痛が走るだろう。そう覚悟してぎゅっと目をつぶったミュウだったが、次の瞬間にはふわりと受け止められていた。


「よっ……と、大丈夫なのです? わたしはそこの悪い人達をまず片付けてくるです。その間にローレライさんはニーコちゃんにふわふわさんしてもらうですよ」

「に……ふわ……!?」


 ミュウの体をそっと地面に下ろしながら、少女は謎めいたことを言った。


「ぐ、ぎ……貴様ッ……げほぉっ!?」

「わたし達はあっちで戦うですよ」


 ペルニコフが部屋の奥まで蹴り飛ばされていく。それを目で追いながら、少女は一度こちらを振り返って叫んだ。


「ニーコちゃん、出番なのです!」

「なぅー!」


 呼応する元気な鳴き声が聞こえ、背後の通路から小さなカッツェ族のラクリマを抱いた大きな人間の男が現れる。


「こいつぁひでえなッ……だがよアイシャ、本当に治していいんだな? まだこいつの異能(ギフト)も……」

「大丈夫なのです! その子は悪い子じゃないのですよ!」

「にぁ、にーこにおみゃかせ! ふあふあしゃん!」


 この男は警戒心の強い、常識的な人間だ。しかし残りのラクリマ二人は楽観的なのか読心術でも持っているのか、まともに言葉を交わしてすらいない、敵対行動さえ取ったはずのミュウを治療すると宣言した。

 治すと言ってもまさか見ず知らずの自分に高価な回復薬でも飲ませてくれるのか、とミュウが訝しんだときには、もう足はすっかり元の状態に戻っていた。


「え……えっ!?」

「にぅ、いたいの、ばいばいした?」


 小さなカッツェ族の子供――ニーコは、男の腕から抜け出し、とてとてとミュウに近づいてきた。心配そうにミュウを見上げる彼女の周りには黄緑色の燐光がふわふわと漂っていた。


「ええ……ありがとう。驚いたわ、あなたもギフティアなのね」

「にぁー」


 にこ、と無邪気な笑顔。思わず抱きしめたくなるかわいさに息を飲んだところで、背後で響く破砕音にときめきを邪魔された。ニーコもびくりと震え、猫耳が倒れる。


「ひ、や、やめろ……来るな!」

「二度と顔を見せないでって、言ったはずなのです」


 振り向けば、もう戦闘は終わっていた。ペルニコフもその部下二人も、地に伏して顔だけを黒猫の少女――アイシャに向けている。彼女は何もしていないように見えるが、彼らは何か見えない力に体を地面に縫い付けられているようで、ピクピクと指先が動いているものの起き上がる気配はない。


「ま、待て、貴様を狩るつもりはない! 攻撃されたから防衛のために戦っただけだ! 我々はもう帰るところで」

「リリムさんとナツキさんを攫っておいてよく言うのです。それに……まさか犯人が管理人さんで、あなたも管理人さんのお仲間だとは思わなかったのですよ」


 ちらり、アイシャが視線を向けたのはミュウが眠らせた《祭司》だった。それを見たペルニコフは光明を見つけたとばかりにまくし立てる。


「仲間ではない! リリム……とやらは知らん、ナツキは確かにターゲットではあったが、貴様を諦めたときに諦めている! 私がここに来たのはそこで眠っている無能から洗脳のギフティアを買うためだ! 天使の力を行使出来るのならば、私が嘘を言っていないことくらい分かるだろう!?」

「……あなた達はニーコちゃんやハロちゃんにひどいことをしたのです。あの子にも同じことをするつもりなら、見逃すわけにはいかないのですよ」

「ひっ……来るな、この――人殺しのバケモノが!」


 よくもまあ自分のことを棚に上げてそんな台詞を吐けるものだ、とミュウは呆れるが、アイシャはぴくりと身を震わせ硬直した。その瞬間に体の自由を取り戻したのか、ペルニコフは飛び起き、別の扉から脱兎のごとく逃げ出した。部下二人も慌てて後を追って駆け出す。


「あっ――待つです!」


 アイシャが我に返るが、時すでに遅しだ。ペルニコフが逃げた通路の先は旧中央浄水槽――かつて旧メインダクトと共に閉鎖され、《祭司》とミュウが活動拠点を敷いていた大空洞だ。空中に迷路のように張り巡らされたパイプは追っ手を撒くことを意識した作りになっており、旧メインダクトを経由して裏街のあらゆるエアダクトに繋がっている。逃げ道の選択としては適切だ。果たして今から追って見失わずにいられるか、逆に待ち伏せられて返り討ちに遭う可能性も、と引き留めようとするも、瞬きの間にアイシャは扉の向こうへ走り去ってしまった。


「ど、どうしましょう! あの先は……っ!?」


 せめてアイシャの仲間と思われる面々に伝えなければ、と振り向いたミュウは絶句する。

 そこには誰もいなかった。折れた足を癒してくれたニーコという子供も、ガタイのいい人間の男も、忽然と姿を消していた。


「夢……?」


 絶望から目をそらすための都合のいい夢、なのだろうか。

 目覚めたら足は折れていて、首輪もついたままで、ペルニコフ達もすぐに戻ってきて、自分は連れていかれて――


「いや……そんなの嫌よ、お願い……置いていかないで……!」

「大丈夫……つぎはあなたの番」

「……え?」


 何も無い空間から声が聞こえた。

 やがて、目の前の空気がほつれていく。


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