リリムとローレライ Ⅳ
「……何だ、騒々しいな」
「騒々しいのはアナタの部下ですよぉ! えぇ、これからいいところなんですから移動動物園はよそでやってくれませんかねぇ!」
青白い光を放ついくつものモニタに囲まれ、《祭司》は叫ぶ。睨む先には三人の人間がいた。ペルニコフとその部下の生き残り二人だ。
「ぶひぃ……これは……ぐへへぇ……幼女が絡み合い……おなか……うひぇ……」
「ねぇ閣下ぁつまんなーい。いつになったらあの鳥っ子殺していいのぉ? あんなん拷問にすらなってないじゃん」
小柄な眼鏡男は血走った目でモニタに齧り付いている。モニタの中では幼い人間の少女とラクリマが全裸で話していた。ラクリマは仰向けに倒れており、その腹は妊婦のように大きく、もぞもぞと動いている。幽霊のような女はその様子には興味がないようで、退屈そうに不平を漏らす。
「そいつが遊び終わるのを待て。……いや、それよりも、不審な音がする。何かがこちらに近づいているぞ」
「何かって……あぁ、問題ありませんよぉ、えぇ」
《祭司》は一枚のモニタを見上げ、こちらに向けて飛んでくる一体のラクリマの姿を捉えた。
「あれが例のフィルターですよ。まさかアナタ方が次の買い手とは驚きました。……あぁ、丁度いいではないですか。そちらの方の餌にいかがです?」
「ほう? ……《蝙蝠》によれば、今水牢にいるラクリマに縁のある個体だったな」
「えぇ、あの《巣》から発掘された最後の二体だそうで」
「デュフ……マルコヴナ氏が生きていれば、面白いショーが見れたのでありましょうなぁ。実に惜しい」
「じゃあアタシ達が目いっぱい楽しんでぇ、地獄のあいつらに見せつけてやるっきゃないねぇ……きひゃひゃひゃひゃ!」
「……先程言いましたが、狐とセットで放り込まれてしまった以上、フィン=テル=パセルだけを生かしてお渡しするのは難しいですからねぇ? えぇ、まぁでも……その意味では、今フィルターが来たのはちょうど良かったですねぇ」
《祭司》が幽霊のような女に視線を送る。
「拷問にすらなってない、でしたか。えぇ、貴方は勘違いをされてますよぉ? ショーの盛り上がりはこれからなのですからねぇ! ひゃひゃひゃひゃ!」
『ぁ、ぎっ――くぁ、ぁぁああがぁっ!?』
《祭司》の下卑た笑い声が部屋に響くと同時に、図ったかのようにモニターから苦悶の叫び声が飛び出した。そしてワンテンポ遅れて、
「フィンっ!?」
部屋のドアを勢いよく開けてラクリマの少女――ミュウが飛び込み、
「確保せよ」
「はっ!」
数秒もしないうちに、ペルニコフの指令を受けた眼鏡男に組み伏せられた。
『がっ、あ、ぁあああああぁぁっ!』
「いや、離してちょうだい! それはフィンよ、私の妹なの! どうしてそんな苦しそうにしているの!? 一体誰が――」
「でゅふ、でゅふふふふっ、傑作でありますなあ! しかし奴隷の分際で頭が高いのであります!」
「いたっ……こら、離しなさい! 私は調整されてないわ、死んじゃいたくなければ――」
「《イーター》起動! 『抵抗するな』、『異能を使うな』ッ!」
「……え? いや、どうして……首輪が……!」
ミュウの首輪がキュイイイイ――と嫌な音を発し、周りに漂っていた光の粒子が消失する。眼鏡男はニチャアと口角を上げ、ミュウを地面に押し倒して体をまさぐり始めた。
「いやっ、そんなとこ触らないで! ご主人くん、お願い、助け――」
「きひひ……ギフティアにもちゃんと効くのねぇ、それ」
「当然。むしろそのための装備だ」
「《イーター》……あぁ、噂のスペクトラムネットワーク侵食機ですか。ふん、プルタネルフに拠点があるというだけで新装備をすぐに貰えていいご身分ですねぇ、えぇ」
「フン、場所の問題ではない。《流刑囚》一歩手前の貴様らが我らが英智を易々と享受できるなどと思い上がるな。……しかし、それは《巣》のギフティアだろう? よく単純な厳重命令のみで封じられたものだな」
「他には特に何もしていませんよ? えぇ、単純バカで助かりましたよぉ! あひゃひゃひゃひゃひゃ!」
「ごしゅ……じん、くん……?」
主人たる《祭司》に助けを求めようとするも、ミュウは途中で言葉を止めた。気づいてしまったのだ、彼は嘲笑に顔を歪ませながらも全くミュウのことを見ておらず、フィンともう一人の人間の子供が映っているモニタにしか関心を向けていないことに。
「どうして……約束、は……」
この男は約束してくれたはずだ。協力の報酬としてフィンの捜索に協力してくれると。ネーヴェリーデに来ているらしいので、見つけ出して連れてきてくれると。なのに……
「おやぁ? ワタシは約束を守りましたよぉ? わざわざ《蝙蝠》や《自治区》のはぐれ狼と協力してまでお目当てを連れてきてあげたではありませんか! えぇ、良かったですねぇ、お友達に再会できて! ……あぁ、あと、ワタシはもう主人ではないですよぉ? 《蝙蝠》への返却手続きは先程済ませました。えぇ、アナタの次の主人はそこのクズ共ですよ」
「そん、な……」
「分かったら黙っていてくださいよぉ! ほら、これからいいところなんですからねぇ……」
《祭司》が顎で指したモニタの中では、今にも破けてしまいそうなほど腹部を膨張させたフィンが、仰向けに倒れている。さっきまで隣にいたはずの人間がいないと思ったら、少し離れた岩陰に立っていた。しかも……さっきまでは二人とも陸地にいたはずなのに、今彼女たちの足元には薄く水が張っていた。
「先程、排出口を閉じました。これからゆっくりと水牢は水で満たされていきます……まあ、全て水没させるには丸一日はかかりますがねぇ」
「何? 一日も待ってられんぞ」
「おツムが弱いですねぇ。さっきも言ったでしょう、あそこはアメウナギの養殖場だと。ユキウナギに擬態して捕食者に食べられ、消化管内で繁殖を始める寄生型肉食魚ですよぉ? えぇ、水にさえつけてしまえば、奴らは繁殖のために穴という穴から侵入を試みてきます。そして体内で始まる縄張り争い、メスの取り合い! 最後は餌として捕食! ただの小娘に抵抗する術などありませんよぉ!」
ちらりとモニタに映ったフィンを見、
「えぇ、ただラクリマの方は先に腹が破けますかねぇ、あれだけ自分から取り込んでしまってはもう……」
「きひひひひ……あの子がお菓子の家になるってことねぇ? いい、いいじゃない……体の中からじわじわ食べられていくんだぁ……それともぱぁんって弾けちゃうのかなぁ……? 想像しただけでぞくぞくしちゃう……!」
「ふむ……なかなかいい趣味をしているでありますな、《祭司》どの」
その楽しそうな会話を聞いてミュウはひゅっと青ざめる。フィン達を待つ凄惨な未来を想像してしまったというのもあるが、もう一つ――
「待って……待ってちょうだい、アメウナギですって? じゃあまさか、あの『幸せのお水』って……」
「ん? ああ、お客に出す料理に使ってもらっていた水のことですか。えぇ、あれはアメウナギの分泌液を薄めたものですよぉ? 原液なら名前の由来の甘い香りがしたでしょうが、あの濃度では気づきませんでしたかねぇ……クックック」
「毒じゃない!! やだ、私ったら今までずっと……そんな……いや、いやぁぁぁあああっ!」
自分はお客さんを幸せにするために料理を作ってきたのだ。愛情をこめた手料理は人を笑顔にできると知っていたから。
しかし実際は、知らぬ間に毒を盛り続けていた……?
「だめ……だめよ、どうして? どうしてそんなこと……」
「毒とは物騒ですねぇ、せめて幸せになれるお薬と言いなさい。えぇ、お酒のようなものですよ」
「嘘よ! 昔聞いたもの、アメウナギは川辺の村を全滅させたことがあるって……みんな食欲を抑えられなくなって、おなかが破けてしまうまで……」
「それは本体を生きたまま食べた場合の症例ですねぇ。分泌液を飲んだだけではそうはなりませんよ。えぇ、得られる効果も副作用もお酒とほとんど同じ……なんなら分解後の成分まで同じ! つまり……ちょおっと悪酔いしやすいだけの、強いお酒ですよ……クククッ」
本当にそれだけなら、ただ普通のお酒を出すだけでいいはずだ。キッと睨みつけるミュウに、《祭司》はニタリと嫌な笑みを返した。
「えぇ、とはいえアレは20年前の《塔》の実験の副産物……ただのお酒ではありませんよぉ! アレはアナタの異能を補助するもの……アルコール酔いより魂に近い部分で多幸感を植え付け、欲望のままに行動させる効能があります。我欲を禁じられている調整済みの感染ラクリマはスパイク状態になってしまう問題がありますが……えぇ、人間相手の商売をしている我々には関係のないことです」
愉快そうにクツクツと笑い、
「アナタの手料理を食べたあと、面倒な客が急に扱いやすくなったりしませんでしたかぁ?」
「それは……っ、私の愛情が……通じて……」
「甘い、甘いですねぇ! えぇ、幸せとはそんな曖昧な物ではないッ! 薬が脳に働きかけ、魂と相互作用することで生まれる感情、依存、全能感、再帰する欲望、それが我々の与える普遍的かつ制御可能な幸せですよぉ! ……あぁそういえば、アナタの洗脳を受けた状態で飲みすぎると脳と魂の接続にいくらか後遺症が残るようですが……えぇ、幸せに必要な対価ですよぉ。あひゃひゃひゃ!」
「……っ」
ミュウは体を震わせながら、酸素を求める魚のように口をパクパクさせ――何も言葉は出てこなかった。この男に何を言ったところで無駄、自分が犯した罪は変わらない。そう理解したミュウは、ただ両目から涙を溢れさせた。
さっきまで響いていたフィンの叫び声もぱたりと聞こえなくなった。気絶してしまったのか、あるいはもうすでに……星に還ってしまったのか。確かめようにも、自分に馬乗りになっている眼鏡男が邪魔でモニタが見えない。
眼鏡男が脂ぎった手を服の中に差し入れ、胸や股間をまさぐってくる。気持ち悪い。抵抗しようと考えた途端に首輪から嫌な音が響く。どうしようもない、何もできない。「姉ちゃんは異能がなきゃただの子供なんだから気をつけろよな」と、事あるごとに自分を棚に上げて心配してくれていたフィンの顔が脳裏に浮かぶ。
「貴様、相変わらず無駄話が長いな。フン……何が普遍的な幸せだ、要は麻薬の類だろう? 金だけのためによくもここまで手の込んだ仕組みを作り上げたものだ」
「失礼ですねぇ、まるでワタシが金稼ぎのことしか考えていないかのようなその物言い」
「違うのか?」
「違いませんよぉ! えぇ……ですが他の目的もあります。我々《祭祀場の鐘》とてアナタ方と同じ《パーティ》の末席……あとは言わずと知れたことでしょう」
「……フン、上納金の洗浄か。最初から真っ当に稼げばいいものを」
「違法奴隷商人のアナタにだけは言われたくないですねぇ! えぇ、ネーヴェリーデは高価な輸入物の骨董品や貴金属が多いですからねぇ、大変やりやすいですよ」
資金洗浄。違法に手に入れた巨額の金を、一度合法な匿名取引を通すなどして出処を隠し、真っ当な資金に見せかける行為を指す言葉だ。何だかんだ長いこと薄ら暗い世界を生きてきたミュウもそれくらいは知っていた。
しかし自分がその片棒を担ぐことになるなど、考えたこともなかった。
「昼はカモから巻き上げた金で物を買い、夜はその店の店主をワタシの店にご招待さしあげ、有り金を全てお支払い頂き、幸せをご提供する。えぇ、一サイクル終われば全ては契約に則った綺麗なお金となり、しかも価値は倍に! さらに関わる全ての者が幸福に! えぇ、えぇ……なんと素晴らしいビジネス……この三ヶ月、そこの洗浄器には随分と役に立ってもらいましたよぉ! あひゃひゃひゃひゃ!」
「そん、な……私はただ……みんなに喜んで、欲し……うぅぅ……っ」
悲しみに項垂れるミュウには言葉を返すことなく、《祭司》は再びモニタに目を向ける。
「しかしそれももう終幕……さあ、共に観劇を楽しもうではありませんか! そろそろ水が膝まで――んん?」
愉悦に満ちていたその表情が怪訝に歪むのを見て、その場の全員がその視線を追う。
「は?」
「何だ……?」
「これは一体……」
「うげ、気持ち悪ぅ……」
眼鏡男が怪訝な顔で立ち上がり、ミュウの視界に再びモニタが入る。
「……え?」
フィンと人間の少女だけが映っていたはずのモニタに、何かがいた。
この場にいる誰も、その異常な存在を正しく理解することはできなかった。