Lhagna/π - 黄昏の封光晶 Ⅲ
「……言うだけ言ってみるのだ。貴様らが支払うのはその《黄昏の封光晶》なのだな?」
「うむ、取引が成立した暁には、ぼく達はこれを差し出そう。さらに残りの《黄昏の封光晶》を集めることにも協力しようじゃないか。きみよりはぼくらの方が自由に動けるだろうからね、駒として使うといい」
「……勇者が魔王の手下になるつもりなのだ? 《黄昏の封光晶》とは何なのか、我が何をするつもりなのか、聞かぬでよいのだ?」
「聞いたところで素直に教えてはくれまい? それにぼくらは勇者として来たわけじゃない。きみが何をするつもりだろうと、今のぼくらには関係がないのだよ」
「…………」
ペフィロの真意を見定めるように、アルルゼールの目が細められる。
「内容によっては、《黄昏の封光晶》を集めたあとにきみがするつもりのことに協力したっていいぞ」
「ほほう……ならば問うのだ。そうまでして貴様らは対価に何を望むのだ?」
世界の半分を。ナツキがここにいればまず冗談としてそう答えただろう。彼のいた世界では、魔王が勇者との取引で差し出す対価としてお約束のものらしい。
しかしいま取引をしているのは魔王と勇者などではない。
「ぼく達が望むのは――船の使用権だ」
アルルゼールの目が大きく見開かれる。
「乗員はぼく、トスカナ、エクセルノース、ゴルグ。場合によってはリシュリー殿下もだ。イヴァンは……来ないだろう。王が国を空けるわけにはいくまい」
「ま、待て! 船? な……なんのことかさっぱりわからんのだが!」
アルルゼールの目が泳ぐ。それはもう教科書に載せたいくらいの見事な泳ぎっぷりだった。
まあいい、分からないというなら教えてやるとしよう。
「《黄昏の封光晶》自体はただの記録媒体――ほぼ無限の寿命を持つガラス結晶にレーザーで情報を刻み込む、原始的な恒久光学ストレージだ。刻まれているのはとある『船』の設計図であり、建築の記録であり、起動キーであり――」
「ま、待て! 《エル・ヒュプノ》ッ!」
アルルゼールが放った魔法は、彼女の側近を即座に深い眠りに落とした。側近だけではない、彼女から発された膨大なマナの流れからして、結界内にいるあらゆる者が意識を失っているだろう。
「――天使の力を借りずにこの世界から抜け出すための、唯一の方法。それくらいは断片的な情報からも推測できる。確証はなかったが――きみのその反応から見るに、大きく外れてはいないようだ」
大きく狼狽えるアルルゼールとは対照的に、トスカナの表情は動かない。今ペフィロが口にしていることのほとんどは、ゴルグの研究室で根拠の薄い予測としてトスカナ達に伝えたことだからだ。その答え合わせが今日ここに来た大きな目的の一つなのである。
「もともとは、全ての《黄昏の封光晶》の場所をきみから聞きだせたら、勝手に集めてぼく達だけで使うつもりだったのだよ。しかし先の話と合わせて考えれば、魔王、きみはこの世界から脱出し、別の世界に行こうとしている。ならぼくらは協力できるはずだと……おっと」
全てを言い終える前に、アルルゼールはペフィロの目の前までつかつかと歩み寄り、胸ぐらをつかんで至近距離からペフィロの目を睨みつけていた。当然《黄昏の封光晶》はとっくにペフィロのカーテンの中――さらに言えば腹の中だ。ペフィロの意思がなければ取り出すことはできない。
「……そこに入っている情報は全て、暗号化が施されていたはずなのだ」
「されていたとも。強固な素数系暗号だった。数分もフリーズしてしまってね、トスカナ達には散々心配をかけてしまったよ」
「数分で解けるわけがないのだ! 仮に解けたとして、あらゆるデータは断片化されて全ての欠片に分散されているのだ! 意味のあるデータなんて読み取れないはずなのだ!」
語気荒くペフィロに詰め寄るアルルゼール。トスカナがスッと杖を向けたのにも気付いていない様子だ。
手のひらでトスカナを制し、ペフィロはアルルゼールの目を見つめ返す。
「ぼくをなめないでくれたまえ、……と言いたいところだけれど、実際は純粋にぼくの力というわけでもない。トスカナの言葉を借りれば、『ずる』だよ」
左目を指さし、
「ぼくの転生特典はAIの演算能力の向上だからね、本来なら物理的にあり得ない処理速度を出せるのさ。暗号解読はもちろん、文章や画像、動画データの破損部分の補間くらいなんてことはないというわけだ。……とはいえ、情報が足りなさすぎてどうしようもない部分が大半だったがね」
「っ、天使の……加護」
「そうさ。……やはりきみは『天使』を知っているのだね」
この世界に天使という概念は存在しない。もし知っている者がいれば、それはペフィロ達と同じ転生者か、天使の住む「根源の窓の向こう側」と何らかの関係がある者だ。
ペフィロの確認に、アルルゼールは疲れたように項垂れる。
「知ってるも何も……奴らと我らは相容れぬ関係なのだ。そうでもなければ、奴らが力を使ってまで今さらこの星に干渉するわけがないのだ」
「ふふ、きみを倒すために天使が授けてくれた力のおかげで、こうしてきみと手を取り合う機会を得られたのだよ。皮肉なことだと笑いたまえ」
アルルゼールはペフィロのカーテンから手を離し、玉座に戻った。その視線がちらりとトスカナを向く。
「……今の状況でその話を持ってくるということは、貴様ら、どうせナツキを探しにいくつもりなのだろ?」
「そうです!」
トスカナから間髪入れずに力強い肯定が入った。もともと特に隠すつもりはなかったが、その含むところの一切ない即答にはアルルゼールも意表をつかれたようで、少し眉が上がった。
「ふっ……なら、我の目的とも遠からずなのだ。もし本当に《黄昏の封光晶》を全て揃え、船を起動できたなら、ついでに乗せていってやってもいいのだ」
「ほんとですか!?」
息巻いて期待の眼差しを向けるトスカナをどうどうと制し、アルルゼールは厳しい目を向ける。
「残り2つ、本当に貴様らが集められれば、の話なのだ。正直……難しいと思うのだ」
「……まさか、場所が分からないとでも言うのかね」
「いや、片方は連邦の盟主が持っているはずなのだ」
「ほう」
連邦、すなわちサンラーマグダ列島連邦のことだ。その盟主ともなれば帝国の国王と同等の重要人物。エクセルノースの読みは正しかったようだ。
「今代の盟主は……話の分からん奴ではないのだが……まあ、交渉してみるといいのだ」
「ふふ、ぼくの頭をなめないでくれたまえよ」
「……。健闘を祈るのだ」
なにやら微妙な表情なのが気になるが、行ってみるしかあるまい。なんならイヴァンに国庫から金を出させてもいい。いや、その前に連邦における国宝の扱いを調査する必要はあるか――
黙考に入ったペフィロの代わりに、トスカナが一歩前に出る。
「それで、もう一つはどこにあるんですか?」
「教会なのだ」
そう即答され、トスカナが固まる。ペフィロの脳内で構築され始めていた今後の計画が強制的にサブメモリに退避された。今与えられたとんでもない情報を優先的に処理するためだ。
「……え?」
「だから、教会なのだ。たぶん帝国の大聖堂地下の宝物殿の最奥にあるのだ」
「な……なんでですか!? 教会に知られたらまずいものなんじゃ」
「《黄昏の封光晶》のことを教会が知らないとでも思ってたのだ? もしそうなら、我がただのガラスの欠片を拾ったことにブチギレて儀式魔法を放つ意味不明な野蛮人の爆誕なのだ」
「そ、それはそう……ですけど、だったら何で教会は《黄昏の封光晶》を壊さずにしまってるんですか?」
「当然の疑問なのだ。でも奴らは壊さないんじゃなく、壊せないのだ。《黄昏の封光晶》は我と同じく《歌声》に守られて……まあ詳細は置いておいて、壊されている心配はないのだ」
アルルゼールが嘘を言っているようには見えない。となるとそれは交渉ではどうにもならないだろう。
「ふむ……仕方ない、そちらはエクセルノースの報告を待って動くとしよう。武力行使は避けたいところだが」
「ですね、エクセルが何かいい情報を持ってきてくれたら……」
「ん? エクセルノースがどうかしたのだ?」
エクセルノースは今、「少し気になることがあるんだ」と単身で教会を調べてくれている。ラグナの歴史に詳しいゴルグやイヴァンを交えてなにやら話し合っており、教皇スティネコードにも探りを入れに行くそうだ。
そう伝えた途端、アルルゼールは再び玉座から飛び降りた。
「――大馬鹿なのだ! まさか……まさか奴一人で、教皇と話しに行ったのだ!?」
「えと、は、はい……」
「なんという……《黄昏の封光晶》を手にしておきながら、無知にも程があるのだ……」
今日何度目か分からない愕然顔でわなわなと震えだし、アルルゼールは重く告げる。
「教皇は、スティネコードは……天使なのだ。エコーディアと同じダイアの血族、Ψ遺伝子の継承者――」
何かを恐れるような一呼吸、
「――皇族、なのだ。勇者に勝ち目は……ないのだ」